第29話 えっ? 接待されてる?

 李対人の迎えの男達は、恭しく黒塗りの車のドアを開ける。前の車に乗った原田課長と前田は、理由はともあれ、自社のアクアプロジェクトを売り込みに来たのだと、気を引き締めた。


「ねぇ、やっぱり中国語で挨拶しなきゃ、駄目だよね」


 後の車から降りた聡が、こっそりと黒龍に尋ねているのを、原田課長は心配そうに後ろを振り返って見る。


「前田君、あの二人にちゃんと中国での、ビジネスマナーを教えたんだろうな」


 そんな暇が、いつあったのかと愚痴りたくなった。


「黒龍が、聡の面倒をみるでしょう」


 大丈夫か? と心配そうな、原田課長にマナーなんか李大人は気にしないだろうと、前田は答える。


『なんたって龍なんだから、火でも噴かないかぎり、李大人はマナーにケチはつけないだろう……』


 車寄せから、何段かの大理石の階段を上ると、玄関まで李大人か出迎えに来ていた。原田課長と前田は、心底驚いたが、そこは商社に勤めているので、顔には出さない。


『東洋物産の原田課長さん、前田主任さん、そしてお若いお二人様ですね。ようこそ、お越し下さいました』


 にこやかに原田課長に手を差し出している李大人に、前田は何の目的だろうと疑惑を抱いたが、聡達に素早く日本語で注意を与える。


「目上の相手が手を差し出してから、握手するんだ。相手の握る力に合わせて、手をにぎるんだぞ! 強すぎてはいけないが、弱かったら『死んだ魚』と馬鹿にされるからな」


 原田課長に引き続き、李大人は前田にも手を差し出したので、注意を止めて、にこやかに挨拶しながら、握手をする。


『前田主任さん、こちらのお二人に、私を紹介して下さい』


 名前を指名したくせに、白々しいと思ったが、二人を紹介する。


『東洋物産の第一事業部の、天宮黒龍と天宮聡です。まだ、入社したばかりですので、宜しくお願い致します』


 機嫌良く原田課長や前田に手を差し出した李大人だが、二人には手を差し出さなかった。聡は、中国政府のお偉いさんだから、若い新入社員の自分達とは握手などしないのだろうと思った。黒龍は、李大人が龍に手を差し出す無礼を恐れて、手を差し出さなかったのだと気づいた。


 一瞬、気まずい沈黙が降りたが、李大人は大きく息を吸い込んで、聡に手を差し出した。


『天宮聡です』聡は、李大人が気を使って、握手したのだと考えたが、黒龍は黄龍目当てなのかと警戒する。


 李大人は聡と握手して、ごく普通の青年にしか思えないと感じたが、黒龍の冷やかな雰囲気に圧倒される。


『天宮黒龍です』聡が不審そうに眺めているので、黒龍はフッと力を抜いて握手をする。


『皆様、お食事を用意しております。先ずは、食べましょう』


 確かにお昼時ではあるのだが、まさか李大人にもてなされるとは思ってもみなかった。原田課長に目で合図されるまでもなく、前田は聡が中国での食事のマナーを知っているのか、不安になる。


「中国では何回も乾杯をするし、飲み干さないと失礼にあたる。それと、日本と違い、酔っぱらうのは無作法だと思われるんだ。聡? 酒は飲めるのか? 弱いなら、ビールで乾杯するか?」


 黒龍はほっておいても、自分でなんとかしそうだと、聡が重要人物の李大人の前で酔いつぶれたりしないように注意する。


「聡は、酒の一升ぐらい平気ですよ」


 前田は、可愛いベビーフェイスの聡がウワバミだと知って、内心で『やはり、龍なのか!』と愚痴る。




 李大人は、にこやかに原田課長を食堂に案内しながらも、後ろを歩いてる天宮家の二人を観察していた。


「ねぇ、あの壺って、凄く高そうだよね」


 挨拶が終ったので、少し緊張が解れた聡は、きょろきょろと見回しては、教育係の前田に叱られたりしているが、黒龍は聡に壺の説明などをして、もっと緊張感が無い。


「あれは景徳鎮の壺だよ、ほら、美術史で習っただろ」


 李大人の屋敷には立派な美術品が廊下にも飾ってあったが、白地に藍一色の模様が凜として綺麗だと目に留まった。


「何だか、凜とした雰囲気が青龍みたいだ。あれ? 本当に龍が書いてあるんだね」


 原田課長も後ろからついて来ている二人が、壺の前に立ち止まったのに気づいた。


「天宮君、さっさと来なさい!」


 しかし、李大人は壺を見ている二人に、目利きですねぇと話しかける。


『この壺は、私も一番気にいっているのです。ほら、ここに描かれている龍を、よくご覧下さい。龍の爪が5本あるでしょう?』


 聡は、確かに5本あると、頷いた。


『李大人、龍の爪が5本あるのは、わかりましたが、何か意味があるのですか?』


 李大人は、本当に聡は龍なのか? と、呑気に質問してくるので、調査報告に疑問を抱いたが、黒龍が甲斐甲斐しく世話をやくのは黄龍だからだろうと、にこやかに説明する。


『5本爪の龍は、皇帝しか使えませんでした。貴族達は4本爪、庶民は3本爪の龍なのです』


 黒龍は馬鹿馬鹿しいと、そっぽをむいて、こんな壺で青龍を思い出す聡に、少し嫉妬を感じる。


『では、この壺は、皇帝が使ってたのですね! 凄いですねぇ!』


 ぼんやりの聡にしては、お世辞が上手いと、原田課長は感心したが、前田と黒龍は天然だろうと考えた。



 上機嫌な李大人の後ろを歩きながら、天然の聡は今更ながら変だと気づいた。


「ねぇ、前田主任、何だか接待されてるような?」


 前田と黒龍は、本当に天然だと、溜め息をついた。

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