第28話 海外でのお仕事は楽じゃない

『このホテルではない。間違っている』


 前田は帰国前に泊まっていた普通のビジネスホテルではなく、上海の超高級ホテルの車留めに停車したのに驚いて、文句をつけた。


『原田課長は、違うホテルに滞在されているのですか?』


 浮き浮きデート気分で、聡に上海を車窓から説明していた黒龍は、自分の意思を無視したのかと問い正す。


『原田課長は、このホテルに宿泊されています』


 恭しくドアを開けながら、案内の男が答えたので、三人は車から降りた。


「へぇ、凄く豪華なホテルですね~海外出張って、費用がかかりそうですけど、経理に叱られませんか?」


 女子社員から、出張旅費の精算書の書き方を教えて貰った俺は、こんな豪華なホテルの宿泊費を請求したりしたら、却下されるのではと心配する。自費なんて御免だよ。


「そんな事より、原田課長と会って、話し合うことが先だ。私が日本に帰っている間に、何があったのか聞かなくては」


 前田さんがチェックインは後回しにして、ともかくは原田課長と話し合いたいと、案内の男達に要求する。


「おおい! 前田君、こっちだよ」


 豪華なロビーのソファに座った原田課長に声を掛けられて、三人は説明を求めた。


「原田課長、一体どうなっているのですか?」


 兎も角は、座れ! と言われて、ソファに腰を下ろしたが、前田さんは訳がわからないと、説明を求める。


「あのお迎えの男達は、中国政府の廻し者ですか?」


 原田課長も、詳しい事情はわからないと、肩を竦める。


「お前が帰国して、こちらのホテルに移るように言われたのだ。こんな高級なホテルの宿泊費なんて、支払えないと抗議したら、なんと中国政府が招待すると言われたよ。何だか、狐に騙されているような気がする」


 原田課長と前田主任が話している間に、チャイナドレス風の制服を着た綺麗なウエイトレスが、中国茶を運んできた。


「ねぇ、黒龍……すっごく綺麗だね」


 俺がチャイナドレス風の制服から、チラリと見える太股を見て、ポッと頬を赤らめたので、黒龍は自分の女装の方が可愛いと腹を立てて膝で脇腹を叩く。確かに黒龍の女性版はアイドル並みだけど、本体は黒龍だもん。違うよね。


『お疲れでしょう、お茶をどうぞ』


 薫りの良いお茶を勧められて、俺が飲もうとするので、黒龍は手を押さえて止める。


「原田課長と前田さんが、此処に泊まると決めてからにした方が良いよ」


 俺も、そうかもと、少し待つことにする。


『お部屋の用意が出来ました』


 案内してきた男達に、カードキーを差し出されて、前田さんは困惑する。


「前田君、この際だから、このホテルに泊まろう。後で、宿泊費をホテルから請求されたら、その時は経理に泣きつこう!」


 原田課長は、売り込み中なのだから、相手先の言う通りにしようと、前田さんに言い聞かせる。


「では、いったん部屋に入ってから、李大人に挨拶に行きましょう」


 差し出されたカードキーを受け取って、エレベーターに向かう。


『そのカードキーを此処に差し込むのです。そうしないと、エレベーターは動きません』


 ホテルのボーイがエレベーターの使い方を説明するのを、俺は興味深く聞いている。日本でもホテルに泊まった事はあまりないんだ。原田課長も、部屋で前田さんと話し合いたいと一緒に行動する。


「あのう、私達のスーツケースは?」


 初めての海外旅行で、スーツケースの心配をしている俺に、ボーイは先に運んであると笑顔で答える。


「ねぇ、チップとかいるのかな?」


 俺が小声で質問したが、黒龍が面倒をみるだろうと無視された。後から聞いたけど、前田さんはこの厚遇は中国政府が龍を取り込もうとしているからかと考え込んでいたようだ。


「あっ、凄い眺めですねぇ!」


 部屋に案内された俺は、上海の高層ビルが見えると、窓に張り付く。黒龍も俺の横で、良い眺めだと話しているのに、前田さんは溜め息をつく。


「この部屋はスイートですねぇ。もし、自腹になったら、ボーナス払いにして貰わないと」


「ええ、マジで!」


 前田が愚痴るのを聞き付けて、黒龍は振り向くと都合の良い提案をする。


「そうですよねぇ! 中国政府を信頼したら、酷い目に逢うかもしれません。聡と私は新入社員なので、こんなスイートの宿泊費なんて払えません。なあ、聡! 二人で使って、割り勘にしよう」


 俺が、いくらぐらいなんだろうと迷っていると、黒龍はスマホで調べて見せる。


「ええっ! そんなに高いの! とても支払えないよ~! 僕達は、もっと安いホテルに泊ります。海外出張旅費の範囲内で支払えるホテルで良いです」 


 確かに、新入社員が出張で泊まるホテルでは無いが、売り込み中だからと、原田課長は困ってしまう。


「なぁ、天宮君達を彼方さんが指名したのに、何か心当りは無いのか? もしかして、政治家の身内だとか?」


 黒龍はすっとぼけるし、俺の両親は地方の公務員ですと、首を横に振る。


「何だか変なんだよなぁ、それに李大人になんて、日本の国会議員でも、早々面会できない大物だというのに……あっ、そうだ! お待たせしては、失礼だ!」


 三人にスーツケースが部屋に届いているか確認させると、ロビーに降りるぞと原田課長は急かせる。前田は、原田課長と二人っきりで、天宮家の秘密の一端でも教えて、対応策を話し合いたいと思ったが、エレベーターでロビーに降りた途端、出迎えの男達に車へと案内された。二人づつ別れて車に乗ることになったので、前田は原田課長と同乗したが、助手席の迎えの男が気になって、説明がしにくい。


「私も今回の件は、変だと思って帰国した際に、少し調べてみました。詳しくは、わかりませんでしたが、天宮家は少し特殊な家柄みたいです。日本の政治家も、天宮家には一目置いているようでした。そこに、李大人は目をつけたのでしょう」


 原田課長は報告に驚いたが、成る程! と納得する。東洋物産には、時々凄いコネを持った社員が入社することもあるので、驚きはしても変には思わない。そう言えば、部長が二人の様子を何度か聞いてきたのは、そんな事情があったのかと府に落ちた。


「成る程ねぇ、黒龍はいかにも権力に慣れている感じがする。聡は……おっとりしているのは、育ちが良いからなのか? しかし、両親は地方の公務員だと、さっきも言ってたが……」


 結構、原田課長は新入社員をチェックしているなと、前田は苦笑する。そんな間にも、車は渋滞をすり抜け、少し郊外の緑豊かな高級住宅街を走る。


「まさか、あれが李大人の屋敷ですか?」


 個人の家とは思えない規模に、二人は驚きを隠せない。


「前田君、失礼の無いようにしなくては! 天宮君達に、中国でのビジネス事情を説明したかね?」


 いつ、そんな暇があったのかと、前田は王宮のような屋敷に、浮き足だっている原田課長に呆れた。


「へぇ~、此処って何か博物館なのかな?」


 後の車から、恭しくドアを開けられて降りた俺の呑気な言葉に、前田さんは「海外出張は楽じゃない」と愚痴った


✳︎

 その頃、原田課長が前に泊まっていたビジネスホテルに着いた青龍達は、此処に泊まるのかと溜め息をついていた。


「此処では、聡の為に料理ができないじゃないか!」


 白龍が持ち込んだ大量の荷物をうんざりと眺めながら、青龍は異変を察知する。


「どうやら、このホテルに聡は宿泊していません。中国政府に拉致されたのかも」


 赤龍と白龍も、こちらに近付く黒服の男達に気づき、警戒体制をとる。


『天宮様達ですね、李大人が面会を希望されています』


 恭しく頭を下げる男達に、青龍は聡の宿泊場所は何処だと質問する。


『そちらのホテルにご案内致します』



 空港に出迎えたのに、男達は何故会えなかったのかと、不思議に思ったが、普通の手段で移動したのでは無かったからだ。


「こんな荷物、タクシーには乗りません」


 青龍の文句に、白龍は何処のホテルだと聞くと、力を使って移動したのだ。青龍と赤龍も、白龍だけ聡の側に行かせるつもりは無かったので、後を追いかけた。


 青龍達を出迎えた男達は、空港で暫く待ったが、ビジネスホテルにいると報告を受けて、慌てて向かいながら、どうやって自分達の目をすり抜けたのかと困惑した。大量な荷物と、料理ができる部屋が良いとの文句に、男達は汗をかきながら、李大人のお客様を案内した。

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