第3話 逃がさない(1)
翌日の朝、俺は毎朝聞いているけたたましいアラーム音で目が覚めた。その音の出所に無意識で手を叩きつける。煩わしいアラームの音はぴったりと途切れた。重い身体を起こして、室内に掛けられた時計に視線を向けた。午前七時を指している。しばらくの間、無心で時計を見つめていたが、ふと我に返って昨晩の出来事を思い出した。こめかみがチクっと痛んだが、さほど気にはならない。
そういえば、こっちに戻ってきてから激しい耳鳴りと頭痛がしたけど、あれはいったいなんだったんだろう。
こめかみを優しく触れながら、少し疑問に思った。しかし、昨晩あんなことが起きたのだ、身体に異常をきたしてもおかしくはない。
とりあえず、喉が渇いたのでリビングへ行くことにする。その際に視界の端に映った春子と俺と夏美と冬樹が映った写真が俺の足を止めた。息がつまり、身体が震えた。全身の筋肉がきしむ音がする。気づいたら俺は拳を血が出るまで強く握りしめていた。一晩が過ぎて、俺の感情は悲しみから一転、憎しみに染まっていた。
春子をあんな残酷に殺した犯人を、俺が絶対に殺してやる……。
……殺してやるっ!!!
俺は深呼吸した後、そっとその写真を手に取り、財布の中にしまった。
携帯を取り出して、おじさんから連絡が入っていないか確認する。メールが一つ届いていた。鼓動がひときわ強く脈動した。恐る恐るそのメールを開くと、その送り主に『咲夜』と表示されていた。
『ちょっと、本当にヤバいことがありましてですね。
今日の数学の課題全くやってないの(泣
あの先生怖いし情緒不安定だしどうしよう><』
「……課題見せて欲しいだけだろ……」
全く、こいつはこんな時だっていうのに……。咲夜は、春子のことをまだ知らないから、しょうがないか。でも……。
「本当、咲夜はバカだなぁ」
自分の張り詰めた感情がわずかに緩んだ気がした。だが、春子の死を知ってしまったら咲夜はどうなってしまうのだろうか。彼女にとって、春子は親友の一人だった。その春子が死んでしまった事実を伝えられて、正気を保っていられるとは思えない。あいつには、その機会が来るまでは黙っておくのがよさそうだ。今日は学校に行く気力なんてありはしなかったが、俺と春子が二人共学校に来ていないとなると咲夜を心配させかねない。俺が登校するのが無難だ。ましてや、俺は一度春子を殺した犯人に素顔を見られているし、命だって狙われた。人ごみに紛れたほうがマシだろう。奴だって大衆の中で俺を狙うことはしないだろう。
俺は捜査の進捗具合を尋ねたメールをおじさんに送ると、自宅を後にした。
教室に入ると普段通りの、生徒達の雑談による喧騒に包まれた。疲弊しきっていた体には、それさえも苦痛に感じられ、辟易とした。そのままおぼつかない足取りで座席に着くと、背中を強くたたかれた。咲夜だ。
「おはよ真! 宿題見せて! って、どうしたのあんたその顔……」
やかましいほどに大きい声で俺に話しかけてきた咲夜は、俺の顔を見るや否やそんな疑問をぶつけてきた。
「顔って……お前、いくら俺が不細工だからってその言いようはないだろ……」
「……ごまかさないで、あんたの顔、あたしや春子じゃなくても何かあったってわかるほど、なんていうか……変よ」
語彙がすくない咲夜は表現に困ったあげく、変だと表現した。そのおバカさには頭があがりません。
「徹夜でゲームしてたんだ、放っといてくれ」
応答するのも面倒になったので、投げやりに返事を返す。それに対して咲夜は顔をしかめると、小さくため息をついた。
「あんた、ほぼ毎日ゲームで徹夜してるじゃない……」
「今日は完全に寝てないんだ」
「寝癖ついてるわよ」
「横になりながらゲームしてたんだよ……」
咲夜と俺で押し問答をしていると、不意に背後ろから男子生徒の声が飛んできた。
「そうだな、確かに酷い顔してるぞお前」
その声につられて振り返ると、そこにはガタイの良い大柄な男子生徒が立っていた。そのルックスは制服を着ていない限りおおよそ高校生だとは見当もつかないだろう。この貫禄のある男子生徒は、確か、宮本君だったか。何だこいつ、俺とたいして仲がいいわけでもないのに話しかけてくるなんて、ホモか?
……っておい、待てよ。確か昨日、俺と春子が会話しているとき、こいつ俺たちを鋭い目つきで睨んでいたはず。そして、ガタイの良い体つき……まさか、こいつが…………!!
いや、いくら何でも早計すぎる、ガタイの良い男なんてそこらへんにいるじゃないか。ちょっとしたことで、犯人と断定するのはよろしくない。
(でも、気をつけておくに越したことはない……)
「酷いな宮本君、君まで俺のルックスをバカにするのかい……」
「そうは言っていないだろう……それに、俺は宮岸だ」
「…………」
しまった、名前を間違えていた。いくら他人にあまり興味がないとはいえ少し失礼だったな。
「ごめん……中学時代に宮岸って名前の奴がいてね、混ざってた」
「よくあることだな……」
一見、ただの気の良い青年に見える。しかし、昨日のあの形相を忘れてはいけない。本当に気の良いだけの人間があんな顔するわけないだろ。やはりこいつは要注意人物だ。雰囲気や言動に惑わされてはいけない。
「俺の名前は、宮岸 拓馬だ。今度こそ覚えてくれよ?」
そういって宮岸君は俺の肩を数回軽く叩いた。
「それよりも、大茂、見るからに体調が悪いように見受けられる、保健室に行ったほうがいい」
「そうよ、宮本君の言う通りよ」
彼の薦めに、昨夜も便乗してくる。そんなに、ひどい顔をしているのか俺は……。
「一式、俺は宮岸だ」
「あ、そ、そうだったわね! ちょっとウケ狙いにいっただけだから!」
「一式……」
宮岸君が呆れ、額に手を当ててため息を吐いた。
「じゃ、じゃあ、あたし真を保健室に連れていくわね! シーユーグッドバーイ!」
咲夜は宮岸君から逃げるように俺を廊下へ連れ出すと、小さく深呼吸した。
「危なかった……」
「いやアウトだろ……」
あんな言い訳で逃れられるわけがない。そもそも嘘が下手すぎるんだこいつは。
「……やっぱ、まずかったかなぁ」
「まぁ、彼は気がよさそうだから問題ないだろ」
「そうよね! あたしもそう思ってたわ」
何故かどや顔で胸を張る咲夜。そんな咲夜を見ていると、犯人の恐怖に怯えてる俺のほうがおかしいみたいに感じてしまう。断じてそんなことはないのだが……。
「……それより、やっぱり疲れた、保健室に連れて行ってくれないか」
これは、偽りのない本音だった。いくら昨晩多少は睡眠をとったとはいえ満足できる質の睡眠であるはずもなかった。
「やっと本音を言ったわね」
俺の本音を聞いた咲夜はどこか嬉しそうにそういった。その笑顔に、少しだけ心が落ち着いた気がした。
「でも、やっぱりあんたがこんな疲れ切ってるのは初めて見た」
咲夜と保健室に向かっている最中、昨夜は突然ぽつりとそんなことをつぶやいた。
「言いたくなければ言わなくてもいいの、でも、ちょっと心配だったから……」
「咲夜……」
俺のことを、心配してくれていたのか……。咲夜と知り合ってから五年、俺と咲夜は親友と呼べるほどに親しい関係になった。いつも喧嘩ばかりしているが、やはり、心配し、心配されることは当たり前なのだ。
「ほら、保健室についたわよ」
俺の視線に気づいて頬を赤らめた咲夜はその気まずさを紛らわすように少し荒く保険室の扉を開ける。中に入ると、俺は咲夜に半ば強引にベッドに寝かせられた。
「しばらくここで休んでいるといいわ。るりちゃん今はいないけど、そのうち来るでしょ」
るりちゃんはこの学校の保険教諭である。あだ名で呼ばれ親しまれているが、俺とはあまり面識がない。たしかに、彼女と一緒にいれば安心できそうだった。そんな包容力を持った人間だから。
「わかった……」
「じゃああたし教室戻るから」
「じゃあね」と咲夜は手を小さく振って、ベッドの周りのカーテンを閉める。おそらく教室へ向かって遠ざかる足音を聞きながら、俺は心の中で、咲夜に対して礼を言っておいた。
「でも、今は伝えることはできない……」
守るべきもの、俺の守るべきもの。咲夜をこの事件に巻き込むわけにはいかない。たとえバカでも、あいつは俺の親友なんだ。
「とりあえず、軽く睡眠をとろう」
放課後には犯人の手がかりをつかみに少し調査をしに行ってみたり、おじさんに会いに行ったりする予定が俺の中にはあった。そのためにはやはり睡眠は必要不可欠だ。
ふわふわの質量のあまり感じられない布団をかぶり、放課後の行動に向けて睡眠をとろうとしたときだった。突然保健室の扉が、ガタガタと音を立てて開く音がした。
咲夜が出て行ってまだ一分も経っていない。もしかして何か忘れ物でもしたのだろうか。そう思って声をかけようとした直前で俺はある違和感に気が付いた。
……どうして室内を歩く音がしない?
扉を開けて次にやる動作としたら室内に入ることだ。今現在、るり先生がいないこの保健室を見て、そのまま立ち去ったという可能性も十分ある。しかし、どうしてだろうか。何も気配を感じない。感じないはずなのにすぐそこに誰かがいる。そんな気がしてならなかった。冷静に今の状況を考慮する一方で、何かやばいものが近くにいると、俺の本能がそう告げていた。そう認識した瞬間、この部屋が凄まじいプレッシャーの中に包まれているように感じた。まるで理解できない、人じゃない何か――悪魔のような存在に無言で見降ろされているような、そんな感覚だった。
その異質な気配に、俺は薄いカーテン一枚を隔壁として対峙していた。
(いる、何かが、俺の目の前に……)
数十秒感、俺は息を殺して、そいつ(・・・)がいなくなるのを待つ。しかし、一向にその気配は消えることはなかった。俺の我慢も限界に達しようとしたとき、突然、まるでその場からそいつ(・・・)の存在が消失したかのように、その気配はふっと消えた。本当にその気配が消失したか十分に確認した後、大きく息を吸いこんで額に腕を乗せる。
「今のはいったい……」
俺の、気のせいだったのか? いや、しかし扉は確かに開いたのだ。それにも関わらず誰も入ってこなかった。誰かが保健室に用事があっただけという理由ではあのは感じられるはずがない。俺は、疲れているのか……?
「あら? 誰かいるの?」
俺が先の一連の現象に関して思考を巡らせていると、俺の後方から少し間の抜けた女性の声が保健室の入り口辺りから聞こえてきた。
この声は、るり先生だ……。
「あの……少し具合が悪くて……」
無視はまずいので、なるべく平静を装いながら答える。自分でもうまくこの戸惑いと恐怖を隠せたんじゃないかと思った。
「まぁ、そうなの……カーテン、開けていい?」
やはり、俺の異変には気づいていないようで、控えめに先生は俺にそう尋ねてきた。
「はい、もちろん」
断る理由はさしてなかった。俺の返答を聞くと、先生は遠慮がちにカーテンを開けた。その隙間からセミロングで軽くカーブのかかった髪で大きめな瞳のるり先生の顔が姿をのぞかせた。
「あらあら」
先生はカーテンの隙間から俺の顔を見たとたん、その大きな眼をさらに大きく見開いた。
「あなた咲夜ちゃんの彼氏じゃないの」
「どこをどう見たら彼氏になるんですかね……」
ていうか、なんでこの人俺のこと知っているんだ? まさか、さっきの気配はこの人の……。
「咲夜ちゃんいつも保健室に遊びにくるんだけどね、いつもあなたの話をしているから……てっきりあなた咲夜ちゃんの彼氏だと思ってたの……」
あぁ、なるほど、だから勘違いしていたわけで、俺のことも知っていたわけか。でも、意外だな……。咲夜ってそんなに保健室に遊びに来ていたのか。そういえば最近放課後咲夜と一緒に帰ることはあんまりなかった。保健室に来ていたのだろうか。
「まぁ、彼氏じゃないなら、咲夜ちゃんの一方的な恋ってことなのかな?」
「だからやめてください」
徐々に対応が面倒になってきた……。どうして女性はこうも色恋沙汰に興味深々なのか、別に他人の恋なんてどうでもいいじゃないか。
「ふふ、まぁゆっくりしていってちょうだい。お昼になったら一度起こしに来るわね?」
「はい、ありがとうございます」
先生はカーテンを閉じると、そのままベッドを離れていった。
当然、足音は聞こえるし、椅子に座る音も聞こえてきた。やはり、さっきが異例だったのだ。俺は先生がいる、という安心感から突然の眠気に襲われた。俺だって、ただのちっぽけで無力な一介の男子高校生だ。たとえ女性でも、大人という存在が近くにいるということは、それだけで安心できることだった。
徐々に重たくなる瞼に意思をゆだねて、俺は静かに眠りについた。
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