第2話 別れ
夕子と別れた深夜、俺はコンビニへと続く薄暗い一本道を歩いていた。いつも通り徹夜でゲームをやっている最中、少し小腹がすいてしまったのだ。冷蔵庫には何も入っておらず、仕方なく買い出しに出ている。深夜ともなると、外気は一層に寒さをまし、俺の顔や耳、手をこれでもかというくらいに攻撃してくる。寒さに耐えきれなくなった耳が痛覚で悲鳴を訴えてくる。こういう時こそ春子にもらった耳宛をしてくればよかったとつくづく後悔する。
いつもなら遠回りして夜の雰囲気を楽しみながらコンビニに行くのだが、いかんせん今日は遠回りするには寒すぎた。だから、いつも通学時にとおっている狭くて細い砂利道を歩いて行った。右には民家、左には雑木林がある。昼間通るときとは違って、真夜中の雑木林は先が見通せず、陰鬱とした雰囲気に満ちていた。冬特有の強い風が吹くたびに木々たちがざわざわと静かな声をあげる。まるで、地獄の入り口へと誘われているような、そんな感覚に陥っていた。外気で下がっていた体温が、益々下がっていくのを感じた。
嫌な予感がする。
俺は足早にその雑木林から離れようと試みる。歩調を速めて、一刻も早くここを離れなければいけない。そんな焦りのせいか、時間がたつのを遅く感じさせる。普段ならとっくにこの道を抜けているはずなのに、いつまでたっても出口は現れてこない。焦りが徐々に増していき、やがてピークに達して走り出した。その最中に右の景色に視線を向ける。しかし、驚いたことにそこに住宅の姿は見当たらなかった。俺が通った道、そこは雑木林と住宅地にはさまれた狭い道。住宅が右側に見えないはずがない。ずっと道なりにそって進んできたんだ。ありえない。そう、道なりに……、あれ? ここ、道ができていない……。
ぶわっと悪寒が俺の背筋を駆け抜けて行った。
いつの間にか、俺は道を外れて雑木林の中に入ってきていたらしい。
なんだよこれ、どういうことだよ……。だって、俺はいつも通っている道を来ただけで、雑木林の中に入ってきたはずがない。
ドクン、ドクン、と自分の鼓動が高鳴っている音が明瞭に聞こえてくる。冷えきっている筈の身体から大量に汗が噴き出す。
冷静になるんだ、俺……。昼とは違って今は深夜だ。道を間違えてもおかしくはない。それに、思いだせ、この雑木林の面積はたいした広さじゃない。仮に進む方向を間違えたとしても、三十分もあれば道路に出られるはずだ。
「とにかく、ここに居ても始まらない……」
自分を落ち着かせるために声に出してみて初めて自分の身体が恐怖で震えていることに気が付いた。気持ちを落ち着かせるために首からぶら下げているお守りを強く握りしめると、小さく深呼吸した。
「く……」
震える足に活を入れて、取りあえず適当な方向へと歩みを進める。その最中に俺の周囲を取り囲む木々の葉が擦れる音が俺を嘲笑しているように感じた。数分間出口を目指して歩みを進めると、何か大きなものに躓いた。すると、突然木々の喧騒が止み、雲が晴れて行く。月明かりが俺のいる場所を照らし出し、周囲が明瞭になっていく。それと同時に俺の足元に転がっているそれ(・・)が露わになっていく。そして、俺の鼓動は今まで以上に大きく飛び跳ねた。何度も何度も身体の中から俺の脳を揺さぶってくる。視界が乱れ、息が荒くなる。震えた脚は力を失いその場に崩れ落ちた。
「…………は、るこ……」
そう、俺が躓いたもの、それは俺のよく知っている顔で、いつも俺を励ましてくれる顔で、とても大切な存在のその人にそっくりで……。
でも、その首は、導体とは綺麗に切り離されていた。
なんだよこれなんだよこれなんだよこれなんだよこれなんだよこれなんだよこれなんだよこれなんだよこれなんだよこれなんだよこれなんだよこれなんだよこれなんだよこれなんだよこれなんだよこれなんだよこれなんだよこれなんだよこれなんだよこれなんだよこれ。
「…………」
暫く、パニックになり何も考えることのできかった脳が徐々に冷静さを取り戻していくにしたがって、目の前に広がる光景を現実であると俺自身に突き付けてくる。すると、唐突に激しい吐き気に襲われた。今晩食ったものを吐き出していく。
「うぇ……」
胃の中を全て出し切ってから、俺は再びゆっくりと春子の元へ視線を向けた。春子の首は血にまみれているが、どこかほっとしたような表情だった。
「春子……どうして……」
今度は、自然と涙が溢れだしてくる。嗚咽を吐きながら春子の首を胸に抱きしめた。首から滴り落ちる血液が俺の服を赤で染め上げる。
「誰が、こんな酷い、こと……んっ……」
嗚咽混じりに俺はそう呟いた。辺りをゆっくりと見回して犯人を捜す。しかし、それらしき姿や気配はなかった。しかし、その際に春子の胴体であろう物体を見つけた。俺は震える足でそこまで歩くと、そっと春子の首をあるべき場所に置いた。
ガサ
そんな時だった、突然茂みから草木が擦れる音がした。何かに縋るようにお守りを握りしめると、震える声で叫んだ。
「だ、だだ誰だ!」
その瞬間、大きな発砲音と供に俺の眉間にめがけて銃弾が飛んできた。しかし、その銃弾は俺の額から十五センチほど前で止まっていた。一瞬何がおきたが理解が追い付かなったが、よく見ると俺の目の前に澄み渡るような青い障壁が広がっていた。
勢いをなくした銃弾はカランと音を立てて地面に落ちた。
「こ、これは……」
一体何が起きたのだろうか、全くと言っていいほど理解はできない。しかし、この状況はまずい……。
今銃弾を打ってきた奴はきっと春子を殺した犯人に違いない。現場を見てしまった僕も殺すつもりなんだ。春子を置いてこの場を去ることに躊躇したが、今は迷っている時間はなかった。
に、逃げるしかない……!!
先程銃声が聞こえてきた方向とは反対方向に全力で走る。草木の枝が頬や腕に掠れ、傷口から血が噴き出す。しかし、そんなことに構っている余裕はない。今はただ全力で逃げるしかない。三〇秒近く走ったころだろうか、俺は突然足元の何かに躓いて、勢いよく転がった。嫌な予感がする。先ほどの春子の頭部の映像が鮮明に脳内に浮かび出されて、鳥肌が立つ。
まさか……。
ゆっくりと振り返った先には、ただの、木の根が浮き出ているだけだった。ほっと胸をなでおろし、右を向いたその時だった。俺は決して見てはいけないものを見てしまった。全身の筋肉が強張って、身体が動かなくなる。再び身体から汗が噴き出して、喉が渇いてカラカラする。俺が見ているその先に、たくさんの、たくさんの、人間の頭部が転がっていた。その一つ一つが春子の顔に重なって全身の血液が脈打つ。息がつまり、頭を鈍器で殴られたような感覚が俺の思考を遮っていた。
がさがさ。
俺が我を失い、ただ呆然としていると、再び草が揺れる音がした。我に返った俺は力の入らない。足に精一杯力を籠めてその場から一刻も早く走り去ろうとする。その際に、月明かりが当たっている場所、そこに犯人の顔がわずかに見えた。ガッツリとした骨格をしていて、明らかに男の体格だった。
俺はその後、もう何も考えずに一目散に道路に向かって走り続けた。
しばらく、走ると、視界の先に街頭の光と、まばらに通る自動車の走る音が聞こえてきた。
「や、やっと……」
そして、ようやく視界が開け、俺のよく知っている道に出ることができた。ヘロヘロになった身体はとうとう力なく地面に倒れた。空を仰ぎ、逃げ切ったことに安堵する。そしてすぐ後に、春子を置いてここまで逃げてきてしまったことに罪悪感を感じてしまう。
春子は既に死んでいた。即死だ、あれは。でも、それでも……。俺は……。
すると、そんな時、路上を走っていた黒と白の色をした自動車から俺に向かってアナウンスが飛んできた。
「そこの少年、こんな時間にそんなところで何をしている」
パトカーだ。そして、そのパトカーから聞こえてきたのは俺のよく知っている声で、毎日自宅で顔を合わせるその人のものだった。悲鳴を上げる全身の筋肉を労りながら、ゆっくりと身体を起こし、その人の顔を確認する。やはり、おじさんだ。
「座っていないで、こちらまで歩いてきなさい……って、真か!?」
威圧的に放たれていたおじさんの言葉は、突然、いつもの明るい気前のいいおじさんのものになっていた。その声を聞いて心底安堵して、再び地面に倒れ込む。
「おいおいおい、どうしたってんだお前……」
おじさんはパトカーから降りると俺の元までやってくる。助手席に乗っていた青い制服を身に着けた警察官もそれに続いた。
「先輩のお知り合いですか?」
「あぁ、俺の息子だ……」
「というと、例の……」
「……あぁ」
何やら小声で会話をしていた二人が俺に向き直り、しゃがみこむ。
「なんでこんな時間にこんなところで寝そべっていやがるんだお前は……」
そう言っておじさんは俺の額にでこぴんで弾いた。俺が何かミスをする時に毎回してくるのだ。おじさん特有のお怒りのサインらしい。いつもは、その後に続くであろう長時間のお説教を想像して辟易とするわけだが、今の状況ではそれは俺を落ち着かせてくれる精神安定剤になっていた。
「ほら、答えろ。お前まさか、俺が夜勤だからって外で夜遊びして酒でも飲んでくだばってたんじゃねえだろうなぁ……」
そ、そうだ! 俺は何ボーっとしているんだ。今までの状況を早くおじさんに伝えないと……。
「は、は、春、子が……春子がころされたんだ」
そ、そうだ、春子の頭部を抱きしめた時にできた血液のシミが洋服に付いているはずだ。
「見て、これっ! 春子の死体を抱きしめた時についた血痕がここに……!」
「ほう……」
「それに、他に大量の死体が……。生首が……あ、あ、……ああぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
また、脳裏にあの映像が浮かびあがる。春子の死体、生首、それが俺にむかってこう問いかけてくる。「どうして助けてくれなかったの、まーくん」何度も何度もそう訴えてくる。そしてその春子の顔は数を増していき、次第に俺の視界埋め尽くした。
「違う、違うんだ、違う違う…………」
「お、おい、真!? しっかりしろ!」
おじさんに肩を揺さぶられて、現実の世界に引き戻される。
「う、うぅ……」
今度は突然涙が溢れだした。春子……、助けてやれなくて、ごめんな……。
「とりあえず、お前、そのコートを俺によこせ、警視庁でDNA鑑定してやる」
「わかった……」
俺はコートを脱ぐと、それをおじさんに手渡した。ずっと走っていたせいか汗だくだった俺の身体が冬の冷たい空気に触れて身体が一瞬にして冷えた。
「それで、経緯を教えてくれ、真」
「う、うん。あ、あの雑木林、あ、あるでしょ……?」
震える指で先ほど抜けてきた雑木林を指差す。
「雑木林の中で、それを見たのか……?」
おじさんが怪訝な様子で俺に尋ねてくる。
「う、うん。春子、こ、ころ、殺されたんだ……。コンビニ行く途中に、いつの間にか雑木林の中に入ってて、怖くなって出口を探してたら足に何かあたって、そしたら、それが首で、すっぱりと斬られて、春子の、首で……そ、その後、俺に向かって銃弾が飛んできて、俺、当たらなかったんだけど……でも、俺を狙っていたのは確かで、そこでヤバいと思って走って逃げて……きた……」
しどろもどろになりながら今までの経緯をおじさんに話す。先ほどまでの恐怖が再度甦ってきて身体が震えた。
「その、逃げてくる途中に、たくさんの人間の頭が落ちてる場所を見つけて……」
「…………ふむ」
おじさんは顎に手を当てて何やら考え事始める。一分ほど経過してからおじさんは頭をガシガシと描いて俺に向かってこういった。
「今日はひとまず帰ってだな、明日の朝から捜索に入ろう」
「で、でも……!」
「お前は現に犯人と思しき人物に襲撃されたわけだろ? 相手は拳銃を持ってる。そんな中でたった警官二人で捜索するには危険すぎる」
「そうだよ、僕たちも捜索を始めたいけれどね、手続きもあるんだ」
「……」
ダメだ、この様子では何を言っても明日までは捜査を開始してくれそうにない。
本当に、本当に俺は見たんだ! なのにおじさんたちは俺の言葉を信じてくれていない……。妄想だと思ってるんだ……。
ぐっと拳を握りしめると、俺は俯いた。
「まってて」
俺はそうおじさんたちに言うと、おもむろにポケットから携帯を取り出した。大きく深呼吸を三度ほどすると、電話帳の中から夏美の名前を見つけ、tellボタンを押す。三度ほどコールした後、眠たそうな美夏の声が聞こえてきた。
『もしもし……』
「美夏、春子は帰ってきてるか……?」
『帰ってきてないよ……どうかしたの?』
少し、美夏の声が緊張するのが感じ取れた。やはり春子は帰宅していないらしい。それもそのはずだ。あいつは何者かによって殺されたのだから。
美夏も春子を心配してこの時間まで起きていたのだろう。
「春子、俺と散歩した後友人の家に勉強を教えに行ったんだが、そのまま徹夜でテスト対策するから帰れないそうだ」
『そっか……もう、連絡してくれればよかったのに……』
「俺が頼まれていたんだけど、言うの忘れてた」
『まーくん……』
「ごめんって……冬樹は寝たか?」
『うん、10時くらいには寝ちゃった』
「そっか……お前も、もう寝ろ」
『わかった、おやすみなさい』
「あぁ、おやすみ。戸締りはしっかりとしておくんだぞ」
そう言って俺は通話を切った。おじさんに顔を向けると、俺は首を横にふった。
「やっぱり、春子はいなかった。これで少しは信じてもらえる?」
「……わかった、それでも捜査は明日からだ。捜査が開始するまでは俺達で個別で調べてみる。だからお前は帰って寝ろ」
おじさんは自分が着ていたコートを俺におしつけると、パトカーを指差していつもの優しい笑顔を見せた。
「送って行く、乗れ」
俺は凍える身体を抱きとめながらパトカーに乗り込んだ。帰るまでの間、ずっと春子が死んでいた雑木林を見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます