反逆のまーくん

おかか

第1話 平穏

「頭が光ってる」

 ボソッと呟いて、俺は手に持った鏡で授業を行っている教師の露出した頭皮を照らした。教師がこちらを振り返る素振りを見せる度に、鏡を逸らして、授業を受けている体を繕う。どうしてこんなことしているかって? そんなの授業がつまらないからに決まっているだろう。大体、俺は理系に進みたいんだ。何故、世界史などという無駄な科目を勉強しなきゃいけないのか、理解に苦しむ。せめて現代社会に関わること勉強しようよ、政治とか。それだったら俺も真面目に勉強するかもね。俺の社会の偏差値も四五から五〇くらいには上がるかもしれんぞ。

「ねぇ、真、それやめなよ……」

俺が教師の頭部を照らして遊んでいると、隣の席から極力潜められた声が飛んできた。

「なんで、理由を聞きたいね、理由を」

「何、頭良さそうな人がいうセリフ言ってんの。バカのくせに、生きてる価値すらないようなゴミクズのくせに」

隣の席で呆れた風に顔をしかめた女子生徒は、情け容赦のない言葉を俺に浴びせてきた。

「おい、自分のことをそんなに卑下しちゃいけないぜ?」

「あんたのこと言ってんのよ!! あんたの耳は頭じゃなくて別のところについてんじゃないの!?」

「別のところにも付いてても言葉は聞き取れるぞ? お前の頭脳みそつまってないのか?」

「あぁ言えばこういう……!!! テストだってギリギリ赤点免れただけじゃないのよ」

「まぁそのぎりぎり赤点じゃなかった俺より低い点数の奴が俺の隣にいるんだどなぁ……」

「んぐ……」

さっきから俺に何かと嫌味を言ってきていた咲夜はついに言い返す言葉がなくなり唸り声をあげる。

 「一式 咲夜さん……」

 すると、いつのまにか額に青筋を浮かべた世界史教師が咲夜の席の隣に突っ立っていた。その視線の先には不機嫌そうに俺をにらむ昨夜の姿が。どうやら先生に目をつけられたらしい。それはそうだ。俺は慎み深い性格だからな。声の音量は心得ている。あんな大声で叫び散らしてたらそりゃあ先生の堪忍袋の緒が切れたっておかしくはない。さらにこいつは定期試験の点数が……。

 「君は、前回の中間テスト赤点でしたよねぇ……」

 その後ろ姿は怒りに震えている。

 あぁー、これはまずいな。俺はそっと両耳を手でふさいだ。

 「廊下に立っていなさい!!!」

 隣の教室のそのまた隣の教室まではっきりと聞こえる程の声量で、教師はそう叫んだ。ビックリして縮こまってる咲夜が可愛く見えてしまったのは、俺の性格は悪いからだろうか。

 

 

 授業が終わり、いまだにグチグチと説教を食らっている咲夜を見て、俺は内心でざまぁみろと嘲っていた。

 廊下の隅でその様子を窺がっていると、妬まし気な視線をチラチラと俺に送ってくる。そのたびに俺は意地の悪い笑みで返してやった。

 「はい、次回からはしっかりと勉強します。すみませんでした」

 咲夜の言葉が聞こえると、教師はそのまま廊下の奥へと姿を消した。

 「何、笑ってんのよ、いじわる……」

 説教から解放された咲夜は真っ先に俺の元まで駆け寄ると、第一声に文句を言ってきた。

 「だって、バカ……哀れだなぁと思って」

「言葉を代えたところで私を貶していることに変わりないじゃないそれ」

不満だ、と言わんばかりにぷっくりと頬を膨らましている。

「だいたいねぇ、私はあんたを注意しただけなのよ。善意からそうしたのにぃ!」

「お前なぁ、善意が必ずしも人を助けるものだと勘違いしちゃいけねぇよ」

「何しったような事言ってんのよこの悪魔! そのうち痛い目見るんだから!!」

「ほう、それは楽しみだ……だが俺には、このお守りがあるから意味ないだろうけどなぁ」

少し自慢げに取り出したこのお守りは、かつて母親からもらった大切なものだ。いつも、肌身離さず首からつるしている。

「……たかだがお守りじゃない」

「お前にはそうかもなー。 まぁ心の持ちようというやつだよ」

「ふーん」

怪訝そうな瞳でお守りを見つめる咲夜。もしかして、欲しくなったのか? まったく、こいつも子供だな。

「二人とも、なにしてるの?」

すると、別のクラスに所属している俺の幼馴染の春子が声をかけてきた。俺はそちらに視線を向けないままで返答する。

「どうすれば胸が大きくできるか聞いてきたものだから、諦めろと説得していた」

「は、はぁ?」

俺の突然の発言に、咲夜は素っ頓狂な声をあげる。頭の中だけじゃなく顔までアホみたいになってるぞ昨夜。

「それは、しょうがないよ……他にも咲夜ちゃんには良いとこあるよっ!!」

頑張れといって春子は咲夜の肩に手を置く。しかし、咲夜の視線は春子の豊満な胸にくぎ付けになっていた。春子が少し動作をするたびに微かに揺れているその双丘は男子間で理想(りそう)胸(きょう)と呼ばれている。

「春子に言われても説得力ないし……」

咲夜は俯き、肩を落とすと、深くため息を吐いた。しかし、それからすぐに、はっと何かを思い出して、声を荒げた。

「ていうか、そもそもそんな話してないわよ!」

「でもその様子、本当に悩んでるだろ」

いくらなんでも落ち込みすぎである。俺のような優れた人間にはそんなことすぐに察することができるのだ。

「なっ!?」

咲夜はない胸を両腕で隠すと、熟れたトマトのように顔面を真っ赤に染め上げた。それは羞恥心、怒り、どちらが原因なのか俺にはわからない。

「真のバカっ! もう知らない!」

咲夜はそう言って俺を張り倒すと、物凄いスピードで走り去って行った。俺はそのスピードに少し驚いた。あいつ、あんなに足早かったっけ?

「もう、あんまり咲夜ちゃんをいじめちゃダメでしょ……」

違う、あれは断じていじめではない。いじっているだけだ。バカはいじるだけで面白い。だがこれを言うと春子は真面目だからお説教を始めてしまう。だから曖昧に返事をしておく。

「つい面白くてな、次からはやりすぎないように気をつける」

「ほんと~……?」

春子は訝し気に俺の顔を伺う。こういうところが昔から面倒くさいと感じる。

「ほんとだよほんと」

適当にあしらって、俺は教室に戻る。後ろから、春子もトコトコついてくる。

「お前、クラス違うだろ……」

「あっ、そっか……」

本気で自分の教室を間違えていたらしい。こいつ、どこか気が抜けているところがあり、本当に心配になるときがある。将来仕事で何かやらかさないだろうか。自分の教室へ向かう幼馴染の後ろ姿を見ながら少し不安になった。

「あ、そうだ」

教室から出かかったところで、何か用事を思い出したらしい春子がこちらに駆け寄ってきた。

「今日、帰り暇かな?」

何のためらいもなく、いつもの雰囲気でそう尋ねてきた。走ってきた際に揺れた春子の髪からふんわりと甘い匂いが漂ってきて少しどぎまぎした。

「お前、その台詞をいう時はもう少し恥じらいをもちながらだな……」

少し早くなった鼓動を紛らわすために何でもなくくだらない事を言う。

「まーくんに対して恥ずかしがることなんてないよ……昔はお風呂だって一緒に入っていたくらいだし」

春子の発言に、一瞬教室内が沈黙したように感じた。いや、それは気のせいじゃないのだろう。春子の声は透き通るような美声だから、雑音の中でもよく通るのだ。すぐにその沈黙は消えたが、この話題は俺達が去った後にみんなの話題になるのは間違いない。そして変な噂を流されるのだろう。勘弁してもらいたい。

……ん?

しかし、その中で一つだけ異質な視線を感じ取った。その視線の主を探すと、一人の男子生徒が俺を見つめていた。

彼は確か、剣道部の宮本君だったかな。

彼の鋭い視線は、俺の視線とぶつかっても一切逸らされることはなかった。その瞳の奥に、憎悪のようなものすら感じとる事ができ、背筋に悪寒が走る。先に目を逸らしたのは俺だった。

俺、嫌われるようなことしたかな……

と顎に手をあてて考えてみる。しかし、さっきの春子の発言以外に心当たる節がなかった。

もしかして、春子が好きなのか……?

 ちらっと春子を見やると、相変わらずこちらを柔らかい微笑で見つめていた。

こいつを好きな人がねぇ……。

 何故か複雑な気持ちになった。

「で、今日の放課後どうなの?」

「あぁ、特に用事はないな。買い物?」

俺の返事を聞いて、顔をほころばせて頷いた。

「うん、今晩も両親が帰ってこないから……」

 晴子の家庭は両親が供働きで、滅多に家に帰ってこない。聞くには権威のある科学者らしい。俄かには信じられないが、彼女の家に数多くの表彰状やトロフィーがあったことから真実みたいだ。春子本人もそのDNAをしっかり受け継いでいて、成績は学年トップを誇っている。

 「そうか、わかった。久しぶりに夏美や冬樹にも会いたいしな」

 夏美と冬樹は春子の妹と弟だ。

「じゃあ、放課後ね」

 「あぁ、わかった」

 晴子は小さく手を振ると、教室から去って行った。そのすぐ後に咲夜が戻ってくる。俺と目が合ったが、あからさまに嫌そうな顔をすると、自分の席に戻って行った。その際に、咲夜の携帯に付いているストラップが揺れているのが視界に映った。あれは確か、俺が四年ほど前に咲夜にプレゼントしたものだ。未だに、大切にしてくれていることに、少し頬がゆるむ。

さすがに、怒らせすぎたかな……後で謝っておこう。



放課後、俺は春子と共に夕飯の買い出しを済ませて春子宅へ向かっていた。もう十一月半ばということもあり、日が落ち始めている。気温も昼よりか幾分下がったように感じる。

「それにしても、まーくんが買い出しだけじゃなくて食事にまで付き合ってくれるなんて二か月ぶりだねぇ」

どこか感慨深そうに言う春子に、俺は呆れる。

「二か月なんて大した長さじゃないだろ」

やらなければいけないゲームが多くてそれどころじゃなかったんだよ。

「いやぁ、今までは少なくても月一で食べに来ていたじゃない」

「それが二か月になっただけだ。大した問題じゃない」

「私にとっては大したことなの!」

「いやいや……ほら、もう家に着いたぞ」

春子としょうもない言い合いを数分繰り返していると、いつの間にか春子の自宅のすぐそばまでやってきていた。

「ふむ……」

改めてじっくりとこの家の外観を観てみると、やはり凄く立派な家だった。さすが両親が科学者なだけある。かくいう俺も中々に高級なマンションに住んでいるわけだが……。それもこれも警察官のおじさんのおかげだ。

 「お帰り―!!」

 玄関の扉を開けると、リビングから春子の妹である夏美が出てきた。それに続いて、末っ子である冬樹が出てくる。二人は俺の訪問に気が付いたらしく、目を輝かせて俺たちの元へ走ってきた。

「あ、まーくんだ!」

 「まーくんだ!」

 夏美に続いて、冬樹も俺を見つけて嬉しそうに指差した。

「おう、お前ら元気にしてたか?」

「うん!」

冬樹は跳ねた声で返事をする。それから俺の腰に抱きついて頬をこすりつけてくる。その小動物のような動作に心が癒される。そっと頭に手をあてて撫でてやった。

一方、春子はというと、「よいしょ」とババ臭い掛け声とともに荷物をリビングに運んでいる。

 「まーくん!」

 俺が苦笑しながら春子の後姿を見つめていると、突然、実夏が腰に両手を当てながら俺の名前を呼んだ。

「どうした?」

「どうしたもこうしたもないよぉ! どうしてここ二か月近くも来てくれなかったの!?」

「いやぁ、外すことのできない用事があってだね……」

決していかがわしい事をしていたのではない。いかがわしい事をしている美少女達を眺めていただけだ。

「どうせ女の子と男の子がエッチなことするゲームでもしてたんでしょ……」

「ふ、さすが春子の妹だ。だがしかし、お前は重大な勘違いをしている」

そういうところが、まだまだ甘いのさ……。

「男と女ではない。美少女と美少女がくんずほぐれつするゲームだ。間違えるなよ?」

「うっわ、きっも」

 美夏は両腕で自分の身体を抱きしめると、三歩俺から遠のいた。

「なんだその反応は!? 春子と姉妹丼にする妄想してやろうか!」

 「お姉ちゃん変態がセクハラしてくるーきもいぃー」

 美夏は小走りにリビングの春子の元まで逃げていく。

「まぁまぁ、まーくんが気持ち悪いのは昔からでしょ」

待って、それ結構傷つくよ? 俺昔からそんな風に思われてたの……?

…………まじかぁ……。

「まーくんっ!」

俺が廊下でしょげていると、春子がリビングから顔をだし、微笑を讃えながら手招きをして俺の名前を呼んだ。

「夕飯作るから、手伝って」

いつも俺が落ち込んでいる時に見せてくれる、元気づけてくれる微笑み。まるで、母親が我が子に接するかのような笑顔だった。

「わかった……すぐ行く」



春子宅で夕食を食べた後、俺は春子と二人夜道を散歩していた。もう秋も終わりに近づき、冬の訪れを感じさせるひんやりとした空気が夜道を吹き抜けていく。

「もう……冬だなぁ……」

空に映るカシオペア座を見ながら、俺はぼそりと呟いた。白い息が空に向かって立ち上ってはすぐに消えて行った。

「そうだねぇ、なんだか、切ない気分になるよねぇ」

さぶ、と言いながら手を擦り合わせる春子がそんな返事をしてきた。

「切ない、そうだな、どことなく哀愁を感じるよな、冬の夜って」

そう言葉にしてみると、何故か胸の奥が痛んだ。空に浮かぶカシオペア座が、それをより強い感覚にする。いったい、どうしてこんなにも苦しい気持ちになるのだろうか……。

「何を見てるの?」

俺の様子を不審に感じたのか、春子はそんなことを聞いてきた。

「んー、ちょっとカシオペア座を眺めてた……」

「あー、懐かしいね、カシオペア座。仲良しの五人みたいだねって昔よく話したよね……。あの時、ちょうどカシオペア座を習ったばかりでさー」

「あぁ、そうだな……俺と、春子と、美夏と、冬樹と……」

そこで、俺は春子の発言の違和感に気が付いた。昔、たしかにそんな会話をした。けれど、その時四人しかいなかったはずだ。

「あと一人、誰かいたっけ……?」

そうだ、あの時やはり四人しかいなかった。春子は気が抜けているから人数を間違えたのだろう。

「……そうだね、四人だったね……」

少し小さな声で首肯した春子の姿は、どこか寂し気に見えた。

「あともう一人、一人じゃなくても、もっとたくさん、絆で結ばれた人ができたらいいねって話してたんだよ」

普段通りの様子に戻った春子は、いつもの温かい微笑みでそう言った。

「咲夜ちゃんなら、その一人になれると思うんだよね」

「咲夜か、確かに、あいつはもう付き合いも長いし、親友みたいなものだよな」

咲夜と出会ったのはかれこれ四年ほど前だ。俺が中学二年生だったころだ。あいつは突然俺のクラスに転校してきた。最初はぶっきらぼうで誰とも話そうとしなかった。けれど、俺が話しかけた時だけは返事をしてくれた。それから、俺達は一緒に遊び始めて仲良くなったのだ。

「うん……だから、何があっても、咲夜ちゃんを許してあげて欲しいの。例え喧嘩しても、相手のことが理解できなくても許してあげて欲しいの」

「……今、咲夜と喧嘩みたいなことになっているから、心配してくれてるのか……?」

それなら心配ご無用だ。こんなのいつも通りじゃないか。。

「俺と咲夜がもめるなんて日常茶飯事だろ? 心配しなくても大丈夫さ」

「うん、そうだね……」

春子は擦り合わせていた手を握り合わせると、祈るように頷いた。ゆっくりと、一度だけ、頷いた。握った掌を離すと、突然春子は走り出した。街頭が照っている所で足を止めると、穏やかな微笑みを携えながら振り向いた。

「それじゃあ、私はこれで……行かなきゃいけないところがあるから……」

「おう、気を付けて帰るんだぞ」

「……さようなら」

 春子は小さな声でそう言った。少し風が吹いたらかき消されてしまいそうな程、微かな声でそう告げた。

 そんな様子に、違和感を覚えた。このままいかせてしまったら、人魚姫の如く泡となって消えていってしまいそうな、そんな一抹の不安が俺の脳裏を掠めた。

「気のせい気のせい」

 そう、きっとこれは気のせいだ。そう自分に言い聞かせて俺は自宅への道へ歩みを進めた。





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