第10話 夢見る妖刀


 由良ゆらの言った通り、青白くひかる異形の物体群は、二人を完全に無視であった。

 次々と自分たちの横を抜けて行こうとする「餓鬼」たちを、由良は正確に斬り払ってゆく。流れるような体たいさばきが自然に次の攻撃に連動しており、少年が、何か特別な剣技を習得しているのが明らかであった。

  餓鬼たちは、狙いすましたかのように、次々と遥のほうへと殺到してきた。

  ────冗談じゃない!

  冷や汗のような呟きが漏れる。その間にも、餓鬼たちは次々と遥のかたわらをすり抜けてゆく。もう、何十匹抜けてしまったのか見当もつかない。

 とにかく遥は、目の前の少女を抱え起こそうと、少女に────というより、少女の白い裸身に近付き、その肩を抱きおこした。

 その時、だった。

  突然、少女は目を開いた。そして、まばたきするほどのいとますら与えず、遥の頬に片手を当てると、素早く自分の唇を、遥の唇へと重ね合わせたのだ。

 大きく見開かれた遥の瞳は、閉じられている少女のそれとは対照的だ。

  何が起きたのか充分には理解できないまま、遥の頭の中は、白い光で満たされてゆく。

 その、溢れるような光の中に何かが見える。

  刀だ。

  それは、ついさっきまで、確かに自分が手にしていたはずの刀、童子切どうじきり安綱やすつなに間違いなかった。

 そしてさらに、どういうわけか、今、遥が見ているのは、やたらと格式張った、見たことも無い場所である。野外ではなく、屋内だ。

  着物を着た見知らぬが、深々と頭を下げているのが見える。こわそうな口髭を生やした、もう一人の爺さんに、この童子切安綱を献上している。そんな光景である。音声はまったく無いが、テレビで時代劇でも見ているような感覚に近い。

  場面は変わって、見るからに「侍」といった風情の男が、荒れ果てた村落のような場所で、ガラは悪いが、異様に筋骨のたくましい連中と対峙している。

  手に持つ童子切安綱は、さやに納めたまま「居合い」の構えだ。「侍」風の男は、最初に間合いに入ってきた相手を、抜刀と同時に瞬時に斬り伏せた。

 また場面は変わり、ボロボロの着物を着た男が、激しい雨に打たれながら、この刀を抱えて必死の形相で走っている。表情には憑つかれたような笑みが張り付き、追われているのか、時折り、後ろを振り返る。

  そんな具合で、場面は次々と移り変わっていった。

  多くが戦いの場面であり、相手は人であったり、また、大きな、白い毛に覆われた猿であったり、巨大な蜘蛛であったりした。回を重ねるごとに、登場人物たちの衣装は古く、見慣れないものへと変化してゆく。明らかに、時代を遡っているようである。

 やがて、長い髪を振り乱した巨大な首が飛んだ場面を最後に、見えるシーンの印象がガラリと変わった。

 辺り一面に桃の花が咲き、その中で、鉢巻はちまきを巻いた幼い少女が、笑顔でまいを舞っているのだ。思わず、見惚れてしまうほどの可愛らしさである。

  ────この子……

  遥のつぶやきは声にはならず、また、向こうにも伝わった感じはない。それなのに、彼女には、こちらが見えているようであった。時折、目線を遥のほうへと向けてくるのである。そして、この少女は明らかに、先ほど遥に唇を重ね合わせてきた、あの少女だ。少女が舞い踊るすぐ前には、今、遥が手にしているこの刀、童子切安綱が置かれている。

 やがて「ペコリ」と、少女が何者かに対して御辞儀おじぎをした。この子の「舞い」が終わったらしい。

  そして、いきなり太刀風たちかぜが空を切った。

  桃の花びらが降り積もる地面に、深紅の飛沫ひまつが勢いよく飛び散る。数秒ほどのをおいて、ゴロン、と、少女の白い首が転がった。

  呆然とする何秒間かが過ぎると、やるせなさの余り、遥の目には涙がにじんだ。

 彼女は多分、何らかの祈願────恐らくは、人ならざる敵との戦いに勝利するため────の、神への捧げ物だったのだ。

  遥は一つ溜め息をついてから、少しして首を左右に振った。

  同情なんて、侮辱だと思った。

  人は昔、様々な形で神様にすがらざる負えなかったのだ。それを、「哀れ」とか「不幸」とか、そんな言葉で一括ひとくくりにしてしまったら、それはこの少女に対して余りに失礼な気がした。

 ────…なん…だ?

  気のせい、だろうか?

  ふと、遥は周りの風景が、徐々じょじょに自分から遠ざかっていっているように思えた。何度か、瞬きをしてみる。わずかに首を傾かしげて、もう一度。

 その途端、遥の意識は急に暗転し、閉ざされたようになった。ただ一つだけ確実なのは、遠のいてゆく意識の中に、引き戻されるような感覚がある、ということだけだ。その中で、遥は水の匂いを感じたような気がした。


  水に似た夜気の匂いが、鼻をくすぐっている。

  気が付いたように我に返った遥は、いまだ、小鬼の群れが次々と自分達の横を抜けていっている最中であることを知った。

 どうやら、時間はほとんど経ってはいないらしい。

  ────⁉︎

  瞬時に遥が感じた、違和感の正体。それは、「重さ」だった。

  手の中の童子切安綱に、まるで重さを感じなくなっているのである。

  ────とにかく、考えるのは後回し……

 己に言い聞かせるよう低くつぶやくと、遥は、小枝のように軽くなった童子切安綱を握り直した。そして、右へ左へと、とにかく目茶苦茶、残像が尾を引くほどに振り回しはじめる。

 「型」も何も、あったもんじゃない。しかも、かなりの大振りである。だが、それはそれで、かわしてしまえるようなものでもなかった。

 由良ほど、効率のよい綺麗な斬撃は振るえない。それでも、一体、また一体と、小鬼たちは童子切安綱の刃先にかかって、虚空の闇へと、溶けるように消え失せてゆく。

  深い闇の中で、二人の見鬼は次々と標的を仕留めていった。


「終わり……かな?」

 由良は、しばらく闇の奥を透かしるような表情で視線を送っていた。そして、やがて用心を解くと、抜き身の刀を鞘へと収めながら、「何が見えた?」と言ってきた。この、刀のことだろう。

「10歳くらいの、女の子が……」

  童子切安綱を見つめながら、遥の、声も表情も重々しい。その表情を横目で一撫ひとなでしてから、由良は興味深げな視線を自分の「薄緑うすみどり」に注いだ。

「どうやら供物とされた者は、この刀身から逃れられないみたいでさ」

  その言い方は、由良が手にしている刀も、遥のそれと同じ経緯で、同じ目的のために打たれた刀なのだということを示唆していた。

  由良の視線が、何か言いたげな遥の視線とぶつかる。

「何だよ?」

 そう答えた由良の両目が、その時の遥には、明らかに自分を笑っているかのように感じられた。

「ずいぶん、サラリと平気で口にしてしまえるんだなって、思ってさ」

  それを聞いて、由良は拍子抜けしたような声を出した。呆れた顔で、改めて遥を見返す。

「とっくの昔に、終わってることだろ?」

  子供らしい、高く澄んだ声が毒を含む。由良の年齢を考えると、その割り切りは、遥に、ある種のむごたらしさを感じさせた。

「だいたい、僕のと遥の、そして皐月のは、とっくの昔に『付喪神つくもがみ』だ。今さら、おかしな感傷を持ち込んだところで意味はないよ」

  平然と、せせら笑う。

  ついでに言うと、コイツもそう、と、由良は「薄緑うすみどり」を梱包していた、古い、色のせたボロボロの織布を拾い上げて言った。

「つくも神────って、茶碗や箸に、こう、手とか足とか生えていたりする、アレか?」

  由良が、あからさまに「よく出来ました」と言わんばかりの顔で頷いたので、遥は不機嫌そうに唇を尖とがらせた。

  付喪神とは、要するに百年以上を経た、古い器物が化けたものだ。そもそも「もの」という言葉は、ここから来ている。

  「もの」でも、造られて百年も経てば、そこには『魂』が宿る────と言われる。中でも、人形はもっとも「付喪神」化しやすく、そういった現象を防ぐため、寺社などでは人形のけがれを祓い、清めるための神事を定期的に行なうところもある。

「ちなみに、僕のこれいているのは、『女の子』じゃなく、『大人の女性』さ」

「……マジで?」

「ハタチくらいのね」

  ────それはそれで、いろいろと問題がありそうな気が……

  由良は遥の横にしゃがみ込んで、自分の靴の紐を結び直している。

「じゃあ、行こうか」

 立ち上がって、由良は言った。

「え?」

  何処へ?という間の抜けた問いかけに、由良が片眉を吊り上げるふうにして遥の顔を見た。整っているが、少しけんのある顔立ちだけに、こういう仕草は子供ながらにいやに似合う。

「あのねぇ、主に君が────いいかい?討ちもらした標的ターゲットが、今頃、一ヶ所に集まっている頃だ」

「あ────」

  そうだった。

 確か、近くの小さな廃材置き場……

「別に慌てなくたって、皐月あいつはあいつで、何とかするだろ。そもそもこの戦いは、人間こっちに有利な戦いなんだ」

「そうなのか?」

 遥には、あまり、そうは思えない。

「もっとも、僕達は奴等と違って、迎え撃つことしか出来ないけどね」

  ────それって、有利といえるのか?

「要するに、この戦いは『終わらせる』なんて出来ないってこと。少なくとも、僕たちの側からは」

  由良が、皐月と鈴子のもとへと向かうべく駆け出してゆく。

  つまりこれから先も、それこそ世代を重ねながら、この不毛な戦いは続いてゆくということだ。

  由良の後を追いかけながら、遥は気の遠くなるような思いで空を見上げた。空に月は無く、ただただ、降り注いできそうなほどの星空だった。

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