第7話 卜部季武 ②
「まぁ、先程も軽く説明はしましたが、源家の『お姫さま』を御護おまもりする家は、僕の卜部家、そして君の渡辺家の他に、坂田家と碓井家があります」
それから男は少し言い淀んで、本当は、もう一つ、五番目の家があることはあるのですが、こちらはちょっと
「
まだ、よく事態をのみこめてはいない遥だったが、そんな言い方をされると、わからないなりに、何か気になる。
「まぁ、頭数にはちょっと入れられないってことで。それよりそれぞれの家は、一人ずつ、見鬼を『お役目』に就かせなければならない決まりなんですが────見鬼として顕在化するのは、非常〜に稀です。現在は、渡辺家を除く三つの家で、それぞれ一人ずつしかいません」
季武は空になった湯呑みを、手の中でくるくると回した。それからテーブルの上に両肘を乗せ、両手で顎を支える格好をとる。
「血というものが、だんだん薄くなってきてるんですかねぇ」
目を閉じて、何か物思いにでも耽るような物言いを、季武は、ほとんど溜め息に近い吐息にのせた。
「でも、わからないな。渡辺家には、もうすでに洸さんがいるはずでしょう?それが何で、結ちゃんが志願、なんて話になってるんです?」
「カタキ討ちのつもりなんでしょうねぇ、彼女にしてみたら」
しんとなった広い室内に、再び鹿威ししおどしの一打が響き渡る。程なくして、もう一打。音高く、鳴り響いた。
「いやいや、別にやられたとか、亡くなったとか、そういうわけでは無いのです。ただ────その、行方不明、なんですよ」
言葉を失い、青ざめている遥に向かって季武が言う。事も無げな口調は、少し遥の気に障さわった。もっとも、「化物退治」とやらを日常のことにしているらしいこの男にとっては、茶飯のことなのかもしれないけれど。
「行方…不明って、どういうことです?」
遥の口調が、少し尖っている。
「『敵』を倒しても、戻ってはこなかったんです。ひどい嵐の夜でしたけど、詳しい事情はわかりません。そもそも卜部家うちは、直接には戦闘に参加しませんから────って、やだなぁ、そんな
戦いには不参加と聞いて、とうとう目の前の男を訝しむ思いが、顔に出たらしい。
「僕の家は『占い』が専門でね。特殊な
「
やはり、問わずにはいられない。
「そう。鬼道です。『見鬼』同様、読んで字のごとく『鬼の道』ですね」
どことなく自慢気に話しながら、季武は遥と視線を合わせた。
「
メガネの奥の、瞳が笑う。
百鬼夜行とは、確か鬼や妖怪の類いが、行列を作って夜の街を徘徊する────そんな現象ではなかっただろうか?そうだと思うが、遥には、あまり自信が無い。目の前のメガネの奥の瞳は、益々その笑みを深くした。
「アレってね、実は京都特有の現象だって、知ってました?どういう
「境界が……ぼやける?」
「百鬼夜行とは、要するに、そういう現象なんですね。あっちの世界と我々の世界とは、例えて言うなら水溜まりの上澄みの部分と、底のほうに溜まった泥の部分みたいなものでね、同じ場所にありながらも、本来は、ちゃんと、しっかり分かれているものなんです」
それがなぜか、京都ではその『水たまり』が、たまに掻き回されるのだという。
「……」
「つまり、水と泥が混じり合った空間ができる」
季武が、いまや深刻な顔で話に聞き入っている遥の目の前に、右手の人差し指をピンと立てた。
「奴等は、そうやってこっちの世界に出てくるわけです。それを、我々は『
「
遥の言葉を皮肉と受け取ったか、季武は眉根を寄せて苦笑した。
「でも────なぜ、どうしてなんでしょう?」
何でしょうか?と、季武が微笑みながら遥に顔を近づけてきた。遥が、イヤそうに少し距離をとる。
「なぜ、他の誰でもなく、『源家』の長女なんです?そうでなければならない理由が、何かあるんでしょうか?」
「え?ああ────遥くんは、渡辺の分家ですから知らないんですね。それはつまり……」
昔々────
今から、およそ千二百年くらい昔。
源家の先祖、
討伐隊は、わずかに六名。
まず筆頭である頼光自身と、そして
「鬼達がやっていたのは、主に
そこでいったん言葉を切って、「グルメだったんですね」と、季武は笑って付け加えた。
かつて平安京に出没した鬼たちは、そのほとんどが人の肉を食らう食人鬼だった。「今昔物語集」や「
「ご先祖様たちの『鬼退治』については、
奸計を用いて鬼を討ち取り、捕われの姫君たちを無事救出することに成功した一行は、意気揚々と京の都に凱旋した。しかし……
「どうしても身許のわからない姫が、一人だけ残りました」
季武が、言葉を切る。
室内に沈黙が降りてしまうと、ただっ広いぶんだけ、部屋の中には静寂が満ちた。その静けさが、風に揺れる
「髪は
謎の姫の外見的描写は、たった今、それを
季武に限らず、見鬼というのは「鬼」の心を掻き乱し、惑わすための手段として、美男美女の形質を持って生まれてくる場合が多い。戦うにおいて、相手より少しでも優位な位置に立つためである。生物としての防衛本能が、より生存の確率を高めようと求めた結果である、と言えるかもしれない。
「おまけに、言葉がまったく通じませんでした。仕方が無いので、その娘はしばらく源家で預かることになったのです。ところが、その娘を預かることにしてからというもの、源家には『良い事』ばかりが起きるようになりました」
「良い事?」
「要するに、出世ですね。『貴族』が衰退し、『武士』が台頭してくるのも、この頃からですから」
季武の話では、その後、「謎の姫」の所在は様々な処ところへと移ったという。
「姫はやがて
「つまり源家の現在の長女は、その『姫』の子孫なわけですか……」
「数えて、五十六代目────だったかな?七十年くらい前から、めでたく正当所有者と言っていい我々の手元に、戻ってきたのだと聞いてますよ」
ふと、遥の目が一枚の
「千年以上も前の謎の姫が何者だったかなんて、今となっては誰にもわかりません。鬼どもの姫だったのか、あるいは鬼どもも、何処からか手に入れてきただけだったのかもしれません。確実に言えることは、向こうが今だに『姫』を欲しがり、こちらはそれを渡したくない、ということです」
────それは、そうだ。
遥は納得の面持ちで、深く押し黙った。
考えてみれば、当り前の話である。千年前の、その「姫」が、例え真実に鬼たちの「姫」であったとしても、もはや現代では事情が違う。源家にしてみれば、やすやすと大事な娘を、化物に差し出せるわけがない。
「源家をはじめとする、五つの家の人間たちはね、信じ切っているんですよ」
「?……何をです?」
「娘がいなくなったら、家が傾き、没落するってね」
滑稽でしょう?と言って、季武はふふと笑った。
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