1 ステラ:カナカレデス

天井には、目に付く汚れは無かったが、梁にわずかな埃が見えた。

開かれた窓に、レースのカーテンがかかっていて。流れ込む風で優しく揺れ。表を行き交う人々の声が、遠く不明瞭なメロディーのように聞こえる。


どこか高熱を出して寝込んでいた時に似ていた。

身体は羽のように軽く感じるが、自らの身体では無いかのように動かない。

脳が間延びしているかのように、思考の一つ一つに時間が掛かり。

処理する順番もめちゃくちゃで。そのほとんどが現実味の無い、夢を見ているように感じる。


だれか料理でもしているのか、どこかからいい匂いがしてきて。

まどろみにも似た、朧気な思考の中で。身体が空腹を訴えている事に気がついた。


「目が覚めたみたいね」


そんな声がした。近くに誰かが来ているのだろう。


「あら、ひょっとして《痛み止め》が効き過ぎている?」


誰かが左の腿に触れて、不意に身体が重くなる。

精神と肉体の間にあったヴェールがはぎ取られ。思考にかかっていた靄が消え去った。


「患部に直接かけ直したけれど、他に痛い場所はない?」


ウェーブ掛かった茶色い髪を束ねた女性が、亮の顔をのぞき込みながら尋ねてきた。


年は30歳ぐらいだろうか、どこかエキゾチックな雰囲気のある女性だ。身にまとう純白のローブが白衣を思わせ。女医という印象を受ける。


「はい、大丈夫です」


疑問はあれど、亮は素直にそう応えて、ベッドの上で身を起こす。途端、激しい目眩に襲われ、力が入らずそのまま倒れた。

見上げた天井が回っている。


「あまり急に動かないで。止血をして、傷口もすべて塞いだけれど。失ってしまった血はそのままだから、貧血状態よ」


言われてから初めて気がつく。

左腿は動かすと、いまだ鈍い痛みがあるが。あの騎士につけられた、その他の浅い傷は綺麗に治っていた。


「流石に血の比重を増やす魔法は使えないからね。今、食事を持ってくるから、自分で増やして頂戴」そういうと、小さく手を振って扉の奥へと姿を消す。


亮はゆっくりと身体を起こし、部屋を見渡した。

それほど広くはないが、1人で住むなら困らない程の部屋で。壁は白い漆喰塗り。

ぎっしり詰まった武骨で大きい本棚が2つ、存在感をもって鎮座しているかと思えば。

窓辺には白いレースのカーテンがかけられ。小さなテーブルには花が飾ってあったりする。

実用性の中に女性らしさの感じられる部屋だ。


火の入っていない暖炉の側に、亮の剣と鞄が置かれていた。

生きている。自分の剣を見て、やっと、そう認識した。


怪我のほとんどは治っているが、いったいどれほど寝込んでいたのか。

それにみんなはどうなったのか。

あの女性は何者なのか。


せき止められていた疑問が、立て続けに湧いてきて。頭がパンクしそうだ。


亮が頭を抱えていると、食事を持って女性が帰ってきた。サイドテーブルに食事を置くと、椅子を持ってきてベッドの側に座る。


「遠慮せずにどうぞ」


「えっと、あの……」


「質問なら食べながらでもいいでしょ、ほら、冷めないうちに」


「はぁ、いただきます」


メニューは、黒パンにシチュー、チーズとミルク。


空腹だった事もあり、ありがたくいただく事にする。

料理が得意なのか、シチューは非常に美味しくて。一口一口が、身体に染み入っていく気がした。


「それで。私はどれぐらい寝てました?」


ひとしきり食べて、腹が落ち着いた所で質問する。


「たいして寝てはいないわ。たぶん一晩、で今はお昼頃よ。あなたが、どれぐらいあそこで寝ていたかは知らないけれどね」


「あー、空が明るくなったのは覚えてます」


「なら本当にすぐね。私も空が急に明るくなったから外に見に出て、その時にあなたを見つけたわ」


「側にもう一人いませんでしたか? 路地を通った隣の道ですが」


「ごめんなさい、そこまで見てはいないの。《止血》を掛けて、連れてくるので精一杯で。その後も《治癒》に掛かりっきりだったし」


「いや、いいんですよ。そいつにやられたんで、気になっただけですし。助けていただいてありがとうございます」


慌ててフォローを入れ。

怪我のほとんどが魔法で治されたのだと察する。


「そう、災難だったわね……。でも何とか無事で良かったわ。一応側にあった荷物も持ってきたけれど、あなたので合っている?」


「はい、私のです。重ねてありがとうございます」


盾とマントが無かったが言わないでおく。

盾はあの騎士の側に落としたのだし。マントは路地の途中、それもボロボロになっていると思う。


食事を食べ終え、食器をサイドテーブルに置いた。


「それにご馳走さまでした。美味しかったです」


「あら、もういいの? まだあるけれど」


「これ以上食べたらパンクしますよ」


「パンク?」


タイヤは無いか。


「いや、えっと、そう。腹が破裂します」


「そう、じゃあ仕方がないわね」そう言って笑うと、食器を持って部屋から出て行った。


女性が戻ってくるまでの間、食事の余韻に浸りながら、久々のちゃんとした食事だったと思い出した。

久々といえば、ベッドに寝るのも久しぶりで。これで熱い風呂でもあればと、他人の家で勝手な事を思う。


そんな事を考えていると、今度は、手に水差しと包帯をもって女性が戻ってきた。


「足の具合を診るわよ。流石に傷が深くて、1回で完全に治す体力が無かったから、まだ塞がってないかもしれない」


水差しをサイドテーブルに置いて、脇に立つと。布団を剥いで、亮の左足を出し、巻かれた包帯を解いていく。

その時、亮は初めて自分がTシャツにパンツ一丁である事に気がついた。


「照れない照れない」


慌てる亮の様子に気付き、女性がからかうように笑う。


「傷を見るのに1回、引ん剥いてるからね」


「え、ちょっと!」


赤面する亮を尻目に、女性は微笑みながらテキパキと包帯を換えた。


「はい終わり。《止血》で血こそ流れ出ないけれど、傷はあるから安静にね。明日にはまた《治癒》を掛けて治しちゃうから、我慢よ」


「は、はい」いまだショックから立ち直れず、かろうじて頷く。

それを見て、女性は「さてと」と呟き。立ち上がると縛っていた髪を解く。


「悪いんだけれど、私これから騎士館に行かなくてはならないの」


「騎士館?」


「そう、なんで急に明るくなったのかも知りたいし。なにより1日1回は顔出さなきゃならないのよ」


「そこに白凰騎士は?」


「白凰騎士団の施設だし、当然いるわよ」キョトンとして応えた。


「ついでと言ったら何ですけれど。ルイス・フィリップという騎士に俺は無事だと伝えてくれませんか」


「ええ、わかったわ、伝える。あなたの名前は?」


「あ、すみません。亮・駿河です」


「リョウ君ね、了解」


頷いて、机の上の幾つかの本を小脇に抱える。


「それじゃあ行ってくるわ。あ、そうそう、私はステラ・カナカレデス。よろしくね」


戸口で小さく手を振って、彼女はそう名乗った。


「ちょっと、待って!」


慌てて立ち上がろうとして、足の痛みと目眩とでベッドに崩れ落ちる。


「0点」


ステラが戸口から顔を出して、子供を叱りつけるように睨んでいた。


「怪我治ってないって言ったそばからもう、なにをやってるのよ」


「……すみません、驚いたもので」


「それで、どうかしたの?」


改めてゆっくり身を起こして、姿勢を正す。


「実は俺……私達は、カナカレデスさんに会いに来たんですよ」


「ステラでいいわ。それに俺でもいいし、砕けた話し方でもいい。そっちの方が話しやすいでしょう」


「あ、はい。……それで、アレッサって女の子と一緒にザルパニから話しを聞きに来たんです」


「わざわざ何を?」


「あ、すみません。その事は出来ればアレッサと一緒に聞きたいです」


「そう。そのアレッサって子を呼んでくればいいのね」


「それもありますけど、実は俺個人でも聞きたい事があるんです。すみません、鞄取ってもらえますか」


恐縮しながら、取ってもらった鞄を開け。中からノートを取り出す。素早く捲り、塔にあった魔法陣をステラに見せた。


「これについて、何かわかりませんか?」


ステラはノートを受け取ると、手を口元に当ててしばしノートを見つめる。


「魔法陣、術式は召喚に似ている」


「やっぱり召喚のための物ですか」


「そうとも言い切れないわ。初めて見る式だし、召喚対象が明記されていない」


ステラはもう一度椅子に腰を下ろし、じっくりと手元の魔法陣を見つめた。目は真剣そのもので、ぶつぶつと考えをまとめるように呟く。

やがて息を吐くと、目頭を押さえながら亮にノートを返した。


「降参、無理、わからない。召喚、送還に近い式だけれど、対象、効果はわからないわ。元々、専門外だし」


「そうですか、ありがとうございました」


「私もウィザードとしてはまだ若輩。リョウ君のお師匠さんはなんて?」


「俺に師匠なんていませんよ」


さも当たり前に聞かれて、驚く。


「そうなの? 珍しい」


「そうですか?」リアクションに困る、正解がわからない。


「そうよ。魔法を習わなければウィザードなんてやってられないわ」


「いや、ウィザードじゃないですし」


しばしの沈黙が2人の間に流れる。

亮は内心焦った、よくはわからないが、どうやら完全に返答を間違えたらしい。


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