4 血の教練
レイピアの切っ先が再度止まり、笛の音に似た微かな風切り音を残し、消える。
騎士の全身の動きでタイミングを判断し。亮は反射的に上体を反らして、頭部を守るために盾を振り上げた。
盾の外枠にレイピアの剣身が掠って、小さな火花があがり。切っ先が頬を掠め、血と痛みが滲み出す。
「おお、上手い上手い」
レイピアを一振りして、ついた血を振り落としながら、騎士が嘲るように言った。
亮は黙って大きく間合いを離すと、手の甲で頬をつたう血を拭う。平然を装ってはいたが、その内心は冷や汗ものだった。
剣閃がまったく見えず。正確な位置を認識できたのは、盾に当たった時だけ。
この闇のなかで、細身の剣身を高速で振られると。その姿をとらえるのは難しいようだ。
リオ達とここまで来た記憶を手繰ると、後ろに30メートル程行った所に松明が掲げてあったはずで。そこまで辿り着く方法に思案を巡らせる。
そんな亮の思考を遮るように、騎士が斬撃を繰り出す。
突きと違い動きが見やすく、腕の動きから軌道も読め。多めに取った間合いによって与えられた僅かな時間が、余裕を持って防御を間に合わせる。
「反応は悪くないが、動きが素人だな」騎士は冷酷な笑みを浮かべた。
亮が再度大きく間合いをあけようとすると、騎士は手首だけで剣を振る。右腿に痛みが走り、ズボンを掠め斬って、一文字の赤い線が引かれた。
「足の運びが滅茶苦茶だ、体重移動を考えた方が良い」
皮一枚斬られただけで、動くのに支障はない。亮は歯を食いしばって後ろにさがり、間合いをあけると同時に、明かりをめざす。
「荷物は捨てた方が良いぞ」
鞄のベルトが斬られ、足下に落ちる。
「構えもいまいちだ、そんなに左足も斬られたいか」
「足に意識が行き過ぎて、盾が下がりすぎだ」
「守りを重視するなら、もう少し斜に構えるといい」
「肩の力を抜け、反応が悪いぞ」
攻撃を受ける度に、後ろに下がり続け。なんとか松明の脇まで辿り着く。だが、そのために全身には無数の傷を受け。その痛みで何度も膝をつきそうになった。
今や無事なのは、盾に守られていた左腕だけだ。
「多少、見れるようになった」
痛みに顔をしかめながらも、必死に構えをとる亮を見て。騎士は腰に手を当てると、満足そうに頷く。
不規則に揺れるレイピアの剣身が、松明の明かりを反射して煌めいた。
これならおそらく剣閃が見えるだろう。亮は痛みをこらえ、全身の感覚を研ぎ澄ますと、剣を握る力を抜いて敵の動きに備える。
そんな亮の様子を見た騎士は、不敵な笑みを浮かべ、その動きを止めた。
刹那、レイピアが閃く。
今までの経験と、剣身の一瞬の煌めき。目に映った後の思考からではなく、反射的に腕を動かし、盾で受け流す。
「でぇりゃぁっ!」
同時に一歩踏み出すと、手にした剣を振り上げた。
だが、その一撃は、半歩身をかわされただけで、盛大に空を切り。騎士は、剣を握る亮の手の甲にバツの字を刻んで、悠々と離れた。
「今度は攻撃の指導を受けたいのか?」肩を揺らして、含み笑う。「いくら明かりの下に来て、剣の軌道が見えるようになっても、反撃がこれではな」
亮の周りを回りながら、まるで教鞭を振るうようにレイピアを弄ぶ。
亮はそんな騎士との間合いを維持しつつ、騎士の姿を影に入れないよう動く。こうして話しているあいだも、いつ攻撃が来るか、気を抜くわけにはいかない。
「私としては是非とも見所ある若者に、私の教えを享受してもらいたいところだが。なにぶん忙しい身でね」
騎士が動く。
ゆっくりとした動きから一転。バネを利かせた一瞬の跳び込み。
大体の狙い所も判断できない高速の突きを。ほぼ勘と、盾の面の大きさで当てて、いなす。
あまりの速さに必死で、反撃を狙う余裕など全く無く。もし、こんなものが連続で来ようものなら防ぎようがない。
「いやいや、凄いな。今のは少し本気だったのだが。本当に反応がいい」
「そりゃどうも」
「やっと返事をしてくれたな。だが、先も言ったが、私は多忙でね。それに些か飽きもした」
先ほどまでの笑みが消え。瞳が冷酷な光を宿す。
騎士は呪文を詠唱し始め、空いている左手で印を切る。《閃光》の魔法を警戒し、亮は盾で光を遮ろうと眼前近くまで持ち上げた。
「なるほど《閃光》対策は知っているか。残念ながら、そんなに難しい魔法ではない」
そう言って、剣身を鍔元から切っ先まで指で撫でる。すると剣身は1回淡い光を放ち、その姿がぼやけ始めた。
目を凝らしても変わらない。像はぶれ、反射光も淡く不確か。動かすと軽く残像が残るように見える。だがそれも絶対というわけではない。
「《ぼやけ》の魔法だよ。普通は役に立たない魔法だが、レイピアに掛けると……」
騎士が間合いを詰めた。
動きに先ほどの鋭さはなく、軽いステップで跳び込んできて。易々と、朧気に見えた剣の像に盾を合わせる。
だが、盾が攻撃をとらえる事は無く。その切っ先は、予想だにしていなかった、亮の左腿に深々と突き刺さった。
「この通りだ」
触れる程の距離まで顔を寄せ、そう言うと。手首を捻りつつ、引き抜く。
亮は傷口を押さえて絶叫し、石畳の上に倒れ込んだ。傷は焼けるように熱く、吐き気を催すような痛みが襲ってくる。
まるで痛みから逃れようとするかのように転げ回り。意思とは関係なく、口からは苦悶の声が漏れ。石畳には点々と鮮血が滴った。
「では、そろそろ死のうか」
騎士のその一言で、亮の動きがピタリと止まる。殺されるという思いが広がり、死にたくないと強く思う。
誰か助けてくれと強く願うが。石畳に横たわる自分が、森で死を感じて眠った頃とリンクして。すぐにその願いが無駄な事だと悟った。
今は1人なのだ。
助けは無い。
では、どうする。
這いつくばって視線を巡らせ。落ちている盾を見つけると、手を伸ばし、腕につける。
その側に落ちていた剣の所まで這っていき。膝立ちになって、剣を握る。
悠々と見下ろす騎士を睨み付け。痛みで何度かよろけながらも、歯を食いしばって立ち上がった。
「君は馬鹿だな。今までせっかく、いかに君が弱いかを教えてあげたというのに」
「……うるせぇ」
「嫌な目だな、相討ちでも狙うか?」
それしかないだろう。この足で、逃げるのは無理だ。だが、相手に警戒されているなら普通に狙っても、攻撃が当たる事は無い。
ならばどうする。亮は頭をフル回転させて、生き残る術を模索した。
今、亮に出来ることなど、たかが知れている。所詮は異世界の一般人。剣や体術は素人で、喧嘩もろくにしたことがない。取り柄は多少、魔法が使えるだけ。
一瞬。攻撃してきた時に確実に反撃が当たるよう、ほんの一瞬だけ隙を作れればいいのだ。
だがチャンスは1回。これ以上傷を負ったなら、もう亮に立てる自信はない。
亮はいくつかの作戦を思いつき、その1つをすぐさま実行に移す。
姿勢を落とし、盾を口元が隠れるまで上げた。腰を落としたせいで左腿が激しく痛む。だが、防御の姿勢を取らなければ、盾を持ち上げる理由にはならない。
相手に準備を悟られたくはないのだ。
盾の影で呪文を詠唱し始める。騎士に聞こえないよう声を殺し、印も盾の裏で素早く切った。
雑な詠唱で疲労が増大するだろうが、大した魔法ではない。今まで色々と使ってきた印象では、おそらく気絶まではしないだろう。
とはいえ、いちおう多少の目眩ぐらいは覚悟しておく。
「1つ教えろ、ここから港は近いのか?」
魔法の準備を終え、亮が尋ねた。
「知ってどうする。意味など無かろう」
「心配事を減らしたくてな」
騎士は鼻を鳴らし、通りの先をレイピアで指し示す。
「もう少しいけば、エニグスの鳴き声で会話はできないだろうさ」
「そうか、安心した」
「安心して死ねるな」
対峙してまだ数分だろうが。リオ達がすぐ港につけるというなら、この騎士を足止めしている必要はなくなった。
心を落ち着け、呼吸を整える。
いつしか死ぬかもしれないという恐怖は薄れ、意識は騎士の動きにだけ集中して。
ただ静かに、騎士が攻撃してくる瞬間を待つ。
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