3 白装の剣士

街路は、まれに掲げられた松明の小さな灯りが、ぽつりぽつりと見えるだけで、深い闇に満ちている。

建物が防音壁になっているのか。反響する下水道と違い、町中ではエニグスの声が聞こえず。微かな雨音だけが耳に届く。

亮は闇に目を凝らし、人の気配をを探り。リオ達を手招きで呼び寄せた。


「ルイス閣下達は見張りを引き連れて南に行ったようです。私達は灯台へと急ぎましょう」


街の夜道は危険だなんて言ってる余裕はない。いくらあの2人が強かろうと限界はあるのだ。アレッサを救うには港にいるであろう、レアリード隊に頼るしかない。


リオ達は頷きを返し。3人は広場を抜け、北に伸びる街路に入った。暗がりを選んで、濡れた石畳を這うように進み、北西を目指す。


雨を吸ってマントが重くなってきたが、亮はこの雨に感謝していた。

正面に朧気に揺れる松明の灯りが見え、亮達は路地の影に身を隠した。巡回中なのか兵士が2人通りを歩いてくる。

亮達の事を探している様子はなく、おざなりに周囲を見回しながら通り過ぎていき。何か話しをしていたようだが、雨が音を吸収して聞き取れなかった。

だがそれは、こちらの物音も通らないという事で。手にした松明に注意すれば前もって身を隠すのはたやすい。


北西を目指して街路をジグザグに1時間ほど進むと。雨足が弱まったせいか、港が近いのか、風に乗ってエニグスの合唱が微かに聞こえだした。


「もうあまり輝石が保ちません、急ぎましょう」路地に隠れて皮袋の中を確認したリオが言う。


亮は通りの様子を確認しようと、路地から顔を出す。その時、頭上で風に煽られた吊し看板が揺れ、錆びた掛け金が鳴き声にも似た甲高い音を立てた。

亮は慌てて路地を飛び出し、剣の柄に手をかけ音の元凶を見上げる。それがただの看板だと分かると、緊張が緩み、思わず吹き出した。

同じく、頬を緩ませながらリオとアダムも路地から出てきた。


「エニグスだと思ったのかい?」


「君達、こんな時間に何をしている?」


茶化すようなアダムに続いて。亮の背後から、聞き慣れない男の声が響いた。

亮はまた慌てて飛び退くと、振り返り、剣に手をかける。路地から飛び出したのも迂闊なら。この反応も性急であったとすぐに後悔する。

相手は顎に手をあて。怪訝そうな眼差しで、亮達が何者なのかを見定めていたのだ。


亮達に声を掛けたその者は、短い白髪をオールバックにした180センチほどの男で。年の頃は30代後半。目つきは鋭く、ルイス達には見られない酷薄な輝きがある。

マントの上からでも分かるほど身体つきがよく。純白のマントと、白のダブレット姿で。腰にはレイピアを下げていた。


亮は一見して騎士であろうと直感し。敵か味方か判断がつかず、リオを後ろへと追いやる。


「そのなり。そうか、リヴァーと共にいたという旅人か……」


鼻を鳴らし、さもくだらないといった風に呟く。

リオを呼び捨てにしたということは敵であると判断して。亮は間合いを取りながら盾を構え。相手の動きに目を光らせながら、この状況をどう切り抜けるかを考えた。


リオの魔法の援護があれば勝てるだろうか?

素人の亮には見た目で実力を推し量る事などできず、判断に困る。それに、作戦を相談する時間も隙もない。


もしリオが《閃光》を使えるとしても、《閃光》を使ってくれと言った時点で効果は薄まる。それに、白凰騎士は全員光の魔法を使える。対応はお手の物だろう。


ならば逃げるか?

だが、地の利は相手にある。よしんば逃げ切れても、もし先に港の警備に何か吹き込まれたら、最悪の状況になるだろう。


「貴様等がここにいると言うことは。リヴァー達も入り込んでいると言うことか?」


騎士は剣に手をかけ、感情のこもらない、事務然とした口調で質問を投げかけてくる。亮達が黙っていると、肩をすくめ、鼻で笑った。


「まぁいい。どちらにしろ警備は強化するさ」


この騎士は未だにルイス達の事を知らない。それに、ここにリオがいる事にも気付いていないというのは、こちらの強みであろう。


「アレッサ、アダムさん。2人は逃げてくれ」


もし逃がしたとしても、2人を執拗に追うことはない。直ぐに倒せるかも怪しく、3人で逃げられないなら。灯台が近いことを祈って、なんとか食い止めておく。

決意を込めて、亮は剣を抜き放った。


「ほう、私と戦おうというのかね」


騎士はわざとらしく驚きの声をあげた。だがその声には、先ほどまでと違い、どこか楽しむような雰囲気が含まれているように感じる。

大振りな動きで、純白のマントを背中に跳ね除けると。ゆっくりとレイピアを引き抜く。


刺突用に作られたその剣は非常に細く、切っ先は鋭い。強度が低いため、重い物を受け止める事が出来ない代わりに、極めて軽量。捕らえづらい軌道に、手数で勝負する武器だ。


「無茶だよリョウ君!」


「無理も無茶も無謀も承知してます! 行って!」


叫びながらも、一瞬でも視線を外すことはできない。盾を持つ手に力を込めて、後ろの様子は音と気配にたよる。

リオ達が動き出した音が聞こえた時。


「逃がしはしない」


騎士が、鋭い踏み込みで亮の脇をすり抜けようと動く。後ろに意識がいっていた亮は、一瞬反応が遅れ、慌てて身を翻した。


不意に胸を、トンと軽く殴られたような衝撃が走る。一瞬何が起きたか理解出来なかったが、レイピアの切っ先が胸の中心に突き立てられていた。


「スタデットレザーと聞いていたが、ブリガンダインだったか。貫通できなかったよ」


騎士の、視線を向けずに腕と手首だけで繰り出された突きは、的確に亮の心臓を突いていたが。鎧に仕込まれた鉄板によって阻まれた。


大量の冷や汗が吹き出し、大きく間合いを離す。心臓が壊れたと思うほどに鼓動し、一気に喉が乾く。震えが来るのを抑え込んで。動揺を悟られぬよう、気合いを込めて睨みつけた。

相手は余裕そのものといった風に、剣の切っ先を揺らし。構えすらとっていない。


リオ達のため10分ぐらい時間を稼いで自分も逃げようと考えていた亮だったが、それも難しいのではないかと感じはじめた。


騎士の切っ先がピタリと止まり、亮に緊張が走る。息を止め、一挙手一投足に気を配り、攻撃の気配を探った。

だが騎士は動かず、亮の様子を見ながら、またもフラフラと切っ先を揺らし始めた。


遊ばれているのだ。いつでも仕留められる獲物の前で、反応を見て楽しんでいる。

怒りがこみ上げてきた亮だったが、すぐに、落ち着けと自分に言い聞かせる。実力差は歴然、冷静さまで失なっては殺してくれと言うようなものだ。


むしろ相手のこの油断は、生き残るための唯一の光明かもしれない。

盾を顔近くまであげて、相手を観察する。レイピアの長さは80センチ程はある、こちらの剣は60センチ。その差は20。

一見大差なく思えるが、こと白兵戦に関してはリーチ差の与える影響は大きいと、ルイスに教わった事を思い出す。


20センチとなれば、こちらは半歩深く踏み込まなければ攻撃出来ない長さであり。

その間相手は攻撃を終え、ゆうゆうと回避に移れる。

常に先手を取られ続ける事になるのだ。実力差にリーチ差が相まって、この20センチは遠い。


だが観察して気落ちする事ばかりではなく、勝っている点にも気付いた。

相手は鎧を着ていないのだ。先ほど動いた時に金属音がしておらず、身に着けているのは衣類だけのようで。

対してこちらは防具を身に着け、胴体部は金属鎧。さらには盾を持っている。

これは極めて有利といえた。


つまりは仕掛ける事はせず、守りを固めてしのぐ。攻撃は相手の跳び込みにあわせたカウンターと牽制に限定。

後は隙を探し、なんとか逃げる。今出来るのはこれしかないだろう。

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