2 下水道

無数のエニグスを切り抜け、辿り着いた下水道の出口は。街境の石壁と、灯台への石壁が繋がる丁字路の接点にあった。


石壁の側はすでに波打ち際で、いまだ数匹のエニグスが上陸してきている。ニカイラはそれらを手早く処理すると、亮達に先に行くよう手振りで指示して、自分は後続の足止めのためにその場に残る。

亮達はニカイラの脇をすり抜け、普通の扉より若干小さい格子戸にたどり着く。


息をつくまもなく、亮がポケットから錆取り薬を出すと、同時にリオは魔法の光を灯した。

リオの光に照らし出された鍵は、ありがたい事に、巻きつけた鎖を留めているだけの錠前だった。他に鍵が無いことを確認して、瓶の中身を全部掛けると、錠前はその大半を溶かされて鉄くずに変わる。


アダムと2人で鎖を外し、扉を引き開け。3人を先に行かせると、亮はニカイラの方を振り返った。

ちょうどルイスが走ってきた所で、その後ろには大量のエニグスが追いかけてくる。闇の中を大量のエニグスが蠢く姿は、まるで大地がうねりながら迫ってくるかのようだ。


亮は格子戸を掴んで待ち、ニカイラとルイスが通り抜けた瞬間、扉を閉めながら自らも飛び込んだ。大量のエニグスが格子戸にぶつかり、後続に押されて何匹かはその身を格子で刻まれ、破片が内部に飛び散る。

その後は次から次へと折り重なり、内部に押し入ろうとら格子戸を押し続けた。


あの化け物達が急激に知能を得ないかぎり、格子戸が開かれる事はないだろう。亮は一人、大きく息を吐いた。


ルイスとリオが《灯》の魔法を使い、辺りを照らす。

下水道と言うからには、さぞや不衛生な場所を想像していたが、意外にも水は流れていないし。臭いも先ほど細切れにされたエニグスの死体が放つ生臭さしかない。


「意外と綺麗なんですね!!」


亮は大声で言ったのだが、だれも気がつかない。

それもそうだ、表で集まっている無数のエニグスはいまだ一斉に鳴き声をあげている。それが、なんとか2人並べる程度という狭い空間で反響して、頭痛を覚えるほどの大音量となり、こだましていたからだ。


ルイスが手振りで先に行く事を皆に伝えると、先頭をきって歩き出した。

最低限、人が通れるだけの設計なのか、天井は低く。亮の身長で拳1つ分ほどしか余裕はない。


ルイスは如何にも窮屈そうに背を丸めていて。ならば更に高身長のニカイラはさぞや大変だろうと見やれば。こちらは、もとより猫背には慣れているようで、すいすいと後に続いていた。


港から真っ直ぐ東へ30分ほど歩いただろうか。通路は右へ直角に曲がり。

道中、別れ道なども支流の穴も見当たらず、亮は下水道というより地下道を歩いている気分になってきた。

西へ真っ直ぐまた30分程、今度は左へ直角に曲がり。それから10分程でついに開けた場所に出た。


長方形のその空間は天井が抜けていて。地上に上がれるよう、壁沿いに階段が作られていた。いつの間にか降り出していた細かな雨が、階段を黒く濡らしている。


エニグスの鳴き声も、ここまで離れれば何とか会話はできる程の音量だし、わざわざ雨に濡れる事もない。

一行は通路から出る前に、今度の動きを確認しようと顔を突き合わせた。


「目的地は灯台だ」《灯》の魔法を消しながらルイスが言った。


「そこで殿下が輝石を使われれば、街中に一気に知らしめる事ができる」


「でも閣下。港には警備の兵士や、騎士様が多数おられるのでは?」


「確かにそうだが、我らが街に近付いている事は敵に知られているのだ。その状況下で、リンデル隊が港の防衛に人を割くとは思えん」


「街の外は傭兵に任せておるようだしな」


「リンデル隊は入口や町中を警備していて。レアリード隊が港の防衛を指揮していると」


亮は格子戸の隙間から、街の様子を覗き見るも、暗くてよく見えなかった。


「領兵も身近にいる騎士の命令を重視する。レアリード隊の騎士に出会えれば、周囲の兵士ごと味方についてくれるはずだ」


「町中を警備しているのなら、この下水道の出口も見張られているんじゃ……」


アダムが心配そうに表を見回しながら言った。


「確かなに。だが、ここに来るにはエニグスの群れを突破して、鍵を開けなければならない。我々はリョウ殿のおかげで容易に入れたが、普通は鍵を壊すまでエニグスを抑えられない」


「そうですが……」


「そこで提案があるのですが」アレッサが手をあげた。


「殿下のマントと、私のマントを交換しませんか? こんなに暗いと、フードを被れば見分けはつかないと思います」


身長はリオの方がやや大きいが、この闇の中では並ばなければ見分けられないだろう。それにリオの純白のマントは非常に目を引く。


「だめだ」亮が、すぐさま却下する。


「どうして? どうせ私もついて行くんだよ」


「囮なんて危ないだろ!」


「そうでもないよ。いずれ輝石を使う気なら、私は殿下を殺そうなんて思わないもの」


アレッサは自信満々に亮の顔をのぞき込む。


「ただでさえ珍しい双印のなかでも、炎と光って限定されてるんだから新しく見つけ出すの大変だもん。私なら見つからなかった時のために殿下を捕まえておくよ」


「確かにな、いろいろな地を旅してきたが。双印持ちの話しなどそうは聞かなかった」


「でもそれは問答無用で射掛けられたりしないってだけだろ。捕まりゃ同じだ」


「普通にしてても捕まったらだめだよ?」


あっさり言い返され、亮は言葉を詰まらせる。


「亮殿はアレッサ嬢に一生勝てなさそうであるな」


可笑しそうに語るニカイラを、亮は恨みがましい視線をチラリと送ると、大きく溜め息をついて肩を落とした。


アレッサとリオはマントを交換し、フードを目深にかぶる。

リオが中性的な顔立ちをしていることもあり、なかなかの出来ではあるが。見慣れた者が見ればであって、結局は仕立ての良いマントが目立つだけにも思える。


「では行こうか」


下水が見張られている事を考えて、先ずはルイス、アレッサ、ニカイラが表に出た。

ルイスとアレッサが階段を登りきり、続いたニカイラも階段を登り始めたので、亮も通路を出ようとしたとき。首から上を地上に出したニカイラが何かに気がついたように歩を止め、亮達に出てこないようにと手で制した。


「久しいなルイス!」


頭上、階段の上から声が聞こえてきた。それは始めて聞く男の声で、若く、どこか緊張したような上ずりを感じる。


「久しいな、ブラザー」


「貴様にブラザーと呼ばれる筋合いは無い!」


「そうか……だが私は、騎士の誇りを捨てる事など出来なくてな」


「誇りで国は護れない!」


「もっともだ。だが、野心に護られても未来はないさ」


「言ったな貴様!」


頭上がにわかに騒がしくなって、いくつもの足音が響く。

ニカイラは素早く周囲に目を走らせると、亮達を手で制しながらゆっくり残りの階段を登る。

一瞬だけ亮に視線を合わせると、亮はそれだけで何をする気か理解した。


「アレッサを頼みます」ニカイラにだけ届くよう、小声で言う。


「期待には応えよう」


同じように小声で、だがはっきりとそう言って、ニカイラは階段の上に消えていった。


「大人しくリヴァーを渡せ!」


「王子をつけろ、もしくは殿下だ。呼び捨てなど不敬もはなはだしい」


「ふんっ、そのような者、王族として認められない」


「それは君個人の見解かね?」ルイスの声が僅かに低くなる。


一瞬の沈黙が生まれ、亮は表の様子に耳を澄ませた。


「黙れ! 奴らを捕らえろ、リヴァー以外は殺してかまわん!」


「ニカイラ!」


「応!」


ルイスの呼びかけにニカイラが応え、雄叫びを上げて走り出した。いくつかの金属がぶつかり合う音と悲鳴が響き、一斉に足音が動き始める。

「追え」だの「待て」だのと怒号があがり、それは足音ともども徐々に遠のいていった。

静かになった所で亮は通路を抜け出し、足音を殺して階段にとりつく。


「俺達も行かなくて良かったのか?」


だれもいないと思っていた頭上から不意に声がして、肝を冷やして壁に張り付いた。


「かまいやしねぇよ。見ただろあの強さ、命がいくつあっても足りねぇ」


「いやはや驚いたぜ。流石はルドガープの至宝、白豹ルイス・フィリップ」


「おいおまえら、ここで何をしている! 奴らは南の市街地区に向かった、さっさと行くぞ!」


足音が遠ざかり。亮は詰めていた息を吐いて、いつの間にか握っていた剣の柄から汗ばんだ手を引き剥がす。


階段を登り、地上に顔を出して辺りを伺った。辺りは市街地のちょっとした広場で、石畳の上にはいくつかの兵士らしき死体が横たわっている。

煉瓦造りの建物に囲まれた狭い空間には血が広がり。傾斜があるのか、辺りから雨水が流れてきて、広場の血を伴って下水道へと落ちていく。

亮達のいる下水の入り口に、小さな赤い滝が出来たようだった。

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