第5章
1 血路
その後は敵に出会う事もなく、セヴァーへと向かっていけたが。万事順調というわけではなかった。
夕刻になっても街が見えないのだ。
ルイスとアダムが周囲の地形をみて判断するには、街には向かっているとの事で、不安を抱えながらも黙って歩く。
やにわに湧き出た灰色の雲に月が隠され、昨晩より格段に暗い足元に苦労しながらも進み。
煌々と焚かれた街の灯りが目に入ったのは、日が落ちて2時間程してからだった。
「予想より時間がかかってしまったな」
アダムが申し訳なさそうに肩を落としたが、別に彼のせいで遅れた訳ではばいし、責めるような事は誰もしない。
「そこいらの森で夜を明かしますか?」
「その事ですが、少しいいでしょうか?」
リオが進み出てきて、皆を森の中に誘う。
そして、周囲が影になっている事を確認すると、太陽の輝石を取り出した。
それは以前見せてもらった時とは比べ物にならない程、弱々しい光に変わっていた。
しかも、電圧の足りない電球のように不規則に明滅している。
「輝石の力がもう殆ど……、どうにか今夜中に街に入れませんか?」
ルイスは思わず唸った。
それもそうだ、夜間は街の門は閉じられているだろう。侵入するのは難しい。
それに、今はエニグスのせいで警備は厳重だろうし、白凰騎士団も警戒しているのだ。
「正攻法では無理であろうな。搦め手はどうだ?」
「セヴァーは元来城壁をもっていなかったが、エニグスのために土塁が築かれてな。いまや逆茂木と鹿砦で針山だよ」
「さかもぎ、ろくさい、何ですそれ?」
「ああ、侵入を防ぐために、先を尖らせた木の枝を突き刺して置くのさ。逆茂木は土塁に水平に。鹿砦は土塁に至る地面にね」
「なるほど、それは近付きたくないですね」月の無い夜は更に。
ニカイラはその場でどっかり胡座をかき、喉の皮を引っ張りながら考え込みだし。
他の面々もそれぞれ腰を下ろした。
「港の方からは入れんか?」姿勢を崩さずニカイラが言う。
「無茶ですよ、エニグスの巣窟でしょう!」
アダムが目を見張りながら声を上げた。
彼がそう言うのももっともで、なんせ数年間エニグスの襲撃を受けているのだ。習性上、仲間を呼び集めて凄まじい数になっている事だろう。
「確かにな。だが、奴自身は然したる驚異ではない。一時なら切り抜けて進めよう」
「港にも防柵は築かれているし、風避けの石壁もあるんだ。それに市街へ通じる壁の切れ目まではとても辿りつけない」
「他に外部へ通じる道は無いのか?」
「港の外れに下水の出口があるが、元より鉄柵で封じられている」
「それだ!」亮は立ち上がり、指を鳴らす「その鉄柵は開きますか?」
「鍵が掛かっているが」
亮の動きに、ルイスは少し面食らったようにそう答えた。
それを聞いた亮は鞄から鉄を溶かす薬を出して、残りを確認する。
鍵の1つぐらいは溶かせるだろう、使い方を工夫すれば格子の2、3本は外せる量はまだあった。
「そこまでたどり着ければ、扉は何とかなります」
そう言って薬について説明すると、みんな一様に驚く。
「なんとか入れそうだな。しかし本当にリョウ殿は不思議な物を色々持っているな」
「行商人なんですか? どこかで仕入れてるとか」
「いやいや違いますよ。この薬は、まぁ。ウィザードの塔から拝借してきまして」
「それってフランクさんの塔!?」
口を滑らせた亮は、アレッサに詰め寄られ。目を逸らすと鼻先を掻いた。
「ちょっと、リョウさーん!」
「いやほら、必要だったんだよどうしても。それに、これなきゃ多分、俺死んでたし」
膨れるアレッサを必死になだめていると、ニカイラがぼそりと呟いた。
「盗賊であったか」
「それも違うから! 一般人、ただの旅人!」
思わず全力で突っ込んだ亮を尻目に、ルイスは荷物を林の中に隠し置き始めていた。
「置いていくのですか?」
「はい、この先、旅具は持っていても仕方がないですので、一旦ここに隠そうかと」
確かにもう街は目の前なのだし、鍋や毛布は重いだけだ。エニグスの中を突っ切るのだから、身軽にかぎる。
亮もそれに習い、自分の持ち物の大半を草むらに隠し。残ったのは武具と鞄が1つになった。
「リョウ殿。薬を渡してくれたら、ここに残ってもらってもいいのだよ? アダム殿もアレッサ殿もだ」
亮は確かにとも思ったが、目を閉じて首を振った。
「付き合います、何かの役にはたてるでしょうし」
「僕も行きますよ、どうせ失敗したら命は無いですから」
「私も──」
「アレッサは残った方が良い」
亮がアレッサの言葉を遮り、アレッサは口を尖らせた。
「なんで!」
「危ないからだよ、エニグスの中に突っ込むんだぞ。エニグス嫌いだろ」
「そんなのリョウさんも一緒じゃない。リョウさん、エニグス好きなの?」
「そう言う問題じゃない」
アレッサ以外はアレッサが残る事に賛成のようで。そんな雰囲気を感じ取ったか、アレッサが少々たじろいだ。
「絶対役立つ秘策があるの、連れてかないと後悔するよ!」
「秘策て」亮は呆れ顔で呟く。
「お願い、リョウさん……」
アレッサは手を胸に当て、ほぼ密着距離まで詰め寄ると。瞳に涙を滲ませ、上目遣いに懇願してくる。
切なげな声に、亮は胸が締め付けられた。
以前から思ってはいたが、アレッサのお願いにはあらがい難い魔力がある。亮は思わず後退りし、周囲に助けを求めるように視線を向けた。
他の面々は、亮と視線が合うと。あからさまに視線を外す。どうやらアレッサの魔力は範囲攻撃らしい。
「きったねぇ……」思わず口こぼした。
その時アレッサは、駄目押しとばかりに亮のマントをわずかに摘んで、注意を引こうと引っ張った。
「お願い」
亮は盛大にため息をつく。
「わかったよ」
「やったぁ! 流石リョウさん、やさしい」
さっきまでの涙目は何処に行ったのか。アレッサは、花が咲いたような満面の笑みで亮に抱きついた。
他の面々も、仕方がないといったように微笑み。自らに飛び火するのを恐れたか、亮に声を掛ける者は無かった。
一行は街の北側へと大きく回り込む。
セヴァーの街は西方が海に面した港町で、目指す下水の出口は港の北の端にあるらしい。
土塁の上に並ぶ松明の明かりが、周囲の地面を覆う無数の灌木の影を浮かび上がらせている。等間隔に列んだ人工の林は防衛用の鹿砦。
葉のない木々がスパイクの様に立ち並ぶその姿は、なるほど針山だと、亮を頷かせた。
始めは耳鳴りかと思った。
常に鳴り響いていた不快な高周波音は、海に近付くにつれて、はっきりとエニグスの鳴き声だと認識出来るようになっていく。
大音量かつ、切れ目ないその合唱に、尋常ではない数が集まっているのは想像するに容易い。
「こっちまでは来ていないんですね」
「夜間は港で騎士達が応戦している。おそらく、港の中心に上陸した奴が、周囲の奴らを呼び寄せているのだろう」
それからしばらくして、街の北側を覆う土塁が石壁にぶつかり終わっているのが見える。3メートル程の高さの石壁はしばらく土塁の後を継ぐように西へと延びて、細身の石塔に繋がっていた。
「あの灯台の上に台座があります!!」
「登るには石壁の上を行かなきゃ駄目みたいですね!!」
エニグスの鳴き声がうるさくて、もう怒鳴らないと声が通らない。
灯台に続く石壁の向こうは港なのだろう。石壁の上を人影が走り回っているのが見て取れる。
港の広さはわからないが、そこからあぶれて、灯台を迂回して北面に取り付くエニグスもかなりの数がいて。石壁や土塁の上に設置された篝火の光で、蠢き、小山を形成するエニグスの群れが確認できた。
「下水の出口はどこですか!?」
「灯台に繋がる石壁と、土塁のつなぎ目辺りだ! あの辺からもう、海になっている!」
亮はルイスの言う場所をに目を凝らしたが、篝火が設置されておらずよく見えなかった。だがその先が海だと言われれば、確かに水面のように篝火を反射しているように見える。
「とても辿り着ける数ではないな。これほどとは思わなかったぞ!」
「私が囮になって奴らを引き付ける、その隙に下水に入ってくれ!」
「そなたらは夜目が利かんだろう。儂がやる!」
「大丈夫だ《猫の目》の魔法を使う! それに下水では敵を倒してもらわなければならない! それには長物の方が有効だ!」
「承知した!」
「亮殿! すまないが盾を貸してくれないか!」
「気をつけて!」
差し出された盾を微笑みと共に受け取ると、ルイスは詠唱を始めた。魔法を解き放つと、その瞳が黄金色に煌めく。
「行ってくる!」
ルイスは駆け出し、大回りして壁に取り付く群れの北側へと近づいていった。
「我らも参ろう! 儂の後ろに続いてくれ! 鹿砦の中を抜ける!」
ルイスの作ってくれたチャンスを逃すまいと、ニカイラを先頭に列をなして走りだした。亮は最後尾につけ、エニグスへの警戒も兼ねる。
侵入者を阻むように斜めに刺された鹿砦は、複雑に張り出した尖った枝先が、侵入者の速度を大幅に殺す。それでも、エニグスに囲まれる危険と、土塁の警備兵に気付かれる危険を考えるとこの道しかない。
主要な枝はニカイラが切り払ってくれていたが、亮は前をいくアダムの辿った通りに進み。
小枝で傷つかないようにマントをしっかりと身にまとって走る。
鹿砦を突っ切ると次はエニグスの群れだ。ルイスが引き付けてくれたおかげで、広範囲に散らばってはいるが、いまだ数十匹はいるだろう。
囲まれる前に切り抜けなければ、命は無い。
亮は剣を抜いて周囲に目を配った。邪魔な奴はニカイラが仕留めるなり無力化しているが、後から後から沸いてくるのだ。
不意に列の側面に1匹が突撃してきた。亮は剣を抜き、その間に割って入る。
暗さで素早く動く触腕を見極める事が出来ない。風切り音がしたと思った瞬間、左肩に痛みが走った。
痛みをこらえ。以前の経験から、続けざまにもう1発来ると予想して、大きく後ろに飛び退くと。眼前で触腕が空を切った。
全身の血が一気に凍ったように感じ、胃の淵が締め付けられる。
一瞬、足が止まった。竦み上がれば確実に殺されると、唇を噛みしめ。感覚の薄い両足に活を入れる。
戦うなんてもっての他だ。亮はすぐさまニカイラ達の後を追って走り出すと、後方で再度、風切り音が鳴った。
幸い、アレッサの速度に合わせているので、すぐに追い付けたが。それは、先ほどの奴をろくに引き離せていないということだ。
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