7 敵の姿
亮が見張りに呼ばれたのは深夜遅く、少しすると空も明るみを帯び始めてくる時刻。
陸に上がっていたエニグスも海に帰っていく頃合いで、もっとも安全な時間帯だろう。
夜中のうちに誰かがエニグスの死体を片付けたようで、臭いもあまり気にならなかったが。
小屋の脇の放置されていた鎧を身に纏わなければならないため、結局の所、臭いには悩ませられる。既に乾いているのが救いだったが、息を止めながら一気に袖を通した。
数時間を小屋の壁に寄りかかって過ごし、何事もなく日が昇ってきたので、亮は緊張を解いて大きく背伸びをする。
今日も天気がよくて、暑くなりそうだ。
亮は井戸まで行くと、昨晩ニカイラと引っ張り出した大たらいに水を注いで。
臭いの染み付いたシャツを放り込む。
石鹸で洗濯して木の枝に引っかけると、水を換えて今度は鎧を放り込んだ。
何度も水を換えながら鎧をこすっていると、顔でも洗うのか扉を開けてリオとアレッサが出てきた。
「おはよう」
互いに挨拶を交わし、2人に場所を譲る。2人は顔を洗うと物珍しそうに亮の様子を眺めていた。
何度目かの水交換でやっと臭いがしなくなり、水を吸ってだいぶ重くなった鎧を枝に引っかけた。
「あの、それって皮ですよね? それに、中に鉄板が入っているみたいですし。そんなに濡らして大丈夫なんですか?」
「よくないでしょうね。でもまぁ、拭いたくらいじゃ臭い取れませんでしたし、仕方ないですよ」
そう言って満足げに頷くと、亮は静かに呪文を唱え始める。比較的長い詠唱のあと指を鳴らすと、手を叩いたような軽い破裂音と共に洗濯物の水分が無くなった。
「なるほど、これなら。乾燥の魔法ですか?」
亮は手の平でリオに待つように伝えると、手を膝についてガックリとうなだれる。
少々目眩がした。
「すみませんちょっと多かったみたいで……。乾燥というか、≪水破壊≫です……」
「大丈夫?」
アレッサが心配そうに顔をのぞき込む。
亮は黙ってその頭を撫でると、2人に支えられながら小屋へと戻った。
「寝不足で魔法を使ったからですかね」
リオがそんな事をつぶやいたが、亮は口には出さずそれは違うなと思った。
疲労が残っている事もあり、今朝の出発は少し遅らされた。これは亮の体調を考えての事ということになってはいたが、実は全員がよく眠れていなかったのだ。
「この先の道は新街道と合流するんですか?」
道が少しずつ海岸線から離れて行っているのに気付いた亮が、アダムに尋ねた。
「いいえ。新街道は南周りに迂回するように作られていますから。こちらはこのまま真っ直ぐです」
「道は違えど、こちらも見張られているであろう。エニグスの範囲を抜けたなら、我等も警戒せねばな」
ニカイラの言うように、昼を過ぎた辺りから街道を外れ岩山に添った林に入った。
「この岩山が終われば、南方の平原を進める」
「そうなれば街道をにとらわれず、見つかる可能性も減ろうな」
小一時間も歩くと徐々に岩山も低くなって、ある時、断ち切られたように崖になって終わっていた。
その先には、平原にゴロゴロと大小幾つもの岩が転がっている。
一行は崖沿いに南下を始めたが。そこで、武装した騎兵が周囲を警戒しているのが見えた。
咄嗟に岩影に隠れてその様子を伺う。
「まだ気付かれてはいないようだが」
騎兵はマントを身に纏い、バケツ型兜かぶっていて。騎兵が好むヒーターシールドという小型の凧型盾を左大腿に括り付けている。
マントも盾も無地の白とシンプルな造りで、所属を表すような物はなにも無く、遠目にそれ以上の情報は得られない。
「やり過ごせますかね?」
「焚き火の跡がある、ここから離れる事はなさそうだ」
「しかし、騎乗しているのが気になる、少し近付いて見るとしよう」
ニカイラはマントを胴にしっかり巻き付けた。
身に着けているスケイルアーマーは、鱗状の金属片を多数皮鎧に縫い付けるという構造上、カチャカチャとうるさい鎧ではあったが。ニカイラの場合は、胴鎧だけがスケイルのためこうしてマントで動かないよう固定すればかなり静かになる。
「では参ろうか、リョウ殿」
「俺もですか。了解です」亮は軽く跳ねて、鎧が鳴らないか調べる。
「ニカイラ殿それは危険では?」
「人の目で見ねば分からぬ事もある。ルイス殿の鎧で隠密行動は出来ぬだろう? それに見張りが1人とは限らん、殿下を守る者は必要だと思うが」
「いや、なにも危険を冒して近付かなくても、迂回して行けばいいだろう?」
「ではあるが。やはり彼奴が1人か、巡回をしているかを調べておいた方がよかろう」
それはその通りで、ルイスも渋い顔をしながら頷いた。
亮とニカイラは、すぐさま足音を殺して騎兵に忍び寄る。岩影を選んで進んでいけば視界に入るようなこともなく、音を立てないように足下にだけ注意した。
騎兵から10メートル程離れた岩までたどり着くと、2人で顔をのぞかせる。
「荷物は少ないですね」
亮は声を落として言った。
ニカイラの方がプロであろうが。亮が呼ばれたという事は、何らかの意見が欲しいという事であろうと、見たままでも思ったこと言う。
「だが、焚き火の炭を見るに、一晩以上はいるだろうな」
ニカイラも同様に声を落として答えた。
「盾にロングソード、鎧はチェインメイル。手入れはされてるし、こないだの野党や傭兵には見えませんよね」
「正規の訓練を受けているよう見えるな。それにあの馬かなりがたいがいい、恐らく軍馬であろう」
「どこぞの兵士ですか……いや、そんな馬なんて乗るなら騎士?」
「そう考えるのが妥当であろう」
そう答えたニカイラの声は、どことなく嬉しそうだった。
「小荷物って事は、近くに野営地でもあって。仲間と食料もあるんでしょうか」
「それか近くの村に駐留しているか」
「それは目立ちすぎませんか?」
「フム」
ニカイラは一言うなると、少しの間、睨みつけるように騎兵を見つめた。
「体温は人馬共に上がっておらぬな、ここしばらく走っておらんはずだ。だが馬の動きからして、多少はああして見張っているようだが」
「少し前。昼頃くらいにでも、別の騎兵と交代したとかですかね」
「ならば次はの交代は日暮れが妥当。今仕留めれば、しばらく見つかるまい」
そう言うや否や、ニカイラは岩影から滑り出て、騎兵の死角を進む。
左手はマントをしっかり押さえ、右手のグレイブを風切り音が出ないようゆっくりと構えた。
「止めるんだ!」
不意に後方から叫び声が響く。亮が首を巡らせると、ルイスがニカイラに叫んだのだと分かった。
勿論その声は警戒中の騎兵にも聞こえ、振り返りニカイラの接近に気がつくと慌てて馬に拍車を入れた。
ニカイラは見つかった瞬間、弾かれるように速度を上げて一瞬で距離を詰め、馬が走り出す直前に手にしたグレイブを突き出す。
騎兵は咄嗟に身体をそらせて突きをかわしたが、その突きは胸元から襟元までの鎖帷子を切り裂き、辺りに鎖の破片が飛び散った。
騎兵はそのまま走り去ると、亮はニカイラの側まで駆け寄る。
「さすがに早いな」
もう見えない騎兵の姿を追いながら呟くと、ニカイラは不服そうにグレイブを一振りした。
亮はなんとなしに足下に散らばる鎖帷子の破片に目を落とすと、その中に鎖帷子の破片では無いものが混じっているのに気がついた。
その鎖帷子より細かい鎖を拾い上げると、銀細工の護符だった。
「すまない、つい声をあげてしまった」
ルイスたちもこちらにやってきて、ニカイラに謝罪を述べていた。
「らしく無いなルイス殿」
「それはこれのせいでしょう」
亮は2人に割って入ると、手にした護符を突き出す。
「どうしてさっきの奴が白鳳騎士の証を持っていたんですか?」
鳳凰の刻まれた白銀の護符に視線が集まると、ルイスは顔をしかめて視線を外し。リオは悲しげに俯く。
事を荒げるのは避けていたが、頼りの白鳳騎士団が係わっているとなると話は別だ。
何か考え込むように黙っていたルイスが顔をあげた。
「見張りが戻って来るかもしれない、先ずはここを離れよう。話はその途中でするよ」
ルイスはそれだけを言うと、難しい顔をして歩き始め。亮達は顔を見合わせたが、もしルイスが敵ならとっくに殺されているだろう。
ここは彼を信じて、その後に続いた。
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