6 再びのエニグス

掃除したてでいまだ舞い上がった埃の充満する小屋ではなく。小屋の前の小さな広場で、調理に使った焚き火を中心に輪になって食事をとる。


疲労はあっても今夜の事を思えば。、食欲もあまり出なかった。アレッサ、アダムも同じくそんな様子だが、亮にはこの後に夜の見張りもある。無理矢理気味に口に押し込み、スープで流し込んだ。


日が落ちきる前に食べきり、同じく食事を済ませたルイス、ニカイラと夜の打ち合わせを行う。


「とりあえず日が落ちてしばらくは3人で表を見張ろう。恐らくは7、8匹は相手にしなければならない」


日が落ちて直ぐに陸に上がってくる旺盛な一団を捌いてしまえば、後は散発的に現れるだけらしい。


「あいつらは主に音に反応していると言われている。どうやって周囲の地形を把握しているのかは分かっていないが」


「して、どこを狙えばよいかな?」


「まずは長い2本の腕、これが主な武器で切り落とせば脅威ではなくなる。急所は胴体下部にある、表層を攻撃しても痛みが無いのか効果が薄い」


「承知した」


「わかりました」


亮は不安げな顔で小屋へと向かうアレッサに笑顔で小さく手を振った。


「大丈夫、エニグスは大群で押し寄せるから脅威なのであって。少数ならば大したことはない」ルイスが小屋の中、そして亮に聞こえるように言った。


日が落ち、明かりは夕食に使った焚き火と月光だけ。亮は剣を抜き放ち、手に馴染ませるように何度か振る。


「そういえば、これを使うのは初めてですよ」手の中で弄びながらポツリと呟く。


「そんなに力んで持つものではない。打ち込みの時に凝り固まって、逆に鈍ってしまう」


「軽く持って、当たる瞬間に握るんだ」


ルイスに構えや足裁き、体裁きなどを軽く教えてもらい、何度か振ってみる。


「良くなった。私達が前面に立つから、フォローをお願いするよ」


「わかりま──」


亮の返事は微かに聞こえた子犬のような鳴き声のために、最後まで発せられなかった。


3人に緊張が走り。ルイスが静かに呪文を詠唱し始め、ニカイラは人の目には見通せぬ林に目を凝らす。


「動くものはあるが、奴等体温が低いようだな。はっきりとは分からぬ」


「明かりを灯す。視覚に注意してくれ」


ルイスが魔法を放つと、林の奥、木の枝の1本が朧気に光を放ち始め。続けてもう1カ所、別の方向にも同じように魔法を放つ。

枝の光は徐々に光量を増していって、数秒後には松明程度の光で周囲を照らした。


「もう2、3カ所はかけておくか」


ルイスが再度詠唱を始めたが、それはニカイラに止められた。ニカイラは黙ってグレイブでルイスが灯した明かりの1つを指し示す。


その明かりの下には、草をかき分け這うように進んでくる小さな塊が見えた。

塊はまるで見つかった事に気づいたかのように身じろぎし、子犬のような甲高い鳴き声をあげた。


音を頼りに進んでいるとのことで、3人は極力音を立てないように注意する。やり過ごせるならば、それに越したことはない。


だがエニグスはそのままゆっくりと這い進み。フラフラしながらも近付いてきて、ついに林を抜け3人がいる広場に出る。そこで再度鳴き声をあげると、急に速度を上げて真っ直ぐ3人に襲いかかってきた。


ニカイラのグレイブが唸りをあげ、エニグスの体を縦に斬り上げる。

肉厚の胴を大きく切り開かれ、内臓であろう器官が見える程だというのに、その動きは止まらず。

続けざまに傷口から内臓へと突きを放ってようやく止まった。


エニグスは一度だけ鳴き声をあげると力無く崩れ落ちる。地面にダラリと広がるその姿は、中心が盛り上がった大ヒトデのようだ。


触腕がピクリとも動かないのを確認して亮が近付くと、その死体に変化が現れた。

表面から大量の水分が溢れ出し、同時に体積が減っていく。水分が出きった頃には、その体はただの土塊にしか見えなくなった。


「すげぇ臭い……」


顔をしかめるほどの生臭い磯の臭いに、亮は思わず死体の側から飛び退く。


「それどころではないようだぞ亮殿」


見ると林の中を3匹のエニグスがこちらに向かってきていた。頻繁に鳴き声をあげ、木々を縫うように駆け寄ってくる。


「どうやら事切れる前に仲間を呼んだようだな」


始めに飛び出してきた1匹にニカイラがグレイブを一閃。

エニグスは、走るのに使っていた脚を根本から切断され、つんのめって転がった。2人はその隙に残りを捌く。


ルイスは素早く2本の触腕を斬り払うと、慣れた手つきで胴体に深々と剣を突き入れる。

ニカイラは先ほどと同じように大きく切り開き、急所を突く。

ひっくり返った奴は、起きあがる前にルイスがしとめた。


「口があったんですね」亮はひっくり返った時に見えたものを素直に口にした。


体の真下、ひっくり返したヒトデの中心に、鋭い小さな牙が輪になって何重にも並んだ口が見えたのだ。


「生き物なのであるから、口ぐらいあろう」


「生き物……」


目の前で土塊のように変わっていく死体を何ともいえぬ表情で見た。

死体がこんな反応をする生き物なんて聞いたことがない。もちろんそれは亮のいた世界の話で、こっちではよくある事なのかもしれないが。


林の奥からエニグスの新手が現れ、亮は思考を打ち切り身構えた。

始めに見えたのは2匹だったが、そいつらが林を抜ける頃には新たに4匹ほどの影が現れ、その後もとどまる事なく新手が向かってくる。


それに気がついた前衛の2人はフォーメーションを変えた。

ニカイラが前に立ち、高威力と長さを活かして脚を狙う、そして動きが止まった所をルイスが手早く止めを刺してまわった。


「不覚!」ニカイラが叫ぶ。


とめどなく押し寄せる敵を仕留め損ねて、1匹がグレイブを逃れて突破したのだ。


ルイスが素早くフォローにまわったが、それを機に状況は乱戦に移行した。

10匹近いエニグスと入り乱れているというのに、亮の方へと抜けてく事はなく、2人の凄まじい強さを思い知る。


だがそれでも完全に安全という訳ではなかった。

いままでエニグスが向かってきた方向とは別、状況的には側面の灯りの無い面から1匹飛び出してきたのだ。


これには亮があたり、気合いと共に剣を抜き駆け寄る。


「鎧はそうは貫かれない、頭に注意するんだ!」


亮の動きに気づいたルイスの声を受け、盾を構えると、先程教わった剣の使い方を思い返した。


射程圏に入ったのかエニグスが触腕を振るったのが見え、咄嗟に盾で頭を守る。

防御が成功し、腕への軽い衝撃と盾の表面を引っかく耳障りな音が響く。


続けざまに残る触腕も振るってきたのにあわせて、頭への攻撃を受け止める要領で思いっきり剣を振った。

向かってくる触腕へと乱暴に刃を叩きつけると、太いゴムを断ち切ったような感触のあと、切り落とされた触腕がうねりながら飛んだ。


すぐさまもう1本の触腕を狙うために身体を捻った瞬間、背中を殴られたような衝撃が走る。

あまりに近付き過ぎたため、盾を回り込んで背後を狙われた。爪は鎧の鉄板を貫く事はなかったが、痛いものは痛い。


亮は痛みを堪えながら、次なる攻撃をさせないように触腕を斬りつける。

しかし先程より太い所を狙ったせいか、軟体だからか切断することが出来ず、地面に叩きつけただけになった。

咄嗟に脚で踏みつけ、動けなくする。そして硬そうな根本を何度も斬りつけて、やっと切断した。


これで安全になったと、わずかに間合いを離して全体を見ると、急所である胴体下部に剣を突き入れた。

エニグスは表面こそ僅かな硬さを感じたが、それを抜けてしまえばまるで水羊羹でも刺しているように、大した手応えもなくすんなり剣身が入った。


どんな相手であろうと、生き物を殺すのはあまり気持ちの良いものではない。

実戦の高揚感が波のように引いていって、後には微かな罪悪感が残った。


息をつき剣を引き抜こうとした瞬間、突然、エニグスが暴れ出した。仕留めたと思いこんでいた亮は完全に気を抜いていて、不意を突かれて反応が遅れる。

エニグスは亮に体当たりを食らわせると、そのままその身にのり上がって頭をすっぽり包み込む。


かろうじて右腕を顔前に滑り込ませる事は出来たが、左腕は盾が邪魔してろくに動かせない。


亮は闇の中で耳障りな鳴き声を至近距離で聞かされると同時に、生暖かい潮の臭いを浴びせられた。

先程見たエニグスの口が思いだされる。背中を冷たいものが流れ、右腕1本で必死に押し返した。


エニグス自体はそれ程重い訳ではなかったが、エニグスも剥されまいと爪の無い触手を亮の頭に巻き付けて引きつける。

こうなると亮の方が分が悪い。肘を立てて支えていたが、エニグスが触手を引き絞る度に肩の痛みが強くなっていく。


焦りの中でどうにか頭を巡らせる。

盾をなんとか外し左手を自由にしたものの、腕をエニグスとの間に割り込ませる事が出来ず。突き刺したままの剣にも手を伸ばしたが、届かなかった。


いよいよ右腕も悲鳴を上げだし、肩の痛みは骨が砕けるんじゃないかと思える程だ。

その時不意にエニグスの力が抜けた。頭をがっちり掴んでいた触手も外れ、簡単にその体を押しのける。

覆い被さっていた物が無くなって見えたのは、心配そうに亮を見下ろすニカイラだった。


「ありがとう……助かったよ」


亮が弱々しく言うと、ニカイラはニヤリと笑う。


「それは重畳。だが早く起きた方がよかろう、そいつは死んでおる故な」


途端にエニグスの死体から水が溢れ出し始め、亮は慌てて起き上がった。


見渡すと既にすべてのエニグスが倒されて、あたりは土塊が散乱していた。

鼻を突く生臭さは周囲の土塊のせいか、先程浴びた水のせいかは分からない。


「怪我は無いかい?」


ルイスに聞かれ、落ちていた剣を拾いながら亮はすまなそうに頷いた。


「はい大丈夫です。すみません油断して」


「怪我がないなら問題なかろう」


ニカイラはそう言ったが、2人がこれだけの数を相手にしたというのに1匹も倒せず、しかも死にかけたという自分が情けなかった。


「さっきのであらかた倒したと思う。これからは散発的に数匹がくるだけだろう」


互いに呼び寄せあった一団だったとするなら、新手が現れない時点で周囲のエニグスは一掃されたはずだ、とルイス。


「私達で順番に見張るから、亮殿は休むといい」


「いえ、俺も見張りますよ。なんの役にも立ってないですし」


そんな亮にルイスは口許を緩める。


「わかったお願いするよ。順番は、私、次がニカイラ殿で最後が亮殿だ」


「承知した」


ニカイラに促され、亮も小屋へと向かった。扉を開ける前にふと考える。


「ニカイラさん、俺臭いですよね?」


ニカイラは何度か亮の臭いを嗅いだが、うーんと唸る。


「鼻が壊れたのか、分からぬ」


亮は「ですよね」と笑い、鎧と中に着ていたシャツを脱いで表に置いておいた。


扉を開けると皆の視線が亮に集まり、一様に何で裸? と表情が訴えている。アレッサが亮に駆け寄ってきたが、ピタリと止まると1歩後退り。


「なにこの臭い……」


「かかかっ! アレッサ嬢もリョウ殿に寄れん臭いか!」


ニカイラは笑ったが、そんなニカイラにもアレッサはビシッと指を指す。


「ニカイラさんも十分臭いです! 井戸で洗ってきなさい!」


亮とニカイラは顔を見合わせると、すごすごと井戸へ向かう。表に出るとアレッサの声が聞こえたのか、ルイスが腹を抱えて笑いを堪えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る