6 城塞都市ザルパニ
三日間のにわたる馬車の旅は、とにかく暇だった。
周囲の景色はほとんど変わらず、狭い席にひたすら座っているだけ。出される食事は味が薄くマズいうえ、量が少ないときていた。
曇天に姿を隠していた太陽が、西の空を微かに明るくし。一日を陰気な空の下で過ごした旅人達に、初めて自らの居場所を示したころ。馬車を操る御者が、見えましたよと、後席に声をかけた。
亮は文字の書き取りを止め。自分に寄りかかって、微かな寝息をたてているアレッサを起こさないよう。午後になってわずかに降った、雨避けのために張られた帆布の隙間から前方を確認する。
「砦じゃないか……」
ザルパニの街を囲む厚く高い外壁には、胸壁が設けられており。その所々には、無数の矢狭間がついた塔が建てられていた。
外堀こそ無かったが。外壁が単純に街を囲うのではなく、要所で稜角を作り、その先端に塔を配置した姿は砦と呼ぶに相応しい。
リベリア半島を南北に分かつように横たわる山脈の西の終わり。山地と湿原とに挟まれたこの一帯は、交通の要所になっている。
また、大国、ランサス王国との接点でもあり。このザルパニの街は、軍事的にも重要な拠点であった。
ルドガープ国王はこの要所を騎士団領とし、白凰騎士団を常駐させ。
国王の意思を理解する騎士団は、この街をランサスの襲撃に耐えうる、強固な砦に作り変えたのだという。
ルドガープ国王騎士団領、城塞都市ザルパニ。
旅路を共にした商人がそう教えてくれた。
馬車は街に近づき、街道が石畳に変わると。石畳の溝で車輪が跳ね。驚いたアレッサが、奇妙な鳴き声をあげで目を覚ます。
「お目覚めですかお姫様。たった今、城に到着したところです」
商人がうやうやしく言うと、馬車は笑いで包まれ。事態をつかんだアレッサは、顔を赤くして、陰に隠れるように亮の腕に顔を埋た。
馬車は門で止まり。純白の制服を着た兵士がやってきて、乗客に様々な質問をしてきた。
なんでも、近々、騎士団長の選任投票が行われるらしく。現在、各領主が近くの騎士総本館に集まっており。街の警備が強化されているそうだ。
亮は兵士に動物を研究するウィザードについて尋ねたが、芳しい答えはもらえず。
いまだ微かに雨の臭いが漂う通りを、アレッサと2人、宿に向かっていた。
2人とも、固まった足を解すように、一歩一歩、しっかり伸ばしながら歩く。
「これだけ広いと、探すのも大変かもね」
「フランクさんが立ち寄りそうな店とかわかるか?」
「リョウさんは、どんな店にいく?」
真顔で聞かれ、亮は「俺に聞くなよ」と呆れ顔を返す。
アレッサはしばらく唸って考えていたが、ぽんと手を叩く。
「本屋さんとか、どうかな?」
「それはなかなか、ありえそうだ」フランクの塔にあった書庫を思いだし、指を鳴らす。
今日はもう日が暮れるので、捜索は明日から。
そうと決まれば2人は宿屋に急ぐ。まっとうな寝床と食事が、恋しくてたまらなかった。
ザルパニについて2日。
亮達は本屋を訪ねて回り、フランクの足取りを探していた。
「えっとですね。髪の毛が無くて、身体が細くて。ちょっと足が悪いおじいちゃんなんですけど」
アレッサの説明するフランクは、亮の想像とかなり違っていて。初めて聞いたときは、亮を意味なく落胆させた。
そんな説明も今回で4度目で、門番に教えてもらった本屋もここが最後だ。
店員が首を横に振るのを見て、亮が割って入る。
「それじゃあ、ウィザードを知りませんか? たしか、動物の研究をしているらしいんですが」
店員は何も言わず首を振る。亮は失望感から、がっくりと肩を落とし。アレッサを連れて店を出た。
「これは、どうしたものか……」
途方に暮れ、店の前で立ち尽くしていると、店から男が1人出てくる。
「ちょっといいかな、さっきのウィザードの話しだけど……」
薄汚れた灰色のダブレットを着た、線の細い斜視の男で。本屋にいた先客だ。
どうやら店員との話しを聞き。2人を追って、店から出てきたらしい。
「始めの人はちょっとわからないけれど。動物の研究をしているのはステラかもしれない。彼女は合成獣の研究をしていた」
合成獣とは、生物を継ぎ接ぎして作り出す生物兵器の事。
亮はこれをキメラという呼び名で覚えていたが、この世界では違っていた。
「僕もウィザードだから、この街のウィザードなら皆知っているけど。獣に関係しているのは彼女しかいなかった」
亮たちの表情が目に見えて明るくなる。
「それで、その人は何処にいますか?」
「残念ながら今はザルパニにいないんだ。騎士団の要請を受けてセヴァーに行っている」
ウィザードは、亮が慌てて取り出した地図をのぞき込み。ザルパニから西に行った海辺の街を指さす。
「西海岸っていったら、エニグスが出るよね?」アレッサの声には、心なしか怯えが感じれれた。
「そのエニグスの研究に行っているのさ。なんでも、セヴァーにエニグスが出現する前に、騎士団に注進していたらしくてね。そのせいもあって、騎士団に協力しているみたいだ」
「エニグスを研究しているなら。探している人と別人でも、フランクさんとの繋がりがあるかもしれないな」
指を鳴らして、アレッサの頭を撫でる。
アレッサは少し不安げであったが「騎士団が抑えてくれているさ」となだめた。
「力になれたようで良かった。彼女の名前はステラ:カナカレデス、騎士団に聞けば直ぐにわかると思う」
「ありがとうございました」
2人は声を揃えて礼を言い。亮だけが深々と頭を下げた。
ウィザードが去ると、改めて地図を確認する。
ザルパニから川に沿って、西へ10日ほど街道を行った所にセヴァーの街はあった。おそらく馬車は出ているであろうが、それでも4日はかかるであろう。
2人ともまた馬車かと苦笑いを浮かべたが。10日歩くかと言われれば、遠慮したい。
ここでふと、先ほどのウィザードに魔法陣について聞いておくべきだと、思いついた。
すぐさま先ほどのウィザードを探したが、すでにその姿は見つからず。溜め息と共に、肩を落とす。
「どうかしたの?」
「いや、何でもない。買い物にいこうか」
馬車の有無を確認して、乗り場に近い宿で1泊することに。
また長い馬車の旅になる。せめて食事だけでも良いものにしようと、残った時間で食料を買い込んでおく。多少なりとも旅を快適にしようという、苦肉の策だ。
翌日は朝から雨が降っていた。
数日ぶりに鎧を着込んで、しかも4日間の馬車の旅かと思うと、亮は少々気分が落ち込んだが。
妙にテンションが高いアレッサに後ろから押されながら、宿を後にした。
亮がモタモタしたせいか、西門の馬車乗り場にたどり着いた時には、空が明るくなってから少し経っていた。
出遅れを取り戻すため走っていた2人は、広場に馬車が止まっているのが見え。安心して速度を落とす。
小雨が降る中、馬車の外に立つ御者にまだ空席があるか訪ねると。まだ亮達の他には2人しか客がいないのだという。
前回はこの時間にはもう埋まっていた気がしたので、驚く。
なんにせよ幸運であると、料金を払い。後部に張られた帆布の覆いをめくると、先客と目があった。
荷台の側面、向かい合うように作られた座席の奥に並んで座っている2人がいて。
奥に座っているのは、仕立ての良い純白のマントを着ている。フードで顔の半分はわからないが、居住まいからおそらく少年。それも、動きの端々から、育ちの良さが感じられる。
もう1人は、目立たない茶色のマントの大柄な男で。髪は短髪の黒。
座席の脇に銀鍔の長剣を立て掛け。甲冑を身に着けているようで、マントの中から微かな金属の軋みが聞こえる。
亮達に向けた視線にはこれといった感情は感じられなかったが。その瞳の奥に、グンナロに見た鋭い輝きが見て取れた。
亮達は先客に軽く挨拶をして、向かいに並んで座る。
荷物を整理していると、表で御者が誰かと話している声が聞こえ。旅人風の男が覆いをめくり、顔を覗かせた。
男は渋い顔でしばし考え込むと、馬車には乗らず立ち去ってしまう。
そこで亮は、こんな時間に馬車が空いている理由がひらめいた。この先客の存在が、先ほどのように客が乗ることを躊躇わせるのだ。
こんな乗り合い馬車に不釣り合いな少年と、その護衛と思える男。
明らかな厄介事の香りに。安全を信条としているであろう商人や旅人が、わざわざ相乗りはしないだろう。
では自分はどうだと、亮は自問する。
1日2日遅れようと、どうって事もないし。旅費にも、まだまだ余裕がある。反面、荒事には非常に弱い。
これは考えるまでもないと、既に寝る体勢に入っているアレッサを揺すり起こした時。新しい乗客が覆いから顔を出した。
馬車にいた全員が驚きに目を丸くし、息を飲んだ。それは人間ではなく、トカゲだったのだ。
全身を深緑の鱗で覆われた、人間とトカゲを掛け合わせたような種族。リザードマン。
かなりの猫背であるが、伸ばせば2メートルはありそうな巨体で。マントの隙間から鱗状の鎧スケイルアーマーを身に着けているのが見える。
リザードマンは。穂先に革のカバーをかけた、身の丈はありそうな黒塗りの槍を手に。荷台を盛大に軋ませ、乗り込んできた。
その存在は亮も本で見て知っていたが。本物の迫力というものは想像以上だ。
「初めて見た……」
「で、あろうな」
アレッサの呟きに、リザードマンは笑ったのか。大きな傷跡のついた口を歪ませる。彼は尻尾が邪魔をし座席に座れないのか、最後尾の中央に胡座をかいた。
「この辺りは人間しか住まぬ地であるし。元より、我等も旅をする習慣がない故な」
「じゃあ、トカゲさんは何で旅をしているの?」
アレッサは目を輝かせながら、身を乗り出して訪ね。そんな怖いもの知らずな様子を、亮はヒヤヒヤしながら見守る。
「放浪の証故」
リザードマンは右手の章印を見せる。それはアレッサと同じ若葉色。
「風の章印を持って産まれた者は。故郷を離れ、各地を巡る定め」
なるほど、やはり若葉色の章印は風だったかなどと、亮がぼんやり考えていると。急に馬車が動き出す。
リザードマンに気を取られていて、降りるタイミングを逃してしまったようだ。
もちろん、今からでも降りようと思えば間に合うであろうが。考えてみれば、なんとなく杞憂な気もしてきたので。まあ大丈夫だろうと、高をくくって。目をつぶり、揺れに身を任せた。
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