3 小悪魔

二人が酒場に戻った時には、すでに日が暮れて久しく。仕事終わりの男でいっぱいになった店内では、太った女将さんが慌ただしく走り回っていた。


女将さんはアレッサを見つけると肩を怒らせて詰め寄り。聞くに耐えない罵声を浴びせた。アレッサは反論する素振りを見せず。我慢しきれず口を開いた亮を、小さく裾を引いて止める。

そのまま酷く他人行儀な謝罪を女将さんにすると。亮にだけ笑顔を残して仕事についた。


亮は納得がいかなかったが、本人があの様子では他人が口出し出来るものではないので。もやもやと腑に落ちない気持ちを抱えて部屋に戻る。

それは旅の支度を整えてベッドに入ってからも続き。明日は旅立ちだというのに、なかなか寝付けなかった。


翌朝、夜明け前に目が覚めた。

ベッドに身を起こし、さてどうしたものかと思案を巡らせる。チェックアウトが必要かわからないが。どちらにしろ旅立つ前に、アレッサに挨拶をしていきたい。だが、この時間、酒場にアレッサがいるかどうかは分からない。


もう少し寝てしまおうかと、ベッドに横になった時。控えめに扉がノックされた。


「まだねてる?」アレッサだ。


これはちょうど良いと思い、亮が扉を開けると。そこに立つアレッサを見てしばし固まる。

アレッサは。いつものスモックの上に、明るい灰色のマントを着け。背中にはリュックを背負っていたのだ。


完全な旅装束姿で、おはようと挨拶をするアレッサに。亮も呆気にとられながら、かろうじておはようと返す。


「えっと、それで……」なんでそんな格好なのか。


亮がすべてを言い終わる前に。アレッサは、何を聞かれるか分かっていた。


「私もザルパニに行って。フランクさんのお友達から、フランクさんの事、聞こうと思って」指を組み。顔を赤らめ、もじもじと身体をよじる。「それで、あのね。一緒に行っても良い……かな」


亮は思わず片手で顔を覆う。目を潤ませ亮を見上げる少女は、一見天使のようだが、その実、小悪魔かもしれない。


「だめって言ったら、一人で行く気だろ……」


拒否権があるなら、こんなゲリラ的には来ないであろう。昨日の泉で、もう我慢をしないといったような事を話したのは、この事だったのかと納得。


「ザルパニで話しを聞いた後はどうするんだ?」


「それもちゃんと考えてあるよ。お金ももってるし」


そういって革の袋を開ける。中には数十枚の銅貨が入っていた。


旅が危険なものだとは分かっているし。自分の事もおぼつかない亮に、アレッサを守る余裕などない。

しかし、この場所がアレッサにとって良い場所なのかと言われればノーだといえる。

亮はため息とともに、観念する事にした。


「わかった、一緒に行こう」


「やったあ! ありがとう。駄目って言われたらどうしようって思ってたの。リョウさんはやっぱり優しい!」


無邪気に抱きつくアレッサに、ヤッパリ小悪魔かもしれないと。亮はもう一度、深いため息をついた。


東雲の淡い光に包まれた村に、微かな生活の音が響き。一日の始まりを感じさせる。

春も深まったようだが早朝はいまだ肌寒く、亮はマントをしっかり巻き付けた。

二人は井戸で水を汲むと。早々にテシュラへ続く林道へ入る。


「いいの?」


村を出て振り向きもしないアレッサに、亮が問いかけると。アレッサは前を向いたまま「別にいい」と、素っ気なく返す。


「伯父さん達に挨拶はしてきたの?」


「ん、してない。でもお手紙書いておいたから大丈夫」


なるほどそうかと納得しかけた亮は、店主が文盲であったことを思い出す。それは大丈夫なのかとアレッサを見れば、笑顔で鼻歌なんかを口ずさんでいた。

視線を感じたのか、アレッサは亮に悪戯っぽい笑顔を向ける。それは亮に、いずれこの女の子を持て余す予感をひしひしと感じさせた。


日が昇り。薄暗い林道を、木漏れ日のマーブル模様が覆い尽くしたころ。アレッサがリュックから黒パンを取りだし、四つに割ると。一つを亮に渡す。亮も代わりに干し肉を渡し、簡単な朝食にした。

アレッサは終始笑顔で、聞けばこの四年。ろくに村から出ていなそうだ。


「ロンベットでお隣に住んでた人が。今、テシュラに住んでて、何度か会いに行ってるのね。出かけたのは、その時だけ」アレッサはあっけらかんと語る。「行く度に一緒に住まないかって言われてたんだけど。アグオルの方がロンベットに近かったから、断ってたんだ」


アグオルとは、先程までいた村の名前だ。


「でも、ザルパニから帰ったら。その家に住ませてもらうよ」


話としてはわかる。だが、おとなしくテシュラに戻るというのを、素直に信じて良いものか判断しかねた。


太陽が頂点を過ぎた頃。林道が終わりをつげ、眼前に深緑の平原が広がる。

草の絨毯の上を風が走り。亮の髪を揺らした。

爽やかな風に、二人とも背伸びと深呼吸。

亮にとっては、久しぶりの森の外だったが。アレッサにとっても、森の外というのは珍しかった。


それから三時間ほど、低い丘の底を縫うように続く道を歩くと。小さな林の陰からテシュラの街が見えてきた。


それは、広い緑の海原に、ぽつんと灰色の船が浮かんでいるようだ。

石造りの高い外壁が町並みを隠し、微かに屋根が覗くのみで。内部にある、更に高い胸壁付きの壁だけが、はっきりと見えた。


アレッサの事を考えて、ゆっくり、かつ休みを多くとって歩いてきたのだが。平地の歩きやすさのおかげか、それとも、ただ単に近かっただけか。予想よりだいぶ早くついた。


二人が門の前までやってくると。おざなりに兜をかぶった門番が、門番小屋の中からやってきた。


「こんにちは」アレッサが笑顔で挨拶をする。


「こんにちは。アグオルからだね」


門番はアレッサの無邪気な笑顔に、おもわず頬をほころばせた。


「センテアのおばあちゃんの所に、お兄ちゃんと二人で行くの。今日はお兄ちゃんと宿屋に泊まるんだ」


アレッサは楽しくて仕方がないといった様子で語り。門番もつられて笑顔になる。


「そうかい。じゃあ良い所を教えてあげよう」


門番は小屋から街の地図を持ってくると、評判の良い宿屋を教えてくれた。


「嘘に迷いがないな……」門を抜けて市街地に入ると、亮がうめくように呟く。


「別に。なにを話すか考えておいただけだよ」


門を抜けた後はしばらくの間、3メートル程の陰気な薄暗い道がまっすぐ続く。北門はアグオル村へと続くだけなので、人通りは無い。


左右にそびえる煉瓦造りの三階建ては隙間無く建てられ。もし侵略者に門を突破されても、敵は直進しか出来ず。左右の窓から弓を射掛けられる。そんな様子が想像された。

外観といい、この街は戦に怯えている。亮はそんな印象をうけた。


200メートル程で広場に出た。

先程までの陰気さと打って変わって。日の差し込む広場には、石畳の代わりに色煉瓦でモザイク模様が描かれ。

昼寝をする男。赤ん坊を抱き、立ち話に興じる女性。走り回る子供。住人達が思い思いに午後のひとときを過ごしていた。


亮は住人達を見て、あることに気がつく。手袋をしている人間が多い。それも右手だけ。

それはアグオル村でも思ってはいたのだが。アグオルは、おそらく林業の村なので、手袋を日常的に着けていても違和感は薄かったのだ。


片手だけ着ける理由で連想できるのは章印であろう。確認する限り、手袋の無い手には章印がなかった。

手袋をしていない人も勿論いて。その人の右手には例外なく章印が刻まれていた。大人も子供も。果てには赤子の手にもそれはあり。章印を持たない亮は妙に不安になって。手袋の上から甲を撫でた。


手袋をつけ、章印を隠しているか。もしくは、章印が無い事を隠しているようにみえる。

アレッサにでも聞けば早いのだが。余り迂闊なことを言って、異世界人だと気付かれたくはなかった。


教えられた宿までは、20分ほどでたどり着き。亮はカウンターに座る。少々神経質のそうな、痩せぎすの男に声をかけた。


「すみません。部屋は空いていますか」


男は不思議そうに片眉をあげ、応える。


「空いていますよ。しかし、なんで今、謝られたんです?」


亮は一瞬、何のことを言われたのか分からず、首を傾げたが。すぐに理解した。


「ああ。失礼とか、お手を煩わせてすみませんとか。まぁ、そんな感じです……」


男は納得したように頷き、棚から宿帳を取り出した。


「お兄ちゃん。それは、アレッサの仕事だよ」


アレッサがあいだに割り込んだ。亮は、いつの間にか決まっていた担当者に、渋い顔をしながら場所を譲る。

文字が書けない亮より、手紙まで書けるようなアレッサの方が適任であろうが。不意打ちをされるのは、あまり好きではない。


アレッサは、背伸びをしてカウンターに乗り出すように記帳を済ませると。革袋から、銅貨を五枚取り出しカウンターに置く。


「ふた晩お願いします」


「一部屋?」亮が伺うように呟くと。


「お金が勿体無いでしょ」と、あきれ顔をみせる。


もちろん、相部屋でいいのかというのもあったが。気になったのは貨幣価値。ひと晩四半銀だから。

銅貨五枚は四半銀二枚。

どうやら、銅貨十枚で銀貨一枚の価値があるようだと、亮は理解する。


店主はしっかりした妹さんだと笑い。部屋の鍵を差し出す。

二人部屋は無いとの事なので、折り畳み式の簡易寝台を持ってきてくれるそうだ。


見た目に反して良い人のようで。門番のおすすめは馬鹿にならないと、亮はこの先の宿選びで参考にする事にした。

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