2 アレッサ:フェルランド
一応老人達に礼を言い。走り回っている、十歳ほどの女の子に声をかけた。
「ねぇ、ちょっと話しが聞きたいんだけど良いかな?」
「お話し……ですか?」
「ロンベットのウィザードについて聞きたいんだ」
ロンベットの名に、女の子の表情がわずかに曇り。亮は自分の無神経さに気がつき後悔した。
彼女はエニグスに追われて、この村に避難してきた身なのだ。
「フランクさんの事ですか。でも、どうして」
「聞きたい事があるんだよ。塔には、いなかったんでね」あまり余計な心配を与えないよう。大した用事ではないという感じを装う。
「ロンベットに行ったんですか!」アレッサは声を荒げた。
両手を胸の前でもみ絞り。瞳には期待と不安が入り混る。
「ひと月近く前だけどね。その人、どこに行ったのか知らないかな」
「それなら──」
アレッサの言葉は、カウンターから発せられた店主の怒号にかき消される。
話し込んでいた事を怒られ。アレッサは、あわてて亮に一言謝ると、小走りに仕事に戻っていった。
この忙しい時間帯では、話を聞けそうにないと悟った亮は。老人たちに振られたと笑われながら。明日にしようと、部屋に帰った。
夜も更け。亮はそろそろ寝ようかと、Tシャツに着替えていると。扉がノックされ「まだ起きていらっしゃいますか」と、澄んだ声が聞こえた。
扉を開けると、少しくすんだ白いスモックに着替えたアレッサが。不安げな表情を浮かべて立っている。
なにやら紙を持つその左手には、周囲の村人と同じ若葉色の章印が刻まれていた。
「夜分遅くにすみません。もっと早くに来たかったのですけど、時間がとれなくて」
「いや、いいんだよ。さっきは、忙しいところをごめんね」
年に似合わない丁寧な口振りに感心しながら部屋に招き入れ。アレッサに椅子を進めると、自分はベッドに腰掛けた。
「俺は亮 駿河。よろしく」
「アレッサ:フェルランドです」
アレッサは椅子に座ると、食い入るように身を乗り出す。
「ロンベットがどうなったか教えてくれませんか」
亮は慎重に言葉を選びながら。自分の知るロンベットの情景を伝えていった。
強く握った拳を膝に置き。黙って亮の話しを聴いていたアレッサだったが。不意にその頬を、一筋の雫が伝い。それを皮切りに、涙が堰を切ったようにあふれ出す。
アレッサは震える声でごめんなさいとだけ言い。うつむいて肩をふるわせる。亮はそんな頭を抱き寄せると。ブルネットの髪を優しく撫で続けた。
「落ち着いた?」
身を離し、表情をのぞき込むと。アレッサは小さくうなずく。
だいぶ落ち着いたようであったが。ロンベット村を愛していたであろう少女は、目に見えて落ち込んでいた。
亮は鞄から残っていたチョコレートを取り出した。
アレッサにあーんと口を開けるよう促し。素直なアレッサがそれに従うと。小さく割ったチョコレートを放り込む。
少しあって、見る見るうちにアレッサの表情が明るくなった。
「美味しい」
ため息まじりとも思えるつぶやきに、亮は満足げに微笑むと。残りを二つに分けて、一つをアレッサの手にのせ。もう一つを自分で食べる。
「せっかく美味しいものがあるんだ、泣いてちゃ味が分からなくて勿体ないよ」
「はい」
年相応のとびっきりの笑顔を見せ。アレッサは残りのチョコレートを頬張った。
「これってなんていうお菓子なんですか」
「チョコレート」
「すごく美味しいですね」
亮は、アレッサの幸せそうな笑顔を黙って眺めていた。そんな視線に気がついたアレッサが、顔を赤らめる。
「ごめんなさい。夢中になってしまって」取り繕うように姿勢をただすと、咳払いを一回。「リョウさんは、フランクさんにご用があるんでしたね」
「フランクさんっていうのも知らなかったんだけどね」ノートに書き写した魔法陣を見せる。「これについて話しが聞きたくて」
アレッサはそれをしばらく眺めて、なるほどと頷く。
妙に大人っぽいその仕草は、先程の子供っぽさを見た後では、何だか背伸びをしているようで可愛らしく思える。
「フランクさん── フランシス:スチュアートさんは、四年前のあの日の後。エニグスの正体を調べるといってどこかに行ってしまいました」
持っていた紙束は手紙で、それを亮に手渡す。
「はじめの一年ほどは、こうやって手紙もくれていたのですが。それも無くなってしまいましたので、どこにいるかはちょっと」
「そうか」そうそう上手いこと行くわけないかと。亮は首を掻いた。
そんな亮の様子に気がついたアレッサは、慌てて手を振り、言葉を続ける。
「あの、でも以前。フランクさんにザルパニという街に住んでる、お友達の話しを聞きました。名前は分からないですけど。何でも、動物のお勉強をなさっているとかで、ひょっとしたらそこに行っているかもしれません」
エニグスの事を調べるというのに、動物の研究者を訪ねるというのは。確かに頷ける話だ。
亮は次の目的地を、そのザルパニに決めた。
「ありがとう、行ってみるよ。すまないんだけど、そのザルパニまでどれくらいかかるかな?」
「ごめんなさい、しりません」
「そうか。まぁ、自分でなんとか調べてみるよ」
テシュラででも地図を買って、誰かに見てもらえば良いことだ。
教えてもらった事をノートにメモして鞄に戻す。その時、以前ロンベット村で手に入れた銀のネックレスのチェーンが指に触れ。何かを主張のするように、ロウソクの灯りをうけ煌めく。
亮にはそれが、故郷の香りに誘われて顔を出したように感じ。ネックレスを掴むと、持つべき人の手に握らせた。
「ロンベットで見つけたんだ。君が持ってた方が、それも喜ぶ」
「……ネスレイドの首飾り」アレッサはネックレスを胸に抱き、瞳を閉じる。「ありがとうございます」
祈るようなその姿は、優しい月明かりに照らされ。少女の中にいまだ眠る、美の片鱗を垣間見せた。
翌日。
亮が動き出したのは昼も近くなったころ。こちらの世界に来て初めての二度寝は、何とも言えず贅沢な行為に思えた。
空腹を感じ始めると、ベッドから這いだして。寝癖も直さず酒場に行く。
今日も酒場に客はおらず。指定席に陣取る老人達がいるのみだ。
できる限り距離をとって席に着くと。アレッサが小走りでやってきて「昨晩はどうも」と、はにかんだ。
昨日と同じ、黒パンとスープを黙って食べ。頭陀袋を手に買い物に出かける。
村を出るにあたって、魔物との遭遇を考えて武器が欲しかった。
しかし。村外れに建つ鍛冶屋まで行ったが、剣や槍の需要などなく。主に木こりの斧や、鉈ぐらいしかないそうで。これもテシュラで買うことになった。
次に、雑貨屋にまた行き。保存食を買おうと思ったが。テシュラまで一日ほどの距離らしく。手持ちの食料で事足りると気付き。結局、木皿と木さじを買って、店を出る。
帰り際に、さくらんぼに似た果物を売る女性を見つけ。ビタミンC不足を感じていた亮は、これ幸いと、四半銅分購入。結局、今日の買い物はその三つだけで。宿にもどった。
酒場の入り口をくぐった瞬間。「返して!」と、悲鳴にも似たアレッサの叫びが響く。
途端、アレッサが、店主の手から銀のネックレスをもぎ取り。亮の脇を駆け抜け、表に飛び出していった。
そのただならぬ雰囲気に、店主の罵声を背後に聞きながら。すぐさま亮も、アレッサの後を追った。
だが、慣れない土地ではすぐに見失ってしまい。やっとのことで見つけだした時には、すでに日暮れが近くなっていた。
アレッサは、村からほど近い、木々の間に細々と湧き出る小さな泉のほとりで、一人座っていた。
手には銀のネックレスが握られ。その表面を愛おしそうに撫でながら、食い入るように見つめている。
「おっす」軽く頭に触れ、隣に腰を下ろす。
アレッサは何も言わず。亮は出会ってろくに時間もたっていない少女の事情に首を突っ込んでいいのか判断がしきれず、黙って水面を眺めた。
泉は空の色を映し、その色を徐々に茜に染めていく。
「村で一年に一回。ネスレイド様に感謝するお祭りをやってたんだ」
不意にアレッサが。ネックレスから目を離さず、誰にともなく呟く。
そのしゃべり方は、亮が知る大人びた丁寧なしゃべり方ではなく。年相応の少女のものだった。
「海に舞台を作って、ネスレイド様とヴェヴィナの戦いの劇をやるの」
まるでそこに舞台があるかのように、泉の水面に遠い視線を送り。もう帰らぬ日の情景を思い出す。
「いつもお隣のお姉ちゃんがネスレイド役で。海みたいに真っ青なマントと、このネックレス着けて……すっごく綺麗で、格好良くてね。私も大きくなったら絶対やるんだって、ずっと思ってたんだ」
膝を抱き、顔を埋める。
「わたし、大きくなったのに」
なんでと、今にも泣き出しそうな声に。思わず亮は、震える小さな肩を抱きよせ。そんな自分に驚く。
「フランシスさんを見つけてくる。そしてエニグスを何とかすれば、村も元通りになるさ」
無理な話だと分かっていたが。それでもそう声をかけてやらなければ。この細い身体が、ガラスのように砕け散ってしまうように感じた。
「リョウさん、優しいな」アレッサが顔をあげる。その顔にはもう涙はなかった。
「そんなことないよ」
「優しいよ。じゃなかったら、会ったばっかりの私にここまでしてくれないもん」
「それは、あれだよ。旅を初めて、人のありがたみに気づいたっていうか」照れ隠しに首を掻きながら、理由を引っ張り出す。
「そもそも、俺が現れなければ。君をここまで落ち込ませる事はなかった訳だしね」
「そういうの気にしてくれてる時点で優しいと思う」
微笑みと共にそういわれては。亮には何も言い返せず、ばつが悪そうに小枝をいじる。
「それに、リョウさんに会わなかったら。私は伯父さんの所で、ずっと我慢してたと思う」
亮にはその言葉の意味するところが理解できず。ただ黙って聞いた。沈黙に耐えかねて。頭陀袋から、先程買った果物を皿に乗せて取り出す。
「食べる?」
「スリーズ大好き。リョウさんはいつも美味しいもの持ってるんだね」
日が落ち、泉のほとりは気温がぐっと下がってきた。アレッサは身を震わせ「そろそろ戻ろう」と立ち上がる。
「大丈夫?」
「はい、もう大丈夫です」
その表情は何か吹っ切れたようにはればれとし。口調も以前のものに戻った。
「でも、店まで手をつないでもらっていいですか?」
亮が手を差し出すと、アレッサは飛びつくようにその手を取った。
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