第3章

1 アグオル村

息を切らせて、雑に造られた林道を走る。完全に早まったらしく、いくら走れども森が続くだけで、何かにたどり着く気配がない。

いつしか速度も落ちて、ほとんど歩くほどになったが。それでも道が続く限りはと、歩みを止めずに二時間ほど行くと、ようやく開けた所に出た。


そこには、森を切り開いたであろう空間に、ややくたびれた木造の家が点在していた。

いくつかの家で、脇に立つ煙突から煙があがり。家畜の飼われた柵の中では、山羊がのそのそと動き回っている。

なにより、緑のスモックを着た青年が一人。庭先で薪を割っているのが見えた。


それは、ただの寂れた村だったが。待ち望んでいた、人間の暮らしの臭いに、亮は思わず叫び出しそうだった。


雑に作られた木の柵の隙間から、老齢の山羊が顔を出し。亮に向かって物欲しげに鳴く。亮は上機嫌でその鼻先を撫でると。息を整えて、薪を割る青年に近付いた。


「あの、すみません。この村に宿はありますか?」


青年は、ああそれならと背筋を伸ばすと、木の影に微かに見える建物を手にした鉈で指し示した。その手には若葉色の章印が刻まれているのが、ちらりと見える。


「酒場で部屋も貸してるよ」


「ありがとう」


教えてもらった建物は平屋で、宿に使えるスペースがあるようには見えなかったが。

酒場ではあるようで、少し緊張しながら中へと向かう。

軋むおんぼろ扉を開け、中に足を踏み入れと。充満する酒の臭いと、何かが発酵したような臭いに顔をしかめた。


中には先客が少々。老人が三人、部屋の隅のテーブルでゲームに興じているだけだ。


意外に思えるほど綺麗に拭かれたテーブルの間をすり抜けて、細かい傷がついた飾り気のないカウンターに近づき。茶色いダブレットをきた、赤ら顔の太った店主に話しかけた。


「部屋を借りられると聞いたんですが?」


「ああ、裏の離れを貸してますよ」


「おいくらですか?」


店主が一瞬、怪訝そうな顔をした。だがそれも一瞬の事ですぐに張り付けたような笑顔にもどる。


「一日、クォーター銀二枚です」


亮はコインの入った革袋をあさるふりをして、しばらく考えると。

大きい銀貨を一枚、カウンターに置く。


「二日でよろしいんで?」


クォーターとは、そのまま四分の一の事のようだ。

おそらく、小さい硬貨四枚で大きい硬貨一枚に相当するのだろう。


「はい、お願いします」


店主がカウンターの下から、ぼろぼろの羊皮紙束を取り出す。


「では記帳をお願いします」


予想外の事態に、亮は焦った。


「……俺、字が書けないんですけど」


「私もです」


沈黙がしばし。


「え、じゃあ何で書かせるんですか?」


「領主のお達しでして」


宿帳に書かれた名前を見れば。どれも同じ名前が書かれているらしく。

おそらく、皆、すでに書かれた名前を、見よう見まねで書き写したのだろう。


あまりの無意味さに、内心苦笑しながら。どうせ読めないと思い。ちょっとした悪戯心から、日本語で駿河亮と書いた。

これで、今日から駿河亮が連続で泊まるはずだ。


「おい、お客さんをお連れしろ」


店主が鍵を差し出しながら言った。

一瞬、亮は自分に言っているのかと思ったが。すぐに、いつの間にか後ろに立っていた女の子に言ったのだとわかった。


女の子の案内でつれてこられた、酒場の裏手にある大きな離れは。細長い平屋で。

扉の並ぶその姿から。映画で見た、アメリカのモーテルを思わせた。


「ねぇ、風呂はあるかな?」部屋を教え、立ち去ろうとする女の子を呼び止める。


「はい、あまり使っていませんけど」鈴が鳴るような、良く通る可愛い声だった。


「店主にお願いすれば良いかな……。ああそうだ石鹸も欲しいんだ。どこかに売ってる?」


女の子に雑貨屋を教えてもらい、礼を言うと。鍵を開けて部屋に入った。


部屋はベッドと小さなテーブルがあるだけの質素な作りで。

ベッドは藁をシーツでくるんだだけの代物だったが。ひと月近く野宿だった亮には、天井があり四方もしっかり囲まれたこの空間が、天国のような場所に思えた。


マントとコートを椅子に投げると、荷物を床に下ろし。ベッドに腰を下ろそうかというところで止まる。このまま座ると、しばらく立てそうにない。精神的に。


まだやっておかなければならない事も多く。後ろ髪を引かれながらも、貴重品を持って部屋を出た。


その足で酒場の店主の所に戻り。浴室を使いたい旨を伝える。

女の子から話が通っていたようで、亮の好きな時間に用意してくれるようだ。とりあえず夕方ということにして、料金の四半銅を二枚渡しておく。


酒場を出て今度は雑貨屋へ、その道すがら必要な物を考える。石鹸、コンパス、地図だろうか。

それと手袋もほしい。

立木や藪をかき分ける時や、薪を集める時。魚を捕る時など。中々活躍してくれたのだ。しかし、今しているウールの手袋では、季節的に暑苦しいし。なにより、ぼろぼろだった。


村に唯一の雑貨屋は予想以上に雑多な品物を取り扱っていたが。コンパスと地図だけは取り扱っおらず。

地図は高くて仕入れていないようで。需要も無さそうだし、頷ける話だったが。

コンパスにいたっては。話を聞く限り、知っている様子もなかったので。存在からして怪しい。


仕方がなく石鹸と、革の手袋を買い。目についた、大きめのタオルも買うと。店を後にした。


表に出ると、さっそく手袋を交換。ぴったりの物を探したのだが、いささかぴったり過ぎたらしい。

つっぱる感覚が気持ち悪いが。革を伸ばして手に馴染ませるために、しばらくつけておく事にした。


やるべきことを終え、宿に戻る。今度こそ思う存分ベッドに横になった。少しちくちくしたが、いまさら、大して気にはならない。

疲労からすぐさま眠気が襲ってきて。気がつけば表は夕焼けに染まっていた。控えめなノックと「お客様」という、か細い声が扉から聞こえる。


「ああ、すみません。少し眠ってました」


「お邪魔してすみません。お湯の準備ができましたので」


「すぐ行きます」


テーブルに置いてあった、石鹸とタオルを手にとって。鞄から着替えを出す。

あいにくズボンの替えは無いので、これをまたはく。下着は、シーツを切った布を下着代わりにしていたので。それを持って部屋をでた。


宿屋の浴槽は樽みたいな形で少々入りづらかったが。久々の暖かい風呂は、まさに命の洗濯と言える気持ちよさで。気を抜けば寝てしまいそうだ。


浴室の天井を見上げながら、こちらに来てからの事を振り返ると。

最初の塔の場面の時点で「あっ」っと、声をあげ。すっかり忘れていた旅の目的を思い出す。

塔の魔法使いを探しているんだった。


風呂からあがると急いで髪を乾かし。酒場にくり出した。

店は、日中と違って盛況で、酒場には仕事帰りの屈強な男達が溢れかえっている。その間を、女の子が忙しそうに走り回っていた。


亮は空いている席に座り。女の子に食べ物をたのんだ。

運ばれてきたのは、ぼそぼそする黒パンに、キャベツと豚肉のスープ。

実際は、キャベツっぽい葉野菜と、豚のような肉のスープだが。そっくりだったので、そのものだと思うことにする。ちなみに味はかなりの薄味だった。


食事を終えても、そのまましばらく喧噪を眺め。話を聞きやすそうな人を探した。

男達はもれなく酒が回っており。丸太のような腕の酔っ払いを相手にするのは、極力避けたい。


店の隅に、日中も見た三人の老人がいまだに座っているのを見つけ。いつもいるのであれば噂にも明るいのではと思い至った。

酒も飲まずに長く居座ると、それだけで絡まれかねないので。即行動する。


「こんばんは」


テーブルで、ビール片手にチェスだか何だかに興じている老人達に近づき。観戦に回っている一人に、できる限り穏やかに声をかける。

だが、応えたのは話しかけた老人ではなく。プレイをしている一人だった。


「そいつは耳が遠くてな。この騒ぎじゃ聞こえんよ」


「そうですか、ゲーム中すみません。少しお話を聞きたいのですが」


「あんた。昼間、宿をとった人だね」


亮がうなずくと、二人の老人がにやりと笑った。


「見事にぼられたなお若いの。キルク領内での宿泊費はクォーター銀一枚と定められとるぞ」


あの時の店主の顔はそういうことかと、納得。苦笑いを浮かべて、頭を掻いた。


「旅には慣れとらんようだね」隣の老人が言う。


「はい、恥ずかしながら」


一言ことわって、椅子に座る。


「どうしても逢いたい人がいまして」


これかと小指を立てて、二人が下品な笑い声をあげた。耳が遠いという老人も、少しおくれて何故か笑いだす。

亮は、とりあっても仕方がないと。無視して話を進めた。


「ここから北西に四、五日いった海岸の村はわかりますか?」


「ここいらの漁村といったらロンベットしか無いね」


「すみません、名前はちょっと。でも、石造りの塔があります」


「ならロンベットじゃろう。ウィザードが住んでおった」


ウィザード。

魔術師を表すその言葉に。亮の表情が明るくなった。だがウィザードという口調に微かな嫌悪を感じたのが、少し気になる。


「そのウィザードを探しているんです。ロンベットはどうなったんですか?」


老人は「それはの……」と、歯切れが悪くつぶやき。意味ありげに、空になったジョッキをさする。

亮は給仕に走る女の子を呼び止め。四半銅硬貨を六枚渡してビールを頼んだ。ビールが運ばれてくると、老人は一口あおり。髭についた泡を拭う。


「いや、すまんの若いの」


「いえ。それでロンベットはどうなったんです?」


「あの村は四年前にエニグスに襲われてな。その時には、大勢が何も持たずに逃げてきた。泉や木の実が無い、あの森をぬけてな。なんとも悲惨な話だよ」目をふせると、またビールをあおる。「その中に両親を失った女の子がいてな。ちょうどこの村に親戚が住んでおって、それ以来この村でくらしているんだが」


嫌な予感に亮の口元に思わず笑みがこぼれる。


「ほれ。そこを走り回っとるアレッサがそうだ」


亮がまたしても苦笑いを浮かべるのを見て「人生とは勉強の連続だな」と、ジョッキに残ったビールを飲み干した。

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