第2章 

1 異界の深き森

春の日差しを受けるため、森の木々たちはその枝を伸ばし、葉を茂らせる。それは、天を覆う傘になって。森の地表は、昼間であっても薄暗い。

そんな中で、木が倒れたのか、時折存在する開けた場所には。日の光に飢えた草花が、競い合うように繁茂し、小さな花園を作り出しては、亮の目を楽しませてくれる。


歩き始めてしばらくすると、亮は服を減らした事を後悔しはじめた。

日差しが無いため気温が若干低く、肌寒い。しかし、全身に荷物身につけているため、一度にすべてを下ろさなければ着替えなど出来ず。その後、持ち直すのも一苦労だ。


だが、我慢して進んでいると、すぐにそんな事も考えなくなった。

重い荷物が肩に食い込み、シクシクと痛む。手にしたコンビニ袋を、枝に引っかけて破かないように注意し。ポットの水もこぼさぬように気を配る。

そんな事をしていれば、すぐさま息があがり。汗が噴き出す。


それでもペースを落とす訳にはいかなかった。

村を出た時には、既に太陽は頂点からだいぶ傾いていたので、日の入りもそうは遠くない。あの化け物がどれほど海岸線から離れるか分からない状況にあっては。日が無くなる前に、出来るだけ海からは離れておきたかった。


時々開けた所で立ち止まって、木々の隙間から山を探して方向を確認する。

そんな時、空腹を感じ、昼に何も食べていない事に気付いた。気軽に火を起こす事は出来ないので、ポットの水で喉を潤すと。枝にコンビニ袋を引っかけ、ポケットのスルメをかじって我慢する。

朝食を作る時は、昼の分も一緒に、と心に刻んで。また歩き出した。


必死に歩いたので、距離も時間も分からなかったが。隙間から見える空が、あかね色に染まってきたので、野営する場所を探す。

最近倒れたであろう倒木を見つけ、あまり下草もなく、開けたその場所を野営地に決めた。


枝にコンビニ袋を引っかけ。重い荷物を地面に下ろすと、ほっと息をついて肩を回した。

斧を手に取り、日のある内に薪を集める。立ち枯れの木でもあれば良いのだが、落ちている枯れ枝をあるだけ持って行った。

なれない手つきで焚き付けを作ると、今回は3回目で火が着いた。


森の中に夜が訪れるのは予想より早く、火が落ち着いた頃には、周囲は真っ暗になっていた。

鍋にコンビニ袋の水とカブを入れ火にかける。

少し冷えてきたのでコートを着ると、ロウソクに火を着けて、もう少し薪を集めに出る。


森を包む闇の中では、ロウソクの火などちっぽけで。光がすべて闇に吸収されていく気がする。

僅かな物音にもビクビクしながら、いくつかの薪を集ると。早々に焚き火に戻った。


火の側で小さくなって。家というものが、いかに安心を与えてくれていたか、身を持って感じる。

深い闇の中から何かに見つめられている気がして、何度か振り返り。

遠くに、あの子犬の鳴き声が聞こえた気がして、斧を手元にたぐり寄せ。気のせいだと、何度も心の中で唱えた。


夜に動き出す動物も多い、それに化け物だってあいつ以外にもいるはずだ。そんな嫌な想像を巡らせては、頭を振って追い払う。


食欲など無かったが。カブを無理矢理、胃に流し込んで。マントにくるまると、さっさと寝てしまおうと横になったが。やはり眠る事など出来ない。

焚き火を見つめながら、自分の弱さを、そして独りの心細さを痛烈に感じ。膝を抱き、家族や友人達の事を思い出す。こちらに来て初めて、純粋に帰りたいと心から思った。


朝が来て、小鳥達が朝の歌を歌い始めると、亮もゆっくりと身を起こした。結局、ほとんど眠る事は出来なかった。

若いので、あまり体に疲れは残っていなかったが、精神はそうも行かない。表情に覇気は無く、行動も淡々としている。


少し多めにカブを茹でると、数個を残して平らげ。出発の準備を始めた。

まず、シーツは肩に当たる面を広くして、負担を減らす。

ポットの水はだいぶ飲んだので、ペットボトルの水を足すが。あまり沢山は入れないで、多少雑に扱ってもこぼれない量にとどめる。

最後に、鍋のお湯が冷めるのを待って、カブごとコンビニ袋に流し込む。これなら昼に芋を取り出すのが簡単でいい。冷めるのを待つのは時間が掛かり過ぎるので、次からは夜に1日分茹でてしまう事にした。


変わり映えしない景色に二日目は新鮮さは無かったが。野兎の姿をたまに見つけ、異世界にあっても、まったく変わらぬその姿に感動する。


それでも足取りは遅く、一歩一歩は重たい。日暮れまで歩けば一応、昨日より進んだと思われた。

歩いた時間が長かったのだから、当たり前なのだが。午後から空が曇って、山が見えなくなったので、方向が定かではないから確実とは言えないのだ。


コンビニ袋の水で明日1日分のカブを茹でたら、シーツの中身はだいぶ心許なくなり。

ポットの水を注ぎ足したら、ペットボトルも空になって。ポットの水をペットボトルに移し替えて、ポットは鞄に仕舞い、持ちやすいペットボトルを持って行くことにする。

二日目を終えた時点で、荷物の重量は半分近くまで減ってしまっていた。


三日目の朝になっても天候は良くならず、前日に付けた目印の方へと向かって歩き出す。荷物は減っているが、疲労からか進む速度は変わらない。

悪化していないだけましといえるが。そんな亮に追い打ちをかけるかのように、厚く広がる灰色の雲から、シトシトと霧雨が落ちてきた。


亮は舌打ちをうつと。荷物を一旦置いて、コートを着る。シーツと鞄を担ぐと、その上からマントを羽織った。


纏わりつく様な雨は、止む気配を見せず。その降水量では、鍋に溜めたとしても微々たるものだろう。

亮はいよいよもって不機嫌になって、顔に張り付く前髪をペットボトルを持ったまま雑に払う。だが、歩きながらそれをやったのは不味かった。

コンビニ袋を持った手の注意を怠り、枝に引っかけて破いてしまい。途端に穴から水が流れ落ちる。


「クソッ!!」


悪態をついて元凶の立木を蹴飛ばす。コンビニ袋の水は煮炊きに使っていた物で飲料水ではなかったが。それでも損失は痛い。


気を取り直して歩き出したが、小一時間進んだ所で心が折れ。今日はここまでと、野営地を探す。

周囲より一回り大きな木を見つけ、その根本に荷物を下ろした。

木の下といっても、水滴は落ちてくるので、長い枝を拾ってきて、シーツを被せて簡単なテントを作ると。焚き火を守るぐらいはできそうではある。


次に薪を集めだすが。当たり前の事だが、落ちている枯れ枝は例外なく雨に濡れていて、火が着きそうにはない。

運よく見つけた立ち枯れた枝を切り落として、周囲を削り、乾いた薪にしてそれを燃やす。濡れた枯れ枝は燃えにくかったが、炎が燃えていてば、多少濡れてても燃えてくれた。


火が出来たのでお湯を沸かそうとするが、真水がほとんど無い事を思い出す。

仕方がないので、カブは枝に刺して火にくべ。

残しておいた紅茶のペットボトルを遂に開け、一口飲むと。久々の糖分に感動を覚えた。


夜の帳が辺りを包み。目には霧雨をとらえる事が出来なくなった。


水滴が良く落ちる所に鍋を置き、カブが焼けるのを待つ間。こんな夜には動物達も大人しいのか、いつもの視線を感じる事もなく。鍋の底を水滴が叩く音が、やけに大きく響いて聞こえた。


気が付けば少し寝ていたらしい。焚き火の炎は酷く小さくなっていて、眠気眼で薪を足す。

すると、先程まで五月蠅い程だった、鍋を打つ音が聞こえない事に気が付いた。

辺りを見渡せば、淡い光の柱が所々で見受けられ。それは、森の中に降り注ぐ月の光。雨上がりの澄んだ空気の中、草花に着いた水滴は。月光を受け、まるで宝石の様に煌めいていた。


誘われるように、光の中に歩み出ると。満天の星空が亮を迎える。都会では決して見られない、その光景の中に四つの月が浮かんでいた。


「なんか増えてるし!!」


星空の下、亮は独り疲れるまで笑い転げた。


そのまま草むらに横になる。水滴で服が濡れたが、どうせ殆どずぶ濡れだ。

見上げる月の配置が先程と少し異なっていて、一つの月が、残りを置いて先行していた。公転速度がやけに早い月があるのかと納得する。


少しだけ元気が出たので、焚き火に戻って、表面が既に炭化しているカブをかじる。焼き過ぎだろうが、食糧が貴重になってきたので、無駄にはできない。


食事を済ませたら、次は濡れた服を着替える。鞄の中の物は濡れずに済んでいて、乾いた服を取り出す。Tシャツの上から、塔から持ってきたシャツを着たが、流石に少し肌寒い。

ずぶ濡れの服よりかは遙かにましだったが、コートもマントも無い夜は堪えるし。濡れ髪が夜風で冷えて、どうしようもない。


焚き火の火を大きくしようと、ロウソクと斧を持って薪を探しに出た。

木々の切れ目から、目印にしていた山の姿を久々に確認する。月明りに照らされた山は最後に見たときより幾分大きく見え、その形が少し変わった様に思えた。よく見れば、山の奥にある別の山が見え始めたので、陰影の解りづらい夜には一つの山に見え。形が変わった様に見えたのだと解り。

山が右に現れた事から、自分が山の正面より右によっていると気づいた。それが初めからそうだったのか、歩きながらそうなったのは分からない。


寒さに震えながら立ち枯れの枝を探していると。木の枝ばかりを見上げていた視界に、不意に何かの陰が掠める。

それは高さ5メートル程の、金属光沢のある黒い石で出来た碑だった。夜間でなおかつ黒いその表面に書かれた文字は、ほとんど確認すら出来ない。


突然の人工物に周囲に人でもいないかと目を凝らすが、自分の起こした焚き火以外は灯りは見えず。

石碑に蔦が纏わりついてる事から、長らく人の手が入っていないと思われ、近くに人家を期待できない。


一応気にはなるので、日が昇ってから改めて調べに行くと。

表面の文字は風化していて殆ど判断もつかない。夜に感じたとおり、見渡しても周囲に人家の気配は無く。この石碑は人々に忘れ去られていると感じた。

文字がどことなく魔法陣に書かれていたものと似ていると思え、ノートに読める所の文字を書き写しておく。

しかし出来上がったものを見ると、塔の本にあった文字とはまた少し違う言語のようだった。


ノートをしまうと、気持ちも新たに、亮は歩き出した。一時間程で森の様子が少し変わり。森である事には変わらないが、起伏が出てきて。登り下りが多くなる。

それは、3日間歩き続けていた亮の足にとって、大きな負担となった。歩く意志はあっても、身体が言うことを聞かず。休憩す頻度も増えたため、ペースが大幅に落ちる。


昼食のため休憩を取った際に食料をチェックすると、残っているカブは二個だけになっていた。もうかさ張る事も無いので、ビニール袋に入れてカバンに入れる。

落ち込んだ心を奮い立たせようと。残しておいたチョコレートを取り出し、かじった。


ただひたすらに歩きながら、亮は死を感じていた。集落で化け物に襲われていた時の、向き合って抗える死ではなく。歩きながら、徐々に後ろから死が迫ってきているかの様な感覚。


まるで亮は、背後から来る死神から逃げるため。救いのない旅路を進み続けているかのようだった。

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