4 異世界の日

眩しさを覚えて、亮は目を覚ました。

目を細め振り返ると、光取りの小窓から差し込む日の光が、ちょうど顔に当たっていた。


ややあって、いつの間にか眠っていた事に気付き、飛び起きる。扉が最後に見たままに閉じられているのを見て、安堵の息を吐いた。日が落ちて現れた化け物は、日の出と共に海に戻ったようだ。


一応、格子窓や溶かした穴から部屋の様子を確認してから、バリケードを外す。

振り返り扉の表面を見れば。一晩中引っ掻かれた続けた無数の傷で、表面がむらなく毛羽立ってた。

ありがたい事に、あの化け物はそんなに力は無いらしい。


昨日から何も食べていなかったため、空腹で仕方がなかった。3階まで上り、炭酸飲料の残りを全て飲み干し。コンビニ袋から、ポテトチップスとスナック菓子を取り出し、食べ始める。


携帯を開いて時間を見れば、既に12時を過ぎている。

時計が正確ではないだろうが、こちらに来てから1日近く経っているのは確かだ。


2袋は、あっという間に平らげ。更にスルメいかを取り出し、昨晩の化け物を思い出しながらゲソを1本くわえた。

こういった珍味。いわゆる酒のつまみが好物だったりする。

散々、漁師の呑み会に紛れ込んでは、失敬していた事をふと思い出す。それでもって、食糧も飲料水も、手持ちは今あるこれだけだと気付いた。


若干の焦りを持って窓から集落を見渡す。小さいとはいえ、人々が暮らしていたのだ。水原が無いはずがない。どこかに井戸でもあるはずで、飲料水はそれを見つければ大丈夫であろう。

問題は食糧だ。漁師の家があったので漁村であろうから、何処かに釣具や舟があるかもしれない。

亮自身、釣り程度であればこなせるが。海にあの化け物がいると思うと、あまり近付きたくないというのが正直なところ。


釣り針にあの化け物がかかるのを想像して。イカをくわえながら、いくらイカっぽくても、流石にあの化け物は喰いたくないと小さく唸る。


集落のまだ行っていない家を数えると、鞄の中身をベッド上にひっくり返す。

舞い上がる埃に顔をしかめながら、空になった鞄に、鉄を溶かす薬と空のペットボトル、コンビニ袋だけを入れて肩にかけた。


どうせ夜には表に居られないのだから早めに集落の探索を済ませて、夜にはこの塔を調べようと心に決め。ポケットに残りのイカを詰めこむと、斧を担いで階段を下りていく。

道すがらの森では。昨晩の教訓を生かして、藪や立木を斧で切り倒し簡単な道を造っておく。


集落に着くなり、昨日最後に調べた建物へとまっすぐ向かって。恐る恐る、化け物に襲われた地下室をのぞき込んだが、流石に何も居なかった。

確認したことで、多少は安心して歩き回れるというものだ。


いまだ調べていない建物は2軒だけであり、その1軒目は半ば倒壊した小屋で、森に埋もれるように建てられていた。

中をのぞき込むと、ポツンと井戸が設置されていた。海辺なので、出来る限り海から離して、風雨や塩害を防ぐ意味合いでもあるのだろう。


井戸は分厚い木の板で蓋がされており、脇の木箱にロープと手桶が収められていた。

今はない屋根や、木々が雨風から守っていたのか、風化もあまり進んでおらず、十分使用に足る状態だ。


蓋を1枚ずらしてのぞき込むと。ライトで照らされた水は、井戸の底が見えるほど澄んだ水を湛えているのが見えた。

亮は、一見澄み切ってはいるが、この長らく使われていない井戸の水はそのままでは飲めない可能性があると感じた。うろ覚えではあるが、テレビというものは意外と知識を与えてくれるものである。古井戸の再生番組を見ておいてよかったと思う。


手桶を下ろして水を汲み上げ、そのまま足元に溢した。これを井戸の中が空っぽになるまで繰り返す。

これでこの後湧き出る水は新鮮な物になるだろう。


それを待つ間、残る建物を調べに行く。

最後の1軒は大きさ的に小屋と言われるべき規模で、集落のもっとも外れに位置し。塔の上から見た時にはほとんど隠れて見えないほど、森に隠れて建っていた。


この小屋は農具の物置みたいな物で。中にある農具は例外なく錆色に染まっていたが。

近くの森の中に小さな畑を見つけた。


草花が好き放題に生えた畑は、どれが野菜なのか見当もつかない。

手あたり次第に引き抜くと、一つ、根っこが薄紫色で丸く膨らんだ。少し小さいが、どことなくカブのような姿で食べられそうに思るものを見つける。

近場にもう2本ばかしカブに似た草を見つけはしたが、結局それ以上は見つからず。

気候は春なのだから、実の1つや2つなっていてもおかしくはないのだが、不思議なことに畑にも周囲の木々にも。それらしい物は一つも付いていなかった。


諦めて、亮は中腰を続けて固まった背筋を伸ばし、拳で腰を二回叩くと。カブをビニール袋に入れて井戸の所まで運んで行った。


井戸端に荷物を下ろして時間を見ると、3時を過ぎた所で。思い出したように、ポケットのゲソを1本くわえる。

涼しい井戸端の木陰で暫し休みながら、次にするべき事を考えた。

水、食糧共に一応の確保はできたが、それが一時しのぎであるのは明白で。この世界で今後どうすればいいかは、まったく見当も付かない状況だった。


明確な目標は無いが、とりあえずはどこか人のいる場所へと向かわなければならない。


とにかく、今はできる事などたかが知れていると。野菜の土も全て洗い流し。水を汲めるだけ汲んで、塔に戻った頃にはもう日が傾き始めていた。


3階で荷物を下ろすと。暖炉の側の木箱を開けてみて、中身が空っぽである事を確認し、2つとも一階に運ぶ。

次に、表から手頃な石をいくつも拾ってきては、2階への階段下に集め。1階の細かな残骸も目に付くものは、同じように集めた。


昨晩と同じようにバリケードで塞ぎ。今回は更に、扉を塞ぐように木箱を置く。その空の木箱に、先ほど拾ってきた石を詰めることでバリケードを補強した。この状況であれば、5、6匹が集まろうとビクともしないだろう。


ここまでやって安心すると、木材と空腹を抱えて、3階へと戻った。

暖炉前にしゃがみ込み、木材を斧で細かくして薪にし、並べる。2階にあった紙をほぐして細かな繊維にすると、勘で作った焚き付けが出来あがった。


ああ、忘れていたと小さくぼやき。ダメ元で暖炉の側をあさる。

塔の主が魔法で火を起こしていたらと心配したが。運よく、暖炉の脇で火打ち金を見つける事が出来た。


しかし、ここからが問題だった。火打ち金の扱いが難しく、暖炉に火を灯すことが出来たのは、窓の外が暗くなり、星が瞬き始めたころだった。

やっとのことで出来た小さな火種に、亮はパチンと指を鳴らすと、消さないように注意して、慎重に薪を足していく。

紙と一緒に2階から持ってきたロウソクに火を灯し、光源も確保できた。


痛くなった指を休ませるついでに、窓によって海を眺める。

月明かりに照らされ、ポツリポツリと海から上がる陰を確認すると少し顔をしかめた。


火が落ち着いたら、火かき棒でならし。初めから暖炉に置かれていた小さなポットと鍋に水を入れて置いた。

そのまましばらく、揺れる炎の舞を見つめながら、薪が爆ぜる音に耳を傾ける。


そんな落ち着いた時間も一瞬のことで、表から聞こえる子犬のような鳴き声に邪魔され。唸りながら、頭を掻きむしる。

肩を怒らせ、全ての窓を閉めると、やっと声も聞こえなくなった。


お湯が沸くまでの間に、この部屋でも調べるかとロウソクを手にし、手始めに机の引き出しを開けていく。

だが、期待を裏切り、引き出しの中にはろくな物がはいっていない。クローゼットには、茶色い麻のマントが入っているだけで、がらんとしており。タンスの中も、ごっそりと衣類が抜き取られた跡があった。


見知らぬ薬品を除けば、問題なく使えそうな物は塩の入った瓶ぐらいなもので。この塔の住人は、しっかりとした準備を施し、この塔を後にしたのだと確信した。

その理由として真っ先にあがるのは、表の化け物。

あんなものが夜な夜な集まって来ていたら、落ち着いて暮らすなんて出来ようもない。集落が無人なのは当たり前といえば、当たり前だろう。


ポットのお湯が沸き、水蒸気がカタカタと蓋を持ち上げる音が鳴り響く。噴きこぼれそうなその様子に、亮は慌てて持ち手を掴み、熱さに驚いてすぐに手放す。

乱雑に扱われたポットの口からお湯が漏れ出て、少しばかり白煙が立ち上った。幸い、火は消えなかったようだが、亮は少し火傷をした。情けない表情を浮かべながら、水の入ったペットボトルを掴んで冷やす。


改めて手袋を着けて、ポットを火から離すと。鍋の方にカブを一つ放り込んだ。

お湯の中を漂うカブを見ていると、腹の虫が待ちきれないと声をあげた。異常な事態に感覚がマヒしていたが、ろくに物を食べていないのだ。


「ちょっと待て、そんなに期待するな。これが食えるかはわかんねえ」


独り言を呟き、腹をさすりながら、暖炉前に椅子を持ってきて座る。

これは根菜ではなく、ただ根、または球根である可能性もあるのだ。異世界のカブにあたって死ぬなんて、笑い話以外の何物でもない。


ナイフで切ると、断面はカブそっくりで安心する。4分の1を切り出し、それを更に4等分。

小さなかけらを冷まして口に放り込むと、噛まずに舌で転がした。

ここまでは問題ないと判断して、噛み砕く。

味は若干甘く感じるが、食感もほぼカブで。えぐ味や、ピリピリする感覚は無い。


取り敢えず半分程食って、消化する時に腹を壊すか確認した方が良いかもと手を止める。正直腹が減って仕方がないが、まだ空腹で死ぬというわけでもない。

自分に何度も、カブにあたって死ねるかと言い聞かせ、しばらく様子をみる事にする。


それでも動くのは億劫なので、床に寝っ転がった。

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