3 海辺の集落
崖を安全に降りられる場所まで大きく迂回する。
遠巻きに眺めていても、集落の建物がほぼ倒壊していることはわかる。それに、出歩く人影はおろか、生き物がいる気配すら感じない。
それでも建物が近付くにつれ、亮は段々と緊張してきた。
もしも、ここが異世界であるというなら、自分が向かっている集落に住んでいた生物が、人間であるという保証など無い。
塔の書庫で見た挿絵の半魚人を思い出しては、妙な想像を振り払うように頭を振る。
塔にあった扉や家具などの形状に変わった所は見受けられなかったのだから、自分と同じ姿である可能性が高いはずだ。
「可能性は……高い」
が、ゼロじゃない……。
1人呟いて。緊張に、唾を飲み込んだ。
いよいよもって、建物がはっきり見えてくると、10軒程の家屋の八割が倒壊していることが分かった。
一応は石組の外壁こそあれ。いくつかの建物は梁が腐ったのか、屋根が崩れ落ちているし。
ものによっては、庭木に侵食されて木と一体化している。
浜辺に引き上げてある漁船も、放置され続けて波の浸食で骨組みしか残っていない。
手近な1軒にの側に寄り、その様子に大きな溜息を漏らす。
その荒れようは、塔の1階の比ではなく。屋根が崩れ、風雨に晒され続けた室内は、床板も腐りきっていて。潮風を浴び続けた金属類は、最早ただの錆の塊でしかなくなっていた。
勿論まっとうに残っている物など見受けられず。
この家には早々に見切りを付け、倒壊していない建物へと向かうことにした。
倒壊は免れているとはいえ、内部は惨憺たる様子だ。
薄い板張りの屋根は大半が腐食し、空の面積の方が多いくらいだし。
雨漏りのせいか床はボロボロに腐り。中途半端に残った床板は、気を付けないと踏み抜きそうだった。
もし錆た釘でも刺されば破傷風などの恐れがある。亮は出来るだけ体重をかけないように、慎重に歩を進めた。
塔と同じ様に、ほとんどの家具は壊れて散乱していたが。
数少ない生き残った家具である荒い造りのがっちりした棚に、刃渡り30センチほどの剣が鞘に納まって無造作に置かれているのが目に留まる。
中世の様ではあると思ってはいたが、こういった直接的に中世を思わせる物には、かなりの興奮を覚えた。
早速手にとって、裸木の素朴な柄を握って引き抜く。
すると僅かな手ごたえの後、錆の粉を振りまきながら、鍔元でポッキリと折れてしまった。
周囲の金属の様子を考えれば当然といえたが、がっかりと大きく肩を落とす。
他に目につく物では。隅に並ぶ3冊の皮張りの本と、小さな革袋がある。
本はカビが蔓延り手に取るのも躊躇われるため放置し。同じ様にカビた小さな皮袋は、先程の剣の柄でつついてみる。
すると、聞きなれた小銭が鳴る音がしたので、指先で摘んで中身を棚に出すと。
中からは、小さな銀貨が2枚と銅貨が3枚、小さい銅貨が1枚滑り出てきた。
これは間違いなく通貨であろう。
亮は小さく手を合わせ、それらの硬貨をポケットにしまうと。何となくばつが悪くて、頭をかいた。
その後も日がかげるまで集落を廻って見つけたものは。
銀貨の入った、比較的綺麗な皮の小袋。
多少錆びてはいるが使えない事もない、10センチ程の調理ナイフ。
同じく多少の錆びがある、小ぶりな鉄鍋。といった所だ。
水平線に沈んでゆく太陽を確認し、一旦、塔に戻ろうと歩き始める。流石にこんな廃屋で一晩を過ごす気にはなれない。
崖を登るため森の方へと足を進めると、黄昏の空の片隅に、大きな月が3つ浮かんでいる光景が目に飛び込んできた。
月は、亮の見慣れたそれより二回りは大きく、若干赤み掛かっている。そんなものが三つもあるとなれば、この場所が異世界であるという事が決定的となった。
一応は覚悟していたことではあるし。異常もここまで続くと、流石に取り乱したりはしなかった。
もちろんショックは受けているが、冷静さを失う程ではない。
改めて塔へと歩き出すと、何かにつまづき、危うく転びそうになった。
元凶を見れば、家の脇の地面に、比較的大きな木の扉が付いていて、足を引っかけたらしい。
普通見落とす事は無い大きさだが、空に見とれて気が付かなかったのだ。
正方形の枠に、両開きの扉がついたそれは、地下への入り口だと思われ、中心に錠前が掛かっている。
しかし、長年の雨と潮風で役目を果たしているとは言えない姿になってしまっていて。
試しに近くに転がっていた石ころで叩いてみたら、あっさりと亮に道を譲った。
扉を開くと、思った通り地下室があった。
どうせ日中でもライトで照らさなければ調べられないのと思い。
亮は、ものはついでと、このまま調べて行く事にした。
石組のしっかりした階段を下ると、まず照らし出されたのは壁際に積み上げられた多数の薪。
地下室の一番奥には、長さが1メートル半ほどの銛が2本立て掛けてあり、側には目の粗い網が畳んで置いてあった。
どうやら、漁師の家の物置らしい。
銛を手に持ったが、2本とも穂先が錆びて今にも壊れそうだ。
網も必要ではないし、ここは外れかと諦め、出口へと振り返る時。闇の中に木箱を見つけた。
それは、錠前のついた蓋付きで、角を鉄板で補強した代物。
そのいかにもな外観に、亮の期待は高まる。
しかし、錆びてはいたが見るからに頑丈そうな錠前は、容易に破壊できそうにない。
塔に荷物を置いてきたため、例の薬も今は持っていなかった。
亮は仕方がなく、外で使った石ころを持ってきて、叩き壊す事にした。
額に汗が吹き出し、手も痺れてきた頃。
ついには錠前ではなく。錠前をかけていた金具が変形して、錠前が外れた。
少々気の抜ける開き方ではあるが、開くのなら贅沢は言わない。
期待と共に箱を開ければ、中には真っ青な布が畳んで仕舞ってあった。
それは細やかな刺繍の施された、仕立ての良いフェルトのマントであったが。手入れがされていなかったためか、虫に喰われて無惨な姿に変わっていた。
他にはないかとマントをどけて覗き見ると、箱の奥に光るものを見つける。
それは銀色のネックレスで。くすんではいたが、マントの端っこで磨いてやれば、本来の輝きを放ち始めた。
これは良いものがあったと喜んだが、内心やっぱり後ろめたい気持ちもあり。
先程よりもしっかりと手を合わせてから、ネックレスを首にかけた。
その時、突然背後で子犬の鳴き声のような音が発せられた。箱の事で集中していたので、急な事に驚き。思わず飛び上がる。
振り返ると、入り口から鳴き声の主がゆっくりと階段を下りてきた。
それは、体長1メートル強程で。星形を曲げ、5本足で立ち上がったヒトデ様な生き物で。
足の隙間から、イカの足が同じく5本出ていた。
なぜイカなのかといえば、イカ足の内の2本が2メートルほどと長く、形も触腕に似ていたからだ。
その鳴き声とは裏腹に、外見はグロテスクの一言。
ぬめりがあるのか、体表はヌラヌラと光りを反射し。強烈な潮の臭いから、海から来たと思われる。
何より、触腕の内側にびっしりと並ぶ5センチほどの鉤爪が、友好的な生き物ではないと如実に訴えていた。
亮は、この生き物は何かとか考える事なく、ただの恐怖心から反射的に銛に手を伸ばす。
奇妙な生き物に遭遇したショックよりも、生存本能が上回ったのだ。
心臓が早鐘のように鳴り、喉を鳴らして唾を飲み込む。錯乱しそうな頭をフル回転させ、どうやってこの危機を脱するか考える。
階段をゆっくりと下りてくるその動きの遅さを見て、銛ではなく網を掴んで投げつけた。
港町生まれといえど漁師ではないため、網は綺麗に開く事はなかったが。
飛来物に反応した怪物が予想外の素早さを見せ、触腕を振るって網を払うと。幸運にも網の端に鉤爪が引っかかって、結果的に網を広げる助けになった。
全身を網で覆われた化け物は、振り払おうと暴れまわり。さらに網が絡んで完全に身動きが取れなくなっていく。
ともあれ所詮は魚を捕る網。風化していた事もあり、強度は知れたものだ。
少しずつではあるが、網が破られていくのを見て。亮はすぐさま銛を投げつけた。
銛は体表に当たり、表面を覆うぬめりで滑って刺さらなかったうえに、背後の階段に当たり、穂先が壊れてしまった。
焦りと共にもう1本の銛を手に取り、慎重に狙いを定める。
横に回り込んで。足の隙間、ヒトデの内側をめがけ投げつけた。
今度はしっかり突き刺さって、怪物は子犬のような悲鳴を上げる。
穂先を体内に残して銛が壊れたが、怪物が動きを止める素振りを見せない。
それどころか、苦痛からか鳴き声をあげ、一層暴れまわり。
そのたびに網が破れていく。
何かないかと部屋を見渡すと、積まれた薪の中に薪割りの斧が挟まっているのが見えた。
引き抜くと、斧頭は小型で少し錆び付いてはいたが、肉厚の刃は頑丈で。
錆びの影響など無さそうだった。
しかし、本来両手で扱うべき長さから生じる重量とバランスで、片手がライトで塞がった亮には満足に振るう事は出来そうにない。
しかも、あの触腕の射程内に飛び込むのは、かなりの勇気がいる事だ。
飛び込む機会を伺っていると、暴れまわる怪物がバランスを崩して、階段を転げ落ちた。
予想外に訪れた好機に、亮はこれ幸いと、邪魔者のいなくなった階段を駆け上がり表へ出る。
鍵を壊すことにかなりの時間をかけたらしく、外は完全に日が落ちていたが。3つの月の明かりは、満月の夜より明るく辺りを照らし。灯りがなくても、何とかなりそうだった。
地下室では、いまだに怪物が鳴き続けている。すぐに出てくる気配はなかったが、亮は斧を担ぐと、塔を目指して走り出した。
集落の中を駆け抜けていると、突然近くで、あの子犬ののような鳴き声があがる。
亮は慌てて飛び退き、声のした方を警戒していると。物陰からヒトデの化け物が這い出てきた。
先程の奴と同一の筈はないので、同じ怪物がまだいたようだ。
一目散に逃げ出す。
そんな亮の動きに反応したように、怪物も5本の足を激しく動かして、後を追い始めたが。
その差は徐々に開き始め、亮は少々安心した。
速度を落とそうかと思ったが。周囲のそこかしこで、子犬の鳴き声が聞こえる事に気付き。
集落を抜けて振り返ると、建物の陰から新たに数匹が姿を現してきて。
更には、砂浜からまだ数匹が陸に上がってくるのも見て取れ。亮は逆に速度を上げた。
森の上に頭を見せる塔までの距離は、絶望感を覚える程遠く感じる。全力ではすぐに息が上がり始め、鈍った身体を恨めしく思う。
崖を登り、森を目の前にして、少し息を整え。よしと気合いを入れた。
この先、すぐに塔にたどり着けるかは、運の要素が強い。
夜の森の中は想像以上に暗く、走るのなんてもってのほかで、ライトが無ければ真っ直ぐ歩くのにも苦労するぐらいだ。
それでも、背後から聞こえてくる微かな鳴き声に、急かされるように先へと進む。
時折、足元を引っかけてくる木の根に注意しつつ。張り出した枝に頬を打たれ、細かな傷を付けられながら。亮は、慌ただしくもゆっくりと森を進む。
止まってしまうのではと思うほど、心臓の鼓動は早まり。恐怖で時間の感覚が薄れ始めた頃。木々の間から、月に彩られた塔が姿を現した。
兎に角真っ直ぐ。先ほどまでは避けていた藪も無理矢理乗り越える。
塔を目指しながら、たどり着いてからの事を考えた。
ただ、たどり着けばいい訳じゃない。塔に着いてから、どうにかしなければならないのだ。
森を抜けて、塔へと駆け込む。
化け物に先回りされていない事に安堵しながら、手早く室内を見渡した。
次に落ちている家具の残骸の中で、丈夫そうで大きい物を探すと二階への扉の奥へと投げ込んだ。自分が通った後、扉と階段の隙間に先ほどの角材を押し込むと、なんとか即席のバリケードを作り上げた。見た目はなんとも頼りない、扉の強度頼みの代物だが、これしか思いつかなっかったので仕方ない。
しばらくすると、あの子犬のような鳴き声が聞こえてきて。亮は斧を手に緊張の面持ちでバリケードを見つめた。
扉の側まで来た化け物は、鳴き声を上げながらガリガリ扉を引っ掻き始める。
格子窓や溶け落としたノブ周りの穴から化け物の触腕が振るわれるのがチラリと見えたが、扉はビクともしておらず。
何とか進入を阻止出来たのが分かり、やっと息をついた。
少しばかり休んでいると、いつの間にか鳴き声が複数になっていることに気づき、森からまた1匹這い出て来たのだとわかる。
一応バリケードは、2匹だろうが3匹だろうが持ってくれそうで、すぐにどうこうする事もない。
肉体的にも精神的にも、とにかく疲れきっていて。このまま寝てしまいたかったが。
うっかり気を抜いて喰われるのはごめんだったので。亮は斧を片手に階段に腰掛け、ガリガリと鳴り続ける扉を睨み続けた。
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