鳥なき村の蝙蝠

海道みはや

第1話


ひぃ、と鋭く高い鳴き声が、天高くから降ってきた。リウは先ほどから睨み合いを続けていた地図から目を離し、左腕を突き出す。そこに、雄鷲が羽ばたきと共に舞い降りた。

「どうだった、彼方の様子は」

「特に目立った動きはない。静かなものだ」

低い声で、鷲が返答した。計画は順調だ、とリウは嘆息した。

夏の気配の近付く今、春から進めていた侵攻の計画は、いよいよ佳境に入ろうとしていた。尾根を一つ越えた先に、蝙蝠の民のムラがある。そこでは、自分たちを狙うもののことなど知らず、安穏と暮らす民たちがいるはずだった。明日の昼には、その平穏は崩れ去る。

「相変わらず、気乗りしないようだな?」

上げたままの腕で悠々と毛繕いを始めていた鷲が、きろりと丸い目でリウを見た。

「分かるか」

「分かるとも。お前はそういうやつだ」

鷲は、ばさりと舞い上がる。次の瞬きのうちに、リウの側には長身の男が立っていた。男の名を、トバネという。トバネはリウの顔を見て、仕方がないというように鷹揚な笑みを浮かべた。

リウとトバネは、共に鷲の民として同じ年に生まれた幼なじみだ。まだお互いの名すら知らない頃から、共に育ってきた。成人して、鷲のムラを守る衛師になるのも同じなら、この春に蝙蝠のムラに対する討伐隊に組み入れられたのも同じだった。何の因果か、幾つかの隊の長に任じられたリウの副官として、トバネも側にある。

「お前、ムラ長さまの前でも相当渋ったからなぁ。あのときのじぃ様の顔といったら」

くく、と喉を震わせる友を、リウはじっとりと睨んだ。

「そもそも、だ。蝙蝠のムラを侵略するなんて、馬鹿げた話があるか」

「仕方がないだろう。鷲のカミのお告げだというんだから」

「それもおかしいじゃないか。今までに一度でも、鷲のカミが他のムラに攻め込めなんて言ったことがあるか?」

「それはないが、な」

リウの声音に、トバネも笑みを消した。

春のまだ浅い頃、ムラ長が突如として鷲のムラにふれを出した。曰わく、蝙蝠のムラを討伐せよ。彼の民は地にあるべき姿して空を飛び、世の理を乱すものである、と。それが、ムラを守護する鷲のカミの意向だと言うのだ。当然、リウ以外にもそれに疑問の声を上げる者は多くいたが、神命であると言われれば口を噤まざるを得ない。結局、明日は戦いの日というまで来てしまった。

「有り得ないだろう。鷲のカミが命じたなら、蝙蝠のカミと全面的に対立することになる。そんなこと、なさるはずがない」

リウは知っているのだ。鷲のカミはそこらのムラのカミより上位にあるが、決して無闇な争いは望まぬ高潔な方であると。

「俺はこれが、謀のように思えてならないんだ。鷲のカミのお言葉など、無かったのではと」

「だが、我らがここまで来ても、カミはお止めにならないぞ」

「それは、そうだ。だが、春から鷲のカミは一度も降りて来られない。こんなことは今までなかった」

リウは、友をじっと見つめた。その目の中に、確信が踊っている。

「何か、不測の事態が起こっているのではないかと思うのだ。その証拠に、近頃、変化たちの様子がおかしいだろう」

トバネが瞬いた。変化とは、ごく稀に現れる者たちのことで、その姿をムラのカミと同じに変えることができる。彼らは、カミとの繋がりが他より強いが、その分、恩恵を与えてくれるカミが降りてこなければ、真っ先に影響を受ける。かく言うトバネも、そのうちの一人だった。

「気づかれていたか」

「気づくとも。どれだけ共にいたと思っている」

先ほどと逆にリウが言ってやると、トバネは苦笑した。

「初めは、気のせいだと思っていたんだ。自分の体調が優れないだけだと。だが、他の変化たちも不調が増えた。俺は、変化が解けにくい」

戻ったとき、すぐにヒトの姿にならなかったのは、そのためだろう。変化の調子にまで影響が出るとは、思っていたよりも深刻かもしれない。

リウは広げていた地図をしまう。

「おい、どうした?」

「鷲のカミのところへ行ってくる」

「なに!?」

「降りてこられない以上、こちらから行くしかあるまい」

「だが、どうやって?カミの御社は神域だ。お前じゃ辿り着けないぞ」

「分かっている。だから、お前も来てくれ」

カミの加護を受ける変化ならば、天にある神域も見分けられる。

「隊はどうする」

「どのみち明日まで動かん。始まるまでには戻る。戻らねば、戦いも止められん」

言い切ったリウに、トバネはしばし動かなかった。そして、昔からそうであったように、折れたのはトバネだった。

「分かった。俺が先に飛ぼう。着いて来いよ」

雄々しい鷲に変化したトバネは、高らかに一声鳴くと舞い上がる。リウは、つないでおいた騎乗用の大鳥に跨がった。

一気に飛翔した蒼空、鷲の民の血が踊る。

刻限は、明日の日の出。

一体、何が起ころうとしているのか。

リウは自らの胸に、ざわりと風が吹き込んだように思った。

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鳥なき村の蝙蝠 海道みはや @mikkame

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