第15話 ピノキオの願い

 赤いずきんを身に着けた少女は、森の中を歩いていた。水の精霊からもらった瓶の水はどんなに飲んでも減ることはなかったし、傷口に塗りこむとすぐに傷は治った。炎の精霊がくれたたいまつは、明るいところでは炎が弱まり、暗いところでは周りを照らすように強く燃え上がった。これなら何の不安もなく先に勧めると少女は思ったが、同時にあることに気付き、歩みを止めて大きな樫の木に寄りかかりながら考え事を始めた。


「でも、これはこれで困りものね」

 喉の渇きをいやしながら少女は困惑していた。

 水の精霊からもらった水を飲むまでは、喉の渇きを感じたことはなかった。

 炎の精霊からもらったたいまつを持つまでは、暗闇を怖がるようなことはなかった。


「何も得なければ、何も欲しいとは思わない。そういうことなのかしら」

 少女はこの世界を歩き始めてから何も口にしていない。

 寒さを感じたことはあったが、それを不快に思うことはなかった。


「知るということは、案外罪深いことなのかもしれないわね」

 少女はたいまつと水の入った瓶を受け取る前には持っていなかったある感情と向き合っていた。

 知らない物は欲しがらない。しかし一度その価値を知ってしまうと、なくしてしまうことを恐れるようになる。

 何かを手に入れるということはそれを失うことに対して不安や恐れを知るということなのかもしれない。そしてその不安がまるで呼び寄せたかのように、少女に災厄が声を掛けてきた。


「ねぇ、ねえ、君の持っているそれ、すごいね」

 いきなり話しかけられた少女は、たいまつを声のする方角に向けた。樫の木の陰から小さな人影が現れた。

「やっ、やめてよ。燃え移ったら大変だ」

 その人影は酷く炎を怖がっているように見えたが、そばを離れようとはしなかった。その人影は木の陰に隠れて顔だけ出して、少女に話しかけた。

「ねぇ、赤い頭巾の御嬢さん。僕にそのたいまつを譲ってくれないかい?」

 たいまつの灯りに照らされたその顔は、木で使うられた人形のように見えた。少女は恐る恐る人形に話しかけた。

「あなた、誰?」

「僕はピノキオっていうんだ。ご覧のとおり、木でできた人形さ」

 ピノキオは木の陰から半身を現し、木でできた手足をカラカラと鳴らせながら少女に見せた。それの様子は可愛らしいというより滑稽で、少女には不快に思った。


「木でできた人形ってことは、あなたを作った人が、この世界にいるということかしら」

「知りたい? 教えてあげてもいいけど、その代り僕のお願いを聞いてくれる?」

「あなたの願い?」

「そう、僕の願い」


 ピノキオの『願い』という言葉に少女は何か引っかかるものを感じた。それはピノキオの言動に対する違和感ではなく、自分の名あの何か大事なことを忘れているような感覚であった。


「未来……、願い……、わたしの」

「君の未来や願いはどうでもいいのさ。大事なのは僕の願いさ」

 ピノキオは少女が何か他のことを考えている様子にひどく腹を立てていたが、木の人形の表情からくみ取ることは難しかった。


「あなたの願いはこれ?」

「そう、そのたいまつを僕にちょうだいよ。そしたら教えてあげる」

「この世界に、私以外に人がいるの?」

「だから、それを教えてあげる代わりに、それをちょうだい」

 いささか乱暴な口調でピノキオは自己主張したが、それすらも少女には伝わらなかった。


 少女は即答した。

「駄目よ。これは駄目。私は先に進まなければならないの。そのためにはこのたいまつは必要なのよ」

「じゃぁ、その瓶を僕にちょうだい」

「それも駄目よ。これも必要なものだから」

「じゃあ、教えてあげない」

「いいわ。わたし自分で探すから」

「なにそれ、僕を無視するわけ。僕が木でできた人形だからって、人形だからって、人形だからって!」


 ピノキオは頭をくるくると回し、腕をくるくると回し、足をくるくるとまわし、叫び続けた。

 少女はようやくピノキオが酷く怒っていることに気が付いた。


「そうさ! 僕は人形さ! おじいさんが作ってくれた人形さ! 僕がどんなにおじいさんのことが好きでも、僕はただの人形さ!」

 ピノキオはうつろな表情で叫び続けた。少女は恐ろしくなり、そこから逃げ出そうとした。

「だめだよ。赤い頭巾の御嬢さん。僕は決めた。君をこれ以上先には進めさせない」


 ピノキオは四つん這いになり、少女を下から見上げた。関節はすべて逆に曲がり、首は下にだらしなく折れ曲がり、さかさまになったまま少女に詰め寄った。

「やめて! それ以上近づいたら」

 少女はたいまつを突き出す。炎は激しく燃え上がった。

「ひぃーーー! ひぃーーー!」


 ピノキオはたいまつをよけようとして失敗し、手足が絡んで動けなくなってしまった。

「お願い。もう怖いことはしないから、助けてよ」

 ピノキオは情けない声を出して少女に訴えたが、少女を怖がらせるだけだった。

「いやよ」


 少女はそのままピノキオを置き去りにして駆け出した。

「だめだよ。そっちに行ったら危ないよ!」

 少女はピノキオの言葉に耳を貸そうとはしなかった。

「嗚呼、かわいそうな赤い頭巾の御嬢さん」

 ピノキオはころころと転がりながら、絡み合った手足をほどき、すっと立ち上がった。

「もっと怖い目に会うことになるけど、僕のせいじゃないよ」


 ピノキオは鼻歌を歌いながら少女の後を追って歩き始めた。

「おじいさん、僕は、人間にならなくてよかったよ。だって人間は恐ろしい」

 ピノキオの鼻が少し伸びた。

「おっと、いけない。また鼻が伸びちゃったよ」

 ピノキオは考えた。

「この鼻をもとに戻すには本当のことを言わないと駄目なのかぁ……」

 ピノキオは立ち止まり、またくるくると頭を回し始めた。

「しかたがない。あの御嬢さんには本当のことを教えてあげよう」

 ピノキオは頭をくるくると回したまま走り出した。

「それっ!」

 ピノキオは木の枝を素早く上り、木と木の間を飛び跳ねてあっという間に少女に追いついた。


「待ってよ。赤い頭巾の御嬢さん」

 少女はピノキオのスピードに驚き、走ることをあきらめた。

「まぁ、驚いた。なんて早さなの」

「そんなに驚くことはないさ。僕は木の人形だ。それ以上でも、それ以下でもない」

「それで、まだ私に何か用が……、あら? どうしたの、そのお鼻、さっきより長くなっているわね」

「そうなんだ。僕は嘘をつくと鼻が伸びちゃうんだ」

「それはお気の毒様。で、どんな嘘をついたの?」


 ピノキオはしばらく黙って考え、そしてこう叫んだ。

「僕は人間になりたいんだ! だから炎も使ってみたいし、瓶に入れた水も飲んでみたい!」

 ピノキオの鼻は半分もとに戻った。

「でも、人間になるのは怖いんだ」

 ついにピノキオの鼻はもとの長さに戻った。


「怖いってどういうこと?」

「人は道具を使うけど、道具がないととても弱い。獣に襲われたら身を守ることもできない」

「そうね。だからこうして火を使うし、水や食料を持ち運べるようにするわ」

「君は怖くないの?」

「怖いって、獣が?」

「そうじゃない。確かに獣は強いけど、怖くわないよ」

「じゃあ、何が怖いというの?」

「それは……」

 ピノキオは何かを言いかけて一瞬黙り、言葉を変えた。

「それは僕の知らないもの。僕に与えられていないもの。人も獣も持っているけれど、僕にはないものなんだよ」

 ピノキオはさみしそうな声で、無表情に答えた。


「人も獣も持っていて、あなたにないもの……何かしら」

「それを知りたければ、ここをずっとまっすぐ行ったところにきれいな花が咲いている場所がある。そこに行けば誰かが話しかけてくるよ。その人の話をよく聞けば、きっとわかると思うよ」

 ピノキオの鼻は伸びない。

「わかったわ。そこに行ってみるわね。ありがとう」

 ピノキオは木陰に姿を隠した。

「礼には及ばないよ。まったく必要ないさ」


 それきり、ピノキオは少女の前に姿を現さなかった。



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