第13話 大地と風の精霊

 じりじりと照りつける太陽。

 大地はすっかり干からび、風で砂が舞い上がる。

「酷いものね。ここにはもう、何もないわ」

 かつてこの地には四季折々の風景があった。

「違うわね。何もないが、ここにはあるのね」

 春には美しい花々が咲き、夏には青々とした木々が生命を育み、秋には実りが、冬には雪が大地を多い、その下で新しい命の芽が息吹く。そのサイクルを幾度となく繰り返しながら、晴れの日も雨の日も、風の日も、雪の日も、そこに命が絶えることはなかった。


「大地が長い時をかけて育んできたものを、こうも簡単に吹き飛ばしてしまう。これが、私たち、人間が犯した罪だというの?」

 少女の目から涙がこぼれ落ちる。その涙は渇いた大地に沁みていく。

「やさしい子よ。だが、そのやさしさは何の役にも立たない」

 その声は低く、体の芯に響く。少女は肩をすくめながら周りを見渡したが、何も映らない。

「誰なの? 誰かいるの?」

「誰でもないし、誰もいない」

「でも、あなたの声は確かに聞こえるわ」

「お前の声は聞こえている。だが、誰にも届かない」


 少女は耳をそばだてる。しかし風の音しか聞こえない。

 少女は耳をふさいだ。耳をふさいで風の音が耳に入らないようにした。

「わたしは……、わたしはここに居る。あなたはどこにいるの? 教えてくださいな」

「お前は穢れを知らない。だが私は汚されてしまった。人によって汚されてしまった」

「わたしは、あなたを、知っているの?」

「お前は私を知っている。だが、気づいていない」

「どうすれば気づくことができるの?」

「知ることだ。考えることだ。感じることだ。目に見えるもの、耳に聞こえるもの、肌に触れるもの。それらすべてを知り、考え、感じることだ」


 さらに風が激しく少女に吹き付ける。少女は耐え切れずにしゃがみこみ、ついには地面にしがみついた。

「風の精霊よ! いい加減にせぬか!」

 大地がうなった。

「目障りなものを吹き飛ばして何が悪い! はぁ?」

 風が叫んだ。

「風の精霊に、そして大地の精霊……」

 大地は静まり、風は止んだ。


「いかにも。私は大地の精霊だ。そしてあれが風の精霊だ」

 地面の振動を通して、少女の体のその声は伝わってきた。

「お前、なんでこんなところをうろうろしているんだぁ?」

 少女の目の前に風の渦が舞い上がり、人の影らしきものが形作られていった。

「ははぁ、こいつはきっと、よくない企みに違いないぜぇ。風のうわさに聞いたことがある。お前……、さては女だなぁ」

 少女は戸惑いながらも、自分が女であるかどうか知ろうとした。考え、そして感じた。

「そうよ。確かにわたしは女よ。男ではないわ」

 大地はじっと黙ったままだ。

「きぃーーー! なんてこったい! 炎の精霊と組んでようやくきれいさっぱり掃除ができたと思っていたのに」

「掃除って、どういうこと? 炎の精霊といったい何をしたというの?」

 風の精霊は、ぐるぐると少女の周りを回りながら答えた。

「教えない。お前なんかには教えない」


 大地の精霊がうなるように語る。

「自分の足で歩き、見て、聞いて、触れて、この世界を知るのだ。そして探すがいい」

「探すって何を? いったいわたしに何を探せというの?」


 再び風が激しく少女に吹き付ける。

「冗談じゃないぜ! 俺は認めないぞ! ここは俺たちの世界だ! 邪魔者は……」

 大地が揺れる。激しく揺れる。その激しさに恐れをなして、風の精霊はその場を足し去った。

「行くがいい。お前は探し続けなければならない。求め続けなければならない。立ち止まることは許されない」

「許されない……、わたしは許されない」

 その言葉が少女の胸に重くのしかかった。苦しくて、苦しくて、何もかも吐き出しそうになったが、少女の中には、吐き出せるものは一つもなかった。

「哀れだが憐れんではやれん。問い続けよ」

「問い続ける?」

「目に見えるもの、耳に聞こえるもの、肌に触れるもの、すべてに問い続けよ」

「わかったわ。わたしは問い続けるわ」

 少女はゆっくりと立ち上がり、歩き出す。


 大地はそれを静かに見守った。


 まず少女は自分について問いかけた。自分はいったい何者かについて考えてみた。

「わたしは、誰なの。思い出せない。記憶が……ない」

 少女は風になびく自分の髪の毛を手にとって眺めた。

「金色の髪の毛、これがわたしの髪」

 自分の体を可能な限りその手で確かめてみる。腕に着いた砂埃を振り払うその手は小さく、か細い。赤茶色に汚れていた肌は、きめ細かく、柔らかく、そして白かった。白いワンピースの上に赤い布をまとっている。風をよけるのにちょうどいい。少女は頭からそれをかぶった。


 やや大きめの皮性の靴。細くすらっと伸びた足は、健康的ではあっても力強いといえるものではなかった。


「大丈夫なのかしら」

 少女は不安になった。自分がこの世界で生きるのにはあまりにも小さく、非力な存在であるのか。しかも自分がどこの誰なのかもわからない。いや、それ自体はこの際、問題がなかった。自分がどこの誰であろうと、やらなければならないことは同じなのである。


「生きている限り、わたしは生きなければならないのね」

 少女は歩き出した。

「まずは水のある場所を探しましょう。わたしがどんな姿をしているのか。もしかしたら水面に移る自分の姿を見たら、何か思い出すかもしれないわね」


 少女は、のどの渇きよりも、自分の姿を見たいという欲求を満たすために水を求めて大地の上に立っていた。もう風は気にならなくなっていた。風は相変わらず不機嫌な声を上げていたが、大地は何も語らず、ただじっと赤い頭巾の少女を見守っていた。

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