第2章 精霊たちの黄昏

第9話 風の精霊、火の精霊

 風を感じる。

 夜風である。

 体にまとわりついてくる淀んだ気を洗い流してくれる。

 息を深く吸い込む。

 肺の中に新鮮な空気を送り込む。

 活力がわいてくる。


 嗚呼、僕は生きている。

 そう実感して目が覚める。

 空きらめく星々は、思い思いに小さな瞬きを繰り返す。

 どうやら僕は星々にずっと見守られていたようだ。


 当たり前のようなこの風景をこの地球(ほし)が取り戻したのは、つい最近のことだった。

 人類は一つになれなかった。

 人類すべての欲を満たすには、この地球はあまりに小さすぎた。

 人類は一つになれなかった。

 人類すべての愚かさを許容するには、この地球はあまりに狭すぎた。

 美しいものを守りたい。

 ただそれだけの願いなのに。

 愛しいものを守りたい。

 ただそれだけの願いなのに。

 人類は一つになれなかった。

 誰かの願いは、誰かの願いと相いれなかった。

 誰かの愛は、誰かの愛と相いれなかった。

 闇に光を

 混迷に希望を

 絶望に夢を

 貧しさに愛を

 汚れに癒しを


 満たされているのに満たされない永遠の渇き

 見えているのに見えない未来

 聞こえているのに聞こえない声

 触れられるのに感じないぬくもり

 失うことに慣れてしまうほどに物にあふれた世界


「だからさ、全部ぶっとばしてやったのさ」

 風の精霊は今日も機嫌が悪いようだった。

「あっちもこっちもビルだらけ、あんな狭いところに入り込んで、何をやっていたんだかねぇ。人間ってやつは」

 風の精霊は渦を巻きあげながらふわふわと浮いている。


「平らな大地は限られている。だから人はビルを建てたんだよ」

「そんな高いところから世界を眺めていたのに、いったい何を見ていたんだろうね。人類ってやつは」

「たぶん、未来」

「未来! きぃーー! 未来だってー!」

 風の精霊は叫びながら僕の周りをぐるぐると回りだした。

「ちがうね! 高いところから周りを見渡したんじゃなく、見下していたんだろうがぁ。はぁ?」


 僕にはわからない。

 僕は高いところが嫌いだった。

 そこから見える景色がどんなものなのかを知らない。

 そこにいる人たちがどんな景色を望んでいたのかを知らない。


「キミ、何もしらないのだろう?」

「ああ、僕は何もしらない」

「でも、わかるんだろう?」

「ああ、僕にはわかる。なぜこんなことになってしまったのか。わかってしまう」

「言ってごらんよ。さぁ、何がわかるんだい?」

「たぶん、人類は滅びた」

「そうさ、人類は滅びだ。なぜ滅びたんだい?」

「たぶん、未来を……、みていなかったから」

「さぁ、どうかなぁ、どうなのかなぁ。きぃーーー!」


 奇声をあげて風の精霊は空高く舞い上がった。

 しばらく上空をうろうろ飛び回っていたが、やがてどこへともなく消えていった。

 僕以外の人類が消え去ってしまったように。


「僕一人なのか……」

 そう思い始めたら急にさみしくなって、心もとなくなって、ぬくもりが恋しくなって、震えだした。

「寒い」

 僕はだから火を起こした。心地よかった夜風も長く当たると体温を奪われる。

 だから僕は、風の精霊に奪われた体温を炎で補おうとした。


「勝手だな、人間」

 炎の精霊は不機嫌というよりは、僕を憎んでいるようだった。

「こっちを見るなよ。汚らわしい」

 僕は仕方がないので炎に背を向けた。

「君は、そんなに僕のことが嫌いかい?」

「話しかけるなよ。煩わしい」

 僕は仕方がないので話しかけるのをやめた。

「近寄るなよ。人間」

 もう十分だった。体は温まったので、僕はゆっくりと立ち上がり、荷物をまとめてその場を立ち去ろうとした。

「後始末くらい、していけよ。まったく、人というやつはなっていない。何もかもなっちゃいない」

 水がなかったので、僕は砂をかけて火を消した。ゆらゆらと煙が立ち上り、夜の闇に消えていく。

「ありがとう。そしてさようなら」

 僕はのどが渇いたので、森の中の湖に向かって歩き出した。


 ふと、背後に消したはずの炎の灯りが見えた気がした。振り向くとそこには何もない。何もないけど暖かい、夜だというのは僕の周りは少しばかり明るい。何かが焼き焦げる匂いがする。僕はあわてて背負った荷物を下ろそうとしたが、少しばかり遅かった。

「あっ、熱い!」

 炎の精霊が僕の背中の荷物から飛び降りた。

「まったく人間というやつは火の後始末もろくにできないらしいな。自業自得だな、因果応報だな」と気炎万丈にまくしたてる。


「なんで、こんなことを……」

「なんでだと! この程度のことで不甲斐ない! まったく人は甲斐性なしよ!」

 電光石火、炎の精霊は僕の背中に飛びついた。

「や、やめろ!」

 地面に転がり、炎の精霊をなんとか振り落す。

「どんなに拒んでも、どんなに振り落しても、貴様ら人間の罪は拭い去ることなどできない。さぁ、償え! 人間」

 硝煙弾雨、炎の粒が雨のように降り注ぐ、僕は急いでそこから立ち去ろうと森めがけて駆け出した。

「どこまでも逃げるがいい。この世界のどこにもないぞ。人の居られる場所も人を容れる場所も。それでも探すというのなら見届けよう。どうせまた、自分たちで焼き尽くしてしまうのだろうがな」

 息を切らしながら、ようやく森の中に逃げ込んだ。どうやら追ってはこないようだった。

「水の精霊に会うのはごめんだ。せいぜい慰めてもらうのだな」


 振り返ると、空は真っ赤に燃えていた。

 人類が滅びたあの日のように。

 人類を滅ぼしたあの火のように。

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