第8話 幾億もの星の下で
「君を殺そうと思えば、いつだって殺すことができる」
男は静かに言った。
「これは脅しでもなんでもない。なぜなら僕には君を脅す理由は何もないからね」
まるで頭に拳銃を突きつけたような物の言い方をする。
「僕にとってはどうでもいいことなのさ。君がいつどこでどんな死に方をしようとも」
人をからかうような口調で話を続ける。
「君にできることは何もない。僕を止めることも、僕から逃げることもね」
人懐っこい表情を浮かべながら近づいてくる。
「どうだい? 怖いかい? それとも悲しいかい?」
そのどちらでもなかった。
「もしかして君、怒っている?」
もちろん、そんなことを言われてうれしいわけがない。
「これはビジネスさ。君のじゃない。僕のね」
そう言われて、『はい、そうですか』と思えるほど物わかりはよくない。
「そんな怖い目で見ないでよ。これでも僕は君のことをいろいろと考えているんだぜ」
恩着せがましい言いようだ。
男は黒いスーツに身を包み、左手に何か大きなものを抱えていた。最初それは鞄か何かかと思ったが、男が近づいてくるにつれて、それが何であるか、はっきりとわかった。
「覗き見をした罰だからね。罪は償わないといけない」
男が持っているのは古い鏡だった。
「君が観た未来のことを話してよ。僕はとても興味があるんだ。いいだろう?」
僕は首を横に振る。激しく横に振る。それを見た男は首を縦に振りながらにやにやと笑っている。
「いいね。いいよ。その表情。語らずともわかっちゃうって感じだね。よっぽっど恐ろしいものを見たんだね」
男は左手に抱えた青銅の鏡を僕に向けた。僕は目をそらそうとしたが、首は横を向いても目は鏡にくぎ付けになっていた。
「抗えない。君は何もできない。そんな君のことを、僕はずっと見ていたんだよ」
その鏡に映しだされたのは、病気がちだった母が亡くなる少し前の、まだ幼く、物心もついていない頃の自分の姿だった。やがて母が亡くなり、貧しいなりにも進学し、好きな考古学の仕事に就くまでの半生が次々と映し脱されていった。
「君は決して恵まれた家庭に生まれたわけではない」
確かに僕は貧しい家に生まれた。
「だけど、君より不遇な人は世の中にたくさんいる」
僕の友達に数人、僕よりひどい目にあっている奴はいる。
「いい時もあっただろう? 悪いことばかりじゃなかったはずさ」
楽しいと思えることがないわけじゃない。でも、人より多いかと問われれば否と答えるだろう。
「だって君は、君よりも裕福で幸福そうな人たちのことを、ちっともうらやましいとは思ってないじゃないか」
それはどうかわからない。裕福な家庭には裕福な家庭なりの憂鬱があって、幸福そうに見えるからといって、本当に幸福なのかどうかなんて、誰にもわかりやしない。少なくとも僕はそう思っている。
「でも、それが大きな間違いなんだよ。マイフレンド!」
そんな呼び方はご免こうむりたい。
「君が思っている以上に君は不幸なのさ。そして他人が思っているほど、君は不幸じゃない」
言葉遊びは好きじゃない。
「つまり、みんな平等なのさ。みんな平等に不公平なのさ」
僕はいよいよ、我慢ならなくなった。
「平等に不公平ってことは、はたして平等なのか、不公平なのか。それを決めるのは……」
僕はそれ以上、男の話を聞きたくないと思った。
「いいね! いいよ! その顔! そうじゃなきゃ! マイフレンド!」
次の瞬間、僕は胸のポケットに手を入れ、そこからナイフを取り出した。
「ダメダメ! そんなんじゃ僕は殺せないよ!」
僕は男にナイフを投げつける。男は難なくそれをかわす。
「なんだい君は刃物の使い方も知らないのかい!」
僕の右手には拳銃が握られていた。男がナイフをかわす隙に男の心臓に照準を合わせて構えた。
「無駄、無駄、そんなもので、僕を殺せないことは、君が一番よく知っているはずじゃないか?」
僕の手から銃が転げ落ちる。
「僕を壊そうとしても無駄だよ。未来は変えられない」
そう、あの時僕は鏡を壊そうとしたのだった。鏡は真っ赤に輝き、巨大な隕石の落下とともに、地球上にあるものすべてが消し飛ぶ様子が映し出される。嗚呼、僕はなんて無力なんだ。
「さぁ、もう遊びは終わりだ。残念ながら時間切れさ」
僕は力なくしゃがみ込む。
「運命を受け入れる時が来た」
小さく、小さく、しゃがみ込む
「この時間はここまでだ。次の時間が始まる」
男の声がだんだんと小さくなる。いや、そうじゃない。周りの音がうるさすぎて聞こえないのだ。
「探せ。答えはこの中にある」
男の姿が鏡の中に消えていく。鏡は一瞬闇を映し出し、やがて小さな光が無数に輝きだした。まるで星空のように。
ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ……
何かとても暖かいものに包まれていたのに、僕の体は何者かによって引っ張り出されようとしている。
ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ……
何かとてもやわらかいものに包まれていたのに、僕の体は何者かによって押し出されようとしている。
ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ……
痛い、苦しい、寒い、さみしい
僕は泣き叫んだ
オギャー、オギャー!
遠くであの男の声が聞こえる。
「さぁ、死んで来い。死に向かって生きるのだよ。マイフレンド!」
僕は恐ろしくて、不安で目を開ける。
空一面に星が輝いている。星たちのざわめく音が地に横たえる僕の体に伝わる。
嗚呼、僕はこの世界に一人きりなのだ。
「今度はしくじるなよ……、見つけ出すんだ。闇に落ちた彼女を」
僕は自分が誰なのかをまず探そうとしたが、頭の中にあるのは、僕以外の誰かの声だけだった。
「知りたければ、まず探すんだ。何を探さなきゃいけないかを」
誰だ。いったい誰の声なんだ。
「さぁ、死んで来い。死に向かって生きるのだよ。マイフレンド!」
前にもどこかで聞いたことがある。僕はゆっくりと立ち上がり、周りを見渡した。空には星々が輝き、見渡す限りの大地が広がっている。その先には闇があり、それはまるで僕の記憶そのものだ。
嗚呼、僕はこの世界に一人きりなのだ。
星が、大地が、闇がそれを教えてくれた。
「僕は、どうやら、死神にすらも見放された存在らしい」
記憶の底から別の声が聞こえてくる。
「死は……、死はいつもあなたのそばにあります。でもそれは、今に始まったことじゃないんですよ。そのことだけ言いたくて。それでは、僕は行きます。僕は……、生きます」
嗚呼、彼は逝ってしまったのだ。だから、僕は探さなければいけない。そして僕は歩き出す。それまでざわついていた星たちは急に押し黙り、その代わりに大地を風が通り抜けていく音が聞こえてきた。
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