第5話 あいつは宇宙人2

 学生時代に経験した大きな事件はこの二つだったけど、思い返してみれば、悠斗が私に話しかけてくるときは、必ず何かの意味があったように思える。

 あいつは小さな奇跡を積み重ねることで、悠斗自身に特別な能力があることを私に示し、そして私がそれを受け入れやすいように時間をかけてゆっくりと納得させてくれた。

 悠斗が特別な存在であることを、私はすっかり普通に思っていたし、あいつがやることのいちいち誰かに話そうとは思わなかった。


 母がそんな悠斗との関係をどう思っていたのか、今となっては確認するすべはないのだけれど、年頃の娘を持つ母の気持ちというのは、不安と期待が入り混じったものなのかもしれない。もしも、あいつと出会っていなかったら、私は母の死を受け入れることもできなかっただろうし、そもそもその前に私の存在すら、危うかったという事実の前に、私はすべてを受け入れる覚悟をもしかしたら高校生のときの大きな二つの事件をきっかけにしていたのかもしれない。


「死を恐れることで、人類は文明を発達させてきたんだよ」

 悠斗はいつも唐突にそんな話を始める。

「死を司る神を祭り、病や天才、獣から身を守るために社会を形成し、文明を発展させていった。でもね、やがて人類はある種のパラドックスに陥るんだ」

「パラドックス?」

「そう。つまり死をもたらす外敵を駆逐するため文明を発展させていった結果、文明そのものが人をもっとも効率的に死に追いやる道具になったということ」

「つまり武器や兵器のこと?」

「うん。それもあるけれど、文明を築き上げれば築き上げるほど、滅びの恐怖と無縁でいられなくなるということ」

「どうしてそうなるの?」

「どうしてだろうね。それは僕が聞きたいくらいなんだけど」


 悠斗の話は難しい。だけどあいつと話していると、奇妙な浮遊感があって、まるで重力から開放されたような感覚に戸惑わされることがある。決して心地のよいものではないけれど、怖くはない。


「でも、悠斗の言うとおり、その恐怖に支配された人たちが、暴走を始めたのかもしれないわね」

「うん。ひとつの仮説としてはありだよね」

「小説家や映画監督やミュージシャンたちがいろんな形で警鐘を鳴らしていたのね。でも、ほとんどの人たちがそれを単なる娯楽としてしか捕らえていなかったし、私だってそうだったんだから」

「潜在意識の中に滅びに対するシンクロがなされていたという仮説も興味深いね」


 私が悠斗と初めて映画を観にいったのは高3の夏休みだった。当時仲がよかった女友達の彼氏と悠斗、私の4人で当時話題のスペクタル映画を観にいった。マヤ文明の予言にあるとされる『滅びの日』が実際に訪れるというもので、大地が崩れ、津波が襲い、街が炎に包まれるというものだった。友達の二人は映画を十分に楽しんだみたいだったけど、私と悠斗は、そういう気分になれなかった。結局、映画を見た後、4人で食事をして、それで二組に分かれた。あの二人はもちろんそのあと、よろしくやったのだろうけれど、私と悠斗は短い言葉を二言三言交わして、そのまま家に帰った。


 その夜、何気なくベランダの外を眺めていたら、向かえのマンションに悠斗の姿を見つけた。空には星がたくさん輝いている。私はその星空に指を刺した。悠斗は私に気付いて、あいつは地面のほうを指差した。

「ちょっと買い物に行って来るね」

 母にそういって私は外に出た。ほぼ同じタイミングで悠斗もマンションのエントランスから出てきた。

「あまり長い時間は、お母さん、心配するから」

「わかっているよ。こっちにおいで」


 あいつは自転車置き場に私を連れ出した。悠斗の自転車の後部には荷台はついていない。後輪の軸のところに5センチほどの金属製の足掛けが取り付けてある。私はその上に両足を乗せ、悠斗の背中に立った状態でしがみつく。

「しっかりつかまっていてね。あと警察がいたら合図をするから降りてね」

「わかった」


 決してがっちりしているほうではないけれど、やっぱり男の人の体は力強さがある。悠斗はとくに目だって運動神経がいいということもないけれど、男性特有の逞しさのようなものは悠斗にもあるんだと、少しどきどきした。

「富士見台公園でいいね」

「うん」


 富士見台公園は、町の中でも少し高台になっているところにある公園で、かつてはここから富士山が見えたそうだが、今では高層マンション阻まれて霊峰を拝むことはできないが、このあたりでは星が一番きれいに見える場所であることを知るものは少ないらしく、むしろ夜な夜な少女のすすり泣く声が聞こえるとか、首なしライダーが出るとかそういう噂のほうが耳にするくらいだ。


 二人の自宅から自転車で15分。公園に人影はなかった。

「やっぱりこのあたりでは、ここが一番きれいに見えるね」

 あいつは自転車を引きながら、星空を眺めながらつぶやいた。

「悠斗が宇宙人だとしたら、どの星から来たわけ?」

「カテイの質問にはお答えかねます」

「それ、どっちの意味? 仮の話の仮定、それともおうちの家庭?」

「さて、どうだったか。どうなったのか」

「本当に悠斗って、宇宙人みたいね」

「それは話がかみ合わないって意味? それとも、そのまんまの意味?」

「さて、どうなのかしらね。どうしちゃったのかしらね」


 このときはまだ、二人に時間があった。時間が味方をしてくれていたのだと思う。静かな時が流れて、あたかもそれは永遠に続く……悠久の回廊を散策するようなやさしい時間だった。


 目の前で母が殺されたとき、時は味方をしてくれなかった。あともう一歩のところで間に合ったはずなのに、私が母を救うことを時間(とき)は許されなかったのだ。でもだからこそ、私はそれを受け入れなければならなかった。

 星はずっと私たちを見守っている。その感覚がやがて、見つめられているに変わり、見張られているというところにまでなるまでに、さほど時間はかからなかった。

 私たち人類が、どうあがき、苦しみ、もだえ、そしてどのように死を受け入れるのか。


「瑞希、これだけは信じてほしい。僕と君が見ているものはいつも同じなんだ」

「うん。それはわかるの。なんとなくだけど、そうなんじゃないかなって」

「今は、それで十分さ。もうすぐいやがおうでも、すべてを受け入れなければならないときが来る」

「ねぇ、悠斗。やっぱり人類は……」


 あいつはその瞬間私の自由を奪った。私の視界は悠斗の顔でさえぎられ、右手はあいつの左手に、左手は右手に押さえつけられ、身動きができない。何か言おうにも、私の唇は悠斗の唇でふさがれていた。

 悠斗の自転車が倒れる音がした。その音に驚いた私は変な声を上げてしまった。そしたらなんだかとてもおかしくなって、二人はいつの間にか笑い出してしまった。

 悠斗の表情がよく見えない。私の視界は、今度は私が流した涙によって歪んでしまっていた。


「さぁ、帰ろうか」

「うん」

 悠斗が自転車を起こして後ろに乗るように促した。私はなんとなく悠斗に意地悪がしたくて、自転車を走らせた直後にあいつの肩に噛み付いた。そしたら今度は悠斗が変な声を上げたので、私たちはしばらく夜の公園で星を見上げながら笑っていた。


 その夜の星空のことを私は今でも覚えている。


「あなた、受験生なんだから、ほどほどになさい」

 家に着いたのは10時少し前だった。

「わかっているわよ。ちょっと息抜きしてきただけじゃない」

「悠斗君だって受験生でしょう」

「あっ、えっ……」

「息抜きのつもりが、そっちが気になって勉強も手につかないなんてことにならいようにね。お互い」


 私は顔を真っ赤にして自分の部屋に逃げ込んだ。

 一気に現実に引きもどされたような気分になり、その夜は明け方近くまで机に向かって受験勉強をした。





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