第4話 あいつは宇宙人1

「僕が宇宙人だって言ったら、君は信じるかい?」

 あいつはいきなりそういうことを言う。

「そうね。未来人っていうよりは信憑性はあるけど、それなら超能力者のほうがまだましね」

 私は、教科書をカバンにしまいながら、これからの予定について考えながら答えた。

「瑞希はさぁ、変わっているよね」

 それはない。と心の中でつぶやきながら、しかし、比較の対象があいつであることにむしろ腹が立った。

「あのね、悠斗。用事があるなら先に言ってくれない? 私これから予備校なんだけど」


 柏木悠斗。クラスメイトであり、転校生であり、私と同じ放送委員であり、ご近所であり、席が隣。でも、ただそれだけの関係である。転校生といっても、あいつが転校してきたのは1年の2学期で、彼が転校生であることを覚えているものは少ない。


「では、予言をしよう。それがあたったら、宇宙人から未来人に格上げかな」

 はいはい、わかりました。あなたは宇宙人で結構ですと、そう言い返すべきところなのだけれど、正直、彼の提案を無下にできない私がここにいた。


「その代わり、外れたら超能力者どころか、霊能者としての肩書きも下ろしてもらうわよ」

 こんな会話はばかばかしいと誰もが思うだろう。しかし、あいつには特殊な能力がある。私はそれを何度も目撃している。


「その予備校なんだけど、今日は体調が悪いから休んだほうがいいよ」

 普通の男子から言われたのならば、私はそのまま席を立って出て行ったか、あるいは教科書がいっぱい詰まったカバンを思いっきり振り回したか。おそらくは後者だ。


「それって、私が今日体育の授業を休んだことと関係があるわけ?」

「ない」

「つまり、予備校に行く途中で体調が悪くなるってことなの?」

「うむ、どう説明したらいいのかな。もしどうしても行きたいのなら、手がないわけじゃないけれど、そこまでして、行かないとだめかい? 予備校」

「そこまでしていかなくてもいいなら、そもそも予備校なんて通っていないんですけれど」

「瑞希は頭のいい子さ。僕が保証する」

「本当にもう、行かないといけないの。今の話だけじゃ、私、行くしかないわね」

「話してもいい情報とそうではない情報があるってくらい、瑞希ならわかるよね」

「それはあなたが未来人だったり、宇宙人だったりした場合の話でしょう?」


 悠斗は、すっと席から立ち上がってカバンを握った私の手の上にそっと手を置いた。生暖かくて、やわらかくて、色が白くて、なんだか女友達に手を握られているような感触だった。

「行かないで」


 行くなと言われて、行かないとかないし、いや、むしろ行ったらどうなるか知りたくなるじゃないの!


 などと考えているうちに、気がつくと目の前にあいつの姿はなかった。

「えっ、ちょっと、悠斗!」

 悠斗は、私の半分も教科書が入っていないだろう薄いカバンを小脇に抱えて、教室の出口に向かっていた。


 ここは普通追いかけていって、わめき散らすなり、背後からジャンピングニーをぶち込むところだが、私にはそれができなかった。もちろんスカートの丈が気になってできないわけではない。これと同じようなことが以前にもあり、私はあいつに命を救われたことがあるからだ。


 悠斗と話をしたおかげで、乗ろうと思っていた電車を一本遅らせることになった。だから私は、思い切ってさらに30分くらい時間を潰してから電車に乗ることにした。なぜならそれは思いつきや迷信ではなく、悠斗がああいう顔で何かを言うときは、私に重大な危機が迫っているときに限られているからだ。


『行かないで』といったときのあいつの表情。忘れもしない彼が転向してきて1週間後、私は彼のその言葉に助けられたのである。あとでわかったことなのだが、あいつに同じような言葉をかけられた者が何人かいたそうだ。でも、そのいずれもあいつの言葉に耳を貸さなかった。もちろんそれは、むしろ当たり前のように思える。いきなりそんなことを言われて、信じろというほうが、無理というものである。


「君は僕の言葉に耳を貸してくれた。君だけでも救えたことは、僕の救いなんだよ」

 悠斗それ以上、この件に関して話すことはなかった。私もそんな悠斗に無理に聞いてはいけないような気がしたし、それになんだかんだいっても、あいつはいつも私のそばにいる。転校してきてからというもの、偶然なのかなんなのか、2回のクラス替えでもずっと一緒だったし、出席番号がアイウエオ順である限り、柏木悠斗と加藤瑞希は席が近い。おまけにあいつが引っ越してきたマンションは、私の住んでいるマンションの迎え。行き帰りが一緒になることも多い。


「また、あのときみたいに、大きな事故が起きるのかなぁ」

 二年前、路線バスとトラックが正面衝突するという大きな事故があった。そのバスは普段通学では使ってはいない。学校や家の近くには大きな書店がないので、参考書を買うときはそのバスを利用していた。運転手を含む死者4名、重軽傷者24名という大変痛ましい事故で、トラックの運転手は薬物を使用していたことが警察の調べでわかった。犯人は現在服役中である。


 予測不可能な事故


 でも、どうやって悠斗それを知りえたのか。予測しえたのか。声をかけられて死を免れたほかの生徒は気持ち悪がって悠斗には近づかなくなった。あいつもそういうことはまったく意に返さないような素振りをしているし、普段はあまりにも影が薄く、時々隣に座っていることする忘れてしまうほどだった。


 存在の希薄さ


 そんなあいつがまるでこの世を去ろうとしている命に向かって『行かないでくれ』と訴える表情に私は素直に答えざるを得なかったのだ。私は幼いころに父を亡くしている。病室で息を引き取ろうとする父に向かって母は必死で語り変えた。


 行かないで、行かないで


 私にはそのときの母の顔を忘れることができない。愛するものの命が目の前で尽きようとしている。闘病の末のことだから、どこかの時点で母にはしっかりと覚悟ができていたのだと思う。入院したてのころは、泣いている母の姿をよく目にした。父は病気が発見されたときには手の施しようがない状態だったので、なるべく苦しまずに余生を生きられるような治療を続けていた。そのおかげで二人の間には優しい時間が流れるようになっていたことを、幼いながらも私にはなんとなくわかった。


 悲しみの向こう側の悲しみ


『行かないで』といった母の顔には、そういう悲壮感や哀愁を超えた、目の前の命の尊厳や思い出や優しさや哀れみや、それでいて自分自身はままならないという苦しみや覚悟や畏れが入り混じっていた。あいつはそんな顔をする。まるで、いくつもの死を見届けてきたような顔をする。


 悠斗の後を追いかけ、予備校をふける代わりに私に付き合えと言ってみた。

「帰ったほうがいい。お母さんが心配するから」

「悠斗はどうするの」

「別に、どうもしない。どうにもできないから・・・・・・」

「まだ、気にしているの? 塚田さんのこと」

「気にしていないっていったら嘘になるかな。でも、気にしないようにはしている」

「そっか」


 塚田恵美子。彼女もあいつの言葉を聞いた一人。二年前のあの痛ましい事故の被害者で死亡した4名のうちの一人。他にもあの事故に巻き込まれた生徒が二人いたが、今は退院して学校に通っている。正確には学校と病院の両方に通っている。月に1回カウンセリングを受けているそうだ。



「ねぇ、瑞希。この世に神様っていると思うか?」

「どうかしらね。運命の悪戯を起こすような神様はいるかもしれないけれど、奇跡を起こして人類を救ってくれるような神様はいないように思うけど」

「瑞希は現実論者なんだね」

「いや、そうとう現実離れした話をしていると思うけど」

「人類は滅びる」

「はっ?」

「人類はいずれ滅びる。この地球に生まれた生命は繁栄と滅亡を繰り返してきた。人もまた、例外じゃない」

 あいつはどこか楽しげにそういう話をする。


「君たちがいう神とか悪魔っていうのは、僕の敵でもあるんだよ」

「はぁ? 君たちって、じゃぁ、あんたは何者なわけ? 柏木悠斗」

「神も悪魔も人類を思想の面から支配しようとしている宇宙人なんだ。僕はその宇宙人の魔の手から人類を守るために遥か遠い星からやってきた銀色の巨人なんだ」

「あんた、特撮ヒーロー物の見すぎ」

「あるいは悪魔と呼ばれる古代生命体が人間に憑依して人類を破滅に導こうとする……」

「はいはい、悪魔の力を身につけたヒーローの話は前に聞きました」

「地球は狙われている」

「もう、いいってば!」


 私がこんなオタクな話についていけるのは、あいつの影響というわけではない。亡くなった父は、特撮ヒーローやアニメが大好きで、女の子である私に魔法少女ものではなく放射能から生まれた怪物やバイクに乗った改造人間、そして宇宙からやってきた銀色の巨人のDVDをたくさん見せてくれた。父が亡くなってからも、私は父の面影を追って、家にあったDVDを片端から見た。


 最初、母はそれを快く思っていない節があったが、いつしかDVDを一緒に見るようになり、父がどのキャラクターが好きで、なんていう怪獣が好きでとか、そんな話をするようになった。なんてことはない。母も父の影響を受けてすっかり好きになっていたのである。


 あいつと一緒に学校を出て、結局家まで送ってもらった。その間中、悠斗は普通なら『この人、頭がとうかしているんじゃない』という話をしていたが、正直、半分も頭に残っていない。こうしている間にも、私が行こうとしていた場所で、何か重大な事件が起きているかもしれない。気にするなというほうが無理な話だ。


 別れ際、あいつは「今日一日、家を出ようなんて思っちゃだめだよ。君を大事に思ってくれる人のことを、まず一番に思うこと。何か困ったことがあったら、いつでも連絡して」と言っていたけど、そういえば悠斗に電話をしたことはなかった。携帯の電話帳を確認する。たしかに悠斗の名前がそこにあった。


 そういえば、いつ電話番号交換したんだっけ?


 私はそういう記憶にはまったく自信がなかったから、すぐに考えるのをやめた。

 マンションのロックを解除して、中に入る。郵便受けを確認してからエレベーターに乗る。そのとき不意に携帯の呼び出し音。母からである。


「もしもし、瑞希、大丈夫? 大丈夫なの?」

 エレベーターの中は電波の調子が悪い。ついでに母が何を心配しているのかまるでわからなかったこともあって、しばらく無駄なやり取りが続いた。

「もしもし、今エレベーターの中だから」

「エレベーターに閉じ込められているのかい?」

「だから、そうじゃなくて普通に……」


 5階につくとエレベーターの「開くボタン」を連打し、電波の状態がいい場所に移動した。やっとクリアになった。

「だから、今家に着いたところ。どうしたの?」

「今日は、予備校じゃなかったのかい?」

「そうだけど、ちょっと……気分が悪くて」

「そうなの。よかったぁ……、お母さんてっきり事件に巻き込まれたんじゃないかって」

「事件?」

「あなたの通っている予備校で生徒の一人が刃物を振り回して、何人か死傷者がでたって」

「そ、そんな。そんなことって」

「ともかく、よかったわ。瑞希にもしものことがあったら私……」


 電話口で母が泣いているのがわかった。私は言葉を尽くして大丈夫だからと言って、なんとか電話を切った。


 わかっていっても込み上げてくる思いがある。

 私だけが助かってそれでいいのかという思いと、どうにかして他の人を救うことができなかったのかという思いだ。


 私はあいつに救われた。でも、そこまでわかっているのなら、もっと他に手立てはなかったのか?

 前の事件のときに、私は思わず問い詰めてしまった。

「他に方法はなかったの?」

「うん。そうだね。あったかもしれないね」

「じゃあ、どうして……」

「僕がわかってしまうっていうのは、もうそれだけで反則なんだよ。君一人で精一杯って言ったら、君は悲しむかい?」

「そんなこと……、わかんないよ。だって、人が死んでいるんだよ」

「死は誰の元にも必ず訪れる。それがどんなに理不尽であっても、思いを遂げられなかったとしても、誰に知られることがなくても。死神はいつも見ている」


 同級生のお通夜の日。あいつは夜空いっぱいに輝く星を見上げながらいった。

 私は始めて夜の星が怖く見えて、あいつの腕を掴んだ。

 悠斗は、いつになくはかなげだった。



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