第3話 死神を映す鏡

 医師 武井守のメモ


 考古学者 二宮隆志のケース



 彼が病院に運ばれてきたのは3日前のことだった。彼が発見されたのはその日の朝、とある神社の建物の中で倒れているところを、職員が発見し警察に通報。たまたま彼をよく知る者が警察内にいたことで、身元はすぐに判明した。


 都内にある大学の考古学研究室の職員 二宮隆志 39才


 6年前にこの神社で起きた盗難事件について調べていたらしいことは、警察から聞いている。なんでもその犯人が出所後、この町で交通事故にあって死亡したことに何か不審な点を感じたのか、死亡した鈴木陽一65歳元受刑囚のことをいろいろと調べて、5日前にこの町に来たらしい。


 彼の所持品から見るに、この神社に代々祭られているご神体を持ち出そうとしていたのかもしれないと、警察関係者は話していた。いったいなぜ、彼がそのような行動をとるに至ったのか。すべてはそのご神体である古い鏡にあるに違いない。


 しかし、それは私の専門外だ。彼は病院で意識をすぐに取り戻したが、どうも症状が最近流行している厄介な症状と似ているのである。その症状とは、外からの刺激に対してほとんど無反応であること。肉体的には外からの刺激に対して反応はしている。明らかに精神に異常をきたしている状況である。


 人が生きるために当然に必要な水分補給や食事、或いは排泄に至るまで、それらの行為に対してまるで無頓着になる。会話をしても、ほとんどの場合、上の空のような状態で、わかりやすく言えば、生きる気力をすっかりなくしているのである。


 まさか、あの鏡に生気を吸い取られたとか、魂を抜かれたとか、そんな話をするつもりはないのだが、ついついそういう考えが頭をよぎってしまう。現在同じような症状で入院している患者は6名。うち一人は回復の兆しが見えているが、またいつ症状がぶり返すかわからない。精神的な疾患が、このような集団で起きる場合、たとえば寄生虫や細菌、ウイルスや化学汚染物質などが体内に入り、脳や神経に重大なダメージを与えているようなケースが考えられるが、あきれるほどに共通点がないのである。


 ただ、家族や知人・友人の話を聞くと、パーソナリティの部分ではいくつかの共通点を見出すことができるが、それが治療のヒントや原因の特定に至るまでには、どうしてもサンプルが不足している。大学の関係者に連絡を取っているが、やはり同じような症状の患者が増えているという返事が集まり始めている。驚いたころに、アメリカやカナダでも同じような症例があるらしいこともわかってきた。


 いったい何が起きようとしているのか。何が起きているのか。


 そのヒントは彼の所持品のノートにあるのかもしれない。どうやら彼は、いわゆる終末論の謎を追いかけていたことがわかった。その中にある天文学者の論文がある。付箋のしてあるページをざっと読んだだけだが、巨大な隕石が地球に衝突する可能性について書かれていることまではわかった。論文を発表した学者はすでに他界していること。その学者の出身地に彼が発見された神社が近いこと。さらにその神社で盗みを働いた男が事故死をしたのもこの町である。


 しかし、その謎を解くのは私の仕事ではない。


 とにかく、彼の閉ざした心を開くためのキーになるかもしれない。


「二宮さん、私はあなたの主治医の武井と申します。わかりますか?」

 クランケの反応は鈍い。聴いてはいるが理解はしていない様子だ。

「あなた、ここで倒れているところを発見されたんですよ。何か覚えていますか?」

 用意してあった神社の写真を見せる。まずは外観、少し遠目から撮影した写真から大鳥居から本殿まで建物の全体がわかる写真や特徴的な部分を収めた写真を次々に見せていく。ここまでなかなか反応が返ってこない。本殿の内部、彼が倒れていたのはさらにその奥のご神体のある場所なのだが、あいにくそこは撮影が許可されなかったので、ご神体とされている古い鏡の簡単なスケッチを見せた。


「か、鏡……」

 ここで初めて反応が。やはり鏡になにかあるということなのか。

「誰にも……、話せない。誰も、見ては、いけない」

 クランケは酷く怯えているようだった。これ以上は危険か

「未来……、未来は」

「大丈夫ですか? 二宮さん。僕がわかりますか。二宮さん」

 クランケの注意をこちらに向けようとするも、彼は私の手から鏡がスケッチされた絵を奪い取り、同じ言葉を繰り返した。

「鏡……、鏡……、未来、未来は……、見るな。誰にも言えない」


 これ以上は危険と判断し、その日は彼をゆっくり休ませることにした。


 神社、鏡、未来


 彼はあそこで何かを見て、その何かを誰にも言うことができず、心を閉ざさざるを得なくなった。その精神的負担は、計り知れないものだったということになる。いったいあそこに何があるというのだ。私は、それを確かめることが治療の近道であると考え始めていた。





 心療内科医 武井守の記事


 ○○総合病院 心療内科に勤務する心療内科医 武井守 36歳は、今月23日午後23時45分頃 ○○大社本殿に忍び込もうとしたところを、巡回中の警察官に発見され住居不法侵入罪及び器物破損罪で現行犯逮捕された。警察の調べによると、武井は意味不明の言葉を繰り返すだけで、精神に異常をきたしている疑いがあるという。同○○大社では、1週間ほど前にも同様の事件が発生しており、武井はその時の犯人の主治医であったことが、取材で明らかになった。関係者によれば、武井医師の現在の症状はその患者の症状と酷似しており、その因果関係について調査中とのこと。



 ○○病院の病室にて


「武井先生、最近見ませんけど、どうかしたんですか?」

「先生、ちょっと体調を崩されてね。今は別の病院に入院しているの」

「そうなんですか。僕は先生にお礼を言いたかったのに」

「そうね。まだ、ちょっとかかりそうなのよ」

「ねぇ、看護婦さん、隣の病室の患者さんって……、もしかしたら僕と同じような症状なのかな? 確か武井先生が診ていましたよね」

「あぁ、二宮さんねぇ。そう。難しいわねぇ。同じとは言えないかなぁ」

「挨拶をしたいんですけど、迷惑でしょうか?」

「お知り合いだったの?」

「いえ、直接は……、ここに来てからの知り合いということでは、いけませんか?」

「お話、したことあるの? 二宮さんと」

「廊下をすれ違った時にあいさつ程度しか……、でも僕はどうしても彼に伝えたいことがあるんです」

「わかったわ。ちょっと待っていてね。様子見てくるから」

「すいません。わがまま言って」

「いいのよ。ようやく退院できるのですもの」


 ここを出られることを、周りは本当に喜んでくれている。それは素直にうれしいと思う。しかし、僕は不安で仕方がなかった。外での暮らしがいったいどんなものになるのか、まるで想像ができなかった。


 僕は病気で、心を閉ざし、毎日のように死にたいと考え、そして毎日のように怯えていた。

 死にたいのに、死ぬのが怖い。そんな自分が生きていることが申し訳なかった。情けなかった。認めたくなかった。まるで出口の見えない迷路をこのベッドの上でずっとさまよい歩き続けてきた。やがて僕はすっかりおかしくなっていた。僕に見える物は、ほかの誰にも見えていないようだった。


 死神は、じっと僕を見つめていた。


 最初それは、僕だけを見つめていて、僕の魂を刈り取りにきたとばかり思っていた。死神は収穫の時をじっと待っていた。僕もその時が来るのをじっと待つしかなかった。でも、待つのは嫌いじゃなかった。待たせることに比べたら、ずっと気が楽だった。あいつもそんな顔つきで、じっとこっちを見ていた。


 あるとき、僕は違うんじゃないかと思い立った。なにがどう違うと思ったかは、正直記憶が混同している。そのとき死神は僕のそばにやってきた。いつもよりもうんと近くにきて、そして僕に手を伸ばした。僕はそれを振り払った。どうしてだかわからないけど、僕は死神を避けたのだ。奴はどこ何消えていなくなった。


 でも、そうじゃないとすぐにわかった。奴は今でも僕をどこかで見ている。そして僕だけじゃない。死神はいつも誰かを見ている。僕はそのことを伝えなければいけないと思った。そう、あの人も死神を見つめている。そのことを伝えないと。


「短い時間ならいいって、許可が出たわ」

「ありがとうございます。最後まで、迷惑かけちゃって」

「うーうん。全然いいのよ。むしろ、うれしいわ。私たちのこと、頼ってくれるようになって」

「そういうことが、できなかった自分が確かにいたんです。あのベッドの上から見る景色は、誰にも理解してもらえないって、そんなふうに考えていました」

「そう。でも、本当によかったわ。退院おめでとう」

「ありがとうございます」

「じゃあ、行こうか」

「はい」


 二宮さんは、あのころの僕と同じように、ベッドの上から世界を見ていた。僕の姿がどう見えるのか、わかる気がした。でも、それすらも疑って、僕は注意深く話しかけた。

「僕は、行きます。二宮さん。あれは、ずっとあなたを見つめています。でも、あなただけじゃない。そのことがわかる日がきます。きっとあなたにも来るはずです」


 僕には見える。ベッドの横で、じっと二宮さんを見つめている死神の姿が。おそらく二宮さんにはまだ見えていないのだろう。見えていないけど、きっと感じているはずなのだ。


「死は……、死はいつもあなたのそばにあります。でもそれは、今に始まったことじゃないんですよ。そのことだけ言いたくて。それでは、僕は行きます。僕は……、生きます」


 二宮さんの目から涙がこぼれ落ちた。その顔はまるで幼い子供のように清らかで、瞳は未来を映す鏡のように見えた。


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