第2話 死神は眠らない

 死神は眠らない。

 僕のベッドの傍らに、静かに佇んでいる。


 シミ一つない真っ白な壁は、清潔感というよりはどこか無機質で無慈悲に見える。

 きっとそれは、僕だけがそう感じるのだろう。

 そうでなければいけない。


 ベッドの上から見る風景は、僕を見舞いに来る人のそれとはちがう。

 もちろん僕の面倒を見ることを生業としている人とも違うのだろう。

 彼らにとって、僕は唯一の存在ではない。

 だから、僕は見舞いに来る人よりも彼らを歓迎する。

 僕は、特別な誰かであることを、どこか恐れているのかもしれない。


 ここに集まる人は、何かにすがって生きている。

 それは愛する誰かかもしれない。

 愛してくれる誰かかもしれない。

 でも、僕は、そのいずれも持たない。


 それは希望かもしれない。

 それは誰かの願いや夢なのかもしれない。

 でも、僕には、何もない。

 唯一、この命の他には何もない。


 この命と、それを見つめる死神。

 僕は、ずっと死神を見ている。


 ここは死に一番遠い居場所。

 だけど、死に一番近い場所。


 病気や怪我をした人を治す場所。

 治った人はこの場所を出ていく。

 でも、治らなかった人も、いずれこの場所を出ていく。


 命は、尊く、儚い。

 生とは今であり、過去である。

 それに対して死とは、常に未来にある。

 死神は僕の未来を見つめている。


 『我々はどこからきて、どこへ行くのか』

 そんなことを考えながらも、それでも人は生きていく。

 死に向かって生きていく。


 たとえ、『どこからきて、どこへ行くのか』が、わかったとしても、

 人は死に向かって生きていく。

 命に向かい合うということは、即ち死に向かい合うことなのかもしれない。

 だから、僕はずっと死神を見つめている。


 朝、目が覚めて『嗚呼、僕は生きている』と知る。

 知ることができる者だけ、その日一日、生き残ることを許される。

 同時にその日に死ぬことを許される。

 僕は、このまま、こうして生きていて良いのだろうか。

 僕は、死んでしまっても良いのだろうか。


 許しを乞うて生きていくのも、許しを乞うて死んでいくのも

 本当は自由なはずなのに。

 なのに、どうしてこうも、不自由に感じてしまうのだろうか?


 昼、お腹がすいてパンをかじる。

 それはこれまで生きてきたこの体への報酬なのか。

 それとも、これから先、生きていくための投資なのか。

 おそらくそれは、死んだときにわかることなのだろう。

 例え、僕がわからなくても、死神がその答えを持っているにちがいない。


 夜眠れないのは、もしかするとこのまま永遠に起きないのかもしれないという不安からなのか。

 或いは、また生きて朝を迎えてしまうことへの不安なのだろうか。

 僕は、病院のベッドの上から世界を見る。

 でも、世界からはここは見えない。


 今日も死神が僕を見張っている。

 あれは、ずっと眠らないでそこにいる。

 片時も私から離れようとしない。


 いや、だけど、違うのだ。そうではなかったのだ。


 そのことに気づいたとき、僕は本当に死にたくなった。

 死神もまた、世界と同じだ。

 僕はお前を見ているが、お前は僕を見ていない。

 お前が見ているのは、僕だけではない。

 神がそうであるように。

 死神もまた、誰にとっても平等に不公平なのだ。


 カーテンを開ける。

 そこにはまばゆいばかりの星たちが輝いている。

 それはまるで、死神の目のようだった。

 死神は眠らない。

 僕が永遠の眠りについたとしても、そうでないとしても。


 僕はいたたまれなくなり、夜空を見上げるのをやめた。

 世界はこんなに美しいのに、どうして僕にだけ、こうも残酷なのか。


 誰も僕を見つけてくれない

 誰も僕を感じてくれない

 誰も僕に触れてくれない

 

 死神だけは僕を見てくれていると思ったのに

 死神だけは僕を知ってくれていると思ったのに

 僕を向こうの世界に連れて行ってくれると思ったのに


 誰でもいい

 僕を見て

 僕を感じて

 僕に触って

 この手を引いて、どこか別の世界へ連れて行ってほしかったのに。


 僕のささやかな願いに、死神は応えるかのように僕を見つめる。

 そして近づき、そっと僕の手を握ろうとする。

 僕は死神を見つめ、死神を感じ、死神に触れようとした。


 でも、その眼はうつろで、まるで僕を見ていない

 でも、その存在はこの部屋の壁のように無機質で無慈悲だ。

 でも、その手に触れることを、僕の中の何かが拒む


 僕の背後で、夜空の星たちがまばゆく輝いているのを感じる。

 僕を呼んでいる。

 僕は死神の手を払いのけて、後ろを振り返った。

 光が見えた。

 それは、一瞬の輝き。

 その輝きに僕の中の何かが呼応して、光を放った。


 僕はそのまぶしさに思わず目をつむり、そして目を開ける。


 嗚呼、朝だ。

 また目覚めてしまった。


 あたりを見渡す。

 ベッドの上から見る風景は、僕を見舞いに来る人のそれとはちがっていた。

 もちろん僕の面倒を見ることを生業としている人とも違っていた。

 彼らにとって、僕は唯一の存在ではなかった。

 だから、僕は見舞いに来る人よりも彼らを歓迎した。

 僕は、特別な誰かであることを、どこかで望んでいたのだと気づく。


 死神は眠らない。

 今は見えなくとも、どこかで、誰かを見ている。

 きっと僕のことも見ているにちがいない。

 雲の上、青の向こう側で星の群れが、じっとボクらを見つめている。

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