第29話 行進
ひとつの考えの帰結が状況を変えることがあるのだと知ったのは――いや、忘れていたなにかを思い出させてくれたというほうが適切かもしれないが、私にとってどういう意味があったのか。それはわからない。わからないがしかし、なぜそうなったのか。何によってそのことに気づかされたのか。その結論にたどり着いたかは疑う余地はない。
あの老人、もしもあの老人に出会っていなかったら……
死――それは肉体的な滅びを意味するものではなく、精神的なものより内面的で脆く、傷つきやすく、デリケートでナイーブ。しかし、ある行動原理――それは真理というべきなのかはわからないが、『生』への執着に目覚めたとき、能動的で闊達、なにものにも屈しないタフさと豪胆さ、さらには内側にとどまらずにあふれ、湧き出す勇気となって恐怖を克服する力になる。そしてそれは自分だけに向けられるものではなく、周りにいるより多くの人々へと伝播するものなのかもしれない。
人は誰しも、自分はなんなのか? 何のためにこの世に生を受けたのか? 自分はどこから来て、どこへ向かっていくのかを長くも短く、短くも長い人生の中で一度は問いかける。その問いは最初は外側に向けられ、やがて内面へと向かっていく。そこである程度の答えを見つけられるのかどうか――それは人それぞれだろう。
答えなどないということがわかる。
そこに帰結し、考えること、そこに固執することの無意味さを悟り、今をどう生きるかが問題だと気づくことができれば、その後の人生は至極前向きなものになるに違いない。しかし人の心は過去からの連続した魂であると同時に、その膨大な量の経験の情報――すなわち生きるためにしてきたことのログを振り返ってばかりもいられない。そしていつしか人は忘れてしまうのだ。かつて自分が問いかけて得られなかった答え――求め続ける限り、永遠に見つからない答えは、求めることを忘れた時点でひどく陳腐なものに変転してしまう。心は錆びたり、腐ることもあるのだ。
達観は傍観になり、無関心は人を残酷にする。そしてその痛みを忘れるために、自分の姿を映す鏡から目をそむける。自分の足音に耳をふさいでしまう。そうでなければ耐え切れないような『しがらみ』や『まやかし』や『目論見』、『でたらめ』や『偏見』。それを誘惑というのなら、あまりにも魅力的で狡猾で愚鈍である。それを性(さが)というのは簡単だが、他人に向ける目と、自分の内面に向ける目とでは、自ずと図る基準が違ってくる。人はそれほど自分を悪人だと割り切れないし、逆に他人を善人だとも信じられない。
しかしこのような状況――後で知るところの東日本大震災のすさまじい有様の前に、人は『変わらず』にはいられないし、『変わらなければ』ならない。スイッチは入れられたのだ。あとは自分で制御するしかない。私は周りの人に声をかけた。
「すいません。品川から大森・蒲田方面に行きたいんですが、田町に行くよりもどこか途中で降りたほうが近い気がするんですが、どなたかわかりませんか?」
一瞬の沈黙の後、小柄な一人の中年女性が応えてくれた。
「そうね。私も考えてたんだけど、白金台あたりで降りたほうがいいかもって……」
「それなら魚藍坂(ぎょらんざか)がいいですよ」
サラリーマン風の若い男がスマートフォンをいじりながら、つぶやいた。
「あ、すいません。それ、そのスマートフォンで、そのあたりの地図みれますか?」
「あ、ちょっと待っててくださいね――ほら、こんな感じ」
私の起こした行動は、すぐさま回りに伝播した。互いに持っている情報、知識、考えを交換し合い、今一番何をすればいいのかとう問題を共有した。
「すいません。自分で調べればいいのですが、あいにく携帯のバッテリーが上がりかけていて」
「それなら、ほら、これを使ってください。僕はスマフォと携帯両方持ってますから、これは多分使わないで済みそうなんで」
スマートフォンを持っている男は、ポケットから携帯電話とそれに繋がっている乾電池式の携帯用バッテリーを取り出し、携帯からコードを抜いて私に差し出した。
「あ、いいんですか? 私は助かりますが、これをお借りしても、返す手立てが……」
「いいですよ。お気遣いなく。僕が持っていても、役に立ちませんから。使ってください。そんなに電池は残ってないかもしれませんよ。うまいことコンビニで乾電池が買えればいいんですが……」
「この状況じゃ、ちょっと難しいかもしれませんね。ありがとうございます。お言葉に甘えて、お借りします」
「どうぞ」
なんとも不思議な気分だった。私の妄想の中で、彼は私に酷い罵声を浴びせながら、最後は砂のように砕け散ってしまった。しかし、彼は、こうして私に手を差し伸べてくれた。紙一重の違いなのか、或いは全く別世界の出来事なのか。私にはわからない。わからないが、そういう二面性を彼も、そして私も持っているのだということは否定できない気がした。いずれにしても、これで決心がついた。
「よし、魚藍坂で降りるか」
「わたしも一緒におります」
「あのー、すいません。連れが席に座っていると思うんですが、ちょっと通してもらっていいですか?」
私は無理を言って、座席の最後尾のあたりから少し前へと移動をさせてもらった。私がいると思い込んでいるその場所に、当たり前のように老人の姿があった。私は特に期待をせず、不安にも思っていなかったが、やはり、老人の姿をみたとき私の顔の表情は確かに少し緩んだ。
「おじいさん。魚藍坂というバス停で降りましょう。どうやらそのほうが近いみたいですし、歩く距離も結果的には短くなると思うのですが……」
「あ……あ……あ……」
全く持って聞き取れなかったが、それでも私は老人が快諾をしてくれたのだと受け取った。こうして私たちは、バスを降りることに決めた。それはバスを乗るときよりもよりはっきりとした明白な意思としての決断であり、今日始めて私がした『生きるための決断』であった。
相変わらず道は混んでいる。バスは思ったようには進んでいないが、これまでの状況からすれば劇的に早く進むようになった。はたしてここからは、どの道JR線の復旧はないのだから、大森蒲田方面に向けての交通機関となれば京浜急行の一択しかない。しかし、およそ京浜急行が復旧しているとは思えない。そうなるとバスやタクシーということになるが、それもこの時間では難しいだろう。時計はすでに10時を回っていた。
「次は、魚藍坂下 魚藍坂下に止まります」
バスのアナウンスが聞こえる。私が押すよりも早く他の誰かが停止ブザーを押したようだ。
「次 止ります 走行中は危険ですので バスが停車するまで 座席に座るか つり革にしっかり捕まってください」
機械的なアナウンスは、何か突っ込みたくなるが、笑う気にも怒る気にもなれず、ただ、心の中で苦笑するしかない。それでも、そういう心の余裕が持てたことは喜ぶべきだろう。
バスの車内からめる風景。たぶんこのあたりはこんな時簡にこれほどの人通りがあるところではないのだろう。どこからかはわからないが、歩道を急ぎ足で歩くサラリーマンやOLの姿が目立つ。ときどき観光客らしき外国人……おそらくは欧米から来ている富裕層の家族連れが目に入る。とんでもない体験をして、さぞかし不安なことだろう。いくら地震に慣れている日本人でも、流石にこの規模の揺れ体験している者は少ない。だれも彼らの面倒を見る余裕はないだろうと思っているときに、ふと人影がその外国人の手段に近寄っていく。
それはおよそ日本語以外は話しそうもない中年の女性であった。なにやら一生懸命に地図らしきものを持って、その外国人観光客の家族に一生懸命に説明しているのである。バスは進み、その一団はすぐに物陰で見えなくなってしまったが、そうか。みんなそうやって助け合っているんだと思うと、急にうれしくなってしまった自分にまず、驚いた。
少し前まで、私は目の前の光景に対して懐疑的で、できるだけ他人に関わらないように心がけていた。無関心を装う――そのような態度や行為は会社勤めを始めた頃には、決して当たり前ではない非常手段的なことだったはずが、今ではすっかり身に染み付いてしまっている。こんなことでもなければ、気がつかなかっただろう。そして私と同じような感覚に襲われている人は、思いのほか多いのかもしれない。
バスの窓から見える震災に戸惑う街は、まるでサファリパークか、心象のショウウィンドウのようだ。乗客はみな、バスの外の風景を眺めながら、そこに写りこむ自分の姿を見つめて思いにふける。なぜこんなことになってしまったのかと問いかけ、ともかく早く家に帰ろうと自分を納得させるしかない。しかし、ふと、バスの外の世界と中の世界が繋がっていることを思い出す。現実は思いのほかリアルなのだ。
そろそろかと、窓の外を眺めているとアナウンスが流れる。
「はい、魚藍坂下到着ですー」
機械的なアナウンスではなく運転手がマイクで案内をする。やはりさっきの案内は、どこか不釣合いである。非常時には非常時のやり方をするべきであろう。
「降りる方がいます。前方と後方の扉を開けますので、ドア付近の方は、お下がりください」
やっとバスから降りられる。それを開放感というのならそうなのかもしれない。しかし、窮屈で安全な世界から広大でどんな危険が潜むかわからない世界に飛び込むことが、どうして開放感なのかと問われれば、やはり、適切な表現ではないように思える。現にここでバスを降りる人の表情には、ある一定以上の緊張感が漂っていた。しかしそれは、受身の緊張感ではなく、例えるのなら陸上競技のスタートラインに立とうとする選手のそれに近い。日常の中の定型化した決断とは違い、自己の判断に対する責任を伴う選択をしたとき、人はそうでないときよりも潔い。
「さぁ、降りましょう」
私は老人を促し、老人は素直にそれに従った。老人はブツブツと何かを言っているようなのだが、どうやらそれは、何かに対して文句を言っているのではなく、面白い本でも読んでいるときについつい文章を口ずさんでしまっているような感じに見えた。ステップ台を降りるときに手を差し伸べようとして、私はその手を引っ込めた。どうやらその必要はないらしい。
どことなく見たことのあるような風景――そうだ。ここは何度か通った事がある。バスの中で地図を見せてもらったのだが、今ひとつ風景と地図が一致しない。私がまわりをきょろきょろと見ていると、一緒に降りた中年の女性が声をかけてくれた。
「こっちよ。第一京浜にでるのは」
渋谷駅から田町駅に向かうバスは、渋谷から恵比寿、白金高輪駅と通過し、そこから桜田通りを直進して三田・田町方面へと向かう。我々の目的地が品川よりも横浜寄り、大森、蒲田方面であるのなら、一駅ほど戻ってしまうことになる。JRの山手線内の駅の混雑は容易に予想されるし、それであれば、ここから歩いたほうがいい。魚籃坂から伊皿子坂(いさらごさか)へ抜けて第一京浜国道――国道15号線に出るのは、ほぼ道なりに行けばいい。地図で見た時はそう思ったのだが、やはり歩いたことのない道は不安である。
声をかけてくれた中年の女性の後をゆっくりと追いながら私は歩いた。老人の歩くペースは大体心得てきた。道すがらに何台か自動販売機を見つけたが、どれも売れ切れになっている。いや、全てが売り切れているわけではない。水やお茶、スポーツドリンクといったドリンクが売り切れていて炭酸飲料は販売している。きっとどこの自動販売機もこんな感じなのだろう。
「のどか沸きませんか? 大丈夫ですか?」
老人は相変わらず静かに佇んでいる。静かに歩き、静かに拒む。だが、私はどうしても喉が渇いたので、注意深くあたりを見回しながら歩く。どこかで水かお茶があったら買って飲もう。そしたら、もう一度問えばいい。たぶん、きっと老人は、それでも拒むだろう。バス停は魚藍坂を少し通り過ぎた桜田通りにある。道路を行き交うタクシーは、運転手も乗客も不機嫌な顔をしている。そんなことはお構いなしに私たちは先を急ぐ。いや、ゆっくりと整然と歩いて行く。この坂を上り、そして下ったところには、一体どんな風景が待ち構えているというのだろうか? 不安とも期待とも言えない複雑な思いを引きずりながら、私と老人は、坂道を登り始めた。
できればバスを降りた人たちと一緒に歩きたいとも思ったが、老人のことを考えれば致し方ない。足手まといとも言えるが、それは本末が転倒だ。もし私が一人で行動していたら、たぶん、こうしてここには立っていなかっただろう。だからこそ私には、そうであることを後悔するよりも、ここに至るまでの経緯に何かの意味や価値を求める行為のほうが、はるかに建設的に思いえたし、そう思わなければ、まるで自分が救われない気分だった。先行く人を見送り、私は老人とともにバス停から歩き出した。
「品川駅まで、歩いて20分か……いや、もう少しかかるか」
自分だけなら、もう少し早く歩けるし、近道を探りながら進むことも可能だ。しかし、そうでないなら、そうでない方法をとるべきだし、とるしかない。それに大きな地震の後だ。下手に細い道を行けば、思いもよらない形で足止めを食らうこともありえる。ここはやはり、多少遠回りになっても、人通りのある通りを進むべきだろう。それに――なぜだかわからないが、老人もそれを望んでいるように思えた。
魚藍坂は、人が歩くのを拒むような急な坂道ではない。とはいえ、老人が軽快に上ることができる坂でもない。歩みの遅い同伴者と会話もせずにペースをあわせて進んで行くのは、想像するよりもはるかに過酷な作業だ。しかし、不思議とそのことに腹を立てるような感情は芽生えてこなかった。むしろ、その中でどうしようもなく目に入ってくる非日常的な景色をじっくりと堪能することができることに、少なからず興味を覚えていた。
「ことここに至っては、何を急ぐ必要があるというのか」
私はこの時点ですでに観察者として今の状況を心に留めることこそが大事だと気づき始めていた。人がこのようなときにどのような振る舞いをし、どのように考え、行動するのか。あのバスの中での幻影――たぶん現実でないが、確かに私が見て、感じた世界――そこに通じる扉に入り込むことを警戒しながら、私は注意深く歩いた。
まるでそんな私の心の変化を汲み取るかのように、老人は街の風景の些細な変化に足を止め、なにかブツブツとつぶやいては歩き出すのだった。道行く人の中には、あわよくばここでタクシーが拾えないかと、背後から来る車に気を配りながら歩いている者もいる。またある者は、まるで今起きていることには関心がないかのように、密閉式のヘッドフォンを装着し、軽快に通り過ぎてゆく。ある集団はおよそ先ほどまでは知り合いではなかったのだろう「始めまして、私はこういうものです」「で、どちらからいらしたのですか」的な会話をしながら痛くもない腹を探られないよう決して警戒心を解かない。
「なるほど、こういうことを想定して、臨時の避難所になるようなマニュアルがあるのかぁ」
私の関心を引いた光景――それは区民館のような公共の施設だった。トイレの貸し出しや休憩、ペットボトルの水の支給するなど、避難所として開放している。そういう場所をいくつか通り過ぎた。老人に「寄って行くか」と尋ねてみたが、相変わらずブツブツ言いながら首を縦に振ろうとしない。先を急いでいるようではないが、留まる事を良しとしない。いや、何かの時間に追われているのか、或いは……
そこで、私にある考えが浮かんだ。もしや、この老人は、これらの風景を私に見せようとしてここまで付いてきたのか。いや、付いて来たのは私のほうなのか? もしや私は何かに憑かれたのかもしれない。だとすればこの老人は……
「みなそれぞれに、急ぐべき理由がある。みな、それぞれに正義があるが如く、それは正しい。そのときのそれは正しい」
はっきりと、そう聞き取れたわけではないが、およそ、そういうことを老人が言ったように聞こえた。老人はまた、すたすたと歩き出す。私は慌てて老人の後を追う。肩からかけていたカバンが妙に重たく感じる。流石に疲れたのか。そうであったとしても不思議はない。かれこれ8時間近く、非日常的な常態の中にあるのだ。
ましてや――
もう、老人のことを考えるのはよそう。そのこと事態は意味がない。私がいま、とるべき道は一つだけ。一刻も早く品川の実家に帰ること。それだけだったはずである。老人がここでいいと言うところまで送っていけば済む。余計な詮索はするだけ無駄だ。どうせ、答えなどないのだから。
それを達観といえば、そうなのかもしれない。普段見落としている街の風景、そこに溶け込まないイレギュラーな人の営みに自然関心ごとは移ってゆく。だいたい「避難所」などという文字が、街のいたるところでみられるこの異常さをどう受け止めればいいのか。売り切れのランプが赤く光る自動販売機。途切れない車の列。繋がらない携帯電話。その一方で湯水のように溢れるtwitterのタイムライン。普段の当たり前が通用しない非日常な状態でありながら、この街の静けさは、それこそが私の抱く違和感の源なのかもしれない。
混沌のバスの中は、みんな同じように不安になり、同じように疑心暗鬼になり、同じように気を使いあいながらも、「あわよくば我先に」と、他人を出し抜くことなどまったく意に介さないといった覚悟を心に秘めていた。そしてそれは、不条理な中にも同じ条件という公正な緊張のバランスがとれた状況にあったともいえる。しかし一旦こうして外の世界――流動的な状況にありながらも沈殿し、一見膠着したかのような一見して時間が静止しているかのように見える世界に出てみると、まだ、バスの中の方が危険が危なくない状態のように思える。
目に見える不透明さ、耳に聞こえる不安さ、肌に感じる不快さは、車両のガラス一枚を隔てた別の世界のことで、問題は常にバスの中にあった。しかし、そのバスをいったん降りると、いかに自分たちがあの密集した憂鬱の中で身近な不安にだけ気をつけるだけでよかったかという有利さが身にしみてわかる。しかし、それでもやはりバスの中の世界と外の世界、どちらがより、生きているかといえば、バスの外にこそ『それはある』と私が思えるのは、きっと「死」より「生」を「今の私」が現実的に捕らえることが出来るからではないだろうか?
だからなのだ。だから自然に他人の「生」をいたわることも出来れば手を差し伸べることも出来る。私は理屈と直感の間の齟齬をなるべく埋めようと必死に考えをめぐらす。人はもっと他人の「死」或いは「生」に対して自分勝手で無関心でいられるはずなのに、なぜ、そうしないのか。なぜ、そうできないのか。
そうか。みな不安なんだ。不安だから、やさしくなれるのか。
その結論は間違えのようにも思えるが、少なくとも私がこの老人を無事にしかるべき場所に送り届けた後に家に帰るまでの道のりを、迷うことなく歩くことができれば、今は、それで、いいのだ。
老人との会話が成立しない以上、私は物思いにふけるしかなかった。物思いにふけるには、思いに止まる風景が必要だった。普段であれば、それはそれで困難な作業であるのだろうが、今日という日に限っては、見るものすべてが脳裏に焼きつくし、聞くものすべてが耳に残ったし、肌に感じるものすべてに痛みがあった。
ふと気がつけば、なだらかな下り坂に差し掛かり、目の前に国道15号線=第一京浜国道が目に入る。100メートルくらい先に、先ほどバスを一緒に降りた中年女性が見えたと思ったが、すぐに見失ってしまった。その女性は人並みにのまれ、消えてしまった。人並み――そう、そこには私がかつて見たことのないようないような光景が広がっていた。思わず私は声に出した。
「まるで映画じゃないか」
目の前を人の波が左から右、つまり第一京浜を東京方面から品川川崎方面へ流れている。それはまるで大きな川が流れているようなそんな印象を与える。この道は普段、車の通りは盛んであっても決して人通りが激しい場所ではない。昼時ならまだしも夜中になろうかというこの時間には、ものけの空になったビルとビルに囲まれ、さながらゴーストタウン的な雰囲気をかもし出すような場所である。
「どこかで見たよな風景だな」
それは、最近テレビで見た映画のワンシーンのようだった。あの映画は……そう、S.スピルバーグ監督の『宇宙戦争』だ。最初宇宙人の襲撃に、何が起きたのかわからず、ただただ逃げ惑う人々。どこが安全なのか、どこに逃げればいいのか。人はただただ列を成し、その場を離れるしかほかにない。目の前の光景は、まさにそんな様相を呈していた。私はある程度の覚悟という段階から、ひとつ警戒レベルを上げることにした。群衆の中にあって、ひとたび混乱が起きれば何が起きるわからない。だが、列に近づくにつれて、その警戒心は自然解けていった。なぜならそこには、混乱と狂騒はなく、むしろ理路整然とし、普段の秩序ある行動を黙々とこなす人々の姿があったからである。
私はどこか興奮するような、或いは感動するような妙な気持ちになり、高揚した。日本も捨てたものじゃない。いや、日本だからこそ、日本人だからこそなのかとそう思わずにいられなかった。人の列が川の流れのように見えたのは、車道を一車線つぶして歩道にしてあり、歩行者の通るスペースを確保している。なるほどこれなら、混乱も少ないのだろう。姿が見えなかった警察は、こういう作業に追われていたのか。しっかりとしたマニュアルの対応なのかどうか。近くで避難所の案内をしている声が聞こえる。最初警察か何かと思っていたが、すぐにそうではないとわかった。
「トイレをご自由にお使いください。水も用意してあります」
それは、大手企業のビルの前。従業員らしき男性――およそそれなりの役職についているように見える――が、たぶん会社の制服であろう企業名の入ったジャンパーを羽織り、大声を張り上げている。よく見ると4~5人の同じ制服を来た男性が、同じようにビルの周りで声を張り上げている。なるほど民間レベルでも、こういう事態に備えてなすべきことというのはあるようだ。或いは各市町村でそういう取り決めごとがあるのかはわからないが、そういう光景を目の当たりにすると、不思議と勇気をもらったような気がしたのは、およそ私だけではないのだろうと信じたい。
家路へ急ぐ行進の列に加わり、一番ペースがゆっくりな流れに身をおいた。よくもここまで整然としていられるものだ。外国のメディアはきっと、そう伝えるに違いない。ほかの国であれば暴徒化してもおかしくないだろうに。少し先にちょっとした人だかりができている。それがすぐにコンビニエンスストアだとわかった。どうやら飲み物が買えるようだ。ここはともかく店に寄ろう。老人にコンビニによるけど何か欲しいものはあるかとたずねたが、相変わらずまともな返事は返ってこなかった。ただ、この言葉だけははっきりと聞き取れた。
「欲しいのなら、欲しいものだけ。必要なら必要なだけ。わしは何もいらん」
入り口に老人を残して店内に入ると、そこはいつものコンビニとはまったく違う雰囲気だった。商品陳列用の棚には、商品がまばらにしか残っていない。それでも飲み物だけは、バックヤードから次から次へと補充されている。余計なものを見ている暇はなさそうだ。私は缶コーヒーかビールかを迷い、結局、ペットボトルのお茶にした。おにぎりや菓子パンが買えればいいと思ったが、それは断念し、乾電池のおいてあるコーナーも見たが、やはりすべて売り切れていた。レジに並ぶ間、店内の異様な状態とおよそ経験したことのないような状況で働き続けるコンビニの店員に少なからず同情した。が、思いのほか店員は元気に声を張り上げ、また、訪れる客を勇気付けるよな大きく明るい声で挨拶をする。
なんて気持ちのいい光景だ。
店の前で待ている老人にペットボトルを差し出し、飲むかとジェスチャーでたずねたが、無言で断られた。老人が先に歩きだし、私がそれについてゆく格好になった。気のせいか老人の体が、最初にあったときよりも少し小さくなって見えた。前を行く人との対比が余計にそう思わせているのかとも考えたが、そういうこともあってもいいかという目で私は老人の小さな背中を眺めながら、一口、二口と先ほど買ったお茶を口の中に流し込み、のどの渇きを潤した。目の前に連なる行列、そして振り返ればやはり、そこに行列ができている。列に加わるもの、列から離れるもの。全体としては人数が増えているのか減っているのかは判断がつかない。車道の反対側も同じよな人の列ができている。
なんとも滑稽な……
たぶん、およそ、この行進に参加しているほとんどの人がそう思っていたに違いない。同時に同じような行動をしている人がいるという安心感。普段そういったことに苛立ちと不快感を感じるような者でも、さすがにこのような状況では、その感覚に甘えるしかほかにないように思えた。しばらく黙々と歩くとようやくマイルストーンとも言える駅――JR品川駅が見えてきた。ここまでくれば、あと少し、あと少しで実家に帰ることができる。自然足は先を急ごうと早くなるのだった。老人もまた、少しペースが上がる。案外と早く歩けるものだなぁと関心をしたが、声をかけることはしなかった。してもたぶん、無駄のように思えて仕方がなかった。
それにしても――いったいこの滑稽な風景この行進はどこまで続くのだろう? どこへ向かっているのだろうか?
品川駅に立ち寄り、交通機関の復旧状況を確認することも考えたが、遠目からもそれは無駄なことであるとわかるほど、駅前は沈黙していた。もしこの行進に参加していなければ――それは決して望んで列に加わったわけではないが――それでも駅に立ち寄り、何かしらの情報を得ることを試みたのかもしれない。不安を解消するのであれば、それは当然の行動のように思うが、今の私には――私と私の前を歩く老人には必要が無かった。不思議であり、おかしくもあるのだが、この行進の列から離れることにむしろ不安を覚えていたのかもしれない。しかし、私は一つの決断をしていた。
先に進むなら、旧街道を歩こう。
国道15号線通称第一京浜は、旧東海道でもあるが、品川を過ぎたあたり――私鉄京浜急行の北品川駅手前で旧国道とわかれる。そこは昔ながらの商店街になっており、人が歩くのであればこちらのほうが静かでいい。それにそこは私が幼少期から社会人になるまでの間――いわゆる青春時代を過ごした土地でもある。先の道のりを考えれば飲み物や食べ物を調達するにも、圧倒的にこちらのほうがいいと思えた。
「おじいさん、もう少し先に行ったら、向こう側に渡りましょう。旧国道の方が歩きやすいと思うんです」
私は前を歩く老人を追い越すような勢いで前に出て、すぐ横で老人に話しかけた。老人はこちらを見ることもせず、ただ静かに2回ほどうなずき、そしてこうつぶやいた。
「もうすぐじゃ。すぐそこじゃ」
私は一瞬反論しようかと思った。ここから先、老人が行きたいと言った大森周辺までは、JR京浜東北線で二駅ある。歩くとなれば5~6キロの距離だ。バスを降りた地点からの距離ならまだ半分もきていない。タクシーを拾うなりすれば、さほど時間はかからないのだが、それはまず無理だろう。私がそのことを伝えなければと思っている矢先、目の前に信じられない光景が現れた。
国道を反対側に渡ることができる八ツ山橋の信号に差し掛かったあたり、品川から横浜・横須賀・三浦半島へとつなぐ京浜急行が道路をふさぐように踏み切りの中で停車しているのである。その異様な光景は、今起きている事態の深刻さをより一層印象付けるものであったと同時に、今夜中の復旧など望むべくもないことを知らしめていた。
「なんてことだ。こんなことが……」
暗闇の中、青白い街燈に照らし出された車両は、まるで生命を感じさせないような鉄の塊であった。普段であれば大勢の人々を乗せ、駅から駅へと有機的に社会をつなぐそれは、理屈では無機質な工業装置でしかない。しかし、私たちは日常的にそれに触れることでどこか愛着を感じたり、擬人化したり、ペットのようにかわいがったりして慣れ親しむ。車庫に格納されている電車を見れば眠っているように感じて思わずお疲れ様と言いたくなる。しかし、行く手を阻む走る赤い車両は、まるで廃墟の町に取り残された残骸のように無機質で、どこか人を寄せ付けないような孤高な存在と化していた。
信号が変わり、国道を横断して車両のすぐそばまで寄ってみる。しばし赤い鉄の塊を見上げ、そしてため息をつく。
「これじゃ、大森までは歩いていくしかありませんね」
老人は何も語らない。踏み切りは降りたまま機能せず、時間が止まったというような情緒ある表現よりは、都市の機能が停止した象徴的光景といったほうが適しているように思えた。車両が塞いでいるのは旧東海道入り口の一つ手前。この通りの先には路線バスの車庫があるはずである。影響も大きいだろう。しかし幸い私が先を進むのには支障はなかった。ともかく、それだけでも儲け物と思いたくなるような状況だ。
「さぁ、急ぎましょうか。なんとか今日中にお宅まで送れればいいのですが……」
携帯を開き、時計を見る。すでに11時を回っていた。ふと振り返ると私が今まで加わっていた行進は相変わらず続いている。そこに戻ることもできるが、そうしたいとは思わなかった。もう私には、あの行進に加わる理由が見当たらない。
京浜急行をあとに、少し進むと旧東海道の入り口に差し掛かる。国道沿いの行進が理路整然としていたのに対して、旧国道のそれは、より普段の生活に近い自然な無秩序さがあるように見えた。私は少しだけ安堵した。
「国道をまっすぐ行くよりも、ほら、こっちのほうが静かでいいでしょう」
老人の方を振り向き、私は進むべき道を指差した。老人は静かに佇み、静かにうなずき、静かに微笑み、そして静かに口を開く。
「何も心配はいらん。もう大丈夫じゃ」
そのあと、もう一度同じ言葉を繰り返したのかもしれないし、違うことを言ったのかもしれないが、私の耳で聞き取ることはできなかった。昼間はにぎやかな商店街も、この時間ではどの店もシャッターを下ろしている。いや、にぎやかだというのは思い込みか。最初からシャッターは下ろされたままなのかもしれない。当たり前の静けさが当たり前に思えず、すべてが変わってしまったように思えるのは、この数時間で自分の価値観に大きな変化があったからなのだろうか。あるいはそういう気分になっているだけなのか。
1メートル以内に必ず他人がいるような窮屈な状況から、ようやく少しだけ自分の呼吸するスペースが与えられた。開放感――何もこの場所が、自分の慣れ親しんだ場所だからというわけではなく、誰かを気にしたり、誰かに気にされたりするような位置関係にいることを長時間強いられてきたことからの開放感であることは間違いない。間違いないと思いながらも、やはり、見知った場所というのは、それでけで不必要に安心感を与えるものらしい。私は特にそういうことを意識をしたわけではないが、静かに後を着いてくる老人に自分の身の上話をしたくなり、そしてそれを我慢しなければならない理由を自分の中にも老人にも見つける事ができなかった。
「おじいさん、私は実はこのあたりで育ったんです。私が生まれたのは――」
他人に身の上話をしたことなど、結婚してからこの方あまり記憶になかった。そんな気になったのは、一体全体どういうわけなのか? それはきっと話し終わった時に答えがわかるようなそんな気がしてならなかった。
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