第27話 帰り道

 小田急線の豪徳寺駅は、今回の件があって初めて訪れた駅である。葛西駅からは約一時間。大手町駅で千代田線に乗り換え、代々木上原で小田急線に連絡している。駅前には小さな商店街があるがタクシーを拾えるような場所ではなかった。経堂駅へはそこから線路沿いに歩いていけばいい。不慣れな土地だ。確実な方法をとったほうがいい。院長に挨拶をすませ、医院を後にする。帰り際の院長は最初のそれとは違い、少しばかり親近感を感じた。やはり、どんな形にせよ同じトラブルに巻き込まれたもの同士というのは、どことなく親しげに感じるようだ。


 医院を出ると目の前に小学生の集団がぞろぞろと歩いている。頭には防災頭巾を被り、大人たちが何人か付き添っている。集団下校というやつか。しばし、その列を眺める――子供たちのことが気になる。しかし、どうすることもできない。とりあえず駅に着いたら、公衆電話からもう一度電話をしてみよう。子供たちのことも心配だが家の中もどうなっているか気がかりだ。


 本棚に不安定に積み上げられた読みかけの本。テレビの上においてあるプラモデル。そしてなによりも玄関においてある金魚の水槽――おそらくいくつかの本は床に落ち、プラモデルは倒れて一部のパーツが折れてしまっているかもしれない。水槽の水は玄関を濡らしているだろう。さすがに棚が倒れたり、食器が落ちて割れたりはしていないだろう。


「いや、待てよ。そういえば……」

 不思議なこともあるものだ。つい数日前になんとなく気になって、テレビの上の2体を残して、他のプラモデルは箱に入れてしまったのだった。いずれもアニメのロボットのプラモデルなのだが2体のうちの1体は土台があり、まず倒れることはないし、もう一体も足ががっちりしていて比較的安定感があるものだった。これが『虫の知らせ』というやつなのか?


「アッシマーとリック・ディアスなら大丈夫か。やはり玄関の水槽だな。金魚が床の上で跳ねてたりしなきゃいいが」

 玄関にはキャスター付きのプラスチック製収納ケースの上に、小さいサイズの水槽があり、お祭りの金魚すくいで持ち帰ってきた金魚が6匹泳いでいる。いや、そういえば先月一匹死んで5匹になってしまったか。とりあえず、今はできることをやろう。妻と同僚にメールで送った。


 現場にて地震に遭遇。自分はこれから渋谷に向かいます。ただし、動けない可能性大。何かあったらメールで連絡を!


 妻のメールには、品川に行くかもしれないと付け加えた。

 私の両親は現在、品川に住んでいる。渋谷に出られれば品川までは山手通りをひたすら歩けばたどり着ける。ここから葛西までは渋谷から東京駅方面へ向かい、永代橋で隅田川を、葛西橋で荒川を渡らなければならない。まさか地震で橋がどうにかなっているということはないだろうが、間違いなく渋滞はしているだろう。


 豪徳寺駅に向かう途中、東急世田谷線の山下駅に電車が立ち往生しているのが見えた。乗客は一人も乗っていないようだった。町の機能が停止している。テレビのニュースよりも実際こうして目の前で電車が止まっている姿を見ると、いよいよ実感せざるを得ない。


 東急線の踏み切りを渡り小田急線の豪徳寺駅に着く。駅前の公衆電話には、3人ほど並んでいたが、先頭の人は誰とも会話をしていないようだった。つながらないのか、或いは出ないだけなのか。改札に行くと『本日大地震のため全線運休』と赤のマジックでホワイトボードに書きなぐってあった。

「経堂まで歩くしかないよな」

 携帯電話のメールのチェックするも誰からも返信が来ていない。いったん電源を切る。なるべく携帯の電源は節約して使わなければならない。こんなときに限って、手持ちのノートパソコンのバテリーは頼りない量しか残っていなかった。ふと気が付くと、周りには自分と同じような境遇と思われる遠く家路を急ぐ人たちが足早に歩いている。


 線路沿いの道はたぶん、いつになく人通りが多くなっている。普段はこんなに人が歩いていないのだろう。途中に放置してあるのかどうかわからないような自転車が何台か置いてある。いや、捨ててあるのか?


「これに乗っていけば、何とかなるかもな……」

 酔っぱらったときにもそんなことは考えたことはないのにと、自分を戒める。

「ふん! 中学生じゃあるまいし」

 私はそう吐き捨てて、経堂駅に向かって足を速めた。


 昔の話だ。1980年からの3年間……。


 私が通っていた中学では校内暴力が横行し、まじめに勉強をしようという生徒は、学校に行かないか、行っても授業をサボって、静かな場所を探して受験勉強にいそしんでいた。それくらい荒れていた。モラルの基準は校則でもなければ先生でもなかった。格好の悪いことはしたくなかったし、目立つこともしたくなかった。雰囲気に流されて受験もそっちのけで遊んでいられるほど無邪気ではなかったし、少しでも学校がよくなるように努力する気もさらさらなかった。しかし、大人は勝手にレッテルを貼る。


 不良グループと真面目グループに対して、別々の扱いをする。いつしか自分がそのことに苛立ちを感じていることに気付くようになった。


 私は大人から不良と呼ばれる連中と学校の外で遊び、校内では、まじめに授業をサボって受験勉強をしている連中と付き合っていた。そのどちらでもない連中――学校のルールに従うことを疑わず、、それでよしとしている連中とは、あまり馬が合わなかった。校則を破ることは悪いことだとは、わかっている。しかし、大人たちは自分の言うことをきく生徒にだけの校則を当てはめ、耳を貸さない連中は放置していた。そんな不平等なルールに従う意味がどこにあるのだということを口に出しては言わないが、常にそういう目で大人たちを見ていたし、ルールを疑わない生徒たちを見ていた。


 私は盗んだ自転車を乗り回しながら、冷めた目で世間と自分を眺めていた。バイクじゃないところがいささか格好がつかないか。


 当時、溜まり場になっていた悪友のマンションの駐輪場にその自転車はいつも鍵がつけっぱなしで置いてあった。その少しくたびれた白い自転車の隣にいつも自分の自転車を止めていた。ある日、自分の自転車がパンクをしてしまい、修理に出すのを面倒がって、ちょっと借りるつもりでその自転車に乗って出かけた。ここへはしょっちゅう遊びに来ているし、次に来たときにここにとめて置けば大事にはならないだろう。


 それが自分勝手な考えだとわかっていても、世の中はもっと理不尽で自分勝手だということをなんとなく、肌で感じていた。そう感じてしまうことを他人のせいにしたまま「自分はこれくらいは許されるだろう」或いは「自分はどれだけ世の中から許されるのか」を試すつもりでいたのかもしれない。そのうちまるで自分の自転車のように乗り回すようになった。


 2度ほど警察に止められたが、2回とも事なきを得た。盗難届けが出ていなかったのだろう。しかし仏のかももなんとやら。3回目に呼び止められたとき、親が呼び出され、私は指紋を採取された。


「フンッ! なんで、また、こんなことを思い出すかな」

 境界線は少しでもはみ出したものを、やはり許しはしない。


「この歳で自転車なんか盗んだら、シャレにならないだろう」

 ふと、気が付くと、やけに人通りのない通りを歩いているのに気が付いた。ちょうど高架線の下になるのだが、一緒に歩いていると思っていたほかの同じ境遇の路頭に迷う人たちはどこかで道を曲がったらしい、いや、自分が曲がってしまったのか。


「まったく、変なことを考えながら歩くから……」

 人通りのない道に白い、少し使い古した自転車が置いてあった。鍵はかかっていない。これはなにかの嫌がらせなのか。あの時とは違う、あのときの自分とは……そう思いながらも、私は自然と自転車の方に向かって歩き始めた。それを引き寄せられるようにといえば、そうなのかもしれない。思わず手が自転車のハンドルに伸びた瞬間、自分の中である光景が思い浮かんだ。


「ゴメンね、これ、大事なものなんでしょう。私たちもいけなかったのよ、ちゃんと鍵をかけておけばねぇ」

 自転車を持ち主の所に返したとき――その持ち主は老夫婦で、ほとんど自転車に乗ることがなかったのだという。私は自転車に何の細工もせず……名前や住所を書き換えたり、消したりせずにそのまま乗り回していたのだが、キーホルダーだけはつけ換えていた。それは友人からも立った地方で開催された博覧会の土産物だった。特に思いいれというものはなかったのだが、使い慣れていた分、愛着はあった。老夫婦は、そのキーホルダーを私に手渡しながら、自分たちが鍵をかけていなかったのも悪いと言ってくれたのである。その笑顔は忘れることができないものだった。自分が挑みたかった社会の境界線とこの老夫婦はまったく関係のないものだった。情けなかった。自分が情けなかった。


 私は頭をかきむしり、もと来た道を少し戻ろうと振り返った。


 するとそこには一人の老人がじっとこちらを見ている。いや、もしかしたら自分を見ているのではないのかもしれない。自転車の持ち主なのかもしれない。老人は一瞬、静かにうなずいたような気がした。私は軽く会釈をしそうになたが、老人のしぐさをもう一度よく観察してみると、それはうなずいているのではなく、少し震えているようだった。



「ァァァァァ……」

 何か聞こえたような気がする。老人がしゃべったのか。老人はただ、静かに震えていた。『老人』というのは、ある年齢を超えたら『老人』というのではなく、生物としての目に見える衰え――皮膚や顔の皺やシミ、頭髪や眉毛の変色、髪質の劣化、口元の乾いた感じ。そして動作――瞬きの小ささゆったりとした肢体の動き、指先や口先の震えなど、そういった要素全てを判定し、半分以上を満たしていれば『老人』とみなし、この場合、そのほぼ全ての項目で、その男は『老人』であった。酷く小さい。小さいというのは『背丈が』ということではなく、骨格、着ている服、手足、靴、頭、目や鼻や口、指の太さまでも、全てのサイズが子供のように小さかった。


 思い切って尋ねてみた。

「あっ、あのー、ど・う・か・しま・した・かぁ?」

 ゆっくりとはっきりと聞こえるように私は老人に近寄りながら声をかけた。

「ァァァァァ……」

 老人の目は、異様に奥にくぼんでおり、色素が薄くなってしまった眉毛が、余計にそれを際立たせている。もしもこの老人の人相を質問されたら10人が10人『とても小さくて、目が奥にくぼんだ老人』と答えるだろう。


「ありがとうよ」

 どうも、そういう感じに聞こえるのだが、礼をいわれるようなことなど、覚えがない。失礼だと思いながらも、私はもう一度聞き返した。老人の耳元に近づき――しかし失礼のないように近づきすぎず――少しかがみながら、さっきの言葉を更にゆっくり繰り返した。

「ど・う・か・し・ま・し・た・か・ぁ」

 近づいてみてわかったのだが、老人の肌艶は、90歳をもし越えているというのなら、私の想像をはるかに超えて、きれいな肌をしていた。しわやシミはそれこそ、最低限しかない。肌がくすんで見えたのは、どうやら汚れているだけのようだ。それも妙な話なのだが、浮浪者には見えなかった。衣服は小さいが品のよさそうな生地で、むしろこぎれいといっていい。


「すまんが、駅まで、そこの駅まで送ってくれんか。ァァ」

 明らかに最初に聞こえた「ァァァァァ……」という識別がでいない音声ではなく、はっきりと、ゆっくりと、しっかりとした口調で老人は私に訴えてきた。たぶん、最初に話しかけた時は、タンが絡んで、くごもったのだろう。今は多少空気が抜けるような音が混じるが、はっきりと聞き取れた。

「駅ですね。駅って経堂駅、経堂ですか」

 先ほどより少し早めで小さく――つまり普通に話してみる。すると老人は大きく頭を立てに振って、答えてくれた。耳はしっかりしているようだった。もう一度普通の会話の調子で話しかけてみる。

「私もこのあたりの人間じゃないんで、場所がよくわからないんですが、どの道を行けばいいか知ってますか? わかりますか?」

 すると老人は両手を後ろ、腰のほうに組んでゆっくりと歩き出した。その歩幅は驚くほど小さく、駅までこのペースで行ったら、どれだけ時間がかかるのかと、私に心配をさせるほどだった。しかし、急いでも仕方のないことだ。こういう非常時、老人がひとりでいるのはあまり良いことではない。駅までというのであれば、構わないだろう。どうせ、今日は長い一日になるに違いないのだから。


 私は方から下げたカバンを右から左にかけなおし、老人の右側を歩いた。道の真ん中を歩こうとする老人を道路の左側に少しずつ誘導した。私の身長は170センチほどだ。いや、正確には168.5センチ。170センチはない。その私の肩の辺りに老人の頭があった。腰が曲がっているわけでも、姿勢が悪いわけでもない。どことなくその佇まいに違和感を感じたが、対して気にはならなかった。なぜならその時は、それほど長く老人と行動をともにすることはないと思っていたからである。私は最初に自らを名乗る機会と老人の名前を聴く機会を失ってしまった。



 老人と出会った高架下から少し来た道を戻り、車道の道なりではなく、線路脇にまっすぐ連なる細い道の入り口まで戻った。どうやら、みんなここを通っていったらしい。考え事をしながら歩くから、こんなところで道を間違える。まぁ、それでこの老人の手助けができたのだから、それはそれで、悪いことではないのか。


 道幅が狭いので私が老人の前にでた。老人に歩幅をあわせて私なりにゆっくりと歩く。それでも、老人がちゃんとついて来るのが気になり、時々後ろを振り向く。しかし、いつ振り向いても、老人と私の距離は一致の感覚を保っている。開きすぎず、縮まりすぎず。少し意識をしてスピードを上げてみるが、やはり老人はぴったりと私との距離を保ってついて来る。少し不気味に思いながら、そのことを深く考えはしなかった。こんな出先で幽霊に取り付かれなきゃならない理由は見当たらない。そういうものを信じないわけではないが、私に限ってはそんなものに出会うことはないと思っていた。


 5分もしないうちに経堂駅らしきものが見えてきた。人だかり――公衆電話とタクシー乗り場は結構な行列ができていた。バス停にも数人ほど並んでいる。良かった、これなら座れるか。いや、そもそもバスが来るのかどうかもわかりやしない。『さて、駅につきましたよ』と声をかけよう振り向くと、老人はいなかった……なんていう事が起きるかと振り向くと、そこには小さな老人が静かに歩いている。そう、そうなんことは、そう簡単に起きることじゃない。


「もうすぐ、駅に着くけど、おじいさん、ここでよかったのかな?」

 大丈夫だとわかっていても、わたしの口調はゆっくりとはっきり口をあける年寄りを相手にしたしゃべり方になってしまう。もしかしたら、嫌がられるかもしれないと思いながらも、そうなってしまうものはしかたがない。


「ァァァァァ……」

 それは最初にこの老人から聞いた声と同じものだった。なんといっているのかわからない。かぎりなく『ありがとう』といっているように聞こえるのだが、どこかちがうよな気もする。私は仕方なく、わかったようなふりをして、駅の改札のところまできた。豪徳寺と同じように改札には『全線不通』としか書いていない。

「おじいちゃん、どこまで行くのかな? 今日はここから電車に乗るのは無理みたいだけど、タクシー並ぶ? だいぶかかりそうだけど……家族に電話をするにしても並ばないといけないし、どうしようかな?」


 もはや自問自答である。


「ァァァァァ……」

 駅のタクシー乗り場には20人ほど人が並んでいる。しかし、先ほどから一台もタクシーは現れれない。当然だ。ここに着く前に、誰かが拾ってしまうだろうし、大一、乗っている客の目的地までつけないで立ち往生してるかもしれない。道路の混雑は容易に想像できた。不意に私の心の中に心配の種が芽を吹きはじめた。この老人はもしかしたらとんでもない御荷物になるかもしれない。


 老人は静かに私の後をついて来る。とりあえずバス停に行って渋谷行きのバスを確認する。バス停には主婦や学生が並んでいる。最初見たときより人が増えている。20人くらいか、これならバスが来てくれれば座って渋谷まではいけそうだ。

「おじいちゃん、私は渋谷まで行かなきゃならないんだけど、おじいちゃんはどこまで行くのかな? このバスで行けるところかな?」

 老人はバス停に設置してある掲示板をしばらく眺めると。ボソリと呟いた。

「バスはもうじき来る。『ァァァァァ』までバスに乗って行くしかあるまい」

 肝心の行き先は良く聞き取れなかったが、ともかく本人が行き先を確認したのだから大丈夫だろうと、そう割り切るしかなかった。聴き直したところで、私の耳に判別できるという自信がなかった。聴きなれない土地の名前を、聴きづらい発音で聞かされても、老人に嫌な思いをさせるだけのような気がした。


 いや、面倒だと思ったからかもしれない。


 5分もしないうちに渋谷行きのバスがロータリーに入ってきた。タクシー乗り場からも何人かバスに乗ろうと人が集まってくる。あっという間にバス停は長蛇の列になっていた。座っていけるのだから、それを幸運だと思うことにした。まぁ、老人のことも含めて、神様が抱き合わせでよこしたのだと思えばいい。


「よかったねおじいちゃん、バスが来……」

 そういいながら後ろを振り向くと、老人の姿はない。

「あ、あれ、おじいちゃん」

 あたりを見回しても老人の姿はなかった。後ろに並んでいる女子高生に尋ねても気付かなかったという。はたして、自分は本当に老人を連れてここまで来たのだろうか。考える間もなく、バスは停留所に止まり、中から運転手が降りてきて乗客に声をかけた。

「すいません、地震の影響で道路が大変込み合っております。終点の渋谷までどのくらい時間がかかるかわりません。今お並び頂いている方、全員は乗れないかもしれませんが、その際はご了承ください」


 『非日常』という感覚が少しずつだが実感として沸いてきた。私はもう一度あたりを見回して老人の姿を捜してみたが、やはり姿はない。すぐに乗客がバスに乗り込み始めた。もう、行くしかない。今行かなければ、次はどうなるかわからない。私はしかたなく、バスに乗り込んだ。私は後ろから2番目の椅子に座ることができたが、かなりの乗客を残して、バスはすぐに満員になり、発車した。駅のロータリーから出て、一般の道路に入ったところですでに渋滞に巻き込まれた。


「これは長くなりそうだ」

 私は振り返らなかった。バスに乗れなかった人の列に、もし老人の姿を見つけたとしたら、きっと気分が悪いに違いない。そんなことは無意味なことだ。私にとっても、そしてあの老人にとっても。





 路線バスの座席数は25前後しかない。立ち席を含めて60人から70人が定員だ。このバスには定員ぎりぎりか、少しオーバーしている状態で息苦しさを感じる。その息苦しさは、空間的な見た目の窮屈さもさることながら、誰一人として談笑をしない、エレベーターの中のような沈黙の息苦しさも含まれていた。誰も何も口にしない。ただじっと何かを堪えていた。それは不安であったり、不満であったり、不快であったり、不審であったり、ともかく、ありとあらゆる負のイメージが車内を包み込んでいた。


 私はバスを正面から見て左側の後ろから2番目の通路側の座席から、その光景を眺めていた。座れたことはよかったが、当然に後ろめたさもある。それは老人のこととは無関係に、普段なら席を譲ってあげたいようなお年寄も大勢いる。しかし身動きは取れない。この席はバスの後輪が真下にあるので、わたしの大きな身体ではやや狭く、窓側に座った人が途中で降りようと思っても、どうやったらそれが可能なのか、考えるだけで憂鬱になる。隣に座っているのは大きめのレジ袋を二つ持った中年の女性だった。おそらく主婦だろう。渋谷まで行くのであればいいのだが……


 眠ってしまおう。


 そうは思ってみたものの隣の主婦のようには眠れなかった。何もしないでいるとろくなことを考えない。暇を持て余して渋谷までどのくらいかかるのかを携帯電話で調べてみる。距離にして7キロちょっと――所要時間は30分強か。窓の外の景色はあまり代わり映えしない。自然視線は社内のちょっとした光景に目が行く。目の前の席には背の高い若い男性といかにもまじめそうな――それは制服の着こなしだけでなく、彼女自身がかもし出す雰囲気というものからそう思ったのだが、女子高生が座っていた。どちらも観察の対象としては面白くなく、まったく動かない夜行性の生き物を動物園で見ているようだった。いわゆるチャライ男であったり、落ち着きなく携帯をいじり倒す女子高生であれば、好奇と軽蔑の目でその光景を眺めながら、適当なことをツイッターでつぶやいて暇をつぶすのに……眠ることのできない自分が疎ましかった。


 待てよ……そうか! 携帯電話で通話やメールはできなくてもツイッターなら!


 タイムラインからいろんな情報を得られるかもしれない。もっともサーバーが落ちている可能性も大いに考えられたが、思いのほかあっさりとログインすることが出来た。そしてそこには信じられない情報が次から次へと流れてきていた。


 

 JR都内全線運休みたいよ。地下鉄も私鉄もダメみたい。


 タクシーやっと捕まえたけど、すごい渋滞してる。メータがすごい事にorz


 家に帰れなくなった人、都内の各ホテルで一時受け入れしているみたいですよ


 【拡散希望】都内で帰宅できない人を受け入れている施設は次の通りです……


 津波警報が出ている地域の方、早くに逃げて!


 千葉の工場で火災、有毒ガスが出ているらしいから避難して!


 無理に帰宅しようとしないで!今動いても混乱するだけ!


 東北地方、太平洋側は津波でかなりの数の死者が出ている模様


 まるで、ハリウッド映画のトレーラーを見せられているようだった。バスの乗客の中でこのことを知っている人はどのくらいいるのだろうか? 周りを見渡すと何人かは携帯端末を操作しているようだったが、その表情からは何もうかがい知ることは出来ない――みんな表情が死んでいる。経堂駅前からバスに乗り込んでかれこれ1時間は経過している。


 重苦しくも心地いい沈黙――沈黙に耐えさえすれば、他人のことを気にしないで済む渋滞――が続いている。後部座席の通路を挟んで反対側の窓際に座るサラリーマン風の黒いコートをきた男がワンセグ付きの携帯で、テレビのニュースを見ているようだ。この位置からはどんな内容か細かいことはわからないが、日本地図らしき形、そしてその太平洋側の沿岸地域が真っ赤に染められているのわかった。最初は番組の中でいろんなところの中継を流しているのだと思ったが、どうやらその男がチャンネルを次から次へと回しているようだった。それでも津波警報の情報がわかったのは、どのチャンネルも同じような映像を流しているからであって、つまりは、それだけ『とんでもない事態』が起きていることを示している。


 私はこの時点で葛西の自宅に帰ることを断念した。陸続きといっても荒川を渡らなければ、先には進めない。はたして、橋を渡ることができるのか? 通行規制がかかっている可能性もある。無理に行くことはない。大丈夫、きっとみんな無事だ。それよりも品川の実家のほうが心配だ。最近足腰が弱ってきた父親も心配だが、母親だってパニックになっているかもしれない。まだ実家を出ていない妹は、仕事先から帰ってこれないでいるかもしれない。


 メールを確認するも返事は返ってきていない。こういうときは自動配信は当てにならない。メール受信の操作を行ってみるがやはり誰からもメールは来ていない。念のためもう一度妻と母にメールを送った後ツイッターを確認する。タイムライン上によく知る仲間を見つけた。どうやら彼らも地震の影響で悪戦苦闘しているようだ。高層ビルに閉じ込められたり、移動途中の電車の中で足止めを食らっていたりしている。そういうメンバーと情報交換してわかったこと。それは私の初期の予測をはるかに超える天災が、東北を、ニッポンを襲ったという事実だった。



 携帯でウェブに接続し、定期的に情報をチェックする。ツイッターのタイムライン上に流れる内容は、いくつかに分類される。まず発信者が2種類。自らが安全な場所にいて、知りえる情報を適時にネットにあげている人。役に立つ情報が多い。特に関西地域からの投稿には阪神淡路大震災の経験を基にした有用なものが多かった。もうひとつは助けを求める声とそれを拡散するリツイートと呼ばれるもの。リツイートとは誰かのツイッター上のつぶやきをそのまま引用して、自分のつぶやきをフォローしてくれる人に知らせる方法である。つまり100人のフォロワーがいる人のつぶやきは100人に伝わり、さらにそれを一万人のフォロワーがいる人がリツイートすることで、ひとつの情報が加速度的に広がる=拡散するわけである。


 ニュースサイトや報道機関など確実な情報ソースからの引用と現地でツイートをしている人の情報を同時に見ることで、より具体的で細かいディティールで今起きていることを知ることが出来た。救助を求める内容のリツイート、交通手段に関する質問、停電、断水などライフラインの情報、尋ね人など――それは不謹慎ながら今までに経験したことのない臨場感のあるニュースの見方だった。東北地方の被害の甚大さは、計り知れないものであり、あの時点ですべての情報を知ることが出来たとしても、まったく実感がわかなかっただろう。私の関心を引いたのはどの範囲まで広がっているかということだった。


 九段会館で死傷者が出たというニュース。それてと横浜でボウリング上の屋根が落ちたというニュース。この二つから自分の実家や自宅がどんな状態なのか想定をしてみる。とても楽観的な状況ではないように思えたのだが、バスの中はまるでそんなこととは無関係な世界のように沈黙を守り続けていた。一体被害はどのあたりまで広がっているのか? 度重なる余震、津波警報は太平洋沿岸地域ほぼ全域にわたっている。津波の第一波、第二波によって北陸地方に甚大な被害が出ているようだ。さらに福島の原発が大きな被害を受けているという話まであがっていた。情報が欲しい。正確な情報が。遠く離れた被災地の情報ではなく、これから向かう行き先、家族の住む地域、友人・知人の安否。どんなにタイムラインが凄い勢いで流れても、今知りたい情報は、なかなか得ることができなかった。


 非常時――人はこうしてひとところにまとまっているうちは、ある程度慎重でいられるのも知れない。もしこれが、『ひとりだけ』という状況になってしまったら、落ち着いていられないだろう。だが『何も知らずに落ち着いている』という状況は、私をかえって不安にさせ、苛立たせた。ひとたび身に危険が及ぶような情報……たとえば、どこかの工場の火災が原因で有毒ガスが大量に発生したとか、原子力発電所が制御不能になったという情報がバスの車内に流れれば、たちまちに不安が爆発しパニックを起こすのではないか。たとえば、このバスの運転手は無線などの通信手段をつかってすでにそういう情報を知っていて、隠しているのではないか。私の妄想は時間が経つに連れ大きく、たくましく、不愉快なものになっていった。


 バスの外に目をやれば、歩道を歩く人の表情がいちいち気になる。談笑をしながら足早に通り過ぎていく女子高生。どこか不安げにあたりを見回しながら歩くサラリーマン。携帯電話を眺めながらうろうろしている若者。次々と追い越されていくおばあさんは、それでも急いでいるように見えた。道行く人の何人かはこちらの様子を伺い、気の毒そうな顔をしているように見える。そうでないとしても、そう見えてしまう。


 もしかしたら渋谷駅周辺からこちらのほうへ歩いてきているのか?


 土地勘のない私には、これが日常の光景なのか、そうでないのか判断ができない。何気ない風景のようであっても、人々の行動には一定の違和感を感じる。その根拠は手元の画面――タイムライン上に次から次へと流れて繰る非日常的なつぶやきの数々だ。そう、このタイムラインと外の風景はリアルとヴァーチャルという関係性ではなく、地続きになっているという真実=リアルな現実なのだ。


 混雑したエレベータ状態のバスの車内に比べれば、ネットの世界は快適だった。あまりにも物理的な距離が近づきすぎると、人は心を開きづらくなるのだろうか。あたりを見回してもみんなそれぞれに携帯を眺め、うつむいているだけである。或いは目を瞑り、必死に何かに耐えている。誰も手を差し伸べようともしなければ声をかけようともしない。タイムライン上ではすでにある程度のコミュニティ――情報を共有し、それをまとめてより正確な情報、よりきめ細かい情報を届けようという動きが見え始めている。デマに対するカウンターも早い。静止した物理的空間の中で、躍動するヴァーチャルな世界に繋がっているという違和感が盛んに私のある感覚を刺激する。


 それは10歳のころから私を悩まし続けているある心象風景。いや、単純に悪夢と言ったほうがわかりやすい。そして実際それは悪夢というほかない。人に話してもその恐怖は伝わらない。恐れているのは、怯えているのは私だけなのだから。


 このバスはある意味安全地帯である。外で恐ろしい事が起きていたとしても、ここにいればある程度のことは防ぐことができる。しかも大勢人がいる。『外に出なければ安全だ』という状況になったとき、人はどこまでそのことを信じられ、それを疑うことをしないように耐えられるだろうか? ひとたび誰かが不安や疑問を口にすれば、たちまち意見はわかれ、やがて一つの方向を示す、衝撃的な事実、或いはさも、事実のようなことがその中に示される。極限状態の中での選択を迫られ、人は恐れ、怯え、競い、争い、疑い、そして何かにすがろうとする。例えそれがどんな狂気であったとしても……




 人が人でなくなる狂気を私はごく身近な体験として知っている。いや、それは一種の疑似体験――誰もが必ずみるもの――悪夢である。代表的なものは高いところから落ちる夢や化物に追いかけられる夢だが、私の場合は、『リビング・デッド』である。あえてゾンビと表現しないのは、夢の中では設定があやふやであるからで、屍食鬼がごとき、死肉食いのシーンは夢には登場しない。『感染者』と説明したほうが適切かもしれない。


 悪夢の入り口はともかく、最後はいつもこうである――『感染者』の群れに追い詰められ、どうにか身を隠す場所を見つけてそこに逃げ込む。それは廃屋の小屋であったり、学校の掃除用具のロッカーであったり、トイレだったりする。いずれも内側からしっかりと鍵が掛からない。ドアを手でしっかりと押さえなければ、簡単に外から開けられてしまう。『感染者』は私の存在に気づき、次から次へと現れ、ドアをこじ開けよとする。私は必死にドアを押さえるが、とうとう力尽きてしまうか或いは一緒にその場所に逃げ込んだ仲間が感染してしまい、ドアを開けてしまう。『感染者』の群れがなだれ込む。無数の手が私めがけて伸びてくる。冷たく青白い手。その手は私の服を引き裂き、髪の毛をむしり取る。手足をがっちりと握られ身動きが取れなくなったところに、奴らは大きな口を開けてところ構わずかぶりつく。彼らと視線が合うことはない。彼らが見つめているもの、それは私の腕であり、太ももであり、要は食料としての私の肉なのだ。私は抗うこともできず絶望の中で目を覚ますことになる。その夢をみた夜はもう眠ることもできず、夜が明けるのを震えながら待つしかなかった。


 大人になってから見る回数こそ減りはしたものの、必ず年に数回は悪夢にうなされていた。


 ついさっきまで普通に行動していた人――家族や友人や同僚が『感染者』となり、私を襲ってくる――人が人でなくなる狂気を目の当たりにして、私は逃げ惑うしかない。怪物や幽霊の類に襲われて逃げ惑う夢は、多分一般的な悪夢として誰もが見るものだと思う。もちろんそういう夢も見るのだが、目が覚めてしまえばどうということはない。しかし、『感染者』に襲われる夢は根本的な恐怖の構造が違う。その違いをはっきりと自覚できるようになったのは、高校生くらいの頃か、或いは中学生くらいの頃だったか、はっきりとは思い出せないが、追い詰められる恐怖だけではなく『感染』をきっかけに、人が豹変してしまうことへの恐怖が加わる。そして、私は最後までそれに抵抗し、逃げ、そして最後に襲われてしまうという絶望感。


「そんなことにはならないさ」

 自分で自分に言い聞かせる。ここは夢とは違う現実の世界。みんな『こんな状況』でもある程度の理性を保って行動することができているじゃないか――そう思う。だが、確信はない。『こんな状況』は、おそらくここにいる誰もが遭遇したことはないだろう。路線バスという狭い空間の中でこそ、そして情報が閉鎖された状況だからこそ、平静を装っていられたのかもしれない。バスが無事に渋谷駅にたどり着き、そこでそでにある程度の混乱が起きていたら……我先にと争い、バスから飛び降りて倒れるものを踏み潰して己の身の安全を確保しようとするかもしれない。そうだとすれば、あの老人と経堂駅ではぐれたことはよかったのかもしれない。もし老人と行動をともにしていたら……


「考えすぎさ」

 だが、多分紙一重の状況ではないだろうか?そうなったとき、自分はどうなるのだろう。正義のヒーローなんかにはなれない。誰かに手を差し伸べるなど、できないだろう。でもあの老人を放って置けるだろうか。私がひとり妄想の中にふけっているとふと視線の中にありえないものが目に入った。


「あ、あれは、あのときの老人……いや人違いか?」


 経堂駅のバス停ではぐれてしまったと思っていたあの老人が満員の路線バスの中――いわゆる優先席の近くに見えたような気がした。人と人のわずかな隙間からチラリチラリと老人らしき姿が見える。


『とても小さくて、目が奥にくぼんだ老人』


 「なんてことだ!」

 ただただ、渋谷に早く着くことを――いや、すでにここは渋谷なのだが、バスが人を降ろせるところまであと200メートルというところで、バスはなかなか前に進まない。私はいたたまれない気持ちになった。自分がしっかりあの老人をサポートしていれば、こんなことには……ふと老人と目が合った。老人はとても穏やかな表情で私を見つめていた。微笑むのでもなく、会釈をするわけでもなく。ただ、ただ、穏やかにそこに佇んでいたのである。その姿に私の心は大きく揺らいだ。


「バスを降りたら、あの老人に最後まで付き合おう」

 私がそう心に決めたとき、バスがようやく動き出し、ほどなくして渋谷駅の停留所についた。渋谷の駅前は信じられないほどの人間で溢れかえっていた。一瞬、ドキっとしたが、その佇まいは思いのほか穏やかだった。私が想像していた『パニック』とは違う『静かなる群集』は、まるでムクドリの集団のようにざわついてはいたが、決して乱れることはなかった。


「大変お疲れ様でした。渋谷到着です。大変混雑しております。バスをお降りになりましたら、立ち止まらずにお進みください。どなた様もお忘れ物のないように、お気をつけてお帰りください」

 バスの運転手は乗客に注意を促しながらも、その声には一つの仕事を成し遂げたという達成感よりも、この後もしばらく続くであろう非常事態の中での激務に対する疲労感が漂っていた。無理もない。ご苦労様でしたと声をかけたい気分だが、それができるような状況ではなかった。私は老人の姿を目で追いながら、バスを降りた。体の小さな老人は人の影に隠れてすぐに見えなくなってしまい、探し出すのが大変だったが、どうにか先に下りた老人を呼び止められる距離まで近づいた。


 だが、私は一瞬躊躇した。なんと言葉をかければいいのかわからず、言葉のないまま老人の肩に手を触れようとした。が、私はそれに失敗をした。老人と私の間を一人のサラリーマンが横切る。次の瞬間、私は老人を再び見失ってしまったのである。まわりを見回すと、そこには気分が悪くなるほどの人の頭が右へ左へと動き回っている。私は一瞬空間的な感覚を失いそうになった。


「ここに……」

 ふと背後から声がする。振り向くとそこには先ほど見失ったあの老人が静かに立っていた。私は老人のおかげで自分を落ち着かす事ができたようだ。自然に言葉が口をついて出た。

「おじいちゃん。心配してたんだよ。大丈夫かい?」


 老人は静かに私に微笑みかけゆっくりとうなずいた。こうして私は、再び老人と行動をともにすることになった。時計は夜7時をとっくに回っていた。

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