君は覚えてないだろうな……でも、それでいい。

 俺なんて通り抜ける風と同じ存在でいい。


「びしょ濡れ、笑える。」

 意地悪で言ったつもりで茶化せば流してくれるだろうか、と期待をこめた。

 だが予想を反して冷蔵庫を開けてペットボトルの水を出したかと思ったら、勢いよくかけられた……冷たい。

 飛鳥の顔を見たら、何も言えなくて──言葉を聞く余裕もないほど壊したくなった。溢れて、溢れて、止まれなくなっていた。

「仕返し……驚い──」

 濡れた瞳が求めていたから、口づけた。

 初めて自分から愛してしまった。好きで、好きで、奪い去りたくてたまらない。壊してしまいそうで、触れられなくて……触れてしまうと火傷みたいにヒリヒリした。

 橘と交わした約束を思い出して、勢いよく引き離した。

「ゴメン、ちょっとだけ離れてほしいです」

 理性が飛んでしまいそうになった。このまま、抱いてしまいそうだった。

 リビングに行く彼女は、手をのばせば届きそうで……でも、のばさなかった。

 どうにか気持ちを整えて、話しかける。

「先に昼ごはん作ろっか、オムライスくらいしか材料的に出来ないけど?」

「手伝ってもいい?」

 すぐに返ってきた言葉に、またもや揺らいでしまう自分を恨んだ。

「ダーメ、俺が狼になっちゃうかも。飛鳥ちゃん先に着替えておいで?」

 いつもみたいに茶化したはずなのに、自分の顔が紅いのが分かるほど熱い。

 平静を装って、着替えを渡して部屋から追い出す。

 俺の服を渡したこともなんだか恥ずかしかった。昨日まで普通に貸してたはずなのに、感情が変わるだけでこんなにも違う。

 適当に服を探って、着替えて眼鏡をかけると冷蔵庫の前に立って野菜室から必要な材料を取り出す。

 みじん切りにしていると、リビングのドアが開く音が聞こえた。

「亜樹、今日のご飯なぁに?」

 子どものよう聞く彼女の声は、純粋無垢で俺が汚していいものじゃないって簡単に分かる。

「メッだぞ、何作るか知ってるのに聞くのは。それと聞き方が可愛すぎるから」

 優しく怒れば、彼女は頬を染めて少しすねて言う。

「だって、お父さんに似てたの」

 一瞬、ドキッとした。

 飛鳥は両親を恨んでいて、殺したかったはずだ。その彼女から「お父さん」と口から出たのは、俺にとって嬉しかった。

 楽しい優しいお父さんの記憶が残っているということだから。

「ついでにお母さんにもなってやろっか?」

 笑いながら言えば、口を開けたままフリーズしている飛鳥。

 今はツッコミが欲しかったんだけどな「性別違うでしょっ!」とか。仕方ないので母さんが置いていったフリフリのエプロンを取り出してつける。

 一回転していかがですかって顔してみせたら、ハッとしてしかめっ面をした。

「なんか感想言えよ~」

 冗談が通じてるのか、通じてないのか分からない。

 だからこそ、感想を求めたのに彼女は必死に悩んでいた。

「可愛いです」

 悩んだ末がそれか……やっぱり、通じねぇ。

 ツッコミを求めるのもハードル高かったな。

「なんだよ、それ。つまんねぇの」

 ふてた振りをしてオムライス作りの続きをする。本当は冗談なんか通じてなくたってよかった……幸せな気持ちさえ伝われば。

 一人で膝を抱えて考えている飛鳥を抱き締めちゃえば、何にも伝わらなくてもよくなりそうだ。

 だけど、彼女とそんな風に接したくないし……大事にしたいんだ。

「──オムライス出来た、ケチャップつけろよ」

 キッチンから出て呼び掛ければ、顔をあげて微笑むからやっぱ今のままがいいって思える。

 母さんがよく作ってくれたやつを真似したけど、見た目はバッチリだ。

「ほら、ケチャップ。つけないとだめだぞ?」

「亜樹のもつけていい?」

「いいけど、どうしたの?」

 不思議そうな顔をしていたら、人差し指を立ててナイショってするからキュンとした。

 キッチン軽く片してから戻ってみると俺のオムライスには、ありがとうとケチャップで書かれていた。

「漣のこともお父さんとのことも……全部、全部ありがとう」

 苦しくなった、俺のお陰で飛鳥が助かった訳じゃない。ありがとうなんてもらえないし、もらえる立場じゃない。

 それでも……それでも、嘘をつき続けなければならないから。

「ありがとうなんて大げさだよ。俺は浩と利緒も幸せにするから、必ず」

 頭を撫でる手が震えてしまう、全部言って飛鳥と本当の意味で恋人同士に……それだけは許されない。

 でも橘との約束だ、大事にすると……悲しいことから遠ざけると。


 なんとも微妙な味なオムライスを食べ終わった後は、夕方まで眠っていた。飛鳥と桃と寄り添って寝ていたら、家族なんだな……と思いつつも全ては仮初めでしかない。

 晩ごはんは二人で作った……今夜は星がよく見えそうだ。

「天体観測しよう、なんか今日はよく見えそうな気がする」

「見えそうな気がする?」

 頭にはてなマークを浮かべる姿は、幼げで可愛らしい……アイツらが大切に思うのも分かるよ。

「当たる、絶対見える」

 食べ終わった食器を片付けながら楽しみで顔が緩んでしまう。

 俺もだけど、飛鳥もこの部屋に来てから色んな表情や感情を見せてくれる……これはいい傾向だから良かった。

 楽しい思い出を作ってやりたい反面で、嘘がバレることを恐れている。そんな自分が笑える……いっそ殴りたいくらいに。

 自分の部屋へ行き、クローゼットを探る。昔、親父に買ってもらったやつをしまってたはず……あったけど少し埃っぽい。

 リビングで軽く拭いてから、ベランダに出して調節する。毛布にくるまって天体望遠鏡を覗く……今夜はやっぱり星がよく見えた。

 流れ星が見えたから隣に言おうと思ったら、眠っている。寝息が耳にかかる、身体中が熱くなる。

「ゴメン、嘘をつき続けて──」

 そっと口づけた。申し訳ない気持ちがしてる反面、もっとしたいと思っていた。

 抱き上げて室内に入る……ソファーに寝かせると涙がこぼれていた、すくいとる。

 全ての悲しみから守りきれたなら、こんな風に涙を流させることなんてなかったんだろうな。

 償いとかそういう感情が溢れてきて、どうしてもあんなキスをできない。

 フローリングに横たわり、天井を見上げた……どれが大事かなんて答えられない。

 嘘を全部明かせば、きっと飛鳥は俺から離れていく──それが何よりも怖くて嫌なんだ。

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