一章三節

                   ●


 圭吾の家は戦場に様変わりしていた。あらゆる場所に残された弾痕。熱を帯びたままの空薬莢。むせ返るような硝煙と殺気。緊迫の度合いが一秒ごとに増してゆく。

 銃撃を一身に浴び、ぼろぼろになったテーブルの裏で、周は深呼吸した。

 。本来あるべき自分の姿を表現できる舞台は戦場しかないのだ。

『提案があります。休戦しましょう』

 膠着状態になった戦場に、周の声が響く。日本語ではなく、肩肘の張った英語だ。相手方は反応しないので、構わず続けた。

『あなたたちが欲しがっている三嶋圭吾はもういない。ここでと戦っても意味がないと思いますが?』

 相手方は沈黙を返した。

『これ以上の戦いは、国際問題になります。即断を』

 グリップを握る手に力がこもる。残弾数・三。スタングレネード・一。応援は呼んでいるが、持ちこたえられるか五分五分だった。

 一秒と一秒の間がこれほど長いとは参った。

『即断を』

 念押し。生きるか死ぬかの瀬戸際だ。

 しばらくして部屋を満たしていた殺気が消えていった。何人もの規律ある足音が遠くへ離れていって、ついに聞こえなくなった。

「………………ふぅ」

 大きく息をつくと、全身の力が抜けた。こつん、とテーブルに頭頂部をぶつける。細い足を放り出し、ずりずりと背中を滑らせた。

 携帯電話が鳴った。

「こちら周。送れ」

『こちら父親だ。大事ないか。送れ』

 誰が聞いても親子の会話とは思えない。冷静で、冷淡で、的確で優しさが介在する余地のない事務的なやりとりだ。父親は周の体を気遣っているわけではなく、を未だ保持しているか問うているのだ。

「怪我はないです。動けます」

 周はスカートについた汚れを払いながら立ち上がった。大きく割れた窓をくぐり、ベランダに出る。夜の風が不気味なほど生暖かい。

『了解した。お前は然るべき処置を行い、可及的速やかに現場を離れろ。一八四〇時にポイント・アルファで私と合流。復唱』

「はっ。然るべき処置を施行後、一八四〇時にポイント・アルファで父親と合流」

『よし。以上、交信終わり』

 周は携帯電話を折り畳み、虚空を望んだ。瞳の色は戸惑いに染まっていた。ぐっと歯噛みして己の無力さを痛感する。

 圭吾は無事だろうか。怪我はしていないだろか。酷い扱いを受けていないだろうか。

「圭吾くん……」

 ここにいない幼なじみを呼ぶ。心が寒かった。

「待ってて。必ず、助けるから」

 小さく宣言する。

 しかし窓からの侵入者はいったい何者なのだ。手合わせした限りでは、かなりの手練れだった。まさか自分が後れを取るとは思わなかった。

「……急がないと」

 ここで考えていても問題は解決しない。作戦行動中である。

 周はベランダの隅に置いてある灯油タンクを発見した。持ち上げてみると、まだ充分な量が入っていた。冬場に使い切れなかったのだろう。

 待ってて。

 周は灯油タンクを持って、室内へと戻っていった。

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