一章三節
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圭吾の家は戦場に様変わりしていた。あらゆる場所に残された弾痕。熱を帯びたままの空薬莢。むせ返るような硝煙と殺気。緊迫の度合いが一秒ごとに増してゆく。
銃撃を一身に浴び、ぼろぼろになったテーブルの裏で、周は深呼吸した。
落ち着く。この肌触りが心地よい。本来あるべき自分の姿を表現できる舞台は戦場しかないのだ。
『提案があります。休戦しましょう』
膠着状態になった戦場に、周の声が響く。日本語ではなく、肩肘の張った英語だ。相手方は反応しないので、構わず続けた。
『あなたたちが欲しがっている三嶋圭吾はもういない。ここで我々と戦っても意味がないと思いますが?』
相手方は沈黙を返した。
『これ以上の戦いは、国際問題になります。即断を』
グリップを握る手に力がこもる。残弾数・三。スタングレネード・一。応援は呼んでいるが、持ちこたえられるか五分五分だった。
一秒と一秒の間がこれほど長いとは参った。
『即断を』
念押し。生きるか死ぬかの瀬戸際だ。
しばらくして部屋を満たしていた殺気が消えていった。何人もの規律ある足音が遠くへ離れていって、ついに聞こえなくなった。
「………………ふぅ」
大きく息をつくと、全身の力が抜けた。こつん、とテーブルに頭頂部をぶつける。細い足を放り出し、ずりずりと背中を滑らせた。
携帯電話が鳴った。
「こちら周。送れ」
『こちら父親だ。大事ないか。送れ』
誰が聞いても親子の会話とは思えない。冷静で、冷淡で、的確で優しさが介在する余地のない事務的なやりとりだ。父親は周の体を気遣っているわけではなく、作戦遂行能力を未だ保持しているか問うているのだ。
「怪我はないです。動けます」
周はスカートについた汚れを払いながら立ち上がった。大きく割れた窓をくぐり、ベランダに出る。夜の風が不気味なほど生暖かい。
『了解した。お前は然るべき処置を行い、可及的速やかに現場を離れろ。一八四〇時にポイント・アルファで私と合流。復唱』
「はっ。然るべき処置を施行後、一八四〇時にポイント・アルファで父親と合流」
『よし。以上、交信終わり』
周は携帯電話を折り畳み、虚空を望んだ。瞳の色は戸惑いに染まっていた。ぐっと歯噛みして己の無力さを痛感する。
圭吾は無事だろうか。怪我はしていないだろか。酷い扱いを受けていないだろうか。
「圭吾くん……」
ここにいない幼なじみを呼ぶ。心が寒かった。
「待ってて。必ず、助けるから」
小さく宣言する。
しかし窓からの侵入者はいったい何者なのだ。手合わせした限りでは、かなりの手練れだった。まさか自分が後れを取るとは思わなかった。
「……急がないと」
ここで考えていても問題は解決しない。作戦行動中である。
周はベランダの隅に置いてある灯油タンクを発見した。持ち上げてみると、まだ充分な量が入っていた。冬場に使い切れなかったのだろう。
待ってて。
周は灯油タンクを持って、室内へと戻っていった。
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