三章三節

 ライトバンが急速発進。路地に置かれたゴミ箱などを跳ね飛ばしながら、大通りへと滑り込む。直進してきた車にぶつかりかけたが、ギリギリのところで回避できた。

 ラジオの時報が午前三時を告げる。大通りとはいえ深夜とあって交通量が少ない。エリノルはアクセルをめいっぱい踏み、速度を上げてゆく。

「おまっ、一般道で一〇〇キロ超えとか……!」

「言ってる場合? 来るわ」

 圭吾は恐る恐るサイドミラーを見た。黒塗りの4WDが五台、猛スピードで追走してきた。車好きの圭吾にも興味の湧かないほど無個性な車輛だった。

 黒塗りの4WDはそれぞれ絶妙な車間距離を取り、互いに進路を脅かさぬように走っていた。秩序だった、軍隊の車列のそれであった。

 エリノルが急激にハンドルを左へと切った。予期せぬ機動に圭吾は頭をドアガラスに打ち付けた。

「なにすん……!?」

 抗議の声を上げようとして、圭吾はぐっと思い留まった。サイドミラーを見る。追跡車輛から火花が起こっていた。

 銃撃だ。

「まずいわね。撒けるかどうか」

 エリノルが上唇を舐めた。

 ライトバンは蛇行運転を繰り返しながら、仮借のない攻撃をどうにか凌いでいる

 いくつかの弾丸は車体後方の窓――リアガラスをハチの巣のようにひび割れさせていた。このままではいずれ車自体も、自分たちも致命傷を負いかねない。

 エリノルはちらっと圭吾を見遣って口元を緩めた。

「圭吾くん、名案を思い付いたんだけど」

「な、なんです」

「あなた車、好きよね」

「え、ええまあ嗜む程度ですが」

「車ってどうして動くかは知ってるわよね」

「はい?」

 じわっと圭吾の額に脂汗がにじむ。エリノルの意図を察して猛然と首を横に振った。

「ムリムリムリ! ぜったいムリ!!」

「まだ何も言ってないじゃない!」

「普通の高校生が車を運転できるはずないでしょうが!」

「じゃあ聞くけど、車の動く仕組みは?」

「アクセル踏んでエンジンに流入する空気を――」

「そう! アクセル踏んだら走る。それだけ!」

 一から説明しようとした圭吾を制し、エリノルは親指を立てた。

「だから仕組み知ってても動かせるとは――」

「圭吾くん!」

 それまでのふざけた空気が一変し、エリノルの顔は至極真面目なものとなった。

「な、なんです」

「ここで死にたくなかったら、やるしかないの」

 諭すような落ち着いた声だった。

 死にたくはない。絶対に。まだまだやりたいこともある。見たい景色もあるし、食べたい食べ物だってある。……話をしたい人もいる。

「……知らないですよ。どうなったって。運転なんてゲーセンでしかやったことないですからね」

「模擬訓練をしてたら上出来よ。世の中には銃だけ渡されて戦場に送り出される人間がごまんといるんだから」

「俺をアフリカあたりの少年兵と一緒にしないでくださいよ」

「あら、意外と見識があるのね」

「一般教養です。もし無事に生き残れたら、そういう子供たちを助けられる仕事に就きたいもんです」

「それも意外だわ……」

「きっと自分が死にかけてるからですよ。明日になったら、夢はF1レーサーになってるかもしれません」

「なにそれっ」

 絶賛銃撃中だが、二人は状況を楽しむように笑った。

 そうさ。生きたい。まだ生きたいんだ。こんなところで死んでたまるか。

 圭吾はエリノルからハンドルを代わり、タイミングを見て運転席に座る。時速一〇〇キロ超えていたため、僅かに車体が左右に揺れた。ぐっと歯噛みして何とか蛇行運転を防ぐ。我ながらナイスドライビングテクだ。あっぱれである。

 エリノルは姿勢を低くしつつ、車体後部に乗り込んだ。元々このプロボックスは業務用に改造されていたのだろう。後部座席は撤去されており、その空間にはありったけの武器と分厚い鉄板がエヴァの店で積み込まれていた。

 突貫工事とはいえ、鉄板の恩恵により車の中に銃弾は、窓から以外は今のところ入ってきていない。

「それで、どこに向かえばいいんです」

「古い造船所跡って言えば分かるかな?」

エリノルはハチの巣状になったリアガラスを叩き割りながら言った。

「造船所……ああ、オバケ工場ですか」

 旧造船所。戦前、戦後と日本の造船業を支え、頃には何千人もの社員を要した大規模な造船所だ。圭吾が生まれる前に閉鎖され、地元の人間――とくに若者だが――はオバケ工場と呼んでいる。

 エリノルはそこを拠点に動いていたらしい。

 彼女の作戦としては、旧造船所の道中で敵をできる限り撒き、それでも追跡してくる敵は旧造船所の広大な土地を利用し、さらに撒く。その後、停留してある脱出用の小型ボートで街を離れる……というものだった。

 街を離れてからは? との圭吾の質問には、エリノルは苦笑で返し、

「先のことは脱出できてからよ」

 と言った。

 エリノル自身も、この逃避行が完璧に上手く行くとは思っていないようだ。あくまで予定は予定。臨機応変に対応するべきだと言外に伝えていた。

「……分かりました」

 圭吾は大きく息を吐いた。アドレナリンが放出されているせいか、猛スピードで無免許蛇行運転を行っていながら、精神は安定している。追跡車輛との車間距離が、ある程度は開いているから比較的冷静になれたことも大きい。

 ……相変わらず銃撃は激しく、エリノルの指示で右へ左へと車線を変えて走っているが。

「圭吾くんはそのまま国道を進んでね。道なりに進めば造船所につくわ――」

 なるほど、ずぶの素人に運転を代わったのは、最低限のドライビングテクニックで逃走できる判断があったのだ。

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