最終章 旅は人生の縮図です

旅はまだ、始まったばかりだ。


-完-


"完"という言葉をこれ程までに喜んだことも、悲しんだことも恥ずかしがったこともない。そんな本には俺は今まで出会ったこともなかったし、これからも出会うこともないだろう。俺は『めぐりめぐって』をそっと本棚に戻した。


すると隣の制服を着た茶髪の女子高生が『めぐりめぐって』を本棚から出し、長い黒髪の女の子の前に差し出す。


「弥生、これ読んだことある?」

「えー、ないなぁ。どんなお話なの?」

「一人旅をしようと思った冴えない男が、新幹線で隣り合わせた女の子と旅に出るお話だよ」


冴えない男。何ていいようだ。それもこれも今俺の横にいる作者が悪い。俺は横目で栞をにらむと栞はわざとらしく口笛を吹いた。


「へー、旅行物なんだ?」


弥生と呼ばれた女の子は本を茶髪の子から受け取ると、まじまじとその本を見つめる。


「私はね、本を買う時は表紙とタイトルで衝動買いしちゃうときがあるんだよね。この本、なんかいい雰囲気じゃない?」


「カンナ、こういう絵が好きなんだね? 女の子が男の子を引っ張っていってるけど実際もこんな感じなの? 」


「それは読んでみないと」


カンナと呼ばれた女の子は弥生ちゃんを前にその本の魅力を熱弁している。栞はというと小さな声でカンナちゃん、ファイトと応援している。


「ほら、栞、そろそろ行くぞ」

「弥生ちゃんが本を買ってくれたら行こうよ。一も気にならない?」


栞は目を輝かせて俺に訴えかける。こうなってしまったらもう栞の気のすむまで行動させておいた方がいいだろう。俺も遠くから弥生ちゃんとカンナちゃんのやり取りを見守る。


「ムツキ君も、買ってたわよ。彼、こういう恋愛物好きみたいだし」

「うーん……。ムツキが買ってたなら私も読もうかな」


ムツキというのは弥生ちゃんの彼氏だろうか。彼氏が読んでいるから読む。女子高生らしい可愛い理由だ。栞も同じ気持ちを抱いたのか、顔をニコニコほころばせていた。


『はい、二宮栞と申します……。え?』


栞が秋本柚香プロデュース第一回、恋愛小説賞の柚香賞に選ばれたという電話が来たのは俺と一緒に居た時だった。電話に出たと思ったらその場で急に泣き崩れたものだから何が起きたかとパニックになりそうだったのをよく覚えている。


『一! 一! やったよ……! 私の……ううん、私達二人の物語が本になるんだよ!』


栞は俺に抱き着いてきてわんわん泣く。涙や鼻水まみれになった顔を躊躇なく俺の服に押し付けてくる。俺はそんな栞の頭をそっと撫でる。


『二人で取ったみたいな形になったことが本当に嬉しい』


息も絶え絶えで化粧が崩れる事も厭わないで俺の前で声をあげて泣く栞。その姿からも栞がこの章を取る為に本気で一生懸命に取り組んでいたことを知ることが出来る。気付けば俺の視界もぼやけてきて、しょっぱい雫が俺の口の中に入ってくる。


秋本柚香の恋愛小説賞が開かれると聞いたのは俺と栞が初めて出会った四国の旅行から一年が経った頃で、憧れの柚香さんがプロデュースするとだけあり、栞のやる気も並々ならぬものだった。


そしてこの小説大賞には、大賞や佳作の他に"柚香賞"なるものが設立され、文字通り、柚香さんがこの物語が一番面白かったと判断した作品に贈られる。作品次第ではこの柚香賞にノミネートされた作品も書籍化が検討されるということもあり、栞は燃えに燃えていた。


俺も小説を書くことに特化したツールの開発に勤しむさながら、栞の作品を読んでいた。確かに面白い。面白いけど、なんというか大衆向けのお涙ちょうだい物や、はやりの喫茶店シリーズ等々、どれもピンとくるものはなかった。栞も本気で感想を求めてきたので、俺も変におだてたりせずに、ありのままの評を伝えた。


『私って才能ないのかな……』


俺が三作目の『空色デイズ』もピンとこなかったことを告げると、栞はしょんぼりと落ち込んでしまった。そんなことはない。栞の作品はどれもが面白い。俺は胸を張って言える自信がある。だが、何かが足りないのだ。その何かが分からない。


章の応募の締め切りも迫り、栞は書くペースを上げていく。日に日に栞の目の下には大きな隈が浮かぶようになった。無理をするなとは言えなかった。無理をしなければ、届かない。そんなことは俺以上に栞の方が分かっていたに違いない。


『一、私もう駄目かもしれない』


〆切まで三ヶ月を切った冬の日に、栞はとうとう弱音を挙げた。涙が混じるその声に俺の胸は痛くなった。


『そんなの分かんないだろう。まだ、時間は……』

『時間はあるかもしれない。けど……自信が……才能が、ないの』


パソコンの電源を切り、栞はそのままパソコンに突っ伏してしまった。もう限界なのは俺の目から見ても分かってしまう。ちょっとでも突けば栓の抜けた風呂のお湯のように、栞というものが抜け出してしまうんではないか。そんな心配さえもよぎってしまった。


『もっと楽しんで書いたらどうだ? なんか最近は間に合わせる、いいものを書く! って気負い過ぎてるような気がする』

『だってそうしないと……賞なんて取れない』

『栞言ってただろう? 100万人に面白かったって言ってもらうよりも一人の人に今まで読んだ中で一番面白かったって言ってもらいたいって。賞とかじゃなくて、まずは、柚香さんに楽しんでもらえるような作品を書いてみたらどうだ?』


栞の肩を小さくさすると、栞は嗚咽交じりに泣き出した。色々限界だったんだろう。


『俺はずっと栞の作品のファンだから。今回逃したっていいじゃないか。次の柚香賞に、そして行く行くは別の賞を狙えばいいじゃないか』


『一……。ありがとう。でも流石に就活もしないとだね。ごめんね。一の就職祝いもまだできてないのに……』


大学4年の冬。栞は今回の作品に全てを賭けていたので、この時期になっても就活をせずに一分一秒を原稿につぎ込んでいた。俺は自分でツールやエディタの開発をしていた経験を買われ、早い時期にシステム会社に就職することが決まった。なので、出来る限り栞のそばにいて励ましていた。


『そんなのいいよ。じゃあ、あれだ。また、旅行に行こう。気晴らしにもなるだろう』

『旅行かぁ、いいね。全然行ってないや』

『それこそ俺達が出会った四国に旅行にまた行ってもいいかもな』

『四国! いいねぇ。あの旅行は本当に楽しかったなぁ』


栞は顔を上げて大きく伸びをする。その顔を見ると目が真っ赤だ。うん、やっぱり気晴らしが必要だ。少し充電してから、また、歩き出したらいいだろう。そう考えていた時だった。


『あ!!!!!!』


栞は突如、大きな声を挙げて座っていた椅子ごと後ろにひっくり返った。俺は慌てて栞に駆け寄る。


『おい、大丈夫か? 栞!』

『……決めた。"いいこと"思いついたよ』


栞の"いいこと"はいいことだった試しがない。出会った当初からそうだった。それは今も変わらない。栞はあの時と同じおもちゃを見つけた子供のような無邪気な笑顔をしていた。


『旅行小説とかどうかな?

私達の旅行を物語にするの。

うわ、それやばい。絶対面白くなる! 一、私これで行く!』


栞は俺の手を借りずに一人で立ち上がると、パソコンの電源を再びつける。


『もう! 早くついてよ』


パソコンが立ち上がる時間さえ惜しがっている。いざ、パソコンが付くと栞は嬉々としてキーボードにプロットを打ち込んだ。俺は後ろから文字が生まれていくのを眺める。


『主人公は冴えない理系のオタク……。おい』

『いいじゃんいいじゃん。実際そうだったじゃん。えーとヒロインは文系出身の可愛い茶髪の……』

『胸が小さいってのも入れておけよ』

『……一、私の体に触るの禁止ね』


冗談を飛ばしながら栞は笑顔で文字を打ち込んでいく。やっぱり栞は笑っていてくれないとな。


『一、このプロット機能さー、種類別とかに出来ないの?』

『種類別?』

『うん、このプロット機能から挿入って押すと本文に反映されて、プロットにも何ページに挿入出来たって表示されるのはうれしいんだけどさ、もっと"伏線"とか"セリフ"とか"アイデア"みたいに分けてほしいな』

『分かった、入れてみる』


栞は俺の作っている"栞エディタ"で小説を書いてくれている。実際に使うことで栞が欲しい機能や、こうなったらいいというのをヒアリングしている。


『後、一。主人公は一でいいよね?』

『……俺目線なのか?』

『うん。やっぱり私にとっての主人公は一がいい。

そして私はちゃっかりヒロインに収まる。素敵じゃん』


ほんのり顔を赤く染めて笑う栞。こういう所がずるい。


『彩音にも連絡しないと。一君が全然行動してくれないからやっぱり彩音がいないと栞ちゃんと結ばれない』

『彩音さん元気かな? ちょっと電話してみる』


彩音さんとは四国旅行の半年後に再会した。彩音さんが東京に遊びに来てくれたので、三人で食事をすることになったのだ。俺と栞がパートナー関係になったことを告げると自分のことのように喜んでくれる。俺と栞はなんだかこそばゆかったのを今でも覚えている。


『もしもし一君? どうしたの?』


電話は三コールもしないうちに繋がった。懐かしい声だ。俺は電話越しで彩音さんを現状を報告する。


小説の賞に応募する作品を書いていること。

栞があの四国旅行のことを物語にしたいこと。

そして彩音さんを物語に出したいこと。


その三点を伝えると彩音さんは、二つ返事で物語に登場することを快諾してくれた。電話越しで分からないが、きっと優しく微笑んでくれているだろう。


『どうせ出演するならあの時のありのままの気持ちを知ってほしいな。よし、逆取材に行こう。一君、栞ちゃんの都合のいい日を教えて? 私また東京に行くよ。報告したいこと、私にもあるんだ』


一度歯車がかみ合うと、物事はスムーズに流れていく。トントンとスケジュールは決まっていき、年の明けた一月の二週に俺達三人は再会することになった。栞にそれを伝えると俄然張り切りだす。栞は今まで見たことのない早さで物語を紡いでいった。


厳しい寒さを肌で感じるようになった一月。家で過ごすお正月に気付けば、栞の顔も交じるようになっていた。


『なんで栞ちゃんのような素敵な子がこんな何のとりえのない子と一緒に居てくれるんだろうね』

『旅の魔法のせいかも知れません』


栞が小説家になりたいということは俺が母親に伝えている。最初はその夢を訝しんでいたが、実際に栞と会ってその夢を聞く内に、その夢を応援するようになってくれた。全く、栞の影響力は計りかねない。


そして彩音さんと再会する日になった。彩音さんの報告したいことというのは、彩音さんの左手を見て何となく察しがついた。


『もしかして、結婚するの?』


栞の問いかけに満面の笑顔で頷く彩音さん。栞は自分のことのようにはしゃぎまわり、彩音さんを質問攻めにする。おいおい、今日の本来の目的を忘れていないか。でも、しょうがないか。彩音さんはもう、俺と栞の共通の大切な友人だ。かくいう俺も、彩音さんを祝福したい気持ちで胸はあふれている。


『彩音、何もお祝いの品とか持ってこれなかったけど、これ、さっと読んでみて? まだタイトルも決まってないんだけどさ』

『えー! 栞先生の作品を読んじゃっていいの? 何よりのプレゼントだよ! ありがとう!』


俺と栞は息をのんで彩音さんの反応を見つめる。彩音さんは終始微笑みながら文字を追いかけている。栞の言うようにさっと全体に目を通すと彩音さんは口を開いた。


『もっとじっくり読みたいな。これ、コピー取っちゃダメかな?』

『彩音だったらいいよ。だけど、誰にも見せないでね?』


そして彩音さんは当時の気持ちを懐かしそうに思い返しながら話してくれた。栞は彩音さんの言葉をその場でノートパソコンを起動し、栞エディタ内のキャラ機能に登録されている、"彩音"という場所を開きそこにメモを取る。


『というか二人とも三日目の夜はそんなにイチャイチャしてたんだね』


彩音さんの言葉に俺と栞の頬は赤く染まる。あのシーンは、栞が一番力を入れていて、俺も気持ちの細部までさらけ出した。


『キスまでで終わるのが二人らしいね』

『イチャイチャしすぎで不快……とかないかな?』

『いや、微笑ましかったよ? あくまで二人の物語だからいいと思う。実際、イチャイチャしてるんだしさ』


その後彩音さんは散々に俺と栞を冷やかした後、福岡へと帰っていった。


『本っていう形で二人の物語を読める日を待ってるよ』


彩音さんに小説を褒めてもらい更に自信がついたようだ。栞は表現を見直したり気持ちの描写に力を入れる。最初は当時の気持ちを言うのも恥ずかしかったが、次第に慣れていく。俺はどんどん栞に想いをぶつけ、栞はその想いを形にしていく。


そして、〆切の一週間前、バレンタインデーにその小説は遂に完成した。


『出来たー!!!!!』


栞は両手を大きく天井向けて突き出した。やりきったという充実感が顔いっぱいににじみ出ている。


『一! これ……読んでみて……』


完成したことで栞を支えていた糸がぷつっときれてしまったのだろう。栞はこてんと机に突っ伏してしまった。俺は栞を抱えてベッドに寝させる。今日は気のすむまま、ゆっくり休んでほしい。


俺は机に戻り、栞の出来たばかりの作品に目を通す。

ページをめくる度に、懐かしい気持ちがこみ上げてきた。夢に迷い、ぶつかり合っていたあの頃の俺達がそこには確かにいた。あの頃の俺達がいたからこそ、今の俺達がいる。


どんな些細なことも欠かしてはならない。全てが繋がって、めぐりめぐって今があるんだ。気付けば、俺は泣いてしまっていた。こんなに暖かい幸せな話なのに、涙が止まらない。


『ん……』


ベッドで眠っている栞から微かに声が上がる。目が覚めたのだろうか。気付けば、栞が眠ってから4時間が経過していた。俺は夢中になってこの物語を、いや、二人の旅を振り返ってしまっていた。


『はじめ……? いる?』


栞が布団をぎゅっとつかみ、こちらのほうに顔を向ける。


『いるよ』

『良かった……。本、どうだった? こっち来て、感想聞かせて?』


俺は栞に誘われるまま、栞の横に体を落ち着かせた。栞はすぐに俺に体を寄せてくる。


『また旅に出たくなるような本だった』

『なんかさ、書いてて懐かしくなっちゃった。もう一、こうやって私が体を寄せてもなーんにも思わないもんね』

『そんなことないよ。今でも結構緊張してる』

『本当に? 全然そんな気しない。でも嬉しいな。ずっと私にドキドキしててね?』


寝起きでとろんとしていることも手伝ってか、無償に栞が愛しく思えてしまう。俺が髪を撫でると栞も嬉しそうに体を丸める。こんな風に栞が甘えてくるのは、寝起きと眠るまでの時間のみだ。今が、栞の本音を聞くチャンスなのかもしれない。物語を読んでいて、気になったことを聞いてみることにしよう。


『栞、どうして俺のこと好きになったんだ? この本の中でも俺が栞のことを好きになった理由はこんなに書いてあるのに、栞からは全然ないじゃないか』


俺はあの四国旅行の時には三日目の夜に栞に洗いざらい吐かされた。そのシーンは省かれることなくそのまま用いられている。それなのに栞が俺を好きということが分かるシーンはあまり多くはない。これは不公平なのではないか。


『一が私にとっての主人公だから』


しかし返ってきた言葉はいつも俺が貰っていた言葉。俺は度々栞にこの質問を繰り返すが、いつものこの一言で終わってしまう。今日もそうだった。表情をとろんとさせてはいるものの、隙はなかなか見せてはくれない。今日も聞けなかったか……。俺が半ばあきらめかけていた時だった。


『私は、一が好きだよ。どこが? どうして?とかじゃなくて全部。確かに嫌いなところとか直してほしい所もあるよ。でもさ、好きになっちゃったんだもん、しょうがないじゃん。私の夢をさ、笑わないで応援してくれて、最後まで読んでくれてさ。凄く……嬉しかったんだ。その姿勢は今も変わってくれないでいる。私と一緒に夢を追いかけ続けている。嬉しくてたまらないよ。私の為を想ってくれている。そんな気持ちがにじみ出ているだもん。幸せだよ。私は今どの物語のヒロインの中でも幸せだって自負してるよ。だから、なんだろう。一の質問にあえて答えをつけるなら……』


栞は俺に唇を重ねる。その目元には涙がうっすら浮かんでいた。


『一が私のことをずっと好きでいてくれるなら、私も一のことずっと好きでいられる』


『栞……』


今ようやくわかった気がする。栞が俺のことを物語の主人公、栞のことをヒロインになぞらえていたのにはこの栞の気持ちが根底にあったのだ。栞の書く物語にしても、世の中の恋愛小説にしても主人公はヒロインのことを好きだ。いや、主人公が好きな女の子だからヒロインになれるのだ。


『じゃあ栞は俺の中でずっとヒロインだ』

『もう、ここまで言わないと分かってくれないなんてパートナー失格だよ。まぁ今日は特別にバレンタインプレゼントということにしといてあげる』


栞は得意げに片目をつむる。初めて会った時と変わらない仕草なのに今でも俺の心を強く揺さぶる。きっと栞もそれを分かってやっている。栞はずっと俺の中のヒロインで居続けるだろうな。物語の完結と共に、そのことを確信した一日だった。


『めぐりめぐって』というタイトルが付いた栞の作品は一次審査、二次審査を通過し、いよいよ最終選考にまで残った。惜しくも最優秀作品には選ばれなかったが、栞が憧れている人が一番面白いと思う作品に授与される柚香賞を受賞したことに栞は感激していた。


『柚香賞なんて……私、最優秀作品よりも嬉しい……』


栞は昔から、多くの人に面白かったと言われるよりも、一人の人に今まで読んできた本の中で一番面白かったと言われることが嬉しいと言っていた。その一人の人がずっと憧れを抱いていた柚香さん。その嬉しさは言葉では言い表せないものがあっただろう。


それから栞の時間はめまぐるしく過ぎていく。柚香賞の作品を出版することとなり、栞の作品は柚香さんの作品が出版されている如月メディアワークスより出版されることになった。担当には立花梨華さんという方が付き、『めぐりめぐって』の編集を梨華さんと栞は幾度となく行った。


季節がどんどんめぐっていき、俺も研修を終え、現場に配属され、仕事が忙しくなっていく。お互いに時間が取れない日々が続いたが、それでもパートナーが頑張っているという事実が逆にお互いを励ます。


俺は仕事のさながら栞エディタの改修を重ねていく。栞も指摘するところがなくなっていき、徐々に徐々に完成が近付いていた。


『もうすぐ一にびっくりすることが起きるよ』


柚香賞を受賞した年の末にその電話が入った。俺に、という言葉が引っ掛かったが、きっと栞の本の出版が近いんだろうと俺は推測した。そしてまた、年が明ける。年が明け、雪も桜へと変わっていく中で俺は突如、配属が変わるとの知らせを受けた。


『まだ新人のお前に、名指しで仕事をして欲しいという依頼があったらしい。新規の取引先になるんだが、新しいパイプを作る為にも頑張ってくれよ』


俺を時に厳しく、時に優しく指導してくれたトレーナーからの急な言葉に動揺したが、配属先の"如月メディアワークス"という名前を聞いて俺は思わず笑ってしまった。そして、その日の夜にタイミング良く、栞から電話がかかってきた。


『どう? びっくりしたでしょ? 私もびっくりしたよ。私が使ってた栞エディタを梨華さんが見て、他の作家さんにも使ってもらいたいと思ったらしいの。それで色々声かけて使って頂いたんだけど、それが好評だったみたい。当たり前だよね? 私好みにカスタマイズされてるんだもん』


栞だけではなく、他の作者さんからも好評だった。その言葉を聞けて何よりも嬉しい。


『それでもうこの栞エディタをウチのツールとして使ってしまおうって話になったみたい。そこで一にお声がかかったの。全然意図してなかったけど、一緒の会社に二人して関連持つなんてやっぱり私達なんか凄いよね』


確かにそうだ。俺と栞は二人で声を挙げて笑った。


それは偶然か必然か。柚香さんの解説を載せた『めぐりめぐって』は俺と栞が初めて旅行に行った日に全国の書店で発売された。栞は自分の作品が書店に流通しているという事実にまず感動し、その本を手に取っている人を見て涙を流した。その栞の姿を見て、俺も少し泣いた。


「一、どうしたの? 行こうよ?」


栞が俺の目の前で手を振る。気が付けば弥生ちゃんはレジに『めぐりめぐって』を持って行っている。


「いや、昔のことを思い出してさ」

「昔ってどれくらい?」

「初めて栞の本が書店に並んだ時のこと」

「半年前のことを昔って言わないでよ」


栞が唇を尖らせたが、俺はとても昔のことのように感じてしまっている。それ程、栞と過ごす時間は密度が濃い。それは今も変わらない。


「でもさ、これからどうしようかなって」

「これから?」

「うん。私、この『めぐりめぐって』を本にすることだけを目標にさ、ここ3年間頑張ってきた。今こうして形になったのを見るとさ、達成感と同時になんか、寂しい気持ちもあるんだよね」

「俺も、栞エディタが完成した時に同じ気持ちをもったよ」


栞エディタが完成した時、如月メディアワークスの編集長直々にお礼を言われた。確かに胸にこみ上げたのは万感の思いだったかもしれない。だけど、同時に寂しくもあった。今までずっと俺と歩いてきた何かが、零れ落ちたような気分を感じたのだ。だがそのこぼれた思いは胸の中の何かが少しずつ埋めていく。


「だけどすぐにまた、目標が出来た。今度は『人と人を結ぶ、本によるSNSコミュニケーションサービス』の開設をすることなんだけど」

「凄い素敵だと思う。そんな素敵なことに私のパートナーが関わってるなんて鼻が高いよ」

「だから栞もきっとすぐに次の目標、次の作品が浮かぶと思う。自分の根底に潜んでいる"夢"は昔から変わらないんだから」


人生を通しての夢があれば、その夢を道しるべに目標が経ち、その為に行動をする。栞がいつか言っていたように、人生というのは旅のようなものなのかもしれない。夢に向かって歩いていく。それが人生のあるべき姿だと今の俺は信じている。


「うん……。そうだね。現にもう次の作品書いてるよ。"栞エディタ"を使ってね。ふふ、どこまで歩いて行けるんだろう。ねぇ一? 一はいつまでついてきてくれる?」

「いつまでって?」

「一体いつまで私は一のヒロインで居られるのかな?」


いつまでかだって? 答えは言うまでもないだろう。俺は栞の手を引いて、本屋から出る。自動ドアが開くと同時に冬の冷たい風が俺と栞の間を吹き抜ける。俺らは間を埋めるように身を寄せる。しばらく無言で歩き、ある場所を目指す。この街の商店街を抜けた先には、クリスマスシーズン限定で大きなモミの木が現れる。俺はその場所でどうしても、栞に伝えたいことがあった。


「……この街も素敵だね」

「ああ」


俺と栞は固く手を握りしめながらモミの木を眺める。辺りを見回してもカップルしか確認することは出来ない。それぞれがそれぞれの世界に入っている。


「さっきの話だけどさ」

「うん」


俺は大きく息を吸い込んだ。


「俺はずっと栞のパートナーで居続けるよ。これからも二人で二人だけの物語を紡いでいこう」


「……やっぱり一、私よりセンスあるよ。まぁ、だからこそ二人で幸せを綴っていけるのかもね。私一人だけで書いていく物語じゃないもんね。私と一で書いていく物語だもんね」


「栞が俺達の旅を物語にした。今度はその逆。俺達の物語を旅にしていこう。また、初めて出会ったあの時のように、俺をガイドしていってくれないか」


あの日は栞から持ちかけてくれた。今度は俺の方から言葉を投げる。勿論、"ガイド料"も忘れていない。俺は栞の左手の上に小さな箱を置いた。


「……開けていい?」


俺が頷くと、栞は小さく震えながら丁寧に紐をほどいていく。これまでの俺達の旅の思い出をゆっくりと紐解いていくかのように、ゆっくり、ゆっくりと丁寧に栞は指を動かしていく。紐をほどき終えると栞は箱を空ける。栞はふっと小さく笑った。


「……今度は5000円じゃなさそうだね」

「流石にな」


俺はその箱の中から銀色に光る指輪を取出し、栞の微かに震える左手の薬指にはめた。


「しょうがないなぁ、もう。分かった、一の旅をまた導いてあげる。でも条件があるの」

「条件?」


俺が聞き返すと同時に、鐘の音が聞こえてきた。


カラァン……カラァン……。

こんなにはっきりと聞こえるのに、音は重くなく、

それでいて心に染み渡っていく音色は耳に心地よく響く。

栞ははにかみながら、俺の目を見て呟いた。


「ハッピーエンドじゃないと、駄目だから」

「……分かってるよ」

「それなら……問題ないね」


鐘の音に合わせて、モミの木は光り輝いている。俺達を祝福してくれているのだろうか。どちらともなく、俺と栞は唇を重ねた。


いつの日も、これからも。

巡り巡る日々を二人で生きていく。


「よろしく、パートナーさん」


二人の物語(たび)をハッピーエンドに導く為に。


-完-

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めぐりめぐって みんちあ @minchia

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