第8話

笑う2人に、腹の虫が空腹の限界を報せる。


扉から顔を出して様子を伺うと、警備隊は引き上げた後のようだ。


いくつかの扉の前を通り過ぎ、階段を降りると、テーブルと椅子が等間隔で並んだ空間が広がっている。サクヤにもレストランと分かる風景だった。


「あの席が空いてるわ、行きましょう」


慣れた様子のジゼルに促され、2人で使うには丁度良いテーブルに着く。


既に窓の外は日が沈んでおり、店内は様々な客層の人間で賑わっていた。全身を鎧で固めたいかにもな者もいれば、質素な出で立ちの老人もいる。その間を縫うようにして1人の青年が近付いて来た。


「今晩は、お嬢さん方。もし良ければあちらでご一緒にどうですか?ご馳走しますよ」


軽装だが腰にはしっかり帯剣している、騎士や冒険者の類だろうか。言い寄られているのはジゼルだと察しは付くが、いわゆるナンパという奴だ。経験の無いサクヤは俯いて黙り込んでしまう。


「今晩は、顔の良い冒険者さん。それは素敵な提案ね、ついでに明日の行動を一緒にいかが?わたし達例の廃墟を探索に行って帰って来たのだけれど、忘れ物をしてしまってもう一度行こうと思っているの」


妖艶な微笑みに顔を蕩かせかけた冒険者だが、すぐさま顔を青くして立ち去ってしまった。昼間の便利屋といい、あの館はそれなりに危険な場所のようだ。


「やれやれ、お人が悪い。見ればまだ駆け出しの若者、自信を無くしてしまいますぞ?」


冒険者と入れ違いに現れたのは髭を蓄えた黒服の老人。同じ服が数人店内を行き来している事から店の者と分かる。


「あら、半分は事実よ?あの館で尻込みする程度の男がわたしを口説くなんて笑い話にもならないわ。わたしを口説くなら素手で組み敷くくらいの実力がなくちゃね」


ほっほっほっ。目を細めて笑うと、老人はメニューらしきものをジゼルへ差し出した。


「おすすめは何かしら、マスター?」


「本日はマハル高原で育った豚肉が入っております。シチューならすぐにお出しできますよ」


鎧を着ていなければ高級レストランに来た令嬢と店長に見える。まぁ、ジゼルは元は騎士の家系、身分はかなり高かった筈だ。それに老人の方も年相応の役職に……。


「って、マスター⁈それって1番偉い人じゃ……あれ?マスターとオーナーってどっちが偉いんだろ?」


「お連れ様は如何されましたか?」


「お気になさらず。それじゃ、そのシチューを頂くわ。サクヤも同じもので良いかしら?」


店長クラスの人間がオーダーを取りに来ている事に混乱するサクヤへ、メニューが差し出される。不思議と書いてある内容は分かるのだが、聞いた事も無い産地や生物の名前ばかり。


「えと、私もそれで……」


ジゼルと同じものならひとまず安心だろう。頷いたマスターは一礼して去って行った。


「そんなにソワソワしなくても大丈夫よ。ここはこの街でも高い所だから、粗暴な客は滅多に来ないわ。時々世間知らずのお坊ちゃんがいるくらいよ」


マスターとも良く知る仲のようだし、子供の頃に訪れた事があるのだろう。


「さて、料理が来るまで今後の事を話しましょうか。まずサクヤ、貴女はどうしたい?」


「えっ?どうって……」


改まった様子のジゼルに問われるが、質問の意図が分からずに素っ頓狂な声を上げる。


「考えていなかったの?今後の貴女の人生についてよ。ここで生きる道を見付けるのか、それとも元の場所に帰るのか。どちらにしても出来る事は協力するつもりよ」


数秒かけてやっと理解した。


思えばジゼルに導かれるままここまで来た訳だが、今後の事など考えてもいなかった。考える余裕が無かった訳ではないが、それどころでなかったのもまた事実だ。


「ど、どうしたら良いのかな?私、まともに戦えないけど、だからって帰る方法も分からないし……」


「ごめんなさい、その選択だけは貴女が決めなくちゃいけないわ。だからわたしは何も言わない、だからこそ選んだ後の協力は惜しまない。大事な仲間だもの」


答えに詰まるサクヤの前に、シチューの皿が配膳される。


「……冷めないうちに食べましょうか」


嘆息したジゼルにつられる形でシチューを口に運ぶ。肉はしっかりと味が染みて舌の上で蕩け、ソースもワインの風味が抜群のバランスで活かされている。間違い無く人生で一番美味い。


「……美味しいね、ジゼル」


「えぇ、流石マスターが勧めるだけの事は……サクヤ?」


「私の母さんはね、あんまり料理が上手くないの。簡単なものならそうでもないんだけど、ちょっと手の込んだものを作ろうとすると必ず失敗するんだ。昔ビーフシチューを作った時なんか、お肉も野菜もワインの味しかしなくて、口に入れた瞬間に家族全員咳き込んで……」


二口目を口に運ぶ、やはり美味い。市販の品では絶対に出せない味だ。


「無理しないでルゥを使えばいいのにね。私に喜んで欲しかったらしいんだ、丁度高校に入ったくらいの時だったかな?多分薄々気付いてたんだと思う。家じゃそんな顔してなかった筈なんだけど、やっぱり母親なんだね、やっぱり……」


「サクヤ……貴女泣いてるの?」


「やっぱり帰りたい、帰りたいよジゼル。私の家に」


家族を失った彼女の前で言うのは配慮に欠けると分かってはいたが、それでも伝えなければならなかった。自分の気持ちを、意思を。


「分かった。貴女の気持ちはよく分かったわ、サクヤ。それじゃ、まずは涙を拭きなさい」


いつの間にか隣に佇んでいたマスターが差し出したハンカチで目元を拭う。


「マスター、追加の注文を良いかしら?鴉の目玉と蛇の舌をお願い」


「……かしこまりました。それでは別室へご案内致します、少々匂いが強うございますので」


とんでもない単語に別の涙が溢れそうになったが、どうやら何かの隠語らしい。マスターが他の黒服に鋭い視線を向けると、すぐさまその内の数人が集まって来た。


「別室へご案内を。ソースが飛び散りやすい料理です、アクセサリーはお預かりするように」


彼等に敵意は無いようだが緊張を感じる。椅子を引かれ、ジゼルと共に店内の奥の一室へエスコートされた。向かい合ったソファの奥に大きな机があるだけの、一言で言えば普通の応接室にしか見えない。


「アクセサリーをお預かりします」


「あ、あの……私、オシャレには疎くて……」


そばに控えていた黒服に一礼されたが、指輪やピアスの類を着けた事の無いサクヤは困惑する。これも何かの隠語だろうか。


「彼女は丸腰よ。他の客は居ないのだから、はっきり言ってあげたら?」


別の黒服にナイフを手渡しながらジゼルが目配せをする。どうやらアクセサリーとは武器の事らしい。


「決まりですので……失礼しました」


黒服は凶暴な視線を一瞬だけ見せると、再び一礼して部屋の隅に下がった。


「お、お客様……まだお持ちで?」


「ごめんなさいね、心配性なものだから」


一方ジゼルはと言うと、身体中から現れるナイフを剣山の如く黒服の前に積み上げていた。基本的に無表情な黒服も、これには流石に困った顔をしている。暫しの間、ガチャガチャと喧しい音が応接室を支配した。



「これで最後よ、多分」


胸の谷間から小さなナイフを取り出してジゼルが言うと、ホッとした顔で黒服が応接室の奥に立っていた別の黒服へ目配せをする。


見ればそのすぐ側には扉があり、黒服がノックをしてから開けると先程のマスターが現れた。


「お待たせして申し訳ありません。どうぞお掛け下さい、部下が失礼を働いたりしておりませんか?」


「とんでもない。忠実で真面目な良い部下をお持ちだわ」


マスターが応接机に座ったのを見てから2人もソファに腰掛ける。黒服は入口の扉に2人と、マスターの背後に3人。いずれも武器は持っていないようだ。


「それでは本題に入りましょう。いやはや、"信憑性の度合いに関わらず求める全ての情報を"お求めとは……資料の選定に時間がかかってしまいました。それで、あの館について何を?」


小脇に抱えていた紙の束を机に広げるマスター。


「先に申し上げておきますと、あれに関しては正確な情報というものは皆無でして……お教え出来るのは徘徊しているロアの装備の傾向と、元の持ち主について……」


「それはもう把握しているわ。わたし達が欲しいのは全ての情報よ、根拠の無い噂話でも構わない」


「ほほぅ、何やら訳ありのご様子。そうですな……あの館を付近の村共々襲撃したロアの首魁についてはご存知ですか?」


眉根を上げたマスターと視線が合う。どうやらサクヤが事情に疎い事は見抜かれているようだ。


「首魁……親玉って事ですか?私、なにも知らなくて……すみません」


確かにジゼルとの会話の中で高位のロア、という単語が出ていたように思う。


「ではその辺りから。正確な情報を踏まえた上での噂話もありますので。……アルジーゼ・ルミリア、それが館を襲ったロアの名です。吸血種の中でも高位の存在である、という事以外は謎に包まれた強力なロアでした」


「でした?今は居ないんですか?」


「お察しの通り。館を占拠したルミリアは、ひと月と経たない内に忽然と姿を消してしまったのです。率いていた配下のロアはおろか、自身の持ち物の全てを残して」


身一つで何処かへ姿を消した。それではまるで……


「私と、同じ……?」


ローファーも、鞄も傘も、あの館に居た時には無くなっていた。自分とは逆のその状況は、無関係とは考えにくい。


「ここからは噂になります。あの館の最奥には今も、ルミリアの遺した貴重な装備と、元の主の財産が手付かずで眠っている。このような話もあります、ルミリアは更なる力を欲しており、その研究に成功或いは失敗し失踪した……どれも空想の域を出ませんな。侵攻したロアのほとんどはスタルハンツ他多くの街の有志によって討伐され、財宝の類はその報酬として持ち去られております。ましてやロアによる研究など」


「そうね、財宝については期待していないわ。その研究について他に情報は?」


「……残念ながら。仮にそんなものが存在するとすれば何かしらの研究成果が残っている可能性もありますな、金銭的な価値は無いでしょうから。一部の好事家には高値で売れるやもしれませんが」


しかしまた何故そんなものを?資料から目を離して、マスターは探るような目付きでこちらを見る。


無理も無い、文明がずっと進んでいる世界でさえそのような技術は空想の産物だ。


「……情報料は十分な額を先払いしたはずだけれど、足りなかったかしら?」


しかしジゼルは、笑顔で強い拒絶を告げる。


「とんでもございません。ただ、何やら白昼の街中で刃傷沙汰を起こした輩が逃亡中との報せがありまして。3人組と聞いておりますので杞憂とは思いましたが、件の館からやって来たらしいものですから」


間違い無くミナト達の事だ。ジゼルが事情を伏せているのはそういう訳だろう。


警備隊に追われる身となったミナトと同郷である事が知れれば、サクヤまで突き出されかねない。勿論、同行しているジゼルもお咎め無しとはいくまい。


「あら、物騒ね。今夜は戸締りをしっかりする事にするわ」


ジゼルとマスター。一見穏やかに談笑しているようだが、両者の間に漂う緊張がピリピリと肌を刺す。視線だけ動かして黒服を見やれば、真一文字に結んだ口元がさらにきつく締められていた。


「……話が逸れましたな。ルミリアの研究についてですが、やはり確かな資料はございません。多く語られている説としては、複数のロアを掛け合わせた新しいロアの創造、新たな血の獲得、強力な武具の錬成……このようなところでしょうか」


「血の……獲得?」


聞き慣れない単語に眉をひそめるサクヤ。単語自体はよく知っているが、問題なのはその組み合わせだ。


「吸血種はね、その名の通り血を吸うロアなの。生きる糧としてではなく、快楽と己の力の増強の為にね」


「その通り、そしてルミリアの一族はその中でもグルメで有名なのです。またしても噂になりますが、どうもルミリアは異界の住人を捕らえて血を得ようとしていたとか。この世界の血を吸い尽くした怪物の考えそうな事ですな。まぁ、数多ある噂話の1つに過ぎませんが……他の話もお聞きになりますか?眉唾ものの話が30ほどございます」


「いえ、結構よ。想像以上に噂が飛び交っているのね。やっぱり自分の足で調べた方が早そうだわ」


こめかみを押さえたジゼルがうんざりした顔で首を振る。しかしサクヤへ送る視線には確信の光が宿っていた。確かに、これ以上有力と思われる情報は流石に出てこないだろう。


「それじゃ行きましょう、もう休まないと。明日は夜明け前には出発よ。どこかで保存食も用意しておかなくちゃ」


「それならこちらでご用意しましょう。お二方分でしたらご出立前にはご用意出来ますよ」


「あら、有難いわ。それじゃ4日分ほどお願いしようかしら」


「あ、それならお金は私が……」


レザリクスを受け取った後、サクヤの分の荷物は金品とともに収納してある。いい加減ジゼルにばかり払わせる訳にはいかないと腰を浮かした瞬間だった。


「警備隊だっ!!」


扉を開けようとした黒服を跳ね飛ばして入室した声が、夜の静寂の終わりを告げた。














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