第7話

「平見ー、ちょっとこっちおいでよ。話あんだけど」


購買で惣菜パンを買って教室に戻る時の事、別のクラスの女子2人に呼び止められた。


「あの、私急いでて…………それに………」


「いいから来いって!平見のくせに口ごたえとかありえないし」


話した事も無い、名も知らない相手に呼び出しを食らえばサクヤでなくとも遠慮すると思うのだが。


強引に腕を引かれたせいで抱えていたパンを落としてしまったが、お構い無しに連れて行かれそうになる。周りを見渡しても誰もが知らん顔だ。


「サークーヤーー。いい加減購買でパン買うくらいは慣れたと思ったんだけどな、あんまりがっかりさせんなよ」


スカートの丈から頭髪に至るまで、全身校則違反のような長身の少女が教室からゆっくりと姿を現わす。居眠りでもしていたのか、機嫌悪そうに目元をしょぼつかせている。


「ごめんねミナト、後にしてもらおうとしたんだけど」


言いながら腕を掴んでいる相手に視線を向ける。小さな舌打ちの後に解かれた手首の辺りは僅かに赤く腫れていた。


「いやいやいやいや、遅いのはいつもの事だろ?そもそも期待してねぇよ。俺が言ってんのはお前の足下だっつうの」


連れて行かれそうになった時だろう、落としたパンの一部を踏み付けてしまっていた。袋から中身が飛び出している。


「別に、お前がお前の金で買ったモンを踏んづけて台無しにしようが俺には関係無い。けどな」


潰れたパンを拾い上げたかと思った次の瞬間には、しなやかな筋肉の付いた太腿がサクヤの腹に食い込んでいた。


「かっ……ぁふ」


「お前は何か?俺にもう一度飯代を出せってか⁈下向いてないで何とか言えよ!!」


呼吸困難のような状態に陥り、堪らず蹲ると今度は髪の毛を掴んで無理矢理上を向かされる。酸素を求めて喘ぐ口内から喉の辺りまでを何かが塞いだ。


「うぐっ……っえ、おぐ……」


「思い付いた!これお前が食えよ。そんで、浮いた飯代で俺の昼飯買って来い。人の飯を踏んづけたんだ、それくらい当然だな?ん?」


喉までパンを突っ込まれ、胃液が逆流する。そのせいか、はたまた髪を掴まれているせいか、涙がみるみる内に視界を歪ませていく。


「吐くんじゃねえぞ、掃除すんのはお前だからな。ほら噛め噛めー」


「ちょ、嶺部……ヤバいって。流石にやりすぎじゃ」


「あ、誰だてめぇ?いつから居たの?もしかしてこのパンはてめぇのせいか?じゃあこいつと同じ目に遭ってもらうけど?」


髪を掴む手も、パンを押し込む手も解く事が出来ない。サクヤを呼び止めた女子も化物を見るような目でどこかへ行ってしまった。


いっそ意識を手放してしまえれば楽なのだが、残念ながら痛みはまだその域に達していない。


助かる為には何をすれば良いのか?


周囲に助けを求めるのではなく、


司法に訴えるのは論外で、


友好は既に絶たれたのなら、答えは…………




瞼を開くと、身体は横に寝そべっていた。


頭が状況を整理しきれずに一時停止したのだろうか?


木製の天井を見つめる事数分、ここが学校ではない事を思い出す。次いで息苦しさを覚え、首だけ動かして鳩尾の辺りを見る。


片腕を預けてジゼルがうつ伏せに眠っていた。そして最後の記憶を掘り起こす。


腹に食い込んだ拳と、苦しげに歪んだジゼルの顔。そうか、停止させたのは彼女だ。思慮の足りない特攻を強制的に。


「ん……あぁ、起きたのね。気分はどうかしら。お腹は痛くない?」


「うん、大丈夫。私は大丈夫、ジゼルが守ってくれたから」


ぎこちなく笑ったジゼルは掛けていた椅子から腰を浮かし、ベッドに腰掛けて腹部をさする。絶妙な力加減だったのだろう、本当に痛みは無かった。


「ごめんなさいね、貴女の意思を暴力で捻じ曲げてしまった……最低だわ」


遠慮がちなその手をサクヤの両手が包み込む。言葉は発さないまま、首を横に振った。


「謝らなくちゃいけないのは私。お礼を言わなくちゃいけないのも私だよ。ミナトの事はもう諦める。もし……もしどこかで出くわしても、もう関わらない事にする」


一度罪人として牢に入った者がどれほど生き辛い人生を送るのかは、サクヤにも少しは分かる。身を以て知る羽目にならずに済んだのはジゼルのおかげだ。


「ここに来てから、私は何一つ自分では解決出来てない。だからせめて、自分で決めて良い事は決める事にするよ。そうじゃなきゃ学校に居た頃と同じ……流されて、妥協して、強調するだけの私のままだから」


神に祈るように、ジゼルの手を額に当てた。彼女を励まそうと包んでいた両手が震えている。きっとあんな夢を見たせいだ。


「サクヤ?顔色が悪いわ、やっぱり強く打ち過ぎたかしら……」


すぐに異変に気付いたジゼルに問われ、その腕に縋り付く。


「夢を見たの、昔の夢。辛くて痛い、でも誰も助けてくれない。でもそれは良いの。恐ろしいのは、そこから抜け出す為にしようと考えた事。私……」


眩暈で崩れ落ちそうになる身体をジゼルが支えてくれた。


「私……思ったの、一瞬だけ。思ったの…………排除してしまえば、ううん、殺してしまえばって。あの頃ならきっと簡単だった。いつもと同じに近付いて来たミナトを鋏か何かで刺してしまえば良いんだもの!きっと今でもそう、私にそんな事出来る筈無いって確信してる顔だった!その隙を突けば、っう……ぐ……」


空っぽの胃から込み上げる熱が言葉を詰まらせる。幸いにも吐き出す事はなかったが、口に広がる嫌な味に涙が止まらない。


「そうね、人は簡単に死ぬ。自分が生きるのを妨げる人間との問題を解決する為の手段として、殺して排除するのはわたしが知る一番簡易的な方法だわ」


背中をさするジゼルが心底から納得した声色で同意する。


やはりこの場所で異質なのは、間違っているのは自分なのだと目を伏せかけるサクヤ。しかし、つぎに耳に飛び込んで来た言葉に目を見開いた。


「だけどそれは全ての生物に共通の方法よ。つまり人間が、思考する生き物が、ケダモノと同じ方法を採るという事。そうしなければ生きられないから」


顔を上げると、微笑むジゼルと目があった。優しく頭を撫でる彼女の笑顔は少しだけ寂しそうに見える。


「でも、貴女はそれを嫌悪している。なんとかしてそれ以外の方法で解決したいと願っている。それは人間としてとても誇り高いと思うわ。わたしが早々に捨ててしまったものだから」


現時点でサクヤは何一つトラブルを解決できてはいない。それでもなおジゼルは、間違いだと非難せず抱き締めてくれる。その事に言いようのない、生まれて初めての安堵を覚えた。


「大丈夫よ、貴女は生きていて良いの。その感情を嫌悪して、でも目を逸らさずに……生きて欲しい」


吐き気は気付けば消えていた。代わりに腹の底からの声と、とめどない涙が

ひとりでに溢れた。




「落ち着いた?」


絶叫と涙に区切りが付き、鼻水をすする音としゃくりあげる声に変わった頃、ジゼルが口を開いた。


「ひっく……うん、ありがとう。服、ごめんね……」


ジゼルの服は胸元から腹にかけて涙とその他諸々でじっとりと濡れている。僅かに苦笑した後、そっと頭を撫でられた。


「早く身体を洗って食事にしましょう。結局お昼は抜いてしまったしね」


改めて部屋の中を見回すと、一角に簡素な扉が取り付けてある。促されるまま開けるとまず脱衣所があり、奥には人1人が入れるスペースと、天井に小さな穴が多数。材質の違いを除けばサクヤのよく知るシャワールームと遜色無い。


「水浴びでもするのかと思ってた……こういうのもちゃんとあるんだね」


家屋や装飾品で勝手に文明の進み具合を判断していたが、早とちりは禁物のようだ。


「呪力で地下水を汲み上げてお湯にしているらしいわ。これがあるのは街でもここだけだそうよ、少し奮発した甲斐があったわね」


スイッチらしき紋様が刻まれた場所に触れると、少しの間を置いて温かい湯が降り注ぐ。呪力が切れると止まる仕組みらしいが、サクヤの呪力量は2人が入れ替わりで使っても余裕があった。


「お待たせ。お湯を使えるのが久しぶりで、随分長くなってしまったわ」


「ううん、もっとゆっくりでも……って、ジゼル!ふ、服……」


素肌の上にバスタオルを1枚巻いただけの格好で現れたジゼルに、思わず視線を逸らす。考えてみれば女同士、それほど気にする事ではないのかもしれないが、鎧を脱いだ彼女の見事な肢体に意図せず照れてしまった。


タオルを押し上げる豊満な双丘はもちろんだが、改めて見ると腰は女性なら誰もが憧れるであろう曲線を描き、張りの良い肉厚な臀部に至っては気を抜けば喉を鳴らしてしまいそうだ。


「あら、わたしとした事がはしたない。少し舞い上がってしまったわね」


はにかんで踵を返したジゼルだったが、直後に俯いたまま硬直する。ベッドに腰掛けていたサクヤが何事かと腰を浮かすと、何を思ったか身に付けていたタオルを脱ぎ捨てた。


「ちょ、ちょっと!なんでいきなり……きゃあっ!」


露わになる素肌から視線を逸らそうと仰け反った身体が、そのままベッドへと押し倒される。


衝撃で閉じられた眼を開くと、真顔のジゼルと目が合った。その双眸からはいつもの悪戯っぽい余裕が消え失せ、熱に浮かされたように濁っている。


「え……っえ⁈どうしたの、怖い顔して。私何かした?」


訳が分からないまま問い続けるも、顔から笑みの消えたジゼルは何もかたらない。馬乗りになった身体から伝わる体温がひどく熱い。


「ねぇ、どうして黙ってるの?か、顔近いよ。離してよジゼルっ」


徐々に互いの息遣いが感じられる距離まで近付く顔。しかし、のし掛かられた上に両の手首を掴まれては身動きが取れない。


長い睫毛。熱い吐息。


紅を塗ったように赤い唇。熱い吐息。


経験の無いサクヤにもようやく察しが付いた。しかしまぁ、多少強引ではあるが、ジゼルなら……。



「むぐっ…………。…………?」


柔らかく豊満な双丘が顔に押し当てられた。行為としては間違っていないのだが、そのまま動きが無い。というか息が苦しい。


だが、おかげでジゼルの行動の意味を考える暇が出来た。それに伴って頭の中も静かになり、部屋の外のざわめきが聴こえて来る。


複数の男の怒鳴り声。ドアを乱暴に開け閉めする音。稀に女の短い悲鳴。それらは苛立った足音を伴ってこちらへ向かっていた。


「警備隊だ、全員動くな!!罪人の捜索に協力してもらう、この部屋に泊まっているのは2人だな⁈すぐに扉の横へ並んで……うわっ!」


蹴破るようにドアを開けたのは帯剣した青年。サクヤとそれほど歳は違わないだろう。


「き……きき貴様ら、昼間から何をしている⁈」


「あら、騒がしいのね。昼間から愉しむのは罪になるのかしら?」


誤解ではあるが状況を察したのであろう青年は一瞬で顔を沸騰させると、片手でそれを覆う。咄嗟に利き手と逆の手を使う辺りは訓練が行き届いているようだ。


「ジ……ジゼル。息が、苦しぅぐっ⁈」


いい加減呼吸の限界が来たサクヤに追い討ちを掛けるかの如く、さらに強く胸が押し当てられた。拘束された両手の代わりに、意図せず足をばたつかせる。


「あんっ!そんなにがっつかないで。見られて興奮しちゃったの?もう……可愛い人」


腰の辺りには毛布が掛けられ、一見すると男女の交わいとも取れる。経験の浅い健全な男子には尚更。


「ふっ、風呂場には誰も居ないようだな!くくくクローゼットも異常無し!!不審な女2人組を見掛けたら、即刻警備隊に報告するように……」


「随分と前屈みだけどお腹でも痛いの?トイレをお貸ししましょうか?」


「ふょ、不要だっ!!」


けたたましい音と共に喧騒は遠退き、暴力的な胸からやっと解放される。


「ぷはっ!はぁ、ジゼルっ、理由があるなら、先に……言ってくれれば」


「説明する時間が惜しかったの。店主には袖の下を渡していたから、話したのは人数くらいのものでしょうけど」


たった一言、演技をすると言ってくれても良いのではないかと、頬を膨らませてみる。雰囲気に流されて覚悟まで決めたというのに。


「私……その、したこと無いから、怖かったんだからね!」


こちらに背を向けて服を着込むジゼルへ怒りをぶつけるが、そっぽを向いたままだ。


「……って」


「えっ?」


「わたしだって初めてだったのよ!だから、その……ちょっと覚悟を決めるのに時間が掛かって……」


伏し目がちにこちらを見るジゼルの顔も真っ赤だ。


「ジゼル……?っぷ、はは!あはははっ!」


戦い以外で余裕の無い彼女など初めてで、鎧を脱げばやはり1人の女の子だと実感したサクヤはひとりでに笑い出していた。


「ど、どうしてそこで笑うのよ⁈酷いじゃない、もぅ……ふっ、ふふふっ」


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