第6話

「ハニワみたいな顔してどうしたよ、サクヤ?探したぜ、クラスの連中は全員来てるらしいからな」


彼女を見間違える筈が無い。左手に小型の円盾、右手に奇怪な剣を携え、旅人の軽装に着替えたとしても。


「そろそろ何か言えよ。まさかそっくりさんって事はねぇだろ、名前を呼ばれて振り向いたもんなぁ?」


「…………」


嗜虐的な目、好戦的な口元。しかし常に隙の無い佇まい。彼女こそ、サクヤをいつも隣に侍らせ、使い走りのように扱っていた張本人。


「ミナト……」


「なぁんだ、ちゃんと喋れるじゃねぇか。他の連中みたいにイカれちまったかと思ったぜ」


口の端を吊り上げたミナトは剣を腰に収めると、両手を広げてこちらへ近付いて来る。まるで感動の再会だとでも言うように。


「心配したぞぉ?俺が居ないと1人で買い物にも行けないお前が、化け物が歩き回ってる道端に放り出されてるかもと思うと飯もまともに食えなかったよ。服を着替えたんだな、良い判断だ。制服は目立つからなぁ……学校の連中に見付かって無理矢理利用されるかもしれない。けどもう安心だ、俺のとこに居れば……」


無遠慮な視線が頭の先から爪先までを舐め回す。ジゼルのように慈しみのある真っ直ぐな視線とは違うと、今ならはっきりわかる。


ミナトの腕が蛇のようにサクヤを狙って伸びて来た。振り払ってしまいたいのに、身体が動かない。まさに蛇に睨まれた蛙だった。


「置いてけぼりは困るわ。サクヤをどこへ連れて行こうというのかしら?」


狩人の如き動きで蛇の鎌首が鷲掴みにされる。


「……誰だよてめぇは?」


「サクヤの仲間よ。名乗るような名は無いわ、言葉遣いから立ち振る舞いまで品の無い貴女に名乗る名はね」


捻り上げられて激痛が走るはずの腕を挟んで、険悪な視線が交差する。何事かと足を止める周囲のざわめきに混じって、骨が軋む音がした。


先に視線を外したのはミナト。パッと腕を振りほどくと、人が変わったように友好的な笑顔を浮かべる。


「そうかそうか、あんたがここまでの道中サクヤを守ってくれてたのか!俺とした事が早とちりしちまった、礼を言わなきゃいけないようだな」


これにはジゼルも呆気に取られたようで、怪訝な顔をしてサクヤの方を見た。


「……っ!!」



しかしこちらを見る表情はすぐに張り詰めたものに変わり、素早く振り向いて剣を抜く。


甲高い金属音が辺りに響き渡り、見物人達の視線は一点に集中した。


「……まったく、サクヤの知り合いにはこういう手合いが多いのかしら。正々堂々戦う気は無いのね」


剣を抜いた体勢のまま苦笑いを零すジゼル。長剣で受け止めているのはミナトが持つ見慣れない形状の剣、止まっている位置から見るに真っ直ぐ首を狙って突き出されている。


唐突に始まった殺し合いに周囲の視線は好奇から恐怖のそれに変貌し、悲鳴と喧騒が辺りを支配した。


「くっそ、おしい!喉を抉り取ってやるつもりだったのに、すげぇ反射神経してんな。少しは警戒もしてたみたいだが」


不意打ちを防がれたミナトはすぐさま後ろへ跳んで距離を取る。サクヤを一瞥するその視線は、全て見抜いているとでも言いたげだ。


「ミナト!私達、三田さんに会った。でももう普通じゃなくて……ジゼルが居なかったら殺されてた。だから」


「だからぁ?一緒に仲良く冒険しようってか?そりゃ無理だろサクヤ。俺にはそいつを信用する理由が無いし、そいつの助けも必要無い」


「そうね、お互い殺し合う必要は無いけれど、生かしておく理由も無いわ」


ジゼルは既に盾を背中から外して構えている。


(何か2人を止める方法は……⁈)


打開策を探して思考を巡らせるサクヤ。しかし、周囲のざわめきが喧しい。多くは怖がって逃げ出したようだが、残った血の気の多そうな男達が煽るような歓声をあげているのだ。


「あの、ちょっと静かに……」


背後で騒ぎ立てる青年を諌めようと振り向いたサクヤの頬を何かが掠める。


反射的に頬に触れると、皮膚が僅かに裂けて血が滲んでいた。


と同時にサクヤの周りが沈黙に包まれる。何事かと顔を上げると、青年の顔に拳大の石がめり込んでいるではないか。青年は生きてはいるようだが激痛で立ったまま失神している。


殺し合いの矛先が自分達にも向けられているのを感じ取った男達も苦虫を噛み潰したような顔で逃げ散り、通りに立っているのは3人だけになった。


「サクヤ、わたしの後ろへ。やっぱりミタと同じで油断ならないわ、彼女達」


「彼女"たち"……?」


ジゼルに従って盾に隠れるように身をかがめると、ミナトの背後の物陰から声がした。


「嶺部、もうバレちゃってるよコレ。やっぱりこの弓、狙い撃ちには向いてないって」


状況にそぐわぬ気の抜けた声に呼び掛けられ、ミナトは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。先ほどの男達の数倍は苦そうに。


「バカが……カマ掛けられたんだよ、黙って場所移せばいいものを。仕方ねぇ、2人とも出て来い!」


呼び掛けに応じ、2つの影が姿を現わす。どちらもよく見知った顔だ。


「生きてたんだ平見ー。三田に殺されそうになったのにここに居るって事は、その女が……?」


「違うの杉谷さん!三田さんも他の子も……」


弓のような物を携えた少女の、気の抜けた声とは裏腹に鋭い視線を受けて慌てて弁解するサクヤ。


弓のような、というのは、本来弦の矢を番えるべき箇所に小さな革が取り付けられている為だ。スリングショットのゴムの部分を弓に張ったような形状である。


「さてはアンタ達を殺そうとして化け物に殺られた?もー、前々から詰めが甘いとは思ってたけど」


「平見さんっ!良かった無事で……怪我はしてませんか?」


肩をすくめる杉谷を半ば押し退けるように飛び出した少女の名は片桐という。クラスで唯一、サクヤと会話するだけでなく、その扱いに意を唱えてくれていた。手には棒を握っている。


「片桐さん⁈ミナト達と一緒だったんだね……無事で良かった」


「放課後、彼女達と話していたらこの場所に居て……少なくとも素性のはっきりしてる彼女達と行動した方が安全と判断しました。平見さんと合流出来たのは僥倖です」


ジゼルの背から僅かに顔を出して喜びの表情を見せるサクヤ。しかし直後に元の位置へ肘で押しやられる。


「寝ぼけているの?さっき貴女を狙ったのは弓を持った彼女よ、迂闊に飛び出すと危険だわ」


「あっ……」


失神した青年は仲間らしき数人が引きずって連れて行ったようだが、陥没した顔面を思い出して鳥肌が立った。


「いやいや、狙ったのは喧しいギャラリーの方。ホントは肩の辺りを狙ったんどけどさー、顔面直撃だわ平見に当たりそうになるわでヒヤッとしたし」


頭を掻きながら杉谷が曖昧に笑う。


「とりあえず話をしないとどうにもならなそうだったから、軽く脅かして散ってもらおうと思ったんだよね。その人の事も信用出来るか分かんなかったし……ま、今の反応を見るに平見の事を守ってここまで来たってのは嘘じゃなさそうだしさ、殺し合うにしても話の後で良くない?」


片桐は学校生活の殆どをミナトと共にしてはいたが、単に自由意思が無い為に我の強いミナトに引き寄せられているものと思っていた。


ミナトの取り巻きのようにサクヤへ見下すような視線を向ける事も無く、ミナトの居ない隙に使い走りをさせる訳でもない。同じなのだ、誰を見る眼も、誰と話す口調も。


「どうするかは任せるよ嶺部。平見と合流するにしてもしないにしても、その人とは一緒に行けないけどねー」


「……賢明ね、仲はどうあれ良く知る間柄の一行によそ者が割り込む危険を考えれば、当然の判断だわ」


誰にとも無くヒラヒラと手を振る杉谷に、感心した様子でジゼルが呟く。


「杉谷さんに賛成です。理由は不明ですが武器の使い方は分かりますし、街での情報収集なら4人居れば充分です。元の場所へ戻る為の有益な情報を彼女が持っているなら、話は別ですが」


片桐の問いに、ジゼルは黙って首を振る。


「何も無いわ。もっと言えば、この街で情報を集めるのに使えそうなツテも殆ど持っていない」


その場しのぎにでも嘘を吐かないのは生来の高潔さ故か、ジゼルは相対する3人を真っ直ぐ見据えて言い放った。


「なら決まりだな、その女に用は無ぇ!選べ、俺の気が変わらねぇ内に消えるか、消されるか」


それを聞くや、ミナトは待ってましたとばかりに剣を向けて選択を迫る。


「待ってよミナト!!ジゼルは信用出来る人だよ、死にそうになっても私を守ってくれた。それにロアの事も良く知ってる」


ジゼルを庇うように前へ出るサクヤ。


真っ直ぐに向けられた切先が怖い。それでも、もう生者同士で刃を交えるのを黙って見ているのは我慢ならなかった。


「元の場所に戻るにはきっと街の外に出なくちゃいけない。その時ジゼルが居なくちゃ、きっと私達も死んじゃうよ!だから私はジゼルと別れたりしない。ミナトがジゼルを信用出来ないなら……一緒に行けないって言うなら……」


三田の死、その全てがサクヤの責任だとは思わない。だが、それでもあの時何かを決断出来ていれば、あるいは誰も死なずに済んだと考えるのは傲慢だろうか。


だから、決断する事にした。


「私はジゼルと2人で良い。……ううん、きっとその方が良い」


今のサクヤに出来る最良の選択だった。クラスの誰かと合流する方が手掛かりは多くなるだろうが、その度に殺し合いが始まるのならもう望むまい。決断したのだ、もうクラスの人間とは行動しないと。


「……………………」


決定的な拒絶を、決別を告げられたミナトは時が止まったように動かない。見開いた瞳の奥だけがぐるぐると彷徨っている。


返答は無く、その沈黙を了解と受け取る事にした。


「……もう行くね。元気で、ミナト」


踵を返し、盾を背中に戻したジゼルの手を取る。片桐が何か言いながらミナトの元へ駆け寄っているようだが、もう振り向く事はしない。


「サクヤ、貴女……」


「あ〜、もう分かった!俺の負けだ。良いよ、そいつも連れてこう」


溜め息混じりに言うミナトの声に思わず振り向くと、そこにはいつかの懐かしい微笑みがあった。中学に入った頃には失われてしまった、本当に懐かしい笑み。


「ミナト……!」


「まさかお前にそこまで言わせるとはなぁ、何者だよそいつ?」


感心したように肩を竦めるミナトの後ろで、片桐もホッとした表情で佇んでいる。


「それはこれから説明するね。とりあえず場所を替えて……」


「でもやっぱ5人は多いわ」


懐かしい笑みのまま、サクヤの良く知るあの笑みを浮かべる口元から飛び出した言葉の意味を理解する前に、視線がそこへ向いた。


ミナトはまだ剣を納めていない。


「サクヤっ!!」


誰よりも早く違和感に気付いたのはジゼルだった。どこからかナイフを素早く取り出すと、迷わずミナトの喉目掛けて投げる。


しかし、お見通しと言わんばかりに唇を歪ませたミナトは既に上体を反らし、剣を振り抜いていた。



浅い水溜りにボールでも落としたような、水気を含んだ物体が落ちる音。そんな音をサクヤの耳が捉える。


「あ……」


声の主は片桐。自身の左腕を眺めながら目を丸くしていた。当然だろう、そこはもう左腕が"あった"場所なのだから。


絶叫。空気が割れるような錯覚に陥る程の。


「ああああ、腕っ腕!腕がぁぁぁぁぁ!!」


ガクガクと震えながらその場に崩れ落ちる。左腕は肘から先を斬り落とされ、大量の鮮血を噴き出していた。


「ちょ、マジで⁈嶺部、流石にこれはヤバいよ…」


誰よりも最初に杉谷が動いた。素早く片桐の元へ駆け寄ると、懐から瓶のような物を取り出して栓を捻る。


当のミナトは顔色一つ変える事無く、青ざめた顔で泣き喚く片桐へ再び剣を振り上げようとしていた。


「やめてミナト!!どうして……どうしてこんな……」


「近付いちゃ駄目!彼女は危険過ぎる……退くのよ!」


「ジゼルどいて!止めさせなくちゃ……」


今にも飛び出さんとするサクヤの手を、今度はジゼルが取って離さない。


「どうしてってそりゃ、お前のせいだよサクヤ」


「私……の?」


「そいつ連れて行きたいんだろ?けど5人は多いんだよな。そしたら消去法で片桐には死んでもらわないと」


ミナトが一体何の話をしているのか、理解するのに数秒を要した。まるで引き算でもするような口振りだったのだ。


いや、するような、ではない。ミナトにとっては引き算と同じという事なのだろう。


「これ以上話しても無駄よ。もう分かったでしょう、彼女はまともじゃない!ここへ来てからなのか、その前からなのかは分からないけれど」


焦燥の滲む声色でジゼルが言う。目には僅かに未知への恐怖を浮かべていた。


「そう焦んなよ。そいつに邪魔されて狙いが逸れたが、これで問題解決だ」


「いやいや、何言ってんの嶺部。クラスメイト殺すとかシャレになってないって」


これには杉谷ものんびりとした顔は出来なかったようだ。引き攣った顔で額に汗を浮かべている。




「無許可の決闘が行われているというのはどこだ!!」



緊迫した沈黙を破ったのは、大挙する蹄の音と怒声。全身を鎧で固めた兵士らが武器を携えて隣の通りを走り去るのが建物の間から見えた。


「誰かが警備隊に伝えたのね、このままじゃすぐに囲まれて牢屋行きよ。居場所を掴まれていない今ならまだ逃げられるわ!」


すがるように叫ぶジゼル。しかし腕を切断された片桐を見捨てて立ち去る行為は、自ずと死んだ三田の姿を彷彿とさせる。


「今度こそ、片桐さんは助けなきゃ……!」


サクヤは斬り飛ばされた腕を拾い上げると、片桐の元へ届けるべく走り出そうとする。しかし、


「駄目よサクヤっ!!」


肩を脱臼するのではないかと思える程の力で引き戻された。それでも進むべく振り払おうとしたその背後を馬が通り過ぎる。飛び出していれば跳ね飛ばされていたかもしれない。


「貴様らその血は何事だ、詰所まで同行してもらうぞ!」


ジゼルの懸念通り、そこかしこから現れた警備隊によって辺りを包囲されてしまった。兜で表情こそ窺えないが、油断無く得物を構えているのがわかる。


「次から次へと……」


「おい貴様、ブツブツと何を言っている。早々に武器を下ろして……」


「俺とサクヤの感動の再会を邪魔すんなよ……なぁ、おい!消えろっつってんだ!!」


野太い断末魔の声と共に警備隊の包囲網にどよめきが走り、サクヤに武器を向けていた男も僅かに身体を捻ってそちらを向いた。


「……あり得ない、この数を相手にするつもり⁈」


畏怖の篭る声色でジゼルが誰にとも無く問う。


サクヤにもそれは見えていた。ミナトの剣が警備隊員の胸を貫いているのが。剣を抜くと、その身体は何の抵抗も無く地面へ吸い込まれていった。


「こ……小娘ぇ!」「捕らえろ!腕の一本は落としても構わん!!」


驚いた馬が前脚を跳ね上げるのと同時に、警備隊が堰を切ったようにミナトへ殺到する。


「くそっ!貴様らもあの娘の仲間か⁈」


明らかに焦りを滲ませた口調で、男が武器を持ち直す。


「えっ⁈わ、私達は、その……」


焦りは剣を伝って殺意へと変貌を遂げていた。三田に人質にされていた時の方が刃との距離は近かった筈なのに、恐怖で上手く口が回らない。


「悪い冗談だわ。わたし達は買い物をしていただけ、あの狂人がいきなり斬りつけて来たのよ!挙句の果てに自分の仲間にまで斬り掛かる始末、早く牢へ放り込んでちょうだい!」



素早く割り込んで捲し立てたのはジゼル。ヒステリーでも起こしたような調子で男を怒鳴りつけた。


「そ、それは失礼した……。後で事情を聴くからそこに居るように!」


たじろいだ様子の男はそれだけ言うと、十数人を相手に大立ち回りを続けるミナトの方へ視線を移す。




迫る切先を盾で受け流しながら、相手の懐へ飛び込んでは馬の胴体が邪魔をして攻撃が出来ない位置から騎手へ突きを繰り出し、時に馬を浅く斬りつけて暴走させる。騎兵であるが故に多くの者が槍を装備していた為、ミナト1人に弄ばれているのだとジゼルは分析した。


しかし、つい最近までサクヤと同じく殺し合いとは程遠い暮らしをしていた彼女がどうしてここまで立ち回れるのか。確かに身体つきは良く、頭の回転も速い。だがそれだけであれ程の動きが出来るものなのだろうか。


「迷いが無い。いえ、無さ過ぎるんだわ」


信じられないものを見た。そんな顔でジゼルは独りごちた。


人は程度の違いこそあれ他の存在を傷付ける事に抵抗を覚える。だからこそ技を磨き、命を奪わずに相手を制す選択肢を増やす。ジゼルの父の教えだ。


ミナトを囲む警備隊の多くは街の治安維持が主な仕事であり、人間相手に剣を交えた、ましてや殺し合いをした経験など持たない者が殆どである。武芸の腕はそれなりだろうが、それは相手を殺すという本来の形ではない。


対するミナトは剣術の手解きなど受けた事の無い素人。しかしどういう訳か

手にした得物の扱いを直感で理解している。人間を相手に殺し合いをした経験が無いのは彼女も同じだ。


違いは1つ、迷いの無さ。倫理感の無さと言ってもいい。


警備隊員らが躊躇いと共に攻撃するのとは違い、ミナトは冷静に、冷酷にそれを躱す最善の方法を導き出す事が出来るのだ。


警備隊では手に負えない。


恐らく、ミナトは間も無く彼らを全滅させるだろう。そうなれば再びサクヤを狙うに違い無い。理由は不明だが、彼女のサクヤへの執着が度を越している事はこの短時間でよく分かった。


当のサクヤは涙を流しながらその場に跪いている。関係はどうあれ、長い付き合いの友人が目の前で仲間を殺そうとしたのだ。その上、今度は大勢の人間を殺しているのだから無理も無い事だが。


「参ったわね…………」


ミナトが暴れてくれている今なら、それに釘付けになっている隊員の目を盗んで逃げるのは容易い。


問題はサクヤだ。腕を斬り落とされた友人を昨日死んだミタと重ねているらしく、なかば放心ながらもこの場を離れようとしてくれない。この状況で逃亡を提案すれば拒否されるのは想像に難くない、どころか手放しかけている意識を一気に引き戻してしまうかもしれない。


だがミナトは危険だ。あそこまで人格に問題がある者と旅などしようものなら、行く先々で争い事を引き込むだろう。いずれジゼルもサクヤも命を落とす。


「…………こういうやり方は好きじゃないけれど、背に腹は代えられないわね。あぁ、本当にらしくないわ」


覚悟を固め、音を立てないよう剣を収める。


「だけれど、騒ぎ立てれば完全に逃げる機会を失ってしまう」


空いた拳を固め、掴まえていたサクヤの腕を思い切り引いてこちらを向かせる。


「許して頂戴。…………無理ね」


拳を叩き込まれたサクヤは呼気だけを吐き出して崩れ落ちる。その細い身体を素早く抱き抱え、ジゼルはその場を後にした。


雄叫びと共にサクヤの名を叫ぶミナトを始め、気付く者は誰も居なかった。

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