第30話 果報の森

 生い茂る木々をレホの持つマチェットが斬り払い、獣道に等しいながら道を作る。それこそが

 本来の使い途であり、武器として使う代物ではないらしい。


「本来の、って言ってもこの鉈はちょっと頑丈過ぎっスけどね。ガールスカウトやってた頃に聞いた話だと背の高い草を切るのが精々で、さっきから切り落としてるようなぶっとい蔓とか低いとこの枝なんかは、刃こぼれの原因になるはずなんスよ」


 そう言ってちらつかせる刃は樹液で汚れてこそいるものの、いましがた打ち上がったばかりのような状態を保っている。サクヤが持つダガーと由来を同じくする物と見ていいだろう。


「私は、その……気付いたら森に居て。そこで出くわした怪物に追い掛けられてる間に武器を落として来てしまって……。ロア、っていうんですか?レホに会えてなかったらどうなっていたか……」


「いやいや、あんなのに追っかけられて生き延びてる方がスゴいっスよ?レホはめちゃめちゃ運が良かっただけっス、最初に居たのが街の中だったんスから。街の人に話を聞いて、どうやら元の世界とは違う場所に居ると知って覚悟を決める時間があったっス」


 元の世界の人間に会えた事で安心したのかそれぞれの経緯を話し出す2人。サクヤはあの館に居たクラスメイトの末路しか知らないが、もしかするとレホのように運良く街の中に現れ、命を繋いでいる者も居るのかもしれない。


「やっぱり皆、気が付いた時にはこっちに居たんだね。心当たりとか、それらしい前兆に覚えはある?」


 返って来たのは沈黙を伴った否定。元の場所に戻る手がかりについてこの2人からは期待出来そうにない。


「とにかく、そういう事なら丸腰は危険だね。えぇと……あった」


 サクヤがレザリクスから取り出したのは特筆すべき事も無い短剣。以前倒したロアが落とした物なのだが、状態が良かったので戦利品にしていたのだ。剣帯代わりの革紐で腰に括り付けてやる。


「ある程度の使い方は持ってみれば分かると思う。重くも長くもない剣だからキルトにも振れるはず」


「あ、ありがとうございます……すみません、大事な持ち物を」


 恐る恐るといった様子で短剣を受け取り、恐縮するキルト。鞘から抜いたそれを右手で軽く振る動きを見るに使う分には問題無さそうだ。


「高価な物じゃないし、これといって思い入れがある訳でもないよ、気にしないで。それにこの森は私も初めて来る場所だから、自分の身だけでも自分で守ってもらう事になるかもしれない。私のためだよ」


 突き放すような言い方になってしまったが、事実だ。口を真一文字に結んで短剣を見つめるキルトの顔はきっとサクヤも通った道であろう。


 彼女も、それをこんな風に眺めていたのだろうか?


 "常に疑いなさい、それだけが……"


「……さん、サクヤさん!」


 ほんの僅かな間、過去の記憶に絡め取られていたらしい。自らを呼ぶ声で我に返る。


「あ、うん。どうしたの?」


「道はこっちで合ってるっスか?サクヤさんに言われた通りに進んではいるっスけど、本当にこの先に集落なんて……」


 眼前には自然のまま生い茂る草木。目的地は森に住む民の集落なのだが、一行が進む道は人はおろか動物が通った痕跡すら見受けられない。道とすら呼べない未踏の地だ。地上に関しては。


「あぁ、それなら大丈夫。上を見て」


 サクヤが指差したのは頭上の木々、正確にはその枝だった。太くしっかりとした枝のいくつかが、狙いすましたように皮が剥げている。自然な植物の活動で付いた跡ではなく、同じ場所が踏み慣らされている事から、少なくとも獣の類によるものではない。


「集落に住んでる人達は森を移動するのに木の枝を伝って行くんだって。絶対じゃないだろうけど、地上よりはずっと安全だから」


「なるほど、考えたっスね!それじゃレホ達も上から行った方がいいんじゃ……」


「慣れない事はしないでおこう。もし落ちたりしたら獣に襲われるまでもなく怪我をするだろうし。日の高い内は地上でもそこまで危険は無いはずだよ」


 加えて、移動に使われていると思しき枝と枝の間隔は非常に広く、常人の跳躍力で成せる技とは思えない。距離の近い枝を行こうにも、武装した人間1人の重さに耐えられる枝かどうかなど見分けられるはずも無いのだ。


「仕方無いっスね、地に足付けて頑張るっスよ」


 特に反論する事も無く伐採に戻るレホ。彼女単独であれば、あるいは枝の上を行く事も可能だろうか。いや、どちらにせよ1人で先行させるのは危険だ。

 原因は服装にある。困った事に2人とも制服のままなのだ。杞憂であればいいのだが、要らぬ問題を招く事は避けたい。好奇の目が敵意へ変わる事もあるのだから。サクヤも予備の服は持っているが、それとて1人分だ。それも最低限の。


「集落で上手く調達出来るといいけど……」


 事前に仕入れてきた情報によれば、どちらかと言えば友好的な集落らしい。交易にも積極的と聞いているのでそれほど心配はしていない。後は交渉次第といったところか。


「2人とも食事は?お腹が空いてるなら、少しだけど食糧もあるけど。あ、先に水を飲んだ方がいいかな」


 恐らくこちらの金銭は持っていないだろう。他人の事は言えないが、森に関して素人であれば水の確保さえ難しいに違いない。今頃になってだが保存用の干し肉を取り出すサクヤ。


「…………」「…………」


 沈黙と共に向けられた視線はしかし、食糧に注がれたものではなかった。


「サクヤさん、その袋は……」


 レザリクスを見るのは初めてだったのだろう。短剣を始め、干し肉の入った袋に皮製の水筒が出て来ては容量に疑問を抱くのも無理からぬ事か。


「あぁ、そうか。普通驚くよね。これが当然と思うくらいには、私もこっちに馴染んでたんだなぁ。えぇと……これはレザリクスっていって、見た目の何十倍も物を入れられるんだ」


「それは便利っスね!どうりで街に居た旅人っぽい人達の荷物が少なかった訳っスよ。あ、ちなみにご飯なら今朝、兎を捕まえて食べたっス!」


「それは……簡単に手に入る物なんですか?」


 レホはともかくとして、大人しい印象のキルトも興味津々といった様子でレザリクスを観察し始める。


「この辺りではそう珍しい物じゃないから、街の職人に依頼すればすぐに作ってもらえるよ。服と一緒に集落で調達してみようか」


「で、でも、それは……」


 僅かに明らんでいたキルトの表情が再び曇る。理由はすぐに分かった。


「あー、それが……レホ達お金持ってないっスよ。寄り道させてもらえるなら、動物を捕まえて毛皮くらいは採れるんスけど」


 彼女らの気がかりはそこだったか。だがそれについては問題無い。

 苦難ばかりに思えるサクヤの旅路だが、思い返してみれば不気味なほどの幸運に恵まれていた。特に資産の面では。準宝貝の入手で多額の資金を得ていた為に、スタルハンツを出てからも金に困って危険な金策に手を出す必要が無かった事が一番の幸運かもしれない。

 おかげで装備は常に万全の状態を維持出来るし、食糧に困る事も無かった。余裕が生まれればロアや獣も安定した心身で倒す事が出来る。そこから生じた戦利品が新たな収入を生むのだ。これはサクヤだけの秘密だが、現時点の財産があれば街に土地を買い、家を持つ事は容易である。


「それなら私に任せて。いずれは自分で稼げるようになってもらわないといけないけど、最初くらいは誰かが手助けしてもいいはずだよ」


 右も左も分からないサクヤの手を引いてくれた彼女への恩返しがしたいのだろうか。あるいは、ついぞ手を取り合う事が出来なかった彼女らへの罪滅ぼしか。


「そこまでお世話になる訳には……と言いたい所ですが、お言葉に甘えるのが賢明……だよね?」


 言葉を選ぶように歩み出たキルトがレホへ目配せをする。彼女の口数が少ないのは思慮深いが故でもあるようだ。余計な事を言うのを好まないのだろう。


「自殺の趣味は無いっスし、それが上策っスね。ところでサクヤさん、集落の後はあの山へ?レホ達は場当たり的に登っただけっスけど、山菜採りに行くような山じゃないっスよね?」


 そう、あくまで集落へ行くのは寄り道だ。本命はグレーリン、その何処か。目的は1つ。


「質のいい鉱石は採れるらしいね。でも、レホの想像通り、私の目的はそれじゃない」


 足を止める。大事な確認があるのだ。


「ねぇ、2人は向こうに帰りたい?帰る手掛かりはあるよ。でも……まだこっちに来て日は浅いけど、こっちの方が生き易く感じたりは?」


 様々な面から見て、こちらの世界が圧倒的に不便なのは疑いようが無い。

 しかし居るのだ、生まれた世界が、時代が己に即さない事を自覚する者が。それに気付かなかったばかりにサクヤが失ったものは少なくない。


「帰れるんスか⁈帰ります、帰ります!」


「私も……帰る方法があるなら探すべきだと思います」


 両者即答だった。


「いやぁ〜、サバイバル生活もそれなりに楽しいっスけど、やっぱご飯は美味しい方がいいっスよ」


 言葉の真意を読み取る術をサクヤは持たない。しかし、導くと決めた。常に疑う事はやめないとしても。


「分かった。それじゃあ私の目的については集落に着いてから詳しく……」


「それは叶わぬな。そして目的とやらも果たさせる訳には行かぬ」

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