第29話 獣、獣、獣

「誰か助けて!!」


 助けを求める悲鳴としてはややあからさまな声が聴こえたのは、ようやく周囲の景色が森から山肌に変わった頃。

 流石に無視しようかとも思ったサクヤだが、その声色が現実味を帯びていたのと、声の主が目と鼻の先に居るのが分かってしまってはそうもいかない。山賊の類による罠でない事を祈るだけだ。


 荒い山道……もとい、人間が道として通れる最低限の足場に立つ少女が2人。年の頃はサクヤとそう変わらないだろう。短髪の小柄な少女と、肩の辺りまで伸ばした華奢な肢体の少女。両者とも顔立ちは近隣の住人とは異なり、どちらかと言えばサクヤに近い。


「あれは、まさか……⁈」


 しかしそれを吟味する暇は無かった。不安定な足場を囲い込むように周囲の足場を占拠している群れが居るのだ。顔立ちについては考えるまでもない、牙を剥き出した獣……狼である。先ほどの猪には及ばないが、その体躯は大きい。


 腹を空かせた狼の群れから1匹が躍り出で、少女らに襲い掛かる。狙うはへたり込むように身を縮こませた華奢な少女。


「っ、しつこいっスね!」


 短い断末魔を上げて灰色の塊が岩場を転げ落ちて行く。飛び掛かってきた狼の胴体を斬り裂いたのは短髪の少女の持つ刃物だ。剣ではないようだが長い刀身を持ち、彼女には不釣り合いにも思える。サクヤが彼女らの居場所に見当を付けられたのは、落下してくる狼の死骸のおかげではあるのだが。

 短髪の少女はぎこちない動きながら善戦している。が、片割れの方は恐怖の為か座り込んで動こうとしない。武器らしい武器は身に付けていないようだ。追い込まれつつあるのは明白だ。


「キルト!座ってないで戦うっスよ!このままじゃ……っ、やばっ……」


 サクヤが助勢に入らなければ、の話だが。


 何匹目かの狼を転げ落とした少女の頭上から降り掛かった爪は肉を裂く事無く、先に落ちて行った群れの仲間を追う。持ち主の脳天に矢を生やして。


「矢で射落とせる相手で良かった。だけど、数が多過ぎる」


 矢を放った体勢のまま呟くサクヤ。この群れを弓で倒すのは時間と矢の無駄だろう。弓を背中に戻して様子を伺う事にする。

 点在する足場を器用に利用して包囲網を形成しているのは十数匹。群れで行動しているなら頭目がいる可能性もあるが、それらしい雰囲気を纏った個体は視認出来ない。


「そこの方、ご加勢マジ有難いっス!出来る限りお礼はするのでこのまま援護してもらえないスか⁈」


 サクヤの介入を察知した短髪の少女が周囲への警戒は解かずに叫んだ。元よりそのつもりではあるのだが、今からやろうとしている事を加勢と呼んで良いものか。


「2人共そこを動かないで。そっちの、ええと……鉈を持った貴女、近付いて来る狼に気を付けて!」


 幸い狼の包囲網は狭い。問題はその中心に居る2人を巻き込まないように制御する事だ。


 何を?炎を。


「細かい制御はまだ慣れないけど、これくらいなら……」


 全て覆ってから2人分の隙間を空けるのではない、2人の周囲にいくつかの発火点を造ればいいのだ。それなりに神経を使うが、前者よりは容易い。


 空気が歪む。術式に通じた者ならこの時点で警戒するだろうが、相手は大きいだけの獣。ロアを狩るのと大差無い。


「……分からないけどなんかヤバいっスね」


 張り巡らせた呪力を爆発させる。分散させた発火点からほぼ同時に生まれた炎が狼達の毛を剥ぎ取り、内外の肉を焼き焦がす。痛覚は仕事をする前に焼き消えただろう。以前は行使するまでに時間がかかり、威力も安定しなかったそれは修練と実践の中でどうにか術式と呼べる域に達した。命名を"囲い火"。

 少々乱暴ではあったが、救援は完了した。岩場から落下した狼達の焼死体が強烈な肉の臭いを放っている、長居は無用であろう。


「ふぅ……2人共無事?別の群れが来るかもしれないから、そこを登るのは諦めた方がいい。降りて別の道を探そう」


 森に入ってから数日間人と会話をしていなかったサクヤは、言葉を選んで威圧的にならないよう努めた。術式という凶器を持っているのを見られた以上、警戒心が敵意に変わる可能性は充分にある。


「同感っス!どっちにしても、これ以上ここから登るのは無理っスね」


「れ……レホがそう言うなら……」


 レホと呼ばれた短髪の少女は軽い身のこなしで、先ほどキルトと呼ばれていた華奢な少女はへばり付くようにして岩場を降りる。近くで両者の格好を観察したサクヤの顔色が変わった。


「よいしょ……っと!お待たせしました。危ない所を助けていただいてホント感謝っス!レホの名前は谷糸たにいと礼保れほ、気軽にレホって呼んで欲しいっス」


「あぅ、わ……私はキルト、です。井戸端いどばた蘇衣きると……変な名前ですいません、ひゃっ!」


 2人それぞれ性格の窺える自己紹介が終わるや否や、両者の肩を強く掴むサクヤ。その表情は硬い。


「山登りは中止。今すぐ引き返すよ」


「えっ?でも……」


 強引な提案に戸惑うキルトをレホが制する。


「ここは言う通りに。レホ達の見通しはかなーり甘かったみたいっス。このまま登れば多分死ぬ……って事っスよね、平見先輩?」

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