第2章 悪食
第28話 炎。邂逅するは女神
抜けるような青空を鳥が飛んでいる。いつぞやのような人に害なす翔魔の類ではなく至って普通の鳥だ。
「……あれなら食糧に出来るかな」
捌けば1人分の夕食は容易に賄えるだろう。呟いた彼女が背に担いだ弓ならそれが可能だ。
「良かった、流石にコレは食べたくなかったし」
そう言って視線を戻した先に待機していたのはおそらく猪の類。全身に濃い体毛を蓄え、鋭い牙を備えたその造形は猪に間違い無い。問題はその巨躯にあった。
大の大人1人を軽く超える体長、それに伴って牙は大剣の如き圧を放っている。
「3頭か。立派な牙だけど運ぶのは無理かな。でも1本くらいならレザリクスになんとか……」
思案する彼女に業を煮やしたかのように猪が吼え、その巨躯とは比べものにならない華奢な少女へ突進した。猪に人間の如き知能があれば、牙に貫かれる少女の身体を想像しただろう。しかしそうはならなかった。
「吼えたりするから……って、仕方無いか。動物だもんね」
猪の口から突如噴き出したのは炎。瞬く間に体内を駆け巡る高温によって牙は少女に届く事無く地面を抉る。猪の丸焼きが完成した。
残った2頭は何故仲間が突然煙を吐きながら倒れ伏したのか理解出来ず、さりとて少女へと襲い掛かる事も出来ずに立ち尽くしている。獣の本能は即座に逃げるよう訴えているのだが、いかんせん猪は後退する事を知らない。しかし前は得体の知れぬ力を持った人間が塞いでいる。
「…………あぁ、そういう……」
少女が猪の戦意喪失に気付くまでそう時間はかからなかった。彼女は自分が立っているのが獣道である事を理解すると、近くの茂みに分け入り道を譲る。
「ごめんなさい、あなた達の道だったんだね」
おそるおそるといった雰囲気で猪が立ち去るのを見送ると、少女は再び獣道へ戻った。意図しない衝突を避ける為には道無き道を進むべきなのだが、彼女にその経験は無い。
「動物が近付いて来たら脇に退けばやり過ごせるかな。それにしても……山に辿り着くまでがこんなに大変だったなんて」
服の端々に付いた小枝を払い落とし、少女は遥か前方にそびえる大山を見上げた。
グレーリン山脈、またの名を"女神の玉体"。グレーリン山を中心に小高い山々が並び立ち、麓は山から流れる栄養を一身に受けた森に囲まれている。そこに住む動植物は女神の寵愛を受けたかの如く肥え、上質な肉や実りを人間にもたらす。
一方で肥大化の恩恵は気性の荒い猛獣にも与えられており、山の実りを得ようとするなら相応の危険を覚悟せねば命を落としかねない。まさに豊穣と死を司る女神によって創られたかのような土地である。
そこにたった1人で挑む少女の名はサクヤ。求める物は豊かな実りでも強烈な刺激でもない、蜘蛛の糸のような手掛かりだ。多くの悲鳴と死を重ねてなお、それを得る事が己に出来る唯一と信じ、縋る。
彼女がもと居た場所へ帰り着く術の欠片。それがこの山で息を潜めているのだ。
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