第21話

驚くべき事に、両脚の震えは一瞬で止んでいた。


ジゼルとの距離を取るべく後方へ跳んだサクヤが放った数発の"投げ火"は敵を焼く前に斬り裂かれる。


「これが答えという事かしら?」


煙の向こうから姿を現したジゼルの手には再び腐食剣が収まっていた。


「安心なさいな。さっきも言った通り殺す気は無いのよ、今はね。けれどそうやって拒むなら……そうね、術式を使えないように両腕を落としましょうか。肩まで腐ったところでちゃんと綺麗に斬り落としてあげる」


燃えるような瞳に嘘は無い。素人のサクヤにでも分かる。分からないのはあの剣との戦い方だ。


「盾でも、防げない。それなら……あの剣とは戦わない」


腐食のカラクリを調べる時間は無いし、そもそもどうやって調べたらいいのかも分からない。それ以前に、あの剣を攻略しなければ勝てないという決まりなど存在しない。


「剣と戦わない為に出来る事……"投げ火"は効かなかった……後は……」


背中の弓を構え、素早く矢を番える。放つ先はもちろん、煙を割いて突進してくるジゼルの額。


「……そうよ、躊躇わずに射ちなさい」


放たれた矢は吸い込まれるように眉間を目指し、阻まれる。恐るべき事に、剣の腹で弾かれた矢すら腐り果てた。


「触れる……だけで腐る。後は……」


「考える暇は与えないわ」


肩を狙った突きを身を捩って躱す。事前に斬りつける箇所を予告されているのだから難しい事ではなかった。目くらましに地下水路や館の回廊で使った術式を放つ。


「……っ」


範囲は出来るだけ広く、火力は出来るだけ強く。調整の必要が無い分燃焼までの時間は短い。一瞬にして周囲を覆う炎に流石のジゼルも顔をしかめた。驚異的な反射と跳躍力で破壊の奔流から逃れた所へ、すかさず"投げ火"を数発見舞う。


「っ、ふふ」


読んでいたとばかりに剣で払うジゼル。炎はその身体を焼く事無く爆発する。


しかし眼前の敵だけを視界に捉えるサクヤの眼は僅かな違和感を見逃さなかった。


「炎が……斬れてなかった。剣に当たって、弾かれただけ。その剣が腐らせてるんじゃ、ない……じゃあ何が……?」


否、考えるべきはそこではない。重要なのは、あの剣は炎を斬る事が出来ないという事。全く勝ち目が無い訳ではないという事だ。


「勝機は見付かった?」


一瞬。まさに一瞬の隙だった。見出した勝機に集中が揺らいだ刹那を見逃すジゼルではない。人間を超越した瞬発力でサクヤの懐に飛び込むと、がら空きの白い首筋を掴み上げる。


「がっ……かっ、は……!」


「教えてあげる。これはね、剣の形をした腐食の呪いそのものよ。だから普通の剣のように何かを斬り裂く事は出来ない。腐らせた場所を押し広げて斬撃の真似事をしているに過ぎないわ。必然、腐らないものは斬る事が出来ないの」


気道に食い込む指が空気の供給を妨げ、心臓からの血の供給をも制限する。視界は霞む一方で鼓動は頭の中で不快なほど鳴り響いていた。


「この剣で貴女の炎は斬れない。だけどそれを勝機に変えるには修練が足りなかったわね。今のわたしは術式が放たれる前に貴女を制す事が出来る」


口の端から垂れる唾液の感覚すら消えかける。それでもまだ、頭が意識を失わせてくれない。


"痛みだ"


走馬灯だろうか、誰かの言葉が蘇る。


"痛みを、苦痛を与える度にお前の心と身体は生きようともがく"


誰の言葉だったろうか、遠い昔のような、つい数分前のような……曖昧な記憶。


「そろそろ選んでもらおうかしら?ここで両腕を斬り落とされて、痛みを味わってから死を待つか。わたしへの従属を誓って、五体満足で死を待つか。さぁ、答えなさい」


首の拘束が緩み、気を失いかけていたサクヤの身体は人形のようにその場に崩れ落ちる。瓦礫の山に叩き付けられたいつかのような激しい咳と涎と涙で、己の顔が首の上にあるのかさえ分からない。


それでも心が、脳が容赦無くジゼルの台詞を反芻する。


"選んで……死を……。……て、死を……か。死を……死を……"


「っ、げほっ、げほっ!死……私が……?ど……うして、私。私、死……」


「……気が触れてしまったのかしらね。どうやらわたしの見立ては間違っていたらしいわ。けれど念の為、腕は斬り落とす事にしましょう」


ブツブツと同じような事を繰り返すサクヤの様子に、憐憫とも諦観ともとれる言葉を洩らすジゼル。彼女が剣を振り上げるのがサクヤにも感じ取れた。何故なら、既に2人の周囲を呪力が包み込んでいたから。


「……は、……」


突如濃度を増した呪力をジゼルが感知した時には、視界は炎に埋め尽くされていた。


「っ、これは……⁈」


腐食の剣、呪いが剣の形をとったそれを振り下ろす事は叶わなかった。ほんの一瞬、周囲を包んだ炎が刃の行く手を阻んだのである。それはつい先ほど目くらましに使われた術式に相違無い。


「いいえ、わたしの身体を焼く事無く、剣を止める為に使った……これほど完璧な制御を出来る筈は……」


「……は、……だ」


その一瞬に距離を取ったサクヤの手に握られているのは、出会った時から持っていた彼女のダガー。戦うという意思を代弁する物。


「今更そんなダガーで何をするつもり?わざわざ剣を取ったという事は、今の術式はまぐれで制御したに過ぎないようね」


身体能力は足元にも及ばない。手にした剣は細く短い。それなのに。


「……は、お前だ」


頼みの術式を行使する事すらやめてしまったような、最期の抵抗とも思える様相。それでも僅かに喉を震わせて、サクヤは言葉を紡いだ。







「死ぬのは……お前だ」




ーー「平見さん、世界で唯一、絶対の法則を知ってる?」ーー

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