第19話
先に動いたのはジゼル。数十本に及ぶナイフを捨て去り、人外の力の片鱗を取り戻した彼女の動きは最早別人のそれだ。一気に距離を詰め、腐食の力を持った魔剣を振り上げる。先ほどは幸か不幸か手首だけで済んだが、僅かにでも胴や頭を斬りつけられれば致命傷だ。
その一撃をしかし、ミナトは紙一重で躱してみせる。だが攻撃はしない。すぐさま後方へ跳躍し距離を取る。
だからといってそれをただ見送るジゼルではない。更に速度を上げ、風切音さえ聞こえるような鋭い突きを放った。
「ちぃっ!」
「避けると思ったわ」
苦しげに身を捩るミナトの眼前を剣先が掠めた次の瞬間、彼女の身体は引っ張られるように後方へ吹き飛ぶ。顔面を盾の一撃が見舞ったのだ。
頭から床に激突するかと思われたミナトだが、寸前で身体を回転させ、四つん這いのような格好でなんとか着地する。杖代わりに突き立てられた剣が不快な音を響かせた。
「逃げ回るだけじゃわたしを滅ぼす事は出来ないわよ、威勢が良いのは口だけ?」
「反則みたいなモン使っといて偉そうに。うっかりその剣で受けられたが最後、盾と同じように腐り出すんだろうが」
「殺し合いに反則も卑怯も無い事は、貴女が一番分かっているでしょう?」
発言通り、体勢の整っていないミナトへ無慈悲な追撃を加えるジゼル。
全て紙一重で躱すミナトだが、疲労の色は隠し切れない。がら空きの脇腹に強烈な蹴りが入った。
「ぐぅ……ふっ……!」
骨の軋む音と共に宙を舞ったミナトの身体は、先ほど手首を斬り落とした血溜まりの位置に落下する。
「幕を引きましょう、貴女の血で」
苦痛にもがくミナトヘ告死の歩みを進めるジゼルの表情はしかし、一方的に戦いを進めていたとは思えないほど固い。人間を超越し、異形の武器を得てもまだ警戒をやめていないのだ。
「あぁ、そうだな。幕を引くのは……俺の血だっ!」
起き上がりざまにミナトから放たれたのは赤黒い塊。近距離ではあったが、今のジゼルが剣で斬り払うのは造作も無い事だった。
サクヤの目の前に落下したそれは、まさにミナトの血。正しくは完全に腐り切る前の彼女の手首。腐肉と化したそれが稼いだ時間はほんの一瞬、されど致命的な一瞬。
「っはは!」
その一瞬でジゼルの懐に飛び込んだミナトは素早くジゼルの右腕を絡め取ると、大きく仰け反って痛烈な頭突きを見舞う。
「ぅ、ぐっ……!」
「関節と痛覚はまだ人間って事らしい……なっ!」
僅かに怯んだ隙に左腕、すなわち盾を構える細腕を狙う切っ先をすんでのところで回避するジゼルだったが、盾は鈍い音を立てて落下した。当然拾う暇は無い。
「ご明察よっ!」
返す刃で首を狙うミナトの鳩尾へ蹴りを入れたジゼルがたまらず後方へ跳ぶのを、ミナトは半歩遅れて追う。と、
「……っ⁈」
突如体勢を崩すジゼル。対するミナトはその凶暴な笑みを更に深めて距離を詰める。
「言ったろ、俺の血で幕引きだ」
床の血溜まりに足を取られたジゼルへ、追い討ちをかけるようにどこからか取り出したナイフを投げるミナト。予定調和をジゼルは剣で受けるしかない。
「剣で受けると思ったぜ」
再び肉迫したミナトの左腕がジゼルの右手首を押さえ、動きを封じる。隙間から覗くのは勝利を確信した瞳。次いで容赦無く突き込まれる切っ先。
「……か、っは……」
殺し合いにおいて、卑怯という行為は存在し得ない。何故なら、より自己を生かす為に努力した方が勝利……すなわち生を得るのだから。
例えば……剣1本で決着を付けると思い込ませておいて、切断した手首の断面に敵のナイフを刺し込んでおく事。
例えば……血溜まりに滑って足を取られるのを狙って敵を誘導する事。
例えば……取り戻した力をほとんど使わずに温存する事。
例えば……恐るべき力を持った腐食の剣を手離す事。
「ぜっ、はっ……げほっ!アンタ、まさか手加減っぐ、ぅあああああ!」
例えば……用済みとばかりに床に突き立てた剣を再び手に取る事。
突如身体を貫いた剣が更に肉を抉る激痛に、とうとうミナトは自身の剣を落とした。
「いいえ、貴女を相手に手を抜くなんてとても出来ない。確実に倒す為に手を尽くしたまでよ」
恐らくミナトには何が起きたのか分からないだろう。分かるのは自分が敗北したらしいという事と、敵が力の底を隠していたと言う事だけ。
その全容はサクヤが目撃していた。
ミナトが繰り出した突きを躱す為に剣を手離したジゼルはそれまでとは段違いの速度で後方へ跳ぶと、つい数分前に床に刺した剣を抜いた。すぐさま放たれた剣が肌に食い込むまでミナトは反応出来なかったのだ。
「冗、談じゃ、ね……げほっ!まだ終わってなんか……」
「いいえ、終わりよ。終わりなのよミナト」
致命傷を受けてなお膝を屈する事無く牙を剥くミナトの肩から腰にかけて、恐らく臓器にまで達するであろう斬線が走る。彼岸花の花弁の如く舞う血飛沫が、ジゼルの言葉を裏付けた。
何の抵抗も無く、仰向けで床へ吸い込まれるミナトの身体。サクヤは未だ震える脚を腕の力だけで引きずりながら、信じられないほどの血を流し続ける彼女の元へ辿り着く。
「……サク、ヤ。あぁ、サクヤ。いいぞ、お前は泣き顔が一番綺麗だ。クソっ、もっと……ごぼっ、よく見たいってのに」
「ミナト、どうして……どうしてこんな事になってるの……?いつから変わっちゃったの?昔の乱暴だけど優しいミナトのままで居てくれたら、こんなに大勢死なずに済んだのに」
ミナトの手を取り、血袋と化した身体を抱くサクヤ。どんな思惑か、その様子をジゼルは静観している。
「俺が?ははは、はっ……げほっ、げほっ!俺は……何も変わっちゃいない、生まれながらのイカれた人種だ。変わったのはお前だよサクヤ。いつからあんなそそる顔で痛みに耐えるようになった?いつからだ……一体いつからこんなにも涙が映える女になったんだ?我慢の……限界だったんだよ。ぅ、がっ……は、げほっ!」
「私……?私は何も……いつか元のミナトに戻ってくれるってそう思って」
「違うな。お前は時々隠し切れない殺意を覗かせてた。だけど常識が……本当のお前に蓋をしてたのさ。俺は、その蓋の上に乗ってそいつが出て来られないようにしてたってのに……げほっ!畜生、こんな所へ寄越しやがって……あとほんの少し、ほんの少し早く見付けてれば、お前は俺の……」
瞳から光が失われていく。あれだけ爛々と輝かせていたミナトでさえ、失ってしまうのか。
「何言ってるのか分からないよ……。ずっと前からミナトの言ってる事は何も……分からないよ……」
「分からねぇだろうな、俺は俺の欲を押し通しただけだ。だからお前もそうするといい、俺の物にならないなら誰の物にもなるな。いいか……こっちにもあっちにも、どこにもお前の、自分の味方なんて居ない。お前はお前の望みを通せ、その力は手に入れたろ」
「私の望みは……元の場所へ帰る……事……でしょ?私にそんな力は無いよ!それとも別の望みが私にはあるの⁈知ってるなら教えてよミナト!いつもみたいにそうしろって言ってよ!!」
既に流れ出るべき血液すら失い、閉じられるだけとなったミナトの瞳に一瞬だけ光が戻った。
「自分の望みくらい自分に訊け。あぁ、だが……不安に怯える顔も……そそる、な……」
消える直前の灯火、一瞬の輝きを放った命の火が今、消えた。
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