第18話 血よ、脈動を刻め

「やぁ、ペレンネ。お祖父さんは元気にしてるかい?」


「…………あぁ、ルース。お爺ちゃんなら元気よ、邪魔だから帰って。ロアの襲撃で店が壊されちゃって、片付けに忙しいんだから」


「酷い、酷いなぁ、相変わらず僕にだけ辛辣だね君は。しかしそう邪険にしないでくれよ、少し聞きたい事があるだけなんだ。聞いたらすぐに退散する」


「あんたがまともな商売を始めれば結婚してあけたっていいんだけどね。まぁいいか、ひと休みしようと思ってたとこだし。くだらない事だったら氷漬けにするから」


「う、うん……くだらなくはないはずだけど。つい先日、うちに風変わりな客が来てね。この辺りじゃ見かけない風貌の女の子と、ひと昔前の装備に身を包んだ女騎士……君の店にも来ていると聞いたんだが」


「サクヤさん達の事?あんた、変な物売り付けたりしてないでしょうね⁈私がレザリクスを作成した初めてのお客様なんだから!」


「してない、してないから氷漬けはやめてくれよ⁈真っ当な売買をしたさ、珍しくね。それはそうと……その2人、何か変わった所は無かったかい?あぁ、別に調べてどうこうというつもりは無いんだ。単純な興味だよ」


「変わった所だらけ。だけどサクヤさんは遠い異国の出身らしいし、ジゼルさんだってこの辺りの甲冑の流行がまだ伝わってない国から来ただけでしょ?何より悪い人じゃなさそうだった、でなきゃレザリクスを売ったりしない。詮索屋は長生き出来ないよ?あ、でも……」


「なんだい?」


「うちのお爺ちゃん、あの館で仕えていた事があったらしいんだけど……ジゼルさんをそこのお嬢様と勘違いしたの、もう50年以上前に亡くなってるのにね。あの一族が滅ぼされたりしてなければこの間の襲撃も、お爺ちゃんがボケちゃったりする事も無かったのかなぁ……」


「寄る年波には抗えないものさ。それにしても……彼女らは随分とあの館に縁があるな、殺されるのを覚悟でもっと話を聞いておくんだった」


「あんたはすぐそうやってお金儲けに繋げようとするんだから……ほら、お金に汚い奴が店に居ると皮が穢れる!帰った帰った!」











「ご、50年……?何言ってるの、有り得ないよ、だってそれじゃジゼルは」


これまでジゼルと過ごした、短いながらも濃密な時間を振り返る。



焼け落ち朽ち果てたと思っていたあの村、あれは50年の歳月によって風化したに過ぎないのでは?


身分の高い者の館が襲われ、滅ぼされたというのに、正確な情報が残っていないのは何故だ?


疑い出せばキリが無い、だが辻褄が合ってしまう。しかし……。


ーー「常に疑いなさい、それだけが最後に貴女を生かすのだから」ーー


ジゼルの眼差しが脳裏に浮かんだ。憐れむようなその眼差しは誰を?


「わたしはわたしよ。館で貴女と出逢い、多くの苦難をくぐり抜けたジゼル。家の復興を願い、そして諦めたジゼル」


「関係ねぇよ。アンタが果たして何者なのか、一体どれだけの嘘を重ねて来たのか、俺には関係ねぇ。俺の目的の前には何も関係ねぇな。相変わらずアンタは俺の敵、首を刎ねて死なねぇなら死ぬまで斬り刻むだけだ!!」


高速で巡る思考に身体を硬直させるサクヤとは対照に、水を得た魚のように躍動するミナト。剣を鞘に収めたままのジゼルへ迷い無く斬りかかった。


「素晴らしいわミナト。貴女という人間は心と身体が奇跡のように噛み合っている」


ひらりと躱したジゼルは素早く剣を抜き、追撃を受け流す。これまでの彼女ならここで盾の一撃を入れる所だが、生憎と盾はまだ背負ったままだ。


それでも笑みを絶やす事の無いジゼルは跳躍し、距離を取ると同時にナイフを投擲。がら空きとなった胸元へ真っ直ぐに放たれたナイフはしかし、正確な狙い故に円盾が防ぐ。


「そうね……今のわたしを討ち滅ぼしたいのなら、徹底的な破壊あるのみよ。それこそ肉の一片まで壊し尽くすといいわ。だけど……」


盾を取る暇が出来たというのに、ジゼルはそれをしない。代わりとばかりに手に取ったのは、どこからか現れた朱塗りの鞘。先ほど彼女が石棺から取り出した物だ。


「もうそれは叶わない、貴女は今度こそ機を失った」


美しい朱色の鞘はジゼルの意思を汲み取ったかのようにスルリと抜け落ちると、右手の長剣より幾分か小振りな剣身を露わにする。しかしその姿は、厳かな美を感じさせる鞘とは反対に、おぞましく形容し難い物だった。紫とも緑とも、はたまた銀色ともとれる生理的な嫌悪を呼び起こす色。


だが、そんなものは次いで起こった現象に比べれば些細な出来事。抜け落ちて地に落ちるはずの鞘はしかし、寸前で霧散したのだ。


巡る記憶が現在へと近付きつつあるサクヤの目にもそれははっきりと映る。あるいは記憶を呼び覚まし、それを整合した思考が答えを得ようとした結果なのかもしれない。


朱い霧は通常の霧のように消える事も、その場に漂う事もせず真っ直ぐに一ヶ所を目指す。まるでそこが在るべき場所であるかのように、彼女の元へ。


「は、ぁ……あぁ、お帰りなさいわたし。やっと取り戻せたのね、えぇ取り戻したわ。でも、まだここからよ、差し当たっては……」


恍惚の表情で独りごちるジゼル。しかし注目すべきはそこではない。


「髪、が……」「アンタ、いよいよ化け物じみてきたな」


ジゼルの真っ白な長髪が、遠くからでも彼女と分かる美しい髪が真っ赤に染まっていくのだ。朱い霧に染められて……否、染められるのではない。かつてそう在った物同士が、当然のように互いを求め合っている。そう思えた。


その光景にサクヤは見覚えがある。紋章の刻まれたプレートを発見したあの一室、サクヤの怪我を治療するために血を吸い出したジゼルの髪はこんな風に赤く色付いていた。あの時は自分の血が付いてしまったものと思っていたが。


「さぁ、そろそろ種明かしをしてもいいかしら?それともミナト、貴女は答えに行き着いた?」


長剣を床に突き刺すと、赤髪のジゼルはもう一振りの剣を持ち替える。


「はっ!答えも何も、俺には最初からアンタを殺す以外の選択肢はねぇよっ!!」


盾を構える時間を与えまいと飛び出したミナトが繰り出した突きはジゼルの赤髪を数本斬り落とすに留まった。素早い足捌きでミナトの左前方へ移動したジゼルが繰り出したのもまた鋭い突き、寒気のする音を立てて円盾が受ける。


「っ、やっぱ盾は大事だなぁ!」


ミナトは耳を刺す甲高い音に顔をしかめながらも、盾を持たないがら空きの胴体へ再び突きを放つ。が、瞬時に現れた盾によって阻まれた。


「んなっ……⁈」


驚愕に目を見開き、ミナトは後方へ跳ぶ。その鼻先を盾の先端がかすめた。





「今のは……」


傍観する事しか出来ないサクヤの目にもそれは映っていた。


一言で言うと人間の動きではない。突きが来るのを視認してから背中の盾を外して構えていては、どんな達人であれ間に合う距離ではなかった。幾多の戦いをくぐり抜けて来た者なら回避を選ぶ局面……否、そもそもジゼルなら攻撃する前に盾を取っていたはずである。


「ふん……やっぱりアンタ、人間辞めてるな?」


不敵な笑みを浮かべるジゼルの口元がさらに歪む。


「言ったでしょう、貴女は機を失ったと。でも本当に惜しかったのよ?首を刎ねられるのが棺を開ける前……いえ、剣を取る前ならわたしはあそこで死んでいた。ここへ来る前にいくらでも機会はあったでしょうに。よほどわたしを警戒していたのか、それともサクヤに見せ付けたかった?"俺の方が強い、俺の方がお前に相応しい"と」


「…………両方だよ化け物。俺からも訊かせろ、なんでここまでサクヤを連れて来た?戦力って事ならもっとマシな奴がいる、というかアンタなら髪が白い頃でも1人で十分だ。俺と事を構えると分かっててサクヤを手元に置くほどの理由はなんだ?」


図星を突かれたらしいミナトは僅かな沈黙の後、苦虫を噛み潰したような顔で剣をジゼルへ向ける。視線もまた油断無く前方へ向けられていた。


「貴女は……貴女は本当に惜しい人材だわミナト。えぇ、敬意を表して教えてあげましょう」


僅かに見開かれたジゼルの眼が次の瞬間、今度は僅かに伏せられる。そしてその口から語られたのはサクヤが想定して中で最悪の答え。


「わたしが欲しいのはサクヤ、貴女の血よ」


「血……私、の……?」


「そう、貴女の血。貴女の血はとても美味しいわ、そして力に満ちている。死を待つばかりのわたしを急激に回復させる程にね」


急激な回復……思い当たるのは、洞窟。もう疑いようが無いではないか。


「ペレンネの店に居たご老体。彼が話していたのは過去の事だけれど、話す相手は間違っていなかった。眼は健在だったのよ。50年前に出会った少女の顔を忘れていなかった」


導き出された解答に絶句するサクヤと、様子を伺うミナトへ視線を配りながら、ジゼルはなお答え合わせを続ける。


「貴女の怪我を手当てした時、わたしの髪が赤くなっていたでしょう?あれは血が付いた訳じゃない。染まっていたのよ、こんな風にね」


見せ付けるように赤髪を搔き上げるジゼル。愉しげに語る顔は恍惚に浮いていた。


「……ルミリア。貴女はアルジーゼ・ルミリア」


最早口にするまでもない。だがジゼルはサクヤの口から答えを聞きたかったのだろう。満足げな笑みを浮かべると、更なる真実を語り出した。


「よく出来ました。期待通りに答えを出したご褒美に昔話をしてあげる。たった50年前の短い話よ、退屈しないで聞いてね」


無防備にもクルリと回れ右をするジゼル。


「50年前のこの地、この館を欲したわたしは一夜にしてそこに住まう一族を滅ぼした。目と鼻の先にあった家臣の村諸共にね。でもそこで問題が起きたの、わたしの増長を良く思わない他のロアによる襲撃よ。……主の娘という思わぬ戦利品を手に入れて浮かれていたのかしらね。不覚を取ったわたしは力を奪われ、分割して封じられてしまった。それでも最期の力を振り絞って、娘の器に逃げ込む事が出来たわ。そして待ったの、本来の人格すら持たないわたしの残滓に薪を焚べられる血を持った者を。そしてサクヤ、貴女がやって来た。仮初めの記憶を宿したこの器が自分の正体と本来の目的を取り戻したのは、あの洞窟よ」


鼓動の消えたジゼルの冷たい身体を思い出したせいか、背筋を悪寒が這い上がる。


「あのご老体が間違えるのも無理は無い、なぜならこの器……この身体は正真正銘その娘の物なのだから。そういう意味では間違いとも言えないのかしらね。どちらにせよ、残念ながら50年前と変わらない姿をしている事を異常と認識出来なかったのよ。あの時ばかりは少し焦ったわ」


あの時ペレンネに少しでも訊ねていれば、などという後悔は一瞬で立ち消えた。どうせジゼルの妨害があったに違いないのだから。


「焦ったといえば貴女もそうよミナト。貴女の判断力と勘の良さは尊敬に値するわ、剣の腕以上にね。だからきっと館の事も把握していると思っていた。いえ、確信していた。事情を知らない人間になら話しておいた方が都合が良いのだから。同情を誘う事も出来る……これは貴女が相手では無意味ね。とにかく貴女の登場で全てが狂いかけたのだから、わたしにとって貴女は鬼札と成り得る存在だったわ」


過去形だ。ここまでのジゼルの独白が全て過去の話なのだから当然ではあるのだが、その言い方はまるで……。


「もう俺はジョーカーにはならないってか。よく喋るようになったと思えば、口と一緒に頭も緩くなったかよ?アンタを殺す方法なら10通りは思い付いてるんだがな。まぁいい、話は終わりだ。それじゃ……」


「待ってよ!まだ終わってない、私はまだ答えを聞いてない。どうして私をここまで連れて来たの⁈私の血で生き返ったのなら、もう用は無いはずでしょ?」


サクヤ本人としては至極真っ当な主張だと思っていたのだが、返って来たのは2人分の呆れ顔だった。


「なんだ、ここまで聞いといて分からねぇのかよ。気の毒になるくらい察しが悪いなサクヤ。おい!はっきり言ってやれよ、そのくらいは待ってやる」


肩を竦めるミナトに促され、呆れ顔というよりは困り顔に近い笑みでジゼルが口を開く。


「わたしの力はねサクヤ、分割されてしまったの。この剣と一緒に取り戻したのは本来の力の一部に過ぎない。このままでは焚べる薪の無い炎、すぐに力を失ってしまう。その為の貴女よ。貴女の血さえ確保出来れば十全とは行かないまでも、凡百の人間を凌駕する力を振るう事が出来る」


「つまりお前は栄養剤代わりさ。最初から……じゃないにしろ、こいつがコイツになった時からお前はその為に生かされてたんだよ」


「……否定はしないわ。完全に力を取り戻せば、わたしは血の供給を必要としなくなる」


血を必要とされているのに、全身から血の気が引いていく気分だった。


街でサクヤを気絶させてまでミナトから引き離したのも、レザリクスを与え術式を教えたのも、全ては効率の良い力の補給のため?


サクヤの意志を問い、帰る方法を探しに行こうと協力していたのは己の力を取り戻すため?


もう立っている事さえ困難だった。驚くほどストン、と視線が落ちる。それでも思考は、いや思考だけがせわしなく奔走していた。ジゼルが何か言っているようだが耳に入らない。


「やっと理解出来たかサクヤ。ここへ来てからのお前は間違いだらけだよ。何せ最初に出逢ったのがこの化け物なんだからな。けど安心しな、化け物退治を済ませれば今度こそ俺とお前の2人きり。お前が必要とするのは最初から俺だけで良かったのさ」


「……ねぇミナト。提案があるのだけど、わたしの配下に加わる気はないかしら?貴女にならわたしの右腕としての地位をあげてもいい。サクヤと一緒に……」


「っだから、何でさっきから俺が勝てない前提で話をしてんだアンタは!!」


ジゼルの言葉を怒声で搔き消すと、ミナトは今度こそ眼前の化け物を殺すべく突撃する。だが、その提案は最後まで聞いておくべきだった。否、聞いたところで到底ミナトには了承しかねる内容なのは想像に難くない。それでも聞いておくべきだった。なぜなら……。




「何故って……貴女の敗北が今、確定したからよ」




突き出された剣を盾で受け、剣を突き返す。予定調和の如きその動作にミナトは眉をひそめた。だがその予定調和に乗らなければ防御が出来ない。故に円盾を前に出す。そして気付いた、やっと気付いた。


「これっ、は……」


「その盾でどうやって防ぐの?」


ジゼルの瞳がミナトを捉えた。円盾に空いた穴越しに。


それほど大きな穴ではない。しかし、細身の剣を通すには充分だ。盾を構える手首を深く斬りつけるのには充分な。


「ぐっ……くそっ!何を……」


訊ねるまでも無く、答えはすぐ手元にあった。斬りつけられた手首……その傷跡から血が流れ出る事は無く、代わりに断面は黒く変色している。それだけではない、黒色の範囲はジワジワと広がっていた。


「これは、腐ってる……のか?」


「その通り。もうすぐ手首より上は落ちるわ、貴女の盾と同じように」


額に汗を浮かべるミナトの決断はほんの1秒。小さく息を吸って、手首から先を斬り落とす。


「これならもうこれ以上は腐らねぇ」


血と腐肉の混ぜ物が床に落ちる音でサクヤは我に返った。直後に身体を搔き抱いたのは生理的なものだったのだろう。


「あ……ミナ、あぁ、ミナト、腕が……!」


「下がってろ!お前はそこで見てるだけでいい」


その腕を斬り落とさせる元凶のジゼルはといえば、心底から驚いた様子で立ち尽くしていた。呆然としていたと言った方が適当だろう、懐のレザリクスを取り出すミナトをただ眺めていたのだから。


自前の(恐らく不幸な誰かの所有物であろう)レザリクスから瓶のような物を片手で引っ張り出したミナト。傾けると案の定滑り落ちて来た液体を鮮血滴る傷口にぶちまける。


「杉谷の荷物からくすねておいて正解だったぜ……これで血は止まった。盾は無くなったが、その分身軽になったと思えば何の不安もねぇな」


「で、でも……腕を、手首を斬り落とすなんて!」


「利き手は無事だ。それに……こんなトンデモアイテムが普通に売られてる世界なら、腕を生やす方法もあるかも知れねぇ。最悪義手くらいはあるだろ」


「そんな……」


楽天的すぎる。そんな保証はどこにも無いというのに、どうしてそんなにも不敵に笑えるのか。


「最適解。だけどあまりに非人間的な決断力だわ」


立ち尽くしていたジゼルが、見た事の無い表情でこちらを見ていた。眉をひそめ、口を不快そうに歪めた、不可解そうな顔。


「貴女を配下にする話……忘れて頂戴。貴女は鋭すぎる剣よ。どんなものでも斬り裂く優れた逸品だけれど、それ故に鞘に収める事も手入れをする事も出来ない妖剣の類なのね。わたしの害になる以上は砕くしかない」


対するミナトはほくそ笑んだ。


「やってみろ。それより、アンタでもそんな顔をするんだな。全部お見通しってのは俺の買い被り

だったようだ」


「認めるわ、わたしに貴女は理解出来ない。そして今、心では貴女に負けている」


ここへ来てジゼルも、つられるようにして微笑む。


言葉を挟んではならないのだと、サクヤでも理解出来た。この2人の間に和解は有り得ない、相互理解も有り得ない。ならばこの場にある結論はただ1つ、鉄血である。互いに相容れない、憎悪さえ抱く両者の間に生まれた唯一にして最後の共通目標。


ゆらりと立ち上がるミナト。盾と身体中に仕込んだナイフを全て床に抜き捨てるジゼル。歩み寄る2人の目に宿る意思。



どちらかが死なねばならない。

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