第17話
貫いた。
ーー何が?
剣が貫いた。
ーーー誰の?
ミナトの剣が貫いた。
ーーーー誰を?
「っ、ジ……ジゼル⁈ジゼル!!」
「がふっ!ミナ、ト……貴女は……」
残酷なまでに無機質な切っ先が鮮血をともなってジゼルの胸を貫き、背中に抜けている。不快な水音の混じる声を上げる彼女の視線の先には、歯を見せて笑むミナトの表情。
「やっと……やぁっと隙を見せたな」
剣を突き立てた左腕につたう血を満足げに眺めるミナトの目は、人の身体を刺したようにはとても見えない。例えるならそう、山積みの洗濯物を全て片付けたばかりのような。
ジゼルの胸を貫いたまま、剣を右手に持ち替えるミナト。その光景がサクヤの目にはひどくゆっくりと映っていた。
「ぜ、全部嘘……だったの?貴女の懺悔も、わたしへの警告も⁈」
「全部じゃないさ、アンタの事を認めてたのは本心なんだぜ?」
みるみる内に力を失う身体を石棺に縫い付けるように剣を突き入れる。とうとうジゼルの喉からも吐瀉物の如き勢いで血が噴き出した。
「うっ、ゲホッ、ゲホッ!どう……して、それならどうして⁈わたし逹の利害は一致しているはずぁぁぁぁ!!」
致命傷には十分過ぎる傷を拡げながら、ミナトはゆっくりと剣を捻る。無理矢理に肉を抉り斬る音はサクヤの耳にも届き、本当の吐瀉物が胃から込み上げて来た。
「言ったろ?サクヤを危ない目に遭わせる奴は殺すって」
悲鳴を上げるジゼルにしっかり聴こえるようにだろう、耳元で囁く声は子供に言い聞かせる親のそれだった。
「何を言って……い、意味が……」
聴こえはしたが、否、聴こえたからこそジゼルには理解出来ない。館からこの洞窟まで、サクヤの命に関わるような窮地は無かったはず。強いて言えば館を出た後のロアの群れだが、結果的にそれほどの危機にはならなかった。それなのに……。
「だーから……分かんねぇのか?サクヤは俺以外、誰と居たって危ねぇんだよ。だから俺が警告したあの時点で、アンタはどこへなりと失せるべきだったのさ」
「そんな……!それじゃあ……」
「あぁ、ハナから俺はアンタを殺すつもりだったよ。すっかり信用してたか?」
驚愕と困惑に歪んでいたジゼルの表情から一瞬にして力が失われる。あまりに理解の及ばぬ問答に、思考が停止してしまったのだろう。少なくともサクヤはそうだ。
そしてその表情は、ジゼルの人間として最期のものとなる。
瞬きの間に剣を引き抜いたミナトはその勢いを遠心力に変え、くるりと一回転。薄ら笑いを浮かべてジゼルの首を刎ねた。
一撃で切断された首が衝撃で転げ落ち、石棺の端にぶつかってサクヤの足下へ辿り着く。光の失われた瞳に映るサクヤの顔は滑稽なほどに呆けていた。
「ジ……ゼ……ジゼっ、え?えっ?ジゼル、あ、ジゼル?わた、私……ジゼル?ジゼ、ジ、ジゼル。ジゼル、なに……ジゼル…………」
へたり込み、壊れた玩具のようにジゼルを呼ぶサクヤ。
一方、首を失ったジゼルの胴体は完全に力を失い、石棺に腰掛けるような体勢で動きを止める。
「はっ!良かったな、出来合いだがちょうど棺桶があるぜ。手伝ってやるよ」
傾いた上半身を乱暴に蹴飛ばすと、胸元の辺りまで真っ赤に染まった身体は抵抗無く石棺に吸い込まれた。脛から下が僅かに飛び出してはいたが。
「はぁーあ、一番の厄介者がやっと消えたぜ。ずうっと虫酸が走ってたんだ。サクヤに気安く近付きやがって、この売女が!」
心地よさそうな顔で伸びをした次の瞬間、害虫でも見付けたような顔で石棺を蹴り付ける。頑丈な石棺がビクともしない事が気に入らずに何度か蹴りを見舞うと少し落ち着いた。
「ジゼル……ジゼルジゼルジゼルっ、なん……っで?ジゼル返事を、返事……を」
地に転がる首の前に跪き、尚もその肉塊の名を呼び続けるサクヤの姿にミナトの心がまたしてもざわめき立つ。
「死んだよ、もう耳障りで高飛車なあいつの声は聴こえない。これはただの肉だ、俺が捌いた」
首を思い切り踏み付け、絶望を突き付けるように告げるも、未だ現実を受け入れられないサクヤに反応は無い。ミナトには目もくれずに死者の名を呼び続けている。
「はっ、はははははっ!すっかり心の拠り所って訳か、短い間に大したもんだぜジゼル。やっぱりもっと早くに殺しておけば……いや、街で会った時点でサクヤはもう俺の知ってるサクヤじゃあなくなり始めてた。一体どれだけの修羅場をくぐったらそこまでコイツの心に踏み込める?ぽっと出のアンタがよぉっ!!」
怒りと共に首を蹴り飛ばすと、オロオロとその方向へ身体を向けるサクヤ。
「どこ行くんだ……よっ!」
その背を踏み付けるミナトの口元は頬骨が砕けたかのように歪み、瞳は濁りきっている。
「かはっ!やめ……離して、ジゼルが……痛っ、ぅあああああ!!」
拘束から逃れようともがくサクヤの髪を掴み上げると意識はそちらの痛みに移り、悲鳴を上げてミナトの手を引っ掻き始めた。
「今は俺が喋ってんだ、黙って聞け」
血の滲む左手など意に介さず、サクヤの視線を無理矢理自身へ向ける。壊れたように虚ろだった瞳には恐怖の光が灯っていた。それは紛れもなく、ミナトが与えた痛みが灯したもの。
「そうだ、お前はそうでなきゃあな。お前を生かすのは俺でも、ましてジゼルでもない……痛みだ。痛みを、苦痛を与える度にお前の心と身体は生きようともがく。普通の奴なら壊れる事で身体を守ろうとする心は逆に血を沸き立たせる。凡人なら痛みを絶って心を守ろうとする身体はそれに応えるように研ぎ澄まされる。だから俺にはお前が必要だ、お前の意思とは関係無くな」
「何、何を言ってるの……⁈離し、てっ……」
「分からねぇか?俺は……」
困惑するサクヤの耳に、重厚な金属音が届く。つい今しがた聴いた、扉を開く音だ。
「お待たせー。って、もう終わったみたいだね。うわ……すごい血」
「遅えんだよ、チンタラしやがって。ま、予想以上にアイツが油断してくれたおかげで1人でもやれたけどな」
彼方に転がる生首に嫌悪感を示す仕草をしながらも、動揺を覗かせない瞳。
「いやいや〜、距離を取りながら尾行して、合図したら仕掛けろって言ったのはそっちだから。なんか悲鳴みたいなのが聴こえたから仕方無く入ってくればこれだし」
気の抜けたようでいて、慎重に言葉を選ぶその口調。
「杉……た、にさん?ど、ど……して?」
言葉が上手く出て来なかった。一体何をどうしたら、先ほどまでサクヤに笑いかけていた者が死んで、死んだと聞かされていた者が薄ら笑いで現れる?ミナトが持っていたはずのプレートを持っているのだ?
否、簡単な事だ。ミナトの言葉は嘘だったのだから。
言葉だけではない、行動も、悲鳴も、微笑みも、全て。プレートは獣の口が閉じる瞬間に外へ放り投げたのだろう。
「あーあ、可哀想に。混乱もここに極まれり、って顔してるね。無理も無いよ、私もこの作戦聞かされた時は正直ひいたし」
ポンポンとサクヤの肩を叩いた杉谷は次に背後の石棺へ視線を移した。既に髪を掴むのをやめていたミナトもそれに倣う。
「気の毒だとは思うけど、帰る手掛かりは手に入る訳だし平見さんにもメリットはあるしさ。悪い夢でも見たと思って忘れる事だね。それで?聞き耳を立ててた限りだと、あの棺に何かあるらしいけど……」
「自分の目で見てみな、その方が早い」
先ほどまでの激情が嘘のように落ち着きはらったミナト。彼女の次の行動が、不思議とサクヤには予知出来ていた。
革の鞘から音も無く剣を抜く。
背後に迫る脅威など想像もしていない背中に切っ先を食い込ませる。
「……っ、かっ、は」
真っ直ぐ心臓目掛けて突き出された刃はしかし、杉谷がすんでの所で反応した事で僅かに逸れる。
だが、どちらにせよ深手には違いない。もつれるような足運びでミナトから距離を取る杉谷の背中は既にゾッとするような錆色に染まっていた。
「ま……じで?げほっ、目的は一致してたじゃん。別に平見の事は……はっ、はっ、がはっ!」
肩越しにでも青ざめた顔の杉谷が珍しく困惑を露わに何か口にしかけるも、喉から不快な音を立てて咳き込んでしまう。どうやら吐血しているらしい。
「あぁ、目的な。確かお前の目的は"多少の犠牲は覚悟してでも帰る方法を見付ける"だったか?でもって俺はこう言った、"どんな犠牲を払ってでもサクヤを見付けて、帰る方法を見付ける"ってな」
「…………」
間違い無いらしく、杉谷は何も言わない。もっとも、立っているのがやっとなのだろうが。
「どの程度犠牲を払うかで何度か揉めたっけな。けどまぁ、必要な犠牲って事でお前が折れてくれて助かったぜ。でもな杉谷……っくくく、お前1つ早とちりをしてる。俺は何もそれが目的だとは言ってないんだぜ?勝手に思い込んでくれたおかげで色々とやり易かったよ。お前にしちゃ珍しいポカだ、流石に混乱してたんだろうな」
剣の血を払い、ミナトは再び熱情を瞳に宿す。血を払ったのは鞘に納める為ではない。
対する杉谷は、満身創痍ながら合点が行ったかのように微笑んでいる。
「あー、しまったな、一気に分かっちゃった。ねぇ、嶺部……確認なんだけど、あんた帰る気ある?」
「さぁな。多分お前の考えてる事は正解だと思うぜ、あばよ」
「ホント……あんたは想像の斜め上を行くよね」
逆袈裟に切り上げた剣先に導かれるように鮮血が舞い上がる。うつ伏せに倒れ込んだ杉谷の表情を見る事は叶わなかった。
「……最期にしちゃ冴えない台詞だったな。それからお前、本当はあの街でサクヤを狙ってただろ?後ろにいた男に当たったのは偶然だ。あれさえなきゃ、もう少し泳がせてやったのによ。ま、あっさり殺してやったのは色々と世話になった礼だと思ってくれ」
物言わぬ肉塊と化した杉谷の身体に短い別れを告げると、ミナトは大きく息を吐く。夏休みの宿題を終えた学生のように、ひと仕事終えた社会人のように。
「やっと、や〜っとだ。ようやくこれで2人きりだサクヤ。そしてこの世界は最高だ。窮屈な倫理は力の前に口をつぐむ、意味の無い常識は意志に頭を垂れる。ここでなら俺は本当の俺でいられる!もう誰も咎めない咎めさせない!割り込まない割り込む前に殺す!」
悪趣味な舞台劇でも観ている気分だった。両手を広げ、嬉々として高らかに謳うミナトの姿は亡霊に取り憑かれたおぞましき演者の如く。
しかし、悪趣味でもグロテスクでもこれが現実なのだ。痛みを訴える身体がそう言っている、逃れる事は出来ないのだと。
大勢死んだ。見知った顔のクラスメイトも、名も知らぬ青年も、巨大な怪鳥も、賑やかな街の人々も……。
優しくて強い彼女も。
ジゼル……遥か遠くに蹴飛ばされてしまった彼女の顔をもう一度見ようと、視線を投げかける。
「そう……つまりわたしは、咎めて割り込んだ不倶戴天の敵という訳ね」
微笑みがあった。
それはサクヤの良く知る笑み。悪女の妖艶さと、童女の無邪気さが混在した、他でもない彼女のものだ。
「………………ジゼル」
口は彼女の名を呼んだが、脳の命令で為された行動かどうかは疑わしい。サクヤの思考はしばし完全に停止していた。あと10秒、いや5秒遅ければ脳の機能も停止していたに違いない。
それはあのミナトでさえ同様のようで、今しがた2人の人間を殺めた剣が手からずり落ちていた。
「あらあら、驚かせてしまったわね。それにこの格好じゃ目線が合わないわ、身体は……あぁ、あんな所に」
視線だけで周囲を観察した生首が、石棺から飛び出た両足を見とめる。直後、糸の切れた人形のようにくずおれていた胴体は何事も無かったかのように石棺から這い出ると、スタスタと首の元へ歩き始めた。
「よい……しょ。あら、こっちよ。ふふっ……存外に難しいのね、自分の首を拾い上げるというのは」
屈んで首へ伸ばされた両手は二度空を切り、三度地面へ激突し、もう一度空を切ってからようやく首に触れる。切断面が死角で見えなかったのは神の計らいだろうか。
不快な水音を立ててようやく首を持ち上げた胴体は、生理的嫌悪を抱かせる音を立ててその頂に在るべき物を添えた。
「ん、んんっ……あ、あー。ふぅっ、やっぱり喉を使って話す方が楽だわ。首を落とされるのも勉強になるものね」
首から下を真っ赤に染め、花のように笑うジゼル。その笑みは以前と変わらない筈なのに、どうしてだろう?
「ジゼル……なの?」
「おかしな事を言うのね。わたしは……」
ふらりと身体を倒すジゼルの背後から現れた刃が空を切る。
「……ちっ」
振り下ろした体勢のミナトが、苦い顔で舌打ちをして素早く距離を取った。既に円盾を構えている。
「流石ね、貴女は機を嗅ぎ付けるのにとても長けている。危うく一撃受けるところだったわ」
「色々と聞きたい事はある、だが今気になるのはたった1つ……どうしたらアンタを殺せるのかって事だよ」
渋面ながらも冷静に振る舞うミナト、しかしその顔色は僅かに青い。即座にジゼルへ斬りかかっただけでも驚異的だが。
「じ、ジゼル、一体どうやって……?」
やっとの思いでサクヤが絞り出した言葉は、この局面で発するにはあまりに平凡、しかし至極真っ当な問い掛けであった。
眼前のミナトを警戒しながら、ジゼルは僅かに口の端を上げる。サクヤをいたわるような視線を向けて答えを口にした。
「簡単な事だわ。ここで、あの瞬間に、貴女がいた。それだけよ」
「それじゃ分からないよ!ジゼルがこの館の一族だからって事⁈どの瞬間なの?私がどう関係してるの⁈」
「……おい、サクヤ、お前今……」
「今はジゼルに聞いてるのっ!!」
ジゼルが生き返った事で混乱していた頭が多少落ち着いた所で、今度は疑問が怒りを連れて湧いてくる。ミナトに手酷い裏切りを受けた直後、今度はジゼルから別の意味で裏切りを食らったのだから無理もあるまい。しかし……
「今なんて言ったんだサクヤぁ!!」
「っ……え?」
「今お前、奴をこの館の一族と言ったか?この館の!」
「そ、そうだよ、ミナトには言ってなかったけど……でも今はそんな事」
「関係大ありだ馬鹿、この館が当主もろとも滅ぼされたのは今から50年以上も前の話なんだぜ」
「……………………………え?」
ざわり。
皮膚の下、脈打つ血管を何かが撫でるような錯覚に苛まれる。
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