第16話 墓所

これが潜水艦に乗る感覚、なのだろうか。


「真っ暗で何も分からねぇが、これは潜ってるんだな」


「えぇ、それこそがこのよく分からない生き物の役目なのね。流石にこれほどの時間息を止めて、その上これほど深く潜るなんて到底出来っこないわ。それこそ高位のロアでもなければね」


本当に真っ暗だ、光源が無い。冷静に状況を分析する2人の顔はおろか、彼女らとの距離をおおよそで掴むのが精一杯だ。


ほぼ球体のあの身体でどうやって潜水しているのか、そもそもどこへ向かっているのか見当もつかない状態では不安が募るばかり。せめて2人の顔が見たい。


術式で小さな火でも起こしてはどうか?


駄目だ、まともに制御する事も出来ないのに。


「そうだ、あれなら……」


暗闇の中小さく呟いたサクヤは手探りで腰のダガーを抜くと、朧げに浮かぶ刀身に意識を集中する。本来は灯り採りに使うような術式ではないのだろうが、これなら小さな範囲に意識を向けるだけでいい。


頭の中でイメージは出来ているが、実際に試すのは初めてだ。刀身の輪郭を這うように、しかし決して触れないように呪力を巡らせる。鍔の辺りで隙間の無いように繋げれば準備完了、あとは炎を思い浮かべるだけ。


(いけるかも……)


呪力の流れに沿って熱が生まれたその時だった。




身体を揺らす振動。転倒する程のものではないが、集中した意識を一瞬で散らすには十分だった。


「到着……かしら」


「……あぁ」


反対にミナトとジゼルの意識は一瞬にして研ぎ澄まされるのが、視界の閉ざされた空間から痛いほどに伝わってくる。


「用心しろよサクヤ、出た途端に化け物の群れと鉢合わせ……なんてのも有り得ない話じゃないからな」


「分かってる。でも何か手掛かりがあるなら進まなきゃ」


サクヤ達が乗っているこの謎の生物が善良な渡し守という保証はどこにも無い。むしろ罠の類を警戒すべき所を特に異議も無く乗り込んだのは、サクヤ自身これが無二の機会だと直感で感じたからだ。


「ったく、何日か見ない間に随分勇ましくなりやがって……」


呟いたミナトの表情は見えなかった。


「ニャーオーゥ」


やがて船の汽笛の如き鳴き声と共に牙の間から光が差す。それほど強いものではなく、すぐに目は慣れた。大きな牙に身を隠しながらひとまずダガーを構えて様子を伺う。


「何も、いない。ミナト、そっちはどうかしら?」


同じようにナイフを携えるジゼルが注意深く顔を出して問うも、ミナトもまた首を横に振った。どうやらいきなり戦場とはならなかったようで、ホッと胸をなで下ろす。




湖の浅瀬に降り立った一行。陸地は少なく、巨大な扉が静かに佇んでいる。


「おいおい、また扉かよ。今度は紋章とやらは見当たらないぞ?」


うんざりした様子で扉を観察するミナト。確かに紋章はおろか模様1つ見受けられない、ただただ巨大で無機質な扉だ。一応の警戒はしつつ近付いて押してみるがビクともしない。取っ手の類がないのを見る限り、押して駄目ならという訳にもいかないのだろう。


「錆び付いているだけかもしれないわ、3人で一斉に押すのよ。せぇのっ!」


ジゼルを加えて力を込める。これだけ大きな扉が錆び付いてしまっているのなら、人一人加わった程度で焼け石に水というものだ。が、


「わわっ、動いた⁈」


存外に扉が容易く開いたおかげで、勢い余ってよろめくサクヤ。同じく想定外だったらしいミナトもまた僅かにバランスを崩す中、ジゼルだけはそれを予期していたかのように足を前に運ぶ。


腹に響く低い音を立てて金属製の扉が開かれていく。一行を迎え入れるするように、それでいて警告するかのように。


扉の先には広い空間が広がっており、周囲の壁には戸棚のように窪みがある。サクヤは歪な円柱を形成するその場所に見覚えがあったが、思い出すには至らなかった。ひとまずここにも敵は居ないらしい、目に見える範囲には。


「財宝の隠し場所……って感じじゃないね。空気が重いというか、何というか」


2人のどちらかに向けて問いを発したつもりだったのだが、両者とも返答がない。視線と意識を遥か天井まで続く壁から離す。


まずはミナト。周囲の光景にも目を向けているようだが、意識の大半が背後に集中しているのが所作から滲み出ている。後方からの敵を警戒しているのだろうか。


「ん?あぁ……悪い、何か言ったか?やけにすんなりここまで来られたモンだから、罠じゃないかと気になってな」


だが、その視線から感じるのは敵意によって生じるものではないように思えた。いうなれば何かを期待しているような……。


「しっかし、隠し部屋はこれで終わりなのか?随分辛気臭いぜ。宝物庫っていうより、こりゃ……?おい、どうしたジゼル⁈」


次いで視線を移したジゼルの前に、無機質な灰色の物体が横たわっている。ロアや獣の類ではない、長方形に整えられた人工物だ。これまた既視感のある造形、今度は思い出す事ができた。


「棺……だよね?私は木棺しか見た事無いけど、どうしてこんな所に」


サクヤが立っている場所よりも僅かに高い位置、石段を上がったそこは人気の無い劇場のステージを思い起こさせる。歩み寄ったサクヤはさながら、ステージを見上げる観客か。


「ご明察、でも不思議な事ではないの。ここは当主に連なる者を弔う為の霊廟なのだから。そしてこの場所なら、限られた者しか足を踏み入れる事は出来ないわ」


「おいおい、まさか……」


「答えはこの中よ」


迷いの無い手つきで石棺の蓋を持ち上げるジゼル。乾いた音を立てて砂埃のような物が舞い上がり、彼女の姿をうっすらと覆い隠した。しかしそれもほんの刹那の事、赤茶色の霧の中から現れた彼女が手にしている物に、サクヤは思わず首を傾げる。


「え?それって……」




剣だ。一見何の変哲も無い、言ってしまえばその辺りのロアが持っていても違和感の無い代物。強いて特徴を挙げるなら、その鞘か。


その剣の鞘は朱い。


ただ朱いだけでなく、僅かなムラも無いその朱色はつい先ほど塗装を終えたばかりのように光沢を放っている。


「綺麗……」


吸い込まれるような美しさに、気付けば感嘆の言葉が溢れ出ていた。


剣だけの事ではない、愛しい赤子を抱く母親が如きジゼルの厳かな佇まいにしばらくの間視線が釘付けになる。





「へぇ、大層な棺だからどんなモンが入ってるかと思えば剣が一本か。で、それが何の手掛かりになるんだ?」


静寂を破ったのは呑気なミナトの声。罠への警戒を解いたのか、リラックスした様子でジゼルの元へ近寄って行く。


「中身がこれだけだなんて誰が言ったの?中にまだ何かあるわ、取り出すのを手伝って頂戴」


対するジゼルもまた穏やかな口調。先ほどまでの焦燥を滲ませた様子が嘘のようだ。


軽い足取りで石棺の元へ到達したミナトは、ずらされた蓋に寄り掛かかるようにして中を覗く。腰の辺りが蓋に引っ掛かって調べづらそうに見えるが、好奇心が上回っているのだろうか。


「暗くてよく見えねぇな……ジゼル、お前ランプ持ってなかったか?ちょっと照らしてみてくれよ」


「……えっ?えぇ、分かったわ、すぐに」


どうしてか驚いた様子のジゼルがレザリクスに手を伸ばした、視線を移したその瞬間。


ちょうどミナトの正面に居たサクヤには見えた、見えてしまった。肘を曲げて腰に手を伸ばす仕草が、そして……。






良く知るミナトのあの表情が。






「あー、悪い。やっぱいいわ、後で勝手にもらう事にする」


「かっ……は、あ……」


そして、貫いた。

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