第15話
「おらぁぁっ!」
雄叫びと共に、突き立てた剣を力ずくで袈裟懸に滑らせるミナト。傷口から血は出ないが痛みはあるらしく、負けじと咆哮を上げた"破城槌"のロアは丸太の如き腕を振り回す。
すぐさま剣を引いたミナトは身を低くしてそれを躱すと、すれ違いざまに数度腕を斬り付ける。
「遊びは無しだ。とっととブチ殺して、こんな埃まみれの所からは帰らせてもらうぜ」
大まかにではあるが、ようやくミナトの位置を把握したらしい破城槌が得物の大槌を振り下ろす。しかしその程度の攻撃では彼女にとって何の脅威にもならない。
床を抉る大槌の上に飛び乗ったミナト。そのまま太い腕を伝って破城槌の眼前へ迫る。
「血は出ないようだが曲がりなりにも人の形をしてるんだ、頭を刺せば死ぬだろ?駄目なら首を撥ねてやるまでだ」
肘の辺りで跳び上がる。冷静に研ぎ澄まされた殺意の切先が破城槌の眉間を捉えようとした刹那、何かを感じとったミナトは剣を突き刺す事なく顔面を蹴って後方へ跳んだ。
体操選手のようなバック宙で後退する彼女の鼻先を大小の瓦礫が掠めて落ちて行く。破城槌の振るった大槌が壁を破壊し、飛礫となってミナトが居た場所を通過して行ったのだ。あのまま攻撃していれば、仮に仕留める事は出来ても道連れになっていたことだろう。
「ミナトっ、大丈夫⁈」
「かすり傷だけだ、下がってろ!……ちっ、もう少しだったのによ」
直撃は避けたものの、こちらを一瞥したミナトの頬や腕には薄く血の滲む切創が目立つ。だがその目に宿る戦意は微塵も揺るがない。
「手伝いましょうか?」
「引っ込んでろ」
嘆息するジゼルの提案は一蹴された。ジゼルも分かってはいたようだが。
「小石飛ばす知恵くらいはあったんだな。見くびってたぜ、それとも偶然か?どのみち次は無いぞ」
頬を伝う血を親指で軽く拭うと、ミナトは再び己の敵に鋭い視線を向ける。
それを感じてか否か、破城槌は接近を拒むかのように手近な瓦礫をこちらへ投げつけ始めた。盾を持たないサクヤは通路の角に身を隠して見守る。
当たれば致命傷と成り得るその攻撃はしかし、どうしても遅い。まして真正面から飛んで来るそれをミナトが躱せないわけがなかった。
大きな瓦礫は身を捻って、小さな物は盾で捌きながら着実に破城槌との距離を詰めていく。彼女の円盾はジゼルの物と比べると小さく、最低限の急所を守る事にしか使えないのだ。もっとも、だからこそ素早い立ち回りが可能なのだが。
「さて……まずは安全のためにこっちの手は潰すか」
足元に飛来した瓦礫を跳んで躱し、それを踏み台にして一気に手元へ。全体的に常人の数倍はある身体の内でも比較的細い部分、すなわち5本の指は瞬く間に斬り落とされて灰と化した。
野太い悲鳴を上げ、ミナトを振り落とすべく腕を振り回す破城槌。しかし時すでに遅く、彼女は腕を駆け上がり肩の辺りにまで到達していた。
「デカいだけで頭は悪い、おまけに動きも鈍い。俺でもこの程度なら問題無い訳だな」
後頭部から突き上げる一撃、今度は咆哮が響く事は無い。灰となって崩れ落ちる巨体が戦いの終わりを告げた。
「頑丈さだけは大したモンだったが、流石に脳天ブチ抜けば倒せるんだな……っと!」
崩壊を始めた足場から飛び降りるミナト。
破城槌はその巨体故か灰となる速度が遅く、頭の先から徐々に灰色に変わっていく。
「お疲れ様。どう?気は済んだかしら?」
「ふん、この程度の奴を相手に縮み上がってた自分がなおさら情けなくなったぜ。やり合ってみりゃほとんど嬲り殺しじゃねぇか」
着地したミナトの元へ歩み寄るジゼルがからかい気味に問うが、当の本人は実につまらなそうに答えた。
「そう……それはご愁傷様。それからもう1つ」
既に破城槌に、ましてジゼルにも興味を失った様子のミナトが傷の具合を確かめる横で、ジゼルの視線は頭上を捉えている。
話に耳を傾けていたサクヤはつられてそちらへ目をやると、"もう1つ"の意味を瞬時に察した。
「勝利を確信した途端に隙が大きくなるのは人間である以上仕方の無い事だけれど、貴女はそれが顕著なようね」
降り注ぐ灰が多過ぎて気付いていなかったのだろう。半ば以上に灰と化した巨大な腕、それがミナトの真上にあった。
それだけならさほどの脅威にはなり得ないのだが、その腕は水路の個体と同じである。すなわち……
「ミナトっ、ハンマーが!」
腕の先にある手に縫い付けられた大槌、鉄で出来たそれは灰になる事は無い。
サクヤが叫んだ時には、冷たい鉄塊はミナトのすぐ頭上にまで迫っていた。すぐさま反応した彼女が回避しようと動かした両足はすぐそばの瓦礫に絡め取られる。
「しくじった……くそっ!」
術式で焼き尽くす事も出来ない上に、サクヤの距離では駆け付ける事も出来ない。伸ばした手が虚空を掴む刹那。
「貴女も世話が焼けるわね」
身体を滑り込ませたジゼルの盾が僅かに大槌と接触した次の瞬間、巨大な鉄塊が金属の擦れる甲高い音と共に軌道を変えた。
表皮を揺らす轟音と振動。その中心に居る2人の少女はしかし五体満足で佇んでいる。
「やれやれ……素人離れしているとはいえ、やっぱり貴女も殺し合いの初心者ではあるのね」
巨大な大槌を盾1つで受け流した、サクヤの動体視力ではそれしか分からない。だがそれだけでも、ジゼルの卓越した技量を推し量るには十分だろう。目の前でそれを見せられたミナトなら尚更だ。
「ちっ……肝に銘じとくぜ。アンタはかなり出来る奴だって事もな」
差し出された手を取って立ち上がるミナト。珍しく素直に反省しているらしく、他人を評価する発言すら飛び出した。
「お褒めにあずかり光栄だわ。貴女の勘の鋭さは素直に尊敬出来るものだと、わたしも記憶しておくわね」
最初はどうなる事かと思っていたが、こと戦いにおいては存外気の合う2人なのかもしれない。青春ドラマよろしく夕陽を背中に互いを讃え合う姿が……。
「ふ、2人ともっ!外、外!」
「あらあら」「あ、やべぇ」
夕陽はこの世界において歓迎される物ではない事を思い出した少女達は走り出す。
屋外のロアはまだ活動をしておらず、伏兵の類も幸いにして現れる事は無かった。
「やべぇな、これじゃ街に着く前に囲まれるぞ!」
先頭をジゼルに譲ったミナトが声を抑えて言う。足元ではおびただしい数のロアが目覚めの時を待っており、踏み付けないように走るのは骨が折れる。
「この数を相手に街へ辿り着くのは至難の業ね。やっぱり増えてるわ、一体何が……」
「今は逃げる事を考えなくちゃ!情けないけど、私はこのロア達が起きたら切り抜けられる自信無いよ!」
前を走る2人ならば強行突破も可能だ。しかし、甘えかもしれないが、彼女らはそれをしないだろう。
言葉の代わりに、伸ばされた2本の手がサクヤの手を取った。
「ったく、今さら何言ってんだお前は」
「貴女がいなければとうに死んでいた私達よ。先に死なせたりしないわ」
情けは人の為ならず、とはよく言ったものだ。
翔魔を倒して洞窟でジゼルを治療した事が、破城槌を倒して水路でミナトを助けた事が今のサクヤを救ってくれている。
「そうだ、洞窟……洞窟だよ!」
ジゼルと一夜を共にしたあの洞窟。あそこならロアの襲撃も、夜露に濡れる事も無い。一晩の隠れ家にはうってつけだ。
「名案だわ、ここからなら日没までには辿り着けるはずよ」
「その洞窟が何なのか知らないが、アンタが名案だって言うなら間違い無いだろ。早いとこ案内してくれ」
件の廃村までそれほど時間はかからず、なんとか日没前に草生した瓦礫を確認できた。
数日振りに目にする翔魔の死骸は大分腐敗が進み、僅かに骨が露出している。ここまで腐り果てればもう頭の無い異形だったとは分かるまい。サクヤの首を絞めた腕は獣が持ち去ったのか、1本残らず消えていた。
「ミナト、三田さんと山中さんは……あそこに」
「……今は生きてる俺達の安全が先だ」
突き立てられたショーテルと瓦礫の山を指差して伝えるが、ミナトはそれらを一瞥しただけで足を進める。状況を鑑みれば致し方無い事だが。
「あったわ、確かここを押せば……」
辺りはすっかり陽が落ちてしまっているが、ジゼルの眼には問題ではなかったようだ。岩場の僅かな光沢を放つ部分を押し込むとすぐに仕掛けが作動する。
と同時に、その眼はその上方にあるものをも捉えた。
毒で朦朧とした意識の中では見付けられなかった物。
「あれは……どうしてこんな所にまで⁈」
視線の先にあった紋章は少し前にサクヤも目にした物と酷似していた。
「腕を交差させてない……ってことは……」
「今は身の安全が先だってんだ、何度も言わせんな!」
天を仰いで立ち尽くす2人をなかば突き飛ばす形で洞窟の中へと誘うミナト。僅かに反抗的な表情を浮かべるサクヤに対し、ジゼルは難しい顔で腕組みをしている。
「やれやれ……お前ら、ホントに2人であの館から逃げ出したのかよ?目の前の事に気をとられ過ぎだぜ」
腹の底から絞り出したように嘆息したミナトが呆れ顔で皮肉を言っても、ジゼルには反応が無い。
「……ちっ、少しは頼れる奴だとか思った俺が阿呆だったか。あんな物気にしやがって」
「そんな言い方ないでしょ⁈確かに立ち止まってる時間が無かったのは事実だけど、あの紋章はジゼルの……」
走り通しで血の巡りが速くなっていたせいだろうか、つい感情的になって話してしまう所だった。だが、よく考えてみれば別に話した所で問題は無いのだ。ただジゼルが自分から話さなかっただけで。
「そうだ、どうしてジゼルは自分の事を……」
「なるほど、そういう事ね」
ふと湧いた疑問を掻き消すように声を上げたジゼル。ポンと手を合わせるとスタスタと洞窟の奥へ歩き出した。
突然の行動にしばし呆気に取られるサクヤだったが、すぐ我に返ってその後を追う。
「そういう事って……どういう事なのジゼル?」
「サクヤ、この洞窟で他に人の手が加えられている場所は無い?石像や壁画、なんでもいいの」
つい最近一夜を過ごした横穴の、壁や天井を撫でながらジゼルが問う。
「え?無いと……思う。多分」
突然の問いではあったが洞窟はそれほど広くはなく、この横穴以外に人工物は見当たらない。
「そう。それなら何か変わった事は無かった?何でもいいの、ほんの少しでも違和感を感じたなら教えて頂戴」
「違和感……?それより、どういう事なのか教えてよジゼル。あの紋章と関係があるの?」
ひとしきり横穴の中を調べ終えたジゼルが少し沈黙して口を開く。暗闇が支配し始める洞窟の中に居るせいか、彼女の金の瞳は爛々と輝いているように見える。
「恐らくだけれど……ここには隠し部屋の手掛かりがある」
「確証はあの紋章か。けど、あれは使用人が使ってたモンだろ?そんな連中が入れる所に財宝なんて隠すかよ」
もっともな意見だ。しかし、ジゼルの目から確信の光が消える様子は無い。
「そうね、ここは使用人までなら出入りが出来る場所……つまりは館の廊下と同じ。それなら当主筋の私室にあたる場所に通じていても何ら不思議は無いわ」
「確かに一理あるが……どうなんだサクヤ?ここにはそれらしい場所はあるのか?」
それについてサクヤは先ほどから記憶を掘り返しているのだが、なにぶん夢中だった事もあり記憶が曖昧だ。
「うーん……確かジゼルが意識を失って、血を吸い出して、水を汲みに行って……」
あの時の水の冷たさは鮮明な記憶として脳裏に焼き付いている。準宝貝の味もだ。
「準宝貝……あっ!」
「何か思い出したの⁈」
違和感とは少し違う、畏怖のようなものが記憶から這い出す。そうだ、食料を探しに湖へ入った時の視線。あれは結局なんだったのか。
「そこの湖、貝を採って戻る時に何か感じたの。独りで怖かったから確かめられなかったけど、あそこには多分何か居る」
「なんだよ、はっきりしねぇな。それならとっとと確認しようぜ」
幻想的な風景をぶち壊すかの如き水音を立てて湖へ足を踏み入れるミナト。彼女らしい豪快な行動だが今度ばかりは無鉄砲が過ぎる。呆れ顔で止めに入るジゼルの姿を想像したサクヤだったが、それは空想のまま現実になる事は無かった。
「お手柄だわサクヤ。幸い、腰が浸かる程度の深さしかなさそうね」
その後を足早に追うジゼルの背中に、サクヤはどことなく焦りのようなものを感じた。
きっと、まだ見ぬ一族の秘密を前にして自制のタガが緩んでいるのだろう。
そう思う事にして、冷たい水を掻き分ける。
「結構冷えるな……あまり長居は出来そうにないぞ」
水位が太腿辺りまで達した頃、僅かに青ざめた顔で呟くミナト。彼女より身長の低いサクヤは既に下着が濡れる寸前だ。
「確かこの辺だよ。引き返そうとした時に、背中に視線を感じたんだ。しばらくしたらいなくなったみたいだけど……」
「引き返したのは正解よサクヤ。この先はいきなり深く、崖のようになっている。人が潜って進むのは無理だけどどこかに繋がって……っ、2人とも下がりなさい!!」
澄んだ水の先へ目を凝らしていたジゼルが何かに気付いて声を上げる。すぐさま反応したミナトが、水中とは思えない足捌きで最後尾のサクヤの所まで移動した。
「ちっ、今度は何だ!新手か、それとも罠か⁈」
「分からないわ、水底から何かが浮き上がって来た。剣は抜いておきなさい」
少し遅れてやって来たジゼルは冷静に振舞っているが、表情にはやはり焦りが滲んでいる。危機を前にしたせいもあるだろうが、それだけではない。湧き上がる気泡が考える暇を奪ってしまった。
気泡というにはいささか大きなそれを追うように、水面がざわめき立つ。
そして、それは姿を現した。
「………………………」
「………………………」
「………………………」
その姿に、三者三様の表情で沈黙するサクヤ達。
無理もない、それは想像していた何かとは大きくかけ離れた姿形をしていたのだから。
「ニャオー」
黒い毛で覆われたそれの鳴き声は猫。体をはじめ、口や目、鼻などが全体的に丸い生き物。それしか言えなかった。
「ジゼル……これって、ロア、じゃないよね?」
「え?えぇ、そうね。だけどこんな生き物、そもそも見たことも聞いたことも無いわ……」
少なくともこちらに害意はないようだけど。と、困惑した顔で眼前の未確認生物を眺めるジゼル。確かにこの巨大生物、大きな目でこちらを凝視するばかりで襲い掛かってくる様子は無い。どころか、心なしかその視線には何か期待のようなものが見て取れる。
「お腹でも空いてるのかな?」
「バーカ、察しが悪いな。こいつが館に関する手掛かりだってんなら、やる事は1つだろ。貸してみな」
そこでサクヤにもようやく察しがついた。レザリクスに入れていた"それ"を取り出してミナトに手渡す。
「ほら、そんなご大層な目が付いてんだ、見えないって事はないだろ?」
黄門様よろしくプレートを掲げるミナト。
「ニャーオー」
巨大な瞳がプレートを捉え、一際大きな鳴き声が洞窟にこだまする。どうやらミナトの推測は正しかったようだ。
ひとしきり鳴いた猫(?)が声を発していた口を思い切り開く。こう見ると、口だけで体長の半分近くにあるらしい。
「中に入れ……という事かしら?プレートに反応したようだから、いきなり食べられたりはしないと思うけれど」
恐る恐るといった様子で猫の元へ歩み寄るジゼルがだれにともなく呟く。
「食う気だったらハナっから襲って来てるさ。見ろよこの牙、俺たちの剣なんて小枝みたいにへし折られるぜ」
迷いの無い歩調でジゼルを追い越すと、ミナトは鋭い牙を小突いて言った。こういう図太いところもこんな時にはとても頼りになる。
颯爽と乗り込む2人に続いて、サクヤもおぼつかない足取りで猫の前へ進み出た。大きな黒目が早くしろとでも言いたげにこちらを見下ろしている。
「よ、よろしくお願いします……」
艶やかな毛を掴み、牙に身体が触れないように口内へ。思ったより湿度は低く、いたる所に椅子のような出っ張りが見て取れる。
そのまま腰掛けるのは少し躊躇われたが、黙して座る2人に倣って手近な所に腰を落ち着けた。するとそれを待っていたかのようにゆっくりと猫の口が閉じ始め、当然ながら暗闇がその領域を拡げていく。
「なるほど、潜水艦ってワケだ」
「潜水……?」
「あー、要するにどこかへ繋がる足って事だ」
動じる様子も無くそんな言葉を交わすジゼルとミナト。なかなか落ち着かないサクヤは不安げに明かりの方向を見つめていた。
「どうやらそのようね。さしずめプレートは通行証といったところかしら」
ほどなく互いの顔すら視認出来ないほどの暗闇が口内を支配する。
次にいつ見られるかも分からぬその美しい風景を目に焼き付けようと、身体を捻るサクヤ。
やがて一瞬の煌めきを放ち、完全な闇が訪れた。
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