第14話

眩暈に似た症状から回復したのは、よどみ無い手付きでジゼルが首に包帯を巻き終えた頃だった。


「さ、これで良いわ。毒はほんの僅かしか入らなかったようだし、出血もすぐに止める事が出来たから動いても平気よ。くどいようだけど……本当に大丈夫なのね?」


上目遣いでボタンを締めてくれるジゼル。その表情からは僅かではあるが苦悩と絶望の影が薄れていた。


「ありがとう。毒って聞いて少し慌てたけど、ジゼルのおかげでもう大丈夫。…………あっ」


ジゼルの前髪、瞳の真横の辺りの毛先が僅かに赤く染まっているのに気付く。サクヤの治療をしている時に血が付いてしまったのだろうか。ほんの僅かなものだが、髪の色のせいか赤色が際立っている。


「あの……サクヤ?そんなに見つめられると照れるのだけれど……」


「ごっ、ごめん!髪、血が付いてるみたいだったから……この辺」


シルクのような白い髪に一点の染みを作っていた赤は、ジゼルの指で軽く撫でると跡形も無く消えた。



「もう大丈夫そうだな。まったく……ヒヤヒヤしたぜ。しかし、鍵を手に入れたはいいが、結局振り出しに戻っちまったぞ」


廊下を警戒していたミナトが困り顔で手近な机に腰掛ける。


「そうね、悔しいけれどわたしが持っている情報はここまでよ。流石にマスターの情報網でも一族の隠し部屋の場所は分からないだろうけれど、一旦街へ戻って手掛かりを探すしか……」


「館のどこかに手掛かりがあるって可能性はねぇのか?」


「無いわ、これだけは断言する。この館に関しては、ここ以外隅から隅まで

調べ尽くしているから」


かつて館に住まい、廃墟になった後も探索を続けていたジゼルが言うのであれば間違い無いだろう。余分に持って来た食糧は荷物で終わりそうだが。


「そうと決まれば、とっととこんな埃まみれの所から出ようぜ。街じゃ俺はお尋ね者だが、どうにかして潜り込めばいい。それとジゼル」


目を見開くジゼル。驚いたのはサクヤも同じだ、恐らく出会って初めてミナトがジゼルの名を呼んだのだから。


「言ってたな……"サクヤを苦しめるような事をしたら殺す"って。その言葉、そっくりそのまま返すぜ。てめぇこそ、今度サクヤを危ない目に遭わせたら殺す。忘れんな」


「ミナトっ!さっきのは私が勝手にドジ踏んだから……」


進み出るサクヤの肩をそっと引き戻すと、微笑むジゼルは黙って首を振る。


「分かったわミナト、わたしはもうサクヤを危険に晒すような真似はしない。この剣と盾に誓う」


またしても剣呑なやり取りが繰り広げられると予感したサクヤが感じ取ったのは、張り詰めてはいても何か安堵を覚える空気だった。


「ふん、それじゃ出発だ」


ニヤリと口角を上げたミナトは勢いよく机から飛び降り……


「んをぅ⁈」


る事は叶わなかった。


朽ちた机が勢いに耐え切れず砕け、ミナトの身体はくの字で机に減り込む。


「……っぷ、ふふ……」


「わ、笑うんじゃねぇよ!くっ……そ、抜けねぇ!」


悪いとは思ったが、威勢良く啖呵を切った直後の醜態に笑いを堪えられないサクヤ。顔を伏せてはいるが、ジゼルもまた肩を震わせていた。


が、物音に気付いた彼女は一瞬で緊張の面持ちに変わる。


「あぁ、そういえば扉を開けたままだったわね。起こしてしまったみたい」


まだ太陽が昇り切っていない時間だ、"起こした"と言えば奴らしかいない。ガチャガチャと喧しい足音は複数、まともに相手をすればこちらが消耗するだけだ。


「よっこらしょ……と!簡単な話だ、窓をブチ破って外から逃げりゃいい。もう物音を気にする必要もねぇしな」


「それが出来れば最初からそうしているわ。試しに割ってご覧なさいな」


やっとの事で机の残骸から脱出したミナトの提案に、ジゼルは近くに転がっていたランプを投げ渡して答える。疑問符を浮かべる事数秒、何かを察した様子のミナトは窓へ向かってそれを思い切り振りかぶった。


ガシャン、と予想通りの音を立てて砕けたのは古ぼけたランプのみで、窓には傷一つ無い。


「嘘だろ、どうなってんだこりゃ?」


「術式で守られているのよ。仮にも当主の部屋、外にも同じ物が施されているわ」


「本当だ、うっすらとだけど窓の手前に壁みたいな物が視える……」


ジゼルの話では、窓枠に彫られた紋に呪力を流したレザリクスに近い構造で、半永久的な効果を持つらしい。


「なんだ、結局考えるだけ無駄って事か。道が1つしかねぇんならやる事は決まってる、正面突破だ!」


「すごく頭の悪い言い方だけど、残念ながらそれしかないわ。元来た道をただ戻るだけ、簡単でしょう?」


瞳に好戦的な光を灯したミナトが水を得た魚のように仁王立ちする横で、眉間を押さえるジゼルもまた剣を抜き放つ。反響する足音は徐々に近付いており、程無く視認出来る距離まで押し寄せるだろう。


「待ってミナト。まずは私が術式を撃つから、飛び出すのはその後で」


要領は水路の時と同じ、炎のイメージを通路いっぱいに広げて燃焼させる。違いがあるとすれば、ここには燃える物が多い事。火事を起こして身の破滅を招くような真似は避けたい。


「火力を押さえないと……でも、押さえ過ぎればロアを倒しきれない。集中して……」


程無く見慣れた化物が通路に姿を現わした。数は見えるだけでも十数体、もう少し惹き付ければ射程圏内に収まる。


「撃った後は俺が先陣を切る、サクヤは中央で援護だ。殿は任せるぜ」


「貴女の得物ならそれが正解かしらね。辛くなったらいつでも代わってあげるわ」


左右に控える2人は薄ら笑いを浮かべて冗談を言い合っている。それだけの信頼をサクヤに寄せてくれている証拠だろう、期待には応えたい。


「ここだっ……」


生じた揺らぎの中にロアの一団が収まった所で、燃焼のイメージを解放する。炎が瞬間的に視界を支配し、消える頃にはミナトが隣を通過したのが分かった。しかし、


「……おっと、燃えカスが残ってるな」


床に靴を擦りながらミナトがその足を止める。


「あ、私……ごめん……!」


爆発でなければならなかった。燃焼のイメージでは火力が足りなかったのだ。


全身から煙を立ち昇らせながらも、一部のロアは灰に帰る事無く姿を留めている。幸いな事に身体のほとんどの筋肉を焼損したらしく、まともに動ける個体は少ない。


「問題無い、ただの案山子の群れだ。しっかり付いて来いよ⁈」


瞬時にそれを理解したミナトは再び突進を始め、瞬く間に立ち尽くすロアを仕留めていく。罪悪感は拭えないが、今は進むしかあるまい。弓を構えて後を追う。


「そこを右よ!」


「覚えてるっ、もし間違えたら先陣は譲ってやるさ!通路にざっと15匹だ!」


一切の躊躇無く角を曲がるミナトには冷や冷やさせられるが、その記憶力と、振り下ろされる刃への反射神経には目を見張るものがある。


彼女の剣にはいわゆる柄が無く、代わりにあるのはそう、サクヤの知識で表すなら握力測定器の握りの部分。拳の延長となった切っ先を殴るように振るう事の出来るあの剣は、まるで彼女の為にあてがわれたかのようだ。


出会い頭の眼前に迫る斧を紙一重でやり過ごし、がら空きになった胸の辺りに剣先を叩き込む。致命傷を受けたロアが灰に帰る数秒の間に、その身体を盾にして群の中心へ飛び込んでは標的をばらけさせ、サクヤが援護し易い状況を作っていくミナト。


「はっ、トロいトロい!お前らしっかり付いて来いよ⁈」


「……やっぱり彼女とは気が合いそうにないわ、品が無いにもほどがある」


時折別の通路から顔を出すロアを着実に処理するジゼルがやれやれといった様子で呟く。しかし、戦力として文句は無いようだ。





「くそっ、止まれ!」


いくつめかの角を曲がろうと飛び出したミナトが次の瞬間には顔をしかめて戻って来た。姿こそ見えないが、後ろからは敵の群れが迫っているはず。休憩する時間が無い事は彼女も承知の筈だが……。


「厄介だぜ、あれは俺1人じゃ抜けられねぇ」


顎で示された角の先を覗く。


弓を構えたロアが3体、待ち構えるように通路を塞いでいる。それだけならミナトの足を止めるほどではないのだが、それが2列となると話は別だ。距離を置いてもう3体が同じように弓を構えている。


「前の列を倒せてもその間に狙い撃ちにされちゃう……それにしても、あの一瞬でよく気付いたね」


「闘争本能の塊に見えて、その実冷静に状況を見ているわよね……貴女」


「喧嘩売ってんのか⁈ちっ……今はそんな場合じゃねぇな。何か考えはあるか?また毒矢だとしたら撃たれてやるわけにはいかないぞ」


苦い顔のミナトが剣先で角を差す。ジゼルが死にかけた時の事を思い出し、サクヤの顔から僅かに血の気が引いた。




「ふぅん……あれなら問題無いんじゃないかしら?」


が、当のジゼルはと言えば、注意深く角の先を観察して何ともない口調で呟くではないか。


「お前、あんなのどうする気だよ?まさか盾持って突っ込むとか言うつもりか⁈見てたなら分かると思うが腰に剣を差してる、距離を詰め過ぎれば囲まれるぞ」


「突撃は貴女の専売特許じゃないの。まぁ聞きなさい」




通路のど真ん中、弓兵の射程圏内に飛び出して来たのは盾。表面には片翼を貫く剣の意匠。


生者であれば僅かにでも警戒心を抱くであろう光景だが、ロアにそれは無い。動くものへ向けて弦を引き絞るだけだ。例えその鏃が金属の盾にあえなく弾かれるだけだとしても。


前列から一呼吸置いて後列の射撃、しかしこれもまた弾かれる。程なく肉薄するであろう盾を前に、前列が弓を捨てて腰の剣に手を掛けた瞬間。


「左は任せるわっ」


盾が突如右へ針路を変えたのと同時に現れたのはジゼルの半身。その背中を転がって躍り出たミナトの剣が、遠心力を殺さぬまま正面のロアを半ばまで両断する。


「言いなりは少し癪だが……」


指示通り、左のロアの腕を斬り飛ばして攻撃の手を封じるミナト。同時にジゼルが右の個体を剣ごと叩き斬る。


前列の全滅など感知しない後列が放った矢の1本は何にも当たる事無く通路の彼方へ消えた。もう1本は盾に弾かれ、後の1本はミナトが盾にしたロアの胸に吸い込まれる。


残るは後列の弓兵が3体、次の矢を放つ間も無く灰と消えた。




「2人とも怪我は無い⁈」


角から様子を伺っていたサクヤは事が済んだのを見届け、怪我など無い事を知りながらも問い掛ける。


「やっぱり2人は凄いね、あっという間に全部倒しちゃった!援護する隙なんて全然無かったよ」


「ふんっ、別に1人でも出来ない事は無いがな。手っ取り早いやり方を選んだまでさ」


息一つ乱した様子の無いミナトがそっぽを向いて応える。それを見たジゼルはやれやれといった顔でほくそ笑み、サクヤに問うた。


「わたし達に出来るのは剣を振るう事だけよ、貴女の術式なら一瞬で消し炭に出来るじゃない。後ろは平気だったかしら?」


「……うん、追い付いたロアはいないよ。急ごう、日が暮れる前にこの館から出なくちゃ!」


通路の先で上がる黒煙を視界の端に捉えながらも、サクヤは2人の背を押す。


時間が惜しい、話すのはまた後で構わないだろう。追い付いたロアがもういない事は事実なのだから。






「俺の記憶が正しけりゃ次の角を曲がった所が出口の筈だが、間違いないかぁ⁈」


結局最後まで先頭を守ったミナトが乱暴に問う。


「その通りよ。でも気を付けて、まだ伏兵が潜んでいるかも知れないわ。外に出た途端に狙い撃ちはごめんでしょう?」


「はっ、そいつは面白くねぇな!後ろも大分引き離した事だし、少しは慎重に行くとするか」


珍しくジゼルの忠告を受け入れたミナトが足を止めたのは角を曲がってすぐ、既に外の明かりが見える地点。明かりと言っても、傾き始めた陽光は赤みを増している。


「ふぅ、2人とも体力ありすぎ……置いてかれるかと思ったよ……」


「何言ってる、あれでもペースは大分落としてんだぞ?あれ以上遅れたら置いてこうと思ってたよ。なぁ、おい!お前だってもっと速く走れるんだろ?」


壁に背中を預けて小休止すると、体力の限界が一気に押し寄せる。身体に追い討ちを掛けるような真実に膝が崩れかけたところで、気遣うようにジゼルがフォローを入れてくれた。


「否定はしないわ、でもわたしは弱音を吐かずにここまで走り続けた事を評価する。出逢ったばかりの時なら途中で三度は倒れていたはずよ」


「うん……うん?励まされたんだよね?」


息が整ってから発言を吟味すると後半はけなされているように聞こえなくもない。




が、思考は直後に鼓膜を突き刺した轟音によって別の方向へ飛躍する事になる。


「おいおい……外に出るまでもなく伏兵のご登場じゃねぇか。しかもこいつは……」


唐突に起こった轟音と共に通路の壁が崩れ落ち、思わず目を瞑る。幸い崩壊が起きた箇所はサクヤ達が立ち止まった場所よりもずっと前方、出口付近だったおかげで巻き込まれる事は無かった。


「参ったわね、1体だけとは限らないと思っていたけれど……よりによってここで現れるなんて」


「水路で戦ったロア……だよね?私が術式で倒した奴だよ。まだ他にも居たなんて……!」


水路でサクヤが焼き殺したあの"破城槌"だ。しかしよく見れば頭の形や縫い目が違っており、同じ製法で造られた別の個体である事が分かる。


「その事は今は問題じゃないわ。それより見てご覧なさい、崩れた壁が通路の両端を塞いでいる。あのロアを倒さない限り通せんぼよ」


「そうだね、じゃあ今度も私が……」


「待てよ」


水路の個体と特徴は同じらしく、通路に陣取った後はノロノロと辺りを見回している。両の瞼は縫い付けられているため、見回すという言い方は適切ではないかもしれないが。


「お前らは下がってろ。こいつには水路で恥をかかされてるんだ、あの時の奴と別物だろうと借りはきっちり返さないと気が収まらねぇ」


気が収まらないと言う割には落ち着いた声色のミナトが、これまた落ち着いた表情で進み出る。


水路でのあの姿は彼女にとってそれだけの屈辱だったのだろう、覗き込んだ瞳は静かに怒りを燃え上がらせていた。止める術が無い事を察したサクヤが端へ退くと、ミナトは無言でロアの方へ足を向ける。



ジョギングをするような軽い助走からの跳躍、腰の辺りに深々と突き立てられた剣の痛みに気付いたロアのくぐもった咆哮が開戦を告げた。




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