第13話 生者の道行き

「はっは!お前にしちゃ中々クレイジーなアイデアだな」


「はぁ……。貴女は何というか、時々突拍子も無い事を考えるわね。柔軟性があると言えば聞こえは良いけれど」




食事を済ませ、眠りに就く前に話した時の2人の様子である。


全く正反対の反応を示したジゼルとミナトだが、最終的に同じ回答に至った。



ーー「やってみる価値はある」ーー




そして翌朝。


埃っぽい室内で喉や鼻腔を守る為に巻いていた布を外すと、朝の光が舞い上がる埃を幻想的に照らした。なんとサクヤが一番乗りで目覚めたらしい。


朽ちてはいても元は上物だったのであろう絨毯のおかげで、床で寝たにも関わらずそれほど身体は痛くない。


「あら、起きていたの」


むくりと起き上がったジゼルが、僅かに驚きを滲ませた顔でこちらを向く。


「おはよう。うん、なんだか目が覚めちゃった」


「そう……きっと、もう身体がこの暮らしに慣れてきたのね。貴女の一番の長所はそういう所なのかもしれないわ」


「?……それってどういう……」


「んぁ?もう朝か……。お前ら早いな」


すぐ後にミナトも目を覚ました。会話が途切れる形になったが、寝起きという事もあり、互いにそれ以上言及しないまま身支度を始めた。





軽い体操で身体をほぐした一行は、揃って朝食を済ませる。硬い干し肉が主食ではあったが、3人で囲む食卓には笑顔が生まれていた。




「さてと……それじゃやりますか!サクヤ、お前が仕切ってくれ。指示通り動いてやるぜ」


「わ、分かった。それじゃ……」



まずは扉を開けて安全を確認し、ミナトに頼んで適当な机をストッパーにして退路を確保する。余談だが、騎士の意匠は内側にも施されており、やはり中央で真っ二つになる構造だった。


次いで甲冑の正面に立ったサクヤは、自身の周りをゆっくりと踏み鳴らしていく。傍らでは目を閉じたジゼルが耳を澄ましている。


「……そのくらいで良いわ、どうやら落とし穴の類は仕掛けられていない。あったとしても起動までには時間の掛かる代物ね」


顔を上げたジゼルが微笑む。


「その筋の人間がいればもっと詳しく調べられるのだけれど、生憎わたしじゃこの程度ね」


「ううん、私は音の違いなんて分からないからすごく助かるよ」


壁や天井に何かしら仕掛けがある可能性もあるが、その手の物は巧妙に偽装されているとその筋の人間にしか見分けがつかないらしい。


「扉の方も終わったぜ。あれだけやりゃひとりでに閉まる事は無いだろ」


扉の固定を済ませたミナトが戻り、その辺りに立て掛けていた盾を手にする。傍らのジゼルも同様だ。


「さて……ここまでは順調よ。と言っても、ここからが本番なのだけれど」


「うん。それじゃ、2人ともお願い」


まずはジゼルが盾を構えてサクヤの背後に立つ。家具が多く置かれているこの部屋で、障害物に阻まれる事無く射出する類の罠を仕掛けられるのは背後の壁から天井にかけてのみだ。頭上はミナトが守る。


「わっ!ミナト、何で抱き付くの⁈」


「俺の盾は小さいんだ、こうしないと俺が罠に当たっちまうだろ⁈」


「そ、そうだけど……」


問答よりも今は行動だ、抱きすくめられている事を意識しないようにして甲冑を眺める。


全身を覆う金属製、そうとしか言いようの無い無骨な物だ。同じく装飾の少ない剣を両手で眼前に構えている。尤も、厳格な騎士の館には相応しい代物だが。


「まずは兜を調べてみて。持ち上げられるか、でなければ左右に動かせないかしら?」


ジゼルの指示に従って両手で包み込み、力を入れてみるがびくともしない。筋力の問題ではない、固定されているようだ。上下左右全て試したが動かなかった。


「次はそう……剣を。要領は一緒よ」


蜘蛛の巣だらけの朽ちた剣だが、紛れも無い刃物だ。注意深く柄の部分を持って押したり引いたりを試みるが、やはりピクリともしない。


「こっちも駄目みたい。やっぱりただの甲冑だったのかな……ひゃっ!」


ため息混じりにジゼルへ視線を向けた少し後、手の甲を弄る感触に視線を戻すと、親指ほどの大きさの蜘蛛が這っているのに気付く。


慌ててその手を振り回すと蜘蛛はすぐどこかへ飛んで行ったが、代わりに剣の腹に思い切りぶつけてしまった。幸いにも刃には触れておらず、もの凄く痛いだけで済んだが。


「おいっ、サクヤ!!」


「ご、ごめん!大っきい蜘蛛が……」


「そうじゃねぇ、見ろ!」


蜘蛛ごときに驚いて声を上げたのを責められた訳ではなかった。


手元を見やると、朽ちた剣の中ほど、サクヤが手を強打した部分が真っ二つに割れている。折れてしまったのかと思ったがそうではない、そういう造りなのだ。折れた剣の切っ先は兜の目の部分に刺さっている。


「気を抜いては駄目、罠かも知れないわ!」


僅かな歓喜を抱いたのも束の間、鋭い一声に身を固くする。


身体を抱くミナトの力も自然と強まり、緊張を孕んだ沈黙が数秒。




カシャン、と乾いた音を立てて折れた剣が元に戻った。


思わず肩を竦めるサクヤの目の前に、兜の中から小さなプレートが現れる。


「何だろうこれ……?」


反射的に手を伸ばす。慎重に引き抜くとプレートの中心は穴が空いており、小さな鈴が取り付けられていた。


「罠……じゃねぇな、何に使うんだこんなもん?財宝って訳でもなさそうだが」


腕を離したミナトがプレートを覗き込むが、口から出た感想はサクヤと全く同じ。精緻な意匠が施されてはいるが、材質は鈍色の地味な物だ。少なくとも金銭的な価値があるようには見えない。


「何かあったの?私にも……っ!!」


背中を向けていた為に状況が見えないジゼルが、警戒を解いて2人の間から顔を出して息を呑む。


覗き込んだまま動かないジゼル。その瞳には驚きと、僅かな悲しみが見て取れる。一体このプレートに何の意味があるというのか。




「当たりよ」


それだけ言うとジゼルは甲冑に背を向け、盾を支えにして俯いてしまった。


「当たり……この鉄板が手掛かりって事か?黙ってちゃ分からねぇよ!」


「待ってミナト、様子が変だよ」


沈黙に痺れを切らすミナトをなだめ、ゆっくりとジゼルの元へ歩み寄る。俯いた彼女の顔を覗き込むと、そこには見た事の無い表情があった。


「……それはね、この家の紋章よ。麦わら帽子に騎士甲冑、右手の剣と左手の鍬。それを紋章として使うのを許されていたのは家に仕える者、さらに剣と鍬を交差させている物は当主の血筋のみが使用を許されていた」


「それってつまり……?」


「マスターの話を思い出して。館の最奥に隠されたルミリアの研究。正直な所、わたしは信じていなかったのだけれど」


サクヤは驚いた。その研究にこそ手掛かりを求めてここに訪れたというのに、導いた張本人はそれを疑っていたというのだ。


「マスターとやらの事は知らねぇが、状況は分かった。その鉄板は当たりで、この部屋はハズレって訳だ。ここは館の一番奥じゃない……だろ?」


「腹立たしいほど察しが良いわね。そのプレートは鍵よ、それも当主と限られた近親者しか入れない場所への。……わたしの知らない場所」


自嘲気味に吐き棄てるジゼル。ようやくサクヤにも状況と、彼女の狼狽えぶりの理由が理解出来た。



当主と近親者しか知らない場所、それをジゼルは知らなかった。知らされていなかった。


家の努めを全うする事の出来なかった彼女にとって、その事実は更なる絶望を突き付けるものであろう。隠された部屋の存在に疑問を抱いていたのは、父親への信頼の現れだったのだ。


言ってしまえば、家の努め以前に一族として正式には認められていなかったという事。



「ジゼル……その……」


声を掛けてはみたものの、それ以上掛ける言葉が見付からなかった。騎士として恐らく最後の矜持であったものが、ここへ来て崩れ去ったジゼルに掛けるべき言葉など。



と、視線を彷徨わせるサクヤの眼に何か光る物が映り込む。


目の錯覚とも思える程の僅かな光、それがどこから発せられたのか眼を凝らす。


「っ、ジゼル!!」


それは項垂れたジゼルの頭の先、丁度甲冑の反対側の壁にあった。身体は結論に行き着く前に動き出している。


「なっ、サクヤ⁈」


驚きと困惑を浮かべたジゼルの顔が、床に叩き付けられた事で苦悶の表情に変わる。


「お……おい、いきなりどうしたってんだ⁈」


ミナトの口から出た台詞は至極真っ当だ。訳も分からず落ち込むジゼルに、突然サクヤが飛び付いたようにしか見えなかった事だろう。


しかしミナトの観察眼はすぐに状況を理解し、絨毯の上で僅かに光る"それ"を捉えた。


「……おい、そっちの壁はてめぇが警戒する事になってた筈だろ」


低い声と共に目を剥いてジゼルを睨み付けるその手にあったのは、小さな針。と言っても、小枝程の太さがある。


「そんな、まさかあんなタイミングで⁈……サクヤっ!」


老朽化して射出するまでに時間が掛かってしまったのか、推測を挙げればキリが無い。しかし結果としてはジゼルの失態である。そのせいでサクヤに庇われる結果となった事に気付き、慌てて胸の上の彼女へ気遣うような視線を向けた。


「痛た……ジゼルに怪我が無くて良かったよ。私も膝をぶつけたくらいだし、問題な……」


むくりと起き上がったサクヤは膝の鈍痛を感じながらも、苦笑いを浮かべて無事を示そうとする。



しかし肩を伝う感触に気付き、それが何なのかを理解するのと同時に肩の僅かな痛みを自覚した。



ジゼルの手が服の襟を掴み、そのまま乱暴にはだけさせる。露わになったサクヤの肩には、鮮血の浮かぶ切り傷。


「だ、大丈夫だよ!こんな傷放っておいてもすぐに……」


「馬鹿!じっとしてろ、血の巡りが速くなる」


突然肌を晒されて慌てる身体を背後からミナトに固定された。荒い語気に身体はひとりでに硬直する。


「わたしの時だって、傷はほんの小さな物だったのよ」



毒だ。



答えに行き着いた脳天から血の気が引いて行くような錯覚。


「心配しないで、すぐに……」


言い終わらない内に、形の良いジゼルの唇が肩に押し付けられる。僅かにしみる痛みの後に、傷口から血を吸い上げる得も言われぬ感覚。




「ふっ…………んぅ!」


意図せず声が漏れる。こそばゆい感触に身を捩ろうにも、背後のミナトが身体を完全に固定している為に叶わない。


血を吸われている最中だというのに、全身の血が顔の周りに集まって頬を耳を紅潮させる。身体を拘束され、前後を塞がれている事が羞恥心を煽っているのか。


「……っや、ぁ…………!」


僅かな息遣いが首筋を伝って耳朶に触れる。首から上をジゼルに抑えられているせいでやはり逃れる事は出来ない。


2人がサクヤを助けようと懸命に動いている傍でそんな顔をしているのを見られたくない。心で思っても……いや、思う程に身体は熱を帯び、筋肉が弛緩していくのを感じる。


「……っは、このくらいで良いわ。すぐに処置したから平気だと思うけれど、念の為毒消しを飲んでおいた方が懸命ね」


唇を離したジゼルの言葉は聴こえていたが、サクヤの思考はそれを捉えていない。視線がジゼルの口元から伸びる赤い糸から離れないのだ。


ずっとその糸で繋がっていたい、この身に流れる血が尽きるまで吸われてしまいたい。そんな破滅的で汚らわしい思いが濁りとして瞳に映り込んだのかもしれない。


「……サクヤ?サクヤ、わたしの声が聞こえる⁈」


乱暴に手の甲で断ち切られた糸と共に、熱っぽい夢想から解き放たれる。


「大変、もう毒が回ってしまったのかしら……」


「なな、何でもないの!大丈夫だから!少しびっくりしただけ」


とても正直に言えるはずもなく、否定を重ねる事しか出来なかった。


「本当に?無理はしていないでしょうね?」


「本当に大丈夫。ほら、もう血も止まってるし……ちゃんと立って歩けるよ」


立ち上がり、傷口を見せてアピールするが、実際は万全という訳でもなかった。




傷口に残った熱が、あの感覚の余韻が今も、さざ波のように身体の中心へ染み込んでいるのだから。





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